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ドリトル先生の野球
第六幕その五
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「今よりぶかぶかな感じだったしね」
「今は身体にぴったりした感じだね」
「そうだしね」
「その方が動きやすいしね」
「そうもなったんだ、ただね」
 先生はサンドイッチを食べながら話題を変えました、今度の話題は一体どういったものかといいますと。
「昔の野球の話をさらにすると」
「どうしたのかな」
「ピッチャーの人は普通に連投しているね」
「あっ、先発の人が」
「完投が普通でね」
「凄く投げてるね」
「中日にいた権藤さんなんかは」 
 この人はどうかといいますと。
「権藤権藤雨権藤ってね」
「そう言われる位投げていたんだ」
「もう先発は殆どね」
「権藤さんっていう位だったんだ」
「稲尾さんや杉浦さんもそうで」
 この人達もというのです。
「本当にエースが連投していたね」
「それが昔の野球だったんだね」
「これは戦前からでね」
 第二次世界大戦前からだというのです。
「当時は普通だったんだ」
「そこも今と違うね」
「昔は医学が今よりずっと遅れていて」
 先生はお医者さんとしてお話しました。
「身体が弱いと子供の頃にすぐに死んでいたね」
「そうそう、日本でもね」
「しゃぼん玉の歌は実は小さな子供を歌ったもので」
「風風吹くなってね」
「風は風邪でね」
 そうした意味でというのです。
「子供は風邪をひいたらね」
「すぐに死んだね」
「それで身体の強い人だけが残って」
「スポーツ選手は身体が強くないとなれないし」
「しかも昔の人達は移動手段、車もなかったし」
 それでというのです。
「いつも歩いていたし身体を使う機会も多かったし」
「今の人達よりずっと丈夫だったね」
「だからね」
 それでというのです。
「今よりずっと強い身体だったから」
「連投もだね」
「出来たんだ、ただね」
「ただ?」
「結果として権藤さんの選手生命は短かったよ」
 連投ばかりしたこの人はというのです。
「稲尾さんも杉浦さんも現役時代はあまり長くなかったし」
「ずっと投げていたらね」
「肩に無理が来るね」
「そうなるよ、実はこの人達は昭和十年代の生まれなんだ」
 この頃に生まれた人達だというのです。
「そしてこの人達を使っていた監督さんは大正生まれだったんだ」
「ええと、その頃の監督さんは」
「中日は濃人渉さん、稲尾さんの西鉄は三原修さん、杉浦さんの南海は鶴岡一人さんだよ」
「三原さんや鶴岡さんだったんだ」
「名監督だね、どの人も」
「その人達は大正生まれで」
 その頃に生まれた人達だったというのです。
「大正時代と昭和十年代じゃまた医学は違うから」
「昭和十年代の方が進歩していたね」
「子供、乳幼児の死亡率も改善していたし」
 昭和十年代は大正と比べてそうだったというの
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