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大阪の蕎麦

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第一章


第一章

                  大阪の蕎麦
 文太は江戸では評判の蕎麦屋だった。それこそ彼の蕎麦は江戸で知らぬ者はないとまで謳われ店には行列ができた。彼のそのことに絶対の自信を持っていた。
「俺の蕎麦は天下一だぜ」
「あんた、またそんな自惚れ言って」
 こう豪語するといつも恋女房のおゆかに横から怒られる。元々同じ長屋の幼馴染みでありこの前結婚したばかりだ。しょっちゅう喧嘩もするが互いに知っている、そんな仲である。
 そんな二人だがある時ふと文太が言い出したのだ。
「大阪に上がるぜ」
「大阪にかい」
「ああ、そこで勝負してやるのさ」
 こう長屋で言うのだった。長屋の中は一つしか部屋がなくてそこに箪笥やらちゃぶ台やら布団がある。江戸の何処にでもある普通の長屋の部屋だった。
「俺の蕎麦をな」
「大阪でもあんたの味が通用するんだね」
「馬鹿野郎、何言ってやがる」
 今のおゆかの言葉に口を尖らせて言う。
「俺は蕎麦にかけちゃ勝てる勝負しかしねえんだよ」
「どういう意味だい、それは」
「俺が勝つってことだよ」
 ここでも絶対の自信を見せる。
「俺の蕎麦に勝てる奴は天下にいねえよ。だから大阪でも俺の蕎麦は一番になれるんだよ」
「江戸の次は大阪ってわけかい」
「ああ、それにだ」
 文太はここでさらにおゆかに言ってみせる。
「大阪の方が水も食い物もいいそうだ」
「へえ、そうなのかい」
「この前呉服屋の番頭に言われたんだよ」
 この時代江戸の呉服屋といえば京や大阪からの出店だった。つまり上方から出張してきているのだ。だから言葉遣いも上方のそれだったのだ。
「やっぱり大阪の方がずっといいってな」
「じゃあ。それで行くんだね」
「ああ、大阪の辺りの蕎麦粉と水で作ってやる」
 そのつもりだったのだ。
「最高の蕎麦ってやつをな。俺はやってやるさ」
「じゃあ江戸ともお別れだね」
「それが寂しいがな」
「全く。いつもいつも勝手なこと言ってくれるよ」
 少しむくれたような、呆れたような声で亭主に告げた。
「御前さんは」
「悪いが一緒に来てくれよな」
「わかってるさ」
 おゆかの言葉はもう決まっているものだった。
「最初からそのつもりだよ」
「ははは、流石は俺の女房だ」
「それにしても大阪なんだね」
 おゆかはそのことをあらためて思うのだった。
「一体どういたところなんだか」
「それは見てのお楽しみだな」
 何はともあれ大阪に出ることになった。長屋に屋台を借りて身一つで大阪に出た。すぐに蕎麦屋をはじめるが二人は初日にまず大阪のことに気付いた。
「なあ御前さん」
「ああ、そうだな」
 文太はおゆかの言いたいことがわかっていた。大阪の街を見ながら。街は江戸にも負けない位に人が行き交い実に賑やかな様子である。
「お侍さんがいないな」
「本当にいないね」
 まずはそのことに驚いていた。
「町人ばかりじゃないか」
「ええと・・・・・・やっぱりいないな」 
 探してみてもやはりいなかった。一人もだ。
「これが大阪かい」
「しかもやけに橋が多いし」
「そうだな」
 次に気付いたのはそのことだった。やたらと川に橋が多いのだ。
「川も多いしね」
「変わった街だな」
 江戸を見慣れている彼等にしてみればそうだった。
「言葉はわかっていたけれどね」
「あれが大阪の言葉か」
「で、蕎麦だけれど」
「おうよ」
 女房に対して威勢よく応える。
「もう充分打ってあるぜ。後はお客を待つだけだ」
「そうだね。気合入れてくよ」
 こうして二人の勝負がはじまったのだがどうも思わしくはなかった。客は来ることは来るのだがあまりいい顔をしてはいない。二人もそのことにすぐに気付いた。
「おかしいな」
「そうだね」
 おゆかが文太の言葉に頷く。
「江戸じゃ御前さんの蕎麦を食べたら皆いい顔をするのにね」
「これは一体どういうことだ?」
 伊達に蕎麦屋をやっているわけではない。客の顔もわかるのだ。
「まずいか?俺の蕎麦は」
「ちょっと御免よ」
「ああ」
 おゆかはとりあえずざるとかけを少しずつ食べてみる。そのうえで感想を言うのだった。
「変わらないよ。むしろ」
「むしろ?」
「蕎麦の味は江戸のよりもずっといいよ」
 こう言うのだ。
「いいのかよ」
「蕎麦粉と水が違うせいだね」
 おゆかはそれを素早く見抜いた。これを考えればいい蕎麦と水を求めた文太の読みは見事に当たっていた。しかしそれでもだったのだ。
 
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