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笑顔と情熱

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第五章


第五章

「描きがいがありますよ」
「じゃあその心を忘れないことだよ」
 康平の言葉はまるで彼のその肩を叩くかのようだった。
「絶対にな」
「はい、俺ずっと描きますよ」
 また拳を作っての言葉だった。
「何があってもね」
 今それを固く誓うのだった。これが二人の若き日のことだった。
 そして歳月が流れ。彼等は歳を取った。康平は大人向けの雑誌の編集長になっていた。龍二はその雑誌に連載を持っていた。二人の付き合いはそのままであった。
 今二人は雑誌の企画で対談をしていた。普通対談といえば料亭や若しくは出版社の編集部で行われる。しかし二人は今はあの喫茶店で対談をしていた。
 二人が若き日に仕事の打ち合わせをしていたその店の中でコーヒーを飲みながら。そのうえで二人で対談を行うのであった。
 まずはコーヒーを飲み。それから言った。
「ここは変わらないね」
「そうですね」
 龍二が笑顔で康平に答える。二人の顔には皺が目立ってきていた。髪もやや薄くなり白くもなっている。そして康平は少しばかり太ってしまっていて龍二も眼鏡をかけていた。
 しかしその声の調子は変わらない。あの時と同じである。
「このコーヒーもね」
「親父さんは隠居したんだったっけ」
「みたいですね」
 また話す龍二だった。
「それで息子さんが跡を継いでコーヒー淹れてるんですよ」
「そうなんだ。それはいいことだね」
 康平はそれを聞いて納得した顔で頷いた。
「何か色々なものが変わったけれどね」
「そうですよね。俺達も変わったし」
「いや、君は全然変わってないよ」
 康平は明るい声で彼に告げた。
「もう全然。あの時のままだよ」
「そうですか?」
 だが龍二はその言葉には首を傾げて笑うだけだった。見ればその顔は皺が目立ってはいるがそれでも若々しさは健在だった。
「それは」
「そうだよ。僕なんかこんなに老けたのに」
「編集長だって変わらないじゃないですか」
「そうかな」
 こう言われても実感の沸かない康平だった。
「だといいけれどね」
「はじめて会ってそれで担当になって」
「うん」
「あの時はガムシャラに描いてましたよ」
「僕もね。漫画が好きでとにかく皆に読んでもらいたくてね」
 その時の気持ちをはっきりと言うのだった。
「もう必死だったよ」
「子供がそれを読んでくれるの見て凄く嬉しかったですよね」
「そうそう」
 満面の笑顔での今の康平の言葉だった。
「あの時に誓ったよね。子供の笑顔を見たいって」
「その子供のファンレター今も来ますよ」
「あっ、今も?」
「この雑誌の読者さんですよ。大人になってくれても俺の漫画読んでくれてるんですよ」
「そうか。あの時の子供達が大人になったんだね」
 康平はこのことを感じて目を温かくさせた。確かに歳月は経ったがそれでもだった。そこにあるものはずっとそのままだったことを知ったのだ。
「いや、それで今も読んでくれてるんだ」
「それで俺今もマガデーとかテレマガくんにも描いてますけれど」
 相変わらず筆が速い彼である。
「今の子供達からもファンレター来ますよ。面白いって」
「今の子供達からもなんだ」
「そうなんですよ。時代は変わってますけれどね」
 変わったどころではなかった。この店の外にしろ最早別世界である。彼等の若い頃にあったあの大きなブラウン管のテレビも黒電話もない。何もかもが変わっていた。
「それでも。皆読んでくれてますよ」
「そうなんだね。今の子供達も大人になった人達も」
「はい、読んでくれてるんですよ」
 龍二がそれが最高に嬉しいのであった。言葉にもはっきりと出ている。
「今も」
「それで笑ってくれてるんだ」
 こう思うと康平は。言わずにはいられなかった。
「じゃあ僕達もまだまだ頑張ろうか」
「俺はずっと描きますよ」
 龍二は若い頃からのガッツポーズをここでも見せた。
「これからもね」
「僕もこれから頑張っていくか」
 康平も龍二の言葉に応える形でまた満面の笑みを浮かべた。
「子供達の笑顔を見たいからね」
「漫画ってそうですよね」
 龍二は漫画についても言った。
「やっぱり。その心を楽しませるものですよね」
「ジャンルは色々あるけれどね」
 それこそホラーもあれば悲劇もある。これはもう二人共承知していることだ。だがそうしたことも全て含めて楽しませると表現したのである。
「それでも。やっぱりね」
「はい、楽しんでもらいましょう」
 この気持ちはまさに不変であった。
「これからもずっと」
「その通りだね。じゃあ今日は」
「はい、また帰って描きます」
 奇しくもあの若い時と同じ言葉であった。
「もう死ぬまで描きますよ」
「僕も漫画の為にまだまだ働くか」
 康平もそのつもりだった。
「定年になってもね」
「定年なんてないですよ」
 龍二がそんなことを気にする筈もなかった。
「もうね。ただ一直線に描いていくだけですよ」
「ブログとかサイトで紹介していこうかな」
 康平も時代は感じていた。だからここでは現代の技術を話に出した。
「そうやってこれからも」
「俺も自分のサイト持ってますしね」
 気の若い龍二ならではだった。
「ブログも」
「じゃあそういうものも使って」
「はい、やっていきましょう」
 強く誓い合った対談であった。二人の漫画への情熱は不変だった。時代が変わっても笑顔と情熱は変わらない。彼等も子供達も。


笑顔と情熱   完


               2009・6・23
 
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