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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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七十五 反逆

ぽたた…、と滴下する。
鮮やかな雫は寸前までの戦闘を断ち切り、その場における面々の動きをも止めた。

じわじわと広がる染み。
鼻に付く血臭と自ら斬り付けた右腕の痛みに、カブトは一瞬眉を顰めた。だが眼前の顔を見れば、その苦痛も多少薄れる。
血が滴るクナイを手に、彼は冷やかに嗤った。

「伝説の三忍二人を相手にするのは流石にヤバいですからね…」
綱手は動かない。顔を伏せたまま、身動ぎ一つしない彼女をカブトは見下ろした。クナイを振り被る。


「か、カブトさん…っ!?」
刹那、突然割り込んできた声がカブトの腕を押し止めた。

クナイを掲げたまま、声がしたほうへ眼を向ける。視線の先で、見覚えのある少女が驚愕の表情を浮かべていた。
中忍試験時に一度行動を共にした―――波風ナル。

「…やぁ、ナルちゃん」
わざと緩慢に振り返る。大きく目を見開くナルの顔に、カブトは口角を吊り上げた。
眼鏡の奥で細められたその瞳は、ナルとの再会に対して何の感情も窺えない。

「綱手さま…っ!!」
叫び声でハッと我に返る。ナルに気を取られていたカブトは、綱手の付き人がこちらへ駆け寄ろうとしているのを見てチッと舌打ちした。すぐさま目前の綱手に注意を向ける。
先ほどと変わらず、じっと項垂れる彼女の様子に内心カブトは息をついた。直後せせら笑う。

「大蛇丸様から聞いたよ。あんた、血が怖いんだろ?」
顔を覗き込む。陰でその表情はわからないが、血液恐怖症であるが故に怖ろしくて動けないのだろう、とカブトは判断した。

「しっかりしてくださいよ。これじゃあ、大蛇丸様もその一人に数えられる三忍の名が泣くじゃないですか」
これでも同じ医療忍者として尊敬していたんですよ、と明らかに蔑んだ口調でつらつらと並べ立てる。





だが次の瞬間、カブトは凍りついた。


「…――――同じ?この私と、お前のようなひよっこがか?」

凄みのある声。
その言葉が終わるや否や、カブトの身体は宙に投げ出された。

「ぐぁ……ッ!?」
もの凄い衝撃。頬を襲った激しい打撃は背後の岩々をも巻き込んでゆく。殴り飛ばされたのだと気づいたのは、大岩に背中を強かに打ち、崩れ落ちた時だった。
地に這い蹲るようにして悶絶する。息も絶え絶えに目線を上げると、自身を殴った張本人は伏せていた顔をようやく上げた。


「私は……木ノ葉隠れ――五代目火影になる女だよ!!」


自身の馬鹿力をくらい、悶絶するカブトを見下ろす。そして綱手は改めて大蛇丸に顔を向けた。
挑発的な笑みを浮かべる。

「何時までも、過去(あの頃)に囚われたままの私だと思わないことね」












啖呵を切る。
血液恐怖症を完全に克服している綱手に対する各々の反応は三者三様だった。

綱手の威勢の良い宣言に、にやりと口許に弧を描く自来也。火影に反応し、驚くシズネ。
そしてナルはというと、突然の事態に反応が出来ずに呆けていた。

だが最も狼狽したのは、三忍二人を敵に回した大蛇丸本人。表情にこそ出さないものの、この思わぬ事態に彼は内心驚愕していた。


綱手は血液恐怖症だったはずだ。一週間前の交渉時にそれは確認済み。だから彼女の弱点をカブトに伝え、そこを狙うよう仕向けた。
だが現在、カブトの血を頭から諸に被ったはずの綱手は平然としている。血を克服したらしき彼女からの強い眼光に射抜かれながら、(雲行きが怪しくなってきたわね…)と大蛇丸は眉を顰めた。


大蛇丸の隙を見て取って、自来也がナル達の許へ向かう。
何故自分達の居場所が解ったのかと彼は疑念を抱いたが、その疑問はシズネの足下にいるパックンを目にするや否や解消された。

一方、大蛇丸もまた、自来也同様、何時の間にかカブトの傍らに佇んでいた。膝をつき、耳元で囁く。
「…今は耐えなさい。あの子が来るまでの辛抱よ」
「……判っています」
小声でのやり取り。秘かに交わされた大蛇丸とカブトの会話は、シズネと綱手の対話を聞いていた自来也の耳には届かなかった。


綱手はどうもシズネを巻き込まずに、自来也と二人で大蛇丸と決着をつけたかったようだ。
病院のベッドで寝たきりのアマルはともかく、シズネは自分について来るだろうと推測した綱手は手製の痺れ薬を昨夜彼女に盛ったのである。
自来也もまた、ナルが眠っている間に大蛇丸の件を済ませるつもりだったので、綱手の考えが手に取るようにわかる。

だがシズネ当人はその勝手な判断が不満だったようで、未だ痺れの取れない身体で綱手に細々と「私は貴女の付き人ですよ?」と言い聞かせていた。


大蛇丸とカブトを警戒しつつも、説教を受ける綱手を愉快そうに眺めていた自来也ははたと隣を見た。てっきり自分もナルに文句を言われると思ったのだが、先ほどからやけに静かだ。
窺うと、彼女は呆然と大蛇丸とカブト……いや、カブトだけを注視していた。

不意にナルの口から「カブトさん、どうして…!?」という声が零れる。明らかに狼狽する弟子の言葉に、自来也は片眉を吊り上げた。


「なるほど…顔見知りか」
「……一緒に中忍試験を受けたんだってばよ。なんで此処に…?」
ようやっと会えた師の存在でナルは少しばかり落ち着きを取り戻す。それでもやはり取り乱したまま、彼女は再度声を荒げた。
「カブトさん……っ!?」

カブトは何も言わない。沈黙する彼の前で、自来也が乱雑に頭を掻いた。
いい加減必死な弟子の姿を見るに忍びなくて、「額当てをよ~く見てみぃ。そいつは大蛇丸の部下だ」と決定的な一言を述べる。

「………っ」
二の句が継げなくなったナルへ、今度はカブト本人から容赦ない言葉が突き刺さった。
「ナルちゃん…。君に手を貸したのは情報収集の為だよ。それ以上でもそれ以下でもない」
地に膝をつき、呼吸を整えていたカブトが眼鏡をくいっと押し上げる。息を荒げつつも彼は口許に余裕染みた笑みを湛えた。

「僕は…――スパイだからね」



自分を慕っていた少女の動揺を気にも留めず、緩慢な仕草で身を起こす。立ち上がりこそまだ出来ないようだが、自身に殴られておきながら起き上がったカブトに綱手は目を見張った。

やけにナルを挑発するカブト。彼の意図を理解したのか、大蛇丸がすっと身を引く。腕を組んで傍観者に徹する彼を、自来也はじっと見据えた。
大蛇丸の行動を見張らないといけない自来也もまた、容易には動けない。同じく大蛇丸を警戒する綱手も、シズネに肩を貸しているため、簡単には動けなさそうだ。


「お前…私の拳を食らって…!?」
「チャクラを頬に集めて殴られる前から治癒を始めていた。僕が大蛇丸様に気に入られたのは技のキレでも術のセンスでもない」
綱手に殴られた頬。そこを押さえながら立ち上がったカブトは、おもむろに頬から手を放した。
手で押さえられていて見えなかった傷痕。それが徐々に治癒されていく様を見て取って、綱手は眼を瞬かせた。

「…―――圧倒的な回復力。細胞を活性化し、新しく細胞を造り変えてゆく能力…」
歌うように話していたカブトの眼がナルに向かう。急に視線を注がれ、当惑したものの、ナルは負けじと睨み返した。
「ナルちゃん…君の情報を収集して、ひとつ解ったことがある」
だがカブトは彼女の強い眼光を気にも留めず、むしろ探るような視線を送ってくる。
その眼はナルではなく、別の…――まるで彼女を通した他の人物を見つめているかのように遠いものだった。


「君に忍びの才能は無い」

いっそ残酷なまでの宣告。何の前触れも無く告げられ、ナルは一瞬呆けた。除々に顔を険しくする。
唇を噛み締め、キッと睨んできたナルに対し、カブトはわざとらしくにっこり微笑んだ。

「そんな怖い顔をしても結局君はただの可愛い下忍なんだよ。此処では場違いだ…だから、」
すっと眼を細める。終始浮かべる笑顔の反面、カブトの声音は実に冷やかだった。

「出しゃばるんじゃない」

あんまりな言い草に、頭に血がのぼる。カッとしたナルは、引き止める自来也達を振り切り、カブト目掛けて駆け出した。
影分身を数人作り出す。走りながら彼の右腕に目を止める。各々がクナイを手に、地を蹴った。

真正面から迫り来るナルを見て、カブトが軽く肩を竦める。
彼は気づいていた。ナルがちらりと自身の右腕を一瞥した事に。
ずらりと並ぶナル達を見渡し、カブトは(残念ながらその目論みは失敗だよ)と苦笑を漏らした。

案の定、彼女達はカブトの右側を重点的に狙ってきた。
それを見越していたカブトは、ナル達の猛攻を軽く避ける。殴りかかる腕を取り押さえ、クナイを奪い、逆に鳩尾を殴る。
ぼうんっと立ち上る白煙を背に、今度は振り被る拳を受け流し、突き蹴りを放つ。蹴飛ばされた影分身が消えるのを眼の端に捉えつつ、跳躍。
一人のナルが仕掛けてきた足払いをかわす。そのまま空中で、ナルから奪ったクナイを投擲。

影分身達をあっという間に仕留め、カブトは軽やかに地上へ降り立った。ナル本人を目に捉える。


「怖いかい?逃げてもいいんだよ。死んだら終わりなんだから…。アカデミーで、状況次第では諦めて逃げろと教わらなかったのかい?」
影分身を失い、一人になったナル。本人であろう彼女の顔を覗き込むように眺めると、カブトの口角が自然と吊り上がった。

「今の君は足手纏いだ。足手纏いは足手纏いらしく、大人しくしておくんだ。いい加減、意地を張らずに諦めなよ……死にたくないだろ?」
微笑を湛えた唇で穏やかに話すカブト。まるでそれは聞き分けのない子どもを諭しているかの如き物言いだった。


「死んだら何もかも…夢も希望も何もかも無くなるんだよ…」

そう語っていたカブトの顔が不意に変わる。まるで自身の言葉に傷ついたように彼は顔を曇らせた。
その一瞬の隙をナルは見過ごさなかった。


拳を広げる。素早くチャクラを乱回転させると、青白い光が迸った。
目の前で渦巻くチャクラの玉に、カブトがハッと我に返る。だが、紺碧の珠を両手で構えるナルの体勢に、彼は呆れた風情で眼鏡を押し上げた。

「どんな術を覚えたか知らないが、当たると思ってるのかい?」
「待て、ナル…っ!!」

慌てた自来也が口を挟む。ナルとカブトの闘いを観ていた彼は、【螺旋丸】から迸るチャクラの渦に顔を顰めた。
本来ならば球の中で渦巻くチャクラがこれだけ外に漏れているという事は、まだ術は完成していない。チャクラがまだ留め切れていないのだ。

もっとも今の段階でも人を気絶させるくらいは出来るだろう。だが敵は畑カカシ同等の力量である薬師カブト。相手の動きを止めない限り、避けられるのが関の山だ。その上カウンターを食らい兼ねない。

完全ではない【螺旋丸】。ナルが不完全な術を放つのを自来也は急ぎ諌める。だが頭に血がのぼっているのか、師の声を無視し、カブト目掛け突撃するナル。その見るからに安直な攻撃を、カブトは鼻で笑った。
「そんなわかりやすい動きじゃ、よけるに決まって…ッ!?」



刹那、カブトの膝がガクンと落ちた。


「な…っ!?」
突如、崩れる体勢。見下ろすと、地中から手が生えていた。

「【土遁・心中斬首の術】!!」
踵まで地中に埋もれゆく両足。突然の出来事に一瞬呆けたカブトは、慌てて振り払おうともがく。
何時の間にか、地中に潜んでいたナルの影分身。その手に引き摺りこまれたのだ。

足首をしっかと掴むナルの手を、急いで放そうとするカブト。足下を見ていた彼は気づかなかった。
ナル本人が目前に迫っている事に。


カブトに指摘されなくとも、動く相手では簡単には当たらないとナルは察していた。だから影分身を造り出した瞬間に、その内の一体を地中に潜ませておく。
防御が出来ない右側を攻めると見せかけ、実際は地面からの不意打ちが狙いだったのだ。
中忍本試験において日向ネジとの対戦と同じ要領である。


「これで逃がさねえで済むだろ…―――【螺旋丸】!!」

迸るチャクラ。青白い光が眼鏡を通してカブトの眼に射し込んだ。
同時にチャクラのメスを造りだす。術が炸裂する前に、カブトは鋭利なメスをナルへ伸ばした。

そして……―――――――。












瞬間、ナルは突き飛ばされた。

カブトに【螺旋丸】が触れる直前。ナルにチャクラのメスが届く寸前。

互いの攻撃が衝突する瞬間、割り込んできた小さな影。
それは綱手とシズネは勿論自来也も、そしてナルもよく知る存在だった。


相殺される。

突き飛ばされた衝撃で霧散する【螺旋丸】。同時にカブトの足首を捕えていた影分身も消えてゆく。
尻餅をついたナルがすぐさま顔を上げる。自分を邪魔した相手に鋭い視線を投げた彼女は、次の瞬間、硬直した。

眼を見開く。突き飛ばされた痛みも忘れ、ナルは表情を強張らせた。


視界に飛び込んだのは、大蛇丸とカブトを背に佇む存在。
まるでナル達と敵対するかのように現れた二つの影は、一つは小さく、そしてもう一つはナルと同じ大きさだった。

「……な、んで…」
誰もが驚きで声が出ない。沈黙の中、か細い声がナルの震える唇から溢れ出す。

「…なんで…此処にいるんだってば…?」
目の前の光景が理解出来ない。動揺し、揺れ動く青い瞳。

「なんで、そっち、に、いるんだってばよ…?」
区切られた一語一語を口にするだけで、胸が痛い。ドッドッと煩い心臓の音が脳裏に轟く。
それでもナルは、カラカラに渇いた喉を振り絞った。名を叫ぶ。














「―――――アマル…ッ!!」

ナルを突き飛ばした子豚のトントン。
その傍らで、病院にいるはずのアマルが沈痛な面持ちで佇んでいた。

 
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