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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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三十五 尾行

風が頬を優しく撫でてゆく。口を半開きにして寝入る少女を、少年は優しい面差しで眺めた。
「頑張ってるね」

まったくの白の空間で、やたらと引き立てられる金。自身と同じ色合いの前髪を、彼はそっと撫でた。
さらさらと静かに揺れる白のカーテン。白き波は寝込む少女の頭上を掠め、ベッド脇で佇む少年の傍まで押し寄せてくる。
窓から射し込む光が少年――うずまきナルトの髪をキラキラと輝かせた。


チャクラを使い過ぎたのだろう。未だ目覚める様子すら見せない少女――波風ナルの寝顔を、ナルトは気遣わしげに見つめた。
きつく閉ざされた、己と同じ青の瞳。うっすらと滲み出ている汗。あどけない顔に似合わぬ眉間の皺。荒い呼吸。
深く刻まれた皺を伸ばすように眉間を撫で上げる。そのまま額に手を翳すと、やわらかな光が彼女の身を包み込んだ。
枯渇したチャクラの回復が早まるように、そう願いを込めて。いや願望といった頼りないものではなく、実際にそうなるようチャクラを込めて。

ややあって徐々に引いていく汗。呼吸も落ち着いたものになってゆき、すうすうと寝息を立てる彼女の様子を確認すると、ナルトの口から自然と安堵の吐息が零れ落ちた。穏やかな寝顔をじっと見守る。
そして彼は何か言いたげな眼差しで、不意に口を開いた。
「…、」
だが口にすれば全てが壊れてしまう気がして。出かかった言葉を静かに呑み込む。
代わりに、風で捲り上がった白いシーツを彼はそっと直した。
「大丈夫だよ」
眩しい光を見るように目を細める。そうして最後にナルを見据えると、ナルトは口元に微笑を湛えた。


「君にはもう、たくさんの繋がりがあるんだから」
その声はどこか嬉しそうで。そしてどこか哀しげだった。









「お~い。ナル、入るぞ」
カラリと無遠慮に大きく開かれた扉。出し抜けな訪問者はベッドに沈むナルの姿を見て、がっくりと肩を落とした。
「なんだ、まだ起きてないのかよ。来た意味ねえじゃねえか」
「仕方が無い、キバ。俺達はそもそもヒナタの見舞いで来たのだから」
「そのヒナタも退院しちまってたんだから、マジで俺らが病院に来た意味ねえんだっつーの!」
淡々と正論を述べる油女シノを横目で睨んでから、犬塚キバはガシガシと頭を掻いた。


彼ら二人は同班の日向ヒナタの見舞い目的で此処木ノ葉病院を訪れた。
予選試合後すぐさま木ノ葉病院へ強制収容され、更に面会謝絶となっていたヒナタ。予選でネジに敗退した彼女の容態は長い間思わしくなかった。故にずっとやきもきしていたキバとシノは、ようやく面会謝絶が解かれたという噂を聞きつけ、病院に駆けつけたのだ。
しかしながら病院側の答えは「昨日のうちに退院した」という素っ気ないもの。落胆するものの、ナルの事を聞きつけた彼らは彼女の病室へ直行した。だがナル自身も未だ目が覚めていないとなれば、キバが憤るのも仕方の無い事だと言えよう。


病院だということを忘れ、思わず大きくなってしまう声。シノの責めるような視線を感じ、キバは慌てて口を閉じた。だが時は遅く、「何騒いでるの~?」と廊下から声が掛けられる。
「すみま…―――なんだ。いのか」
「あら~。アンタ達もナルのお見舞い?」
ひょいっと病室に顔を覗かせた山中いのは、既にいた先客二人の顔触れに目を丸くした。キバとシノもまた、彼女の登場に驚愕の表情を浮かべる。
「本当はヒナタの見舞いに来たのだが、昨日既に退院していたようだ」
「――で。ナルまで入院してるって聞いたから覗いてみたんだけどな」
シノの言葉を引き継いでキバが肩を竦めながら答える。双方の言い分を聞いて、ふうんと相槌を打ったいのは、ナルに視線を投げた。特に悪くない顔色にほっとするのも束の間、彼女の瞳はベッド傍の机に釘付けとなる。

「…誰か、お花を持ってきてあげたの?」
「いや…」
すぐさま否定するシノの返事をキバが遮る。
「その花、俺らが来る前にはあったみたいだぜ?病室に入る前から匂いしてたし」
一際鋭い嗅覚の持ち主の言葉に、いのはパチパチと瞳を瞬かせた。「シカマルでも来てたのかしら~…」と首を傾げる。

カーテンが閉ざされた病室の机には、色取り取りの花々が花瓶いっぱいに飾られていた。











ひっそりとした廊下の片隅で、彼はごくりと生唾を呑み込んだ。
時計の針がやけに大きく時を刻む。

チクタク・チクタク・チクタク・チクタク……―――――

壁際に身を隠しつつ、忍び足で跡をつける。反響してくるひたひたという足音が彼の耳に僅かながらも届いた。同時に鳴り響く時計の音。静まり返った廊下に滲み渡る単調な音色は、彼の不安を更に掻き立てる。

チクタク・チクタク・チクタク・チクタク……―――――

床に視線を落とす。くすんではいるが掃除は行き届いているのだろう。鉛色のタイルに覆われた床板はまるで鏡のように磨かれている。

このまま尾行していいのか。跡を追い掛けて、それが何になる。危険だ。相手の強さは予選試合で身に沁みているだろう。







突如、足音が途絶えた。



思案に暮れていた彼はハッと顔を上げた。壁際に身を寄せる。
こちらをじっと見つめてくる視線に、彼は身体を強張らせた。再び単調な音だけが通路全体に満たされる。

チクタク・チクタク・チクタク・チクタク……―――――




数秒後、再び聞こえてきた足音にほっと胸を撫で下ろす。だが相手がすっと入って行った部屋を見て、彼は息を呑んだ。
あそこは確か、同じ木ノ葉の下忍――ロック・リーの病室。


意を決して駆け出す。そして相手が入って行った扉をガラリと開けた。
花瓶に活けられた可憐な水仙。水仙を包み込むように大きく揺れる白いカーテン。
そして、寝入るロック・リーに向かって伸ばされる、手。
それを彼は紙一重の差で止めた。

「こんなとこで何してんだ、アンタ…」










ドンドンドンと大きくノックする。
拳で勢いよく叩いていたバキは、扉が開かれた途端、己の教え子達の顔触れを見渡した。
一人足りない。それも要注意人物が。
訝しげに見てくる子どもらを押し退ける。木ノ葉の里で借りている部屋の隅々を覗いてから、彼はテマリとカンクロウに鋭い視線を投げた。
「あれほど奴から目を放すな、と言っておいただろうが!!」
一喝され、慌てて先ほどまで弟がいた部屋に向かう二人。バキの言葉通り、何時の間にかいなくなっている事実に、彼らは呆然と立ち尽くした。
うろたえる教え子達の後ろで、バキは静かに目を細める。
「何も、起きなければいいのだが……」











催眠作用を催す鎮痛剤でも服用したのか。自身の周囲で起きている出来事に気づかず、静かに寝息を立てるロック・リー。そしてリーの傍らで佇む相手の顔を彼――奈良シカマルは交互に見遣った。再度、問い掛ける。
「アンタ…。今、何しようとしたんだ?」

対象者の影を捉え、自身と同じ動きをさせる【影真似の術】。
この術が発動している際、相手は術者の動きに合わせざるを得ない。つまりは術者であるシカマルの言いなりになるといっても過言ではない。身体を動かす主導権を握られているからだ。

しかしながら、術で動きを封じられた張本人は平然としている。動揺の色さえ見えない目の前の人物に、シカマルは内心狼狽した。
(どうしてこんなに冷静でいられる?俺の影真似で身体の自由は利かねえはずなのに…っ)
シカマルの心中を知っているのかいないのか。動きを止めたまま、来訪者は口元に微笑を湛えた。

「何だと思う?」
何をしていたかという詰問に、ナルトは逆に問い返した。












「こいつを見舞いにでも来たのか?」
警戒しつつも自身を静かに検分するシカマルに、ナルトは穏やかな笑顔で応じた。
「そうだ…といったら、信じる?」
どこか含みのある物言いに、シカマルは言葉を選ぶ。己より高い実力者に下手な事は言えない。だが自身が有利だと仄めかすように、わざと余裕綽々な態度を装う。
「そうだな…。正直、驚いたぜ。試合相手の見舞いとは…」
「俺は君の行動のほうが驚いたけどね」
シカマルの揶揄に、ナルトはにこやかに答えた。怪訝な表情を浮かべるシカマルを真っ直ぐに見据え、言い放つ。

「君の性格上、面倒事は避けるだろうに。なぜ俺の跡をつけたりしたんだ?」

ドキリと心臓が飛び跳ねる。術に掛けられたままだと言うのに動じないナルトを見て、シカマルは無意識に後ずさった。ナルトもまた彼の動きに倣って、一歩後退する。
「それとも…。波風ナルの病室にいた理由を聞きたいのかな?」

見透かされている。何もかも。
どれだけ考えをめぐらせても『敵わない』という結論に達し、シカマルは拳を握り締めた。



幼馴染であり想い人でもあるナルが入院していると知って、シカマルは逸早く病院へ乗り込んだ。一応は五体満足で眠る彼女の姿を目にし、安堵する。そして目覚める事を配慮し、彼女のための水差しを用意しようと病室から離れていた。
そのほんの僅かな隙に、木ノ葉の者ではない人物がナルに近づいたのだ。

それがうずまきナルトだと気づくのに幾許も掛からなかった。
中忍試験を共に受け、あれだけ周囲に強い印象を残し、そして呆気なく失格となった人間。試験を受ける以上同じ下忍であるはずなのだが、常にシカマルは彼に対して違和感を感じていた。
どこか自分達とは違う、遙か高みに坐しているかのような謎めいた人物。
腕いっぱいに抱えていた花束を花瓶に活けると、ナルに何事かを話し掛けていたナルト。話の内容までは聞き取れなかったが、シカマルは彼の動向をじっと病室の外から窺っていた。そしてすぐさま彼の跡を追い掛けたのである。その直後にナルの病室をキバ達が訪問したのだが、そんなことは彼にも知る由は無かった。



目前の、同じ下忍であるはずの少年から畏怖を感じる。シカマルは拳を今一度握り直した。爪が掌に食い込む。
「アンタ…。ナルとどういう関係なんだ?」
「ただの見舞いだよ。現に花を送っただろう?」
ナルに持って来た花々は花屋で買ったものではなく、ナルトが手ずから摘んできたもの。わざわざ見舞いに花を寄越したナルトを、シカマルは苛立たしげに睨んだ。
「別里の忍びがなんでそこまで気に掛けるんだよ?」
「君こそなぜナルにこだわる?」
淡々と涼しげな顔で聞かれ、シカマルはぐっと言葉に詰まった。畏怖と嫉妬が混ぜこぜになった複雑な感情を心に抱く。
「…あいつは俺の幼馴染でな。昔から危なっかしくて放っておけないヤツなんだよ!」
半ばヤケクソ気味に答えるシカマルを、ナルとよく似た青い瞳がじっと見つめる。そしてなぜか嬉しげにナルトは目を細めた。



その瞬間、バチンとまるで静電気が起こったかのようにシカマルの影が弾かれる。



対象者から離れてしまった己の影を、シカマルは愕然と見下ろした。
術を解いたつもりはない。自身のチャクラ切れというわけでもない。だが実際にシカマルの影は、主に反してナルトの影から分離していた。
「な……ッ!?」
「何があっても、」
告げられた言葉に身構えようとする。だがまるで己自身が【影真似の術】を掛けられたかのように、シカマルの身体は硬直してしまっていた。
ロック・リーから離れる。動かぬシカマルの前を横切って、ナルトは病室の扉へと向かった。振り向き様にリーへのお見舞いの花を投げる。
「ナルの味方でいてあげてね。シカマル…」




空中で大きく弧を描く、一輪の白き花。
刹那、空中分解した花弁が渦を巻く。視界を花の嵐に覆われ、シカマルは反射的に目を閉じた。ナルトの全身が大量の白に埋め尽くされる。





気づけば、病室にはベッドに横たわるロック・リーとシカマルしかいなかった。人ひとりを埋めるほど舞っていた花弁など一枚すら見当たらない。ましてやナルトの姿など…。
僅かに開かれた扉の隙間から時計の音がささやかに流れ込んでくる。

チクタク・チクタク・チクタク・チクタク……―――――

呆然と立ち竦むシカマルの足下にぽつんと落ちている一輪の花。しっかりと花弁を身につけているそれは、彼の影上で白い輝きを放っていた。












木ノ葉病院からは遠く離れた岩場。刃物の如き先鋭な岩石が並ぶその場で、ナルトは病院の廊下で拾ったしおりを太陽に翳した。かわいらしい押し花に、ふっと微笑む。
それを大事そうに懐に納め、彼は手近の大岩上へ跳躍した。

太陽の光に反射し、白く聳える岩石に腰を下ろす。片膝を立てて座り込んだナルトは、真下の岩陰に向かって言葉を投げた。
「いつまでついて来るつもりだ?」
ナルトの呼び掛けに応じて、岩の背後から姿を現す。太陽に劣らぬギラギラとした眼光で彼はナルトを見上げた。

「我愛羅」


空漠の荒野にて、金と赤の髪が靡いた。
 
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