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愛の証

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第四章

「わしのものだ」
「何か声の調子がおかしいけれど」
 つまり放心しているものだというのだ。
「どうしたのよ」
「わかった」
「わかったって?」
「愛するものを失って嘆き悲しむ気持ちがな」
「それがなの」
「ああ、描ける様になった」
 絵が、というのだ。
「そうなった」
「絵もう描けないわよね」
「またキャンバス買うな」
「そうするのね」
「そうする」
 こう言うのだった。
「明日にでもな」
「それにしても何言ったのよ」
 妻は顔を顰めさせて夫に尋ねた。
「真希絵物凄く怒ってたわよ」
「いや、貴明君と貴博君が事故に遭ったと連絡があったと言ったんだ」
「それが嘘ってばれたのね」
「そうだ、そうしたらな」
 遠山はキャンバスを見つつ妻に話すのだった。
「あいつ死ぬ程怒ってな」
「キャンバスを引き裂いたのね」
「その手の爪でな」
「虎か豹が引っ掻いたみたいね」
 猫どころではない、まさにそれだった。
「物凄いわね」
「ああ、思いきりやられたよ」
「そんなこと言ったわ怒るのも当たり前よ」
 真希絵にしても、というのだ。
「自分自身が引っ掻かれなかっただけましよ」
「絵は駄目になったよ」
「それで嘆いているのね」
「ああ、嘆き悲しんでいるよ」
 放心状態でだ、というのだ。
「実際にな」
「そうよね」
「けれどわかったよ」
 こうも言う彼だった、その放心状態にさえなっている嘆きの中で。
「大切なものを失った嘆きってやつがな」
「絵のテーマが」
「そうだ、わかった」
「じゃあいいことかしら」
「どんな事態でもな」
 例えだ、絵を引っ掻かれてお釈迦にされてもだというのだ。
「わしは立ち上がる」
「不屈の精神っていうのね」
「ああ、明日からまた描くからな」
「やれやれね、けれど真希絵はね」
 その怒らせた娘はというのだ。
「当分あなたのこと許さないわよ」
「そうなるだろうな」
「馬鹿なことして、時間を置いて謝りなさいね」
「あいつの家に行ってか」
「当たり前よ、馬鹿なことしたんだから」
「貴明君と貴博にもだな」
「自分の孫についても何言ってるのよ」
 次第にだ、妻も怒ってきてこう言うのだった。
「馬鹿にも程があるでしょ」
「芸術には犠牲が付きものだがな」
「それでも犠牲にしていいものと悪いものがあるでしょ」
「そうだな、本当にな」
「さもないと次はこんなものじゃ済まないわよ」
 こう言う妻だった、その放心状態になっている夫に対して。
「そのことがわかったわね」
「ああ、よくな」
 遠山は肩を落としつつ妻のその言葉に答えた、確かに絵を描ける様になったがそれでもだ。
 そしてだ、彼はこうも言うのだった。
「しかしあいつ本当に貴明君と貴博を愛しているんだな」
「自分の家族をね」
「本気でな」
「少なくともあなたよりもね」
「娘だっていうのにね」
「その娘に何したのよ」
「全く、あれだけ可愛かったのにな」
 このことについてもだ、肩を落として言う。
「もう完全にわしの手から離れたな」
「娘は妻になって母になるものよ」
「愛情もそちらに行くか」
「ええ、そうよ」
 その通りだと言う妻だった、遠山はこのことにも打ちのめされるのだった。お世辞にもいいとは言えない父親として。


愛の証   完


                              2014・4・22 
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