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第四章


第四章

「絶対に。こんなことが何時までも続くわけがないさ」
「そうよね」
「きっとそうだよ」
 ヴォルフガングは必死にこう主張する。
「だから。その時まで待とうよ、今はいい雰囲気だし」
「そうね。けれどまた」
 エヴァゼリンは知っていた。これまでもこうした状況は何度か訪れていた。所謂雪解けである。しかしその後には必ずまた雪が降ってきた。このベルリンにおいても。だから未来に期待することはできなかったのだ。これまでのことを知っているからこそ。
「そうなったら」
「今度は絶対違うよ」
 それでもヴォルフガングは言う。
「今度こそは」
「そうね」
「きっとそうだよ」
 希望を見ているかのようにエヴァゼリンに話す。
「それじゃあ賭ける?」
「何を?」
「若しあの壁が壊れて門が開いたら」
「その時は?」
「この指輪を受け取ってよ」
 それが賭けであった。今それをエヴァゼリンに言うのだった。
「絶対に。いいね」
「わかったわ」
 一応はそれに頷く。信じてはいないが。
「それじゃあその時ね」
「ああ、きっとだよ」
 ヴォルフガングは信じていた。エヴァゼリンに比べて楽観的なのかどうかわからないが彼は確かに信じていた。そしてそれはかなり固いものであった。
「その時。門のところで渡すから」
「ええ、待っているわ」
 二人は一応はそう約束し合った。それでもエヴァゼリンはそれを信じる気にはなれなかった。信じたかったがそれを出来るまでにはなれなかったのだ。
 だが。ヴォルフガングの願いが適ったのかどうかわからないが時代が動いた。何とベルリンの壁が崩れたのだ。あのブランデンブルグ門も開いた。秘密警察でさえも力をなくし統一が声高に叫ばれだした。今エヴァゼリンの前ではベルリン市民達が満面の笑みでその壁を壊していた。
「もうこんな壁はいらないんだ!」
「俺達は自由なんだ!」
「そして一つになるんだ!」
 壁が崩れるということはそれに直結する。長い間二つに分かれていた祖国が一つになろうとしている。それこそがドイツ人達の悲願であった。その悲願が果たされようとしていたのだ。
「嘘みたい・・・・・・」
 エヴァゼリンは目の前の光景を見てもまだ信じられなかった。まさか本当にこうなるとは思っていなかった。だがこれは紛れもなく現実のものだったのだ。
「まさか本当にこうなるなんて」
 しかし本当のことなのは間違いない。周りの声と目の前の光景がそれを彼女に教えている。それを身ながら呆然としているのだった。
 しかしここで。開かれた門の向こうから声がした。
「エヴァゼリン!」
 彼の声だった。あの約束通りだった。
「いるかい!?僕はここだよ!」
「ヴォルフガング!?」
 エヴァゼリンにもその声は聞こえている。それでその声に問うた。
「ヴォルフガングなのね、その声は」
「うん、そうだよ!」
 間違いなくヴォルフガングの声だった。その声がエヴァゼリンの耳にはっきりと聞こえた。間違えようのない声だった。
「約束、覚えてるよね!」
「ええ、勿論よ!」
 エヴァゼリンは彼の声に応えた。
「じゃあ今からそちらに行くわ!」
「うん、待ってるから!」
 またヴォルフガングの声がした。
「ここで!」
「ええ!」
 エヴァゼリンはそのまま駆けて行く。門を出たところに彼がいた。彼は満面に笑みを浮かべてその手にあの青紫の箱を持っている。それこそが。
 だがエヴァゼリンはそれよりもまず彼を抱き締めた。そうして言うのだった。
「本当なのね、これって」
「だから言ってたじゃない」
 ヴォルフガングは自分に抱きついてきたエヴァゼリンを抱き締め返して言うのだった。その手に箱を持ちながら。それは忘れるわけにはいかなかった。
「きっとこなるって」
「信じられなかったわ」
 それでも今は信じられた。心から。
「こんなことになるなんて」
「僕は信じていたよ」
 ヴォルフガングは笑顔で応える。
「きっとこうなるって。ドイツが」
「そうなの」
「それでね」
 彼女を一旦離す。そうしてその目を見詰めながら言う。その黒い神秘的な瞳を。
「わかってるよね」
「ええ、勿論よ」
 泣いていた。泣きながら笑って答えるのだった。
「僕達も。一緒にね」
「ええ、これから宜しく」
 笑顔でヴォルフガングを見上げて言う。年下なのに背は自分よりも大きい。そのせいか頼もしいものさえ感じて言うのだった。
「そしてこれからもずっと」
「うん、ずっとね」
 二人はそこまで言い合うとまた抱き合った。開かれた夜の門の後ろは光で照らされていた。それは訪れた自由と幸福を照らす光だった。二人はその光を浴びながら抱き合うのだった。


壁   完



                   2007・12・6
 
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