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ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜

作者:カエサル
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観測者たちの宴篇
  25.神意の妹

 

 深い闇の底へと意識が沈み込んでいく。
 背中には、底がしれない深淵が広がる。上には、光の束がわずかにこちらに注いでくる。

 そもそもなんでこんなことになったのだろうか。
 ──そうだ。
 優麻を助けようとした代償で彩斗は魔力が暴発して死にかけたのだ。
 本来なら吸血鬼の回復能力を持ってすれば優麻の“守護者”に貫かれた傷は完全回復とまではいかないが九割型回復しているはずだ。
 だが、あいつは彩斗が従えているわけではなかった。だからそんな状態で魔力を解放した彩斗の身体への負荷がこんな状況を招いたということだろう。

『君はまだここに来るべきじゃないよ』

 直接頭に流れてくるような優しいどこか懐かしさを感じさせる少女の声が響いた。

「誰だよ……あんた」

『うーん。そう聞かれると困るかもしれないな。しいていうなら亡霊かな?』

 とても軽い口調で少女はわけのわからないことを言う。
 私は亡霊です、といわれて、はい、そうですか、とすぐに納得できる人間などいるわけがないだろう。そういいたところだがここは魔族特区なのだ。だからあり得ない話でもないのだ。
 だが、それでも彩斗は自分の意識の中に少女が取り憑いているなんて今まで知らなかった。

『君にはまだやらなきゃいけないことがあるでしょ?』

 少女の声は先ほどまでの少し楽しげな声ではなく真剣な声で彩斗に問いかける。

「そうだったな」

 緒河彩斗にはやるべきことがある。那月を探し出し、監獄結界の連中を捕まえ、優麻をあんな目に合わせた仙都木阿夜を一発ぶん殴らなければならないのだ。
 やるべきことを再度確認し、彩斗の意識が再び構成されていく。
 沈む一方だった景色が遠くわずかになっていく光に向けて浮上を始める。

『それじゃあね』

 それとともに少女の声も微かなものとなっていく。

『また、思……た……てね』

 最後の言葉はなんて言っているかわからなかった。
 だが、それはこの事件を終わってからゆっくりと考えるとする。
 今は彼女に言われた通り、自分のやるべきことをやるだけだ。
 でも、一つだけわかったことがあった。表情さえも見えない少女は笑っているように感じられたのだ。

 彩斗の意識は現実世界へともう一度接続されていく。




 目を覚ますと彩斗は見知らぬベッドの上で横になっていた。どうやら気絶した彩斗を誰かがここまで運んでくれたようだ。
 上半身を起こし、自分の身体を確認する。腕には刃物で切られたような無数の切り傷があった。それは腕だけでなく身体全体に広がっている。
 だが、その傷は外部からの傷ではない。内部からの切り裂かれてできた傷のようだ。
 先ほどの魔力が彩斗の身体を内部からの引き裂いたのだろう。
 時刻を確認しようと立ち上がろうとすると部屋の扉が開き、誰かが入ってくる。
 幼く見える顔立ちの少女が、目を大きく見開いて部屋の入り口で立ち竦む。

「さ、彩斗君!」

 彩斗の名を呼んだ少女はこちらに飛びついてくる。

「あ、逢崎!? ちょ、ちょっと……!?」

 友妃が彩斗の身体に抱きつく。柔らかな彼女の肌の感触が伝わってくる。
 男としては嬉しい行動だが、今は彼女が抱きついて触れた部分の傷口に痛みが走る。

「いたっ!?」

「ご、ごめん……」

 友妃は、慌てて彩斗から離れる。

「てか、なんで逢崎は、ナース服着てるんだ?」

 入ってきたときから疑問に思っていたことをようやく口にする。
 今の友妃が着ていたのは、看護師風ミニスカートのワンピースだった。最近ではめずらしいナースキャップまで被っており、足元は白いニーソックスだ。

「これは、古城君のお母さんが、研究室に入るならこれに着替えろっ言われて……へん……かな?」

 正直、ものすごく似合っている。
 先ほどまで着ていた着物のときもそうだったが、清楚な印象の服装が友妃はよく似合うようだ。

「まぁ……似合ってるんじゃないか」

 目を逸らしながら言う。
 これ以上彼女のナース姿を見ていると見惚れてしまいそうなので話題を変える。

「それで優麻の容態はどうなった?」

「やっぱり、自分よりも先に優麻ちゃんの心配をするんだね、彩斗君は」

 半分呆れ、口調のまま友妃は微笑む。

「傷の手当ては終わって、命のは関わるようなことはないって」

「そうか……よかった」

 彩斗は身体の緊張を解く。
 だが、友妃は、きつく唇を噛んだまま首を振る。

「でも、これ以上の回復は望めないって」

 つまり彩斗の治療はなんの意味も果たさなかったということになる。

「クッソ……」

「それでも、傷のほとんどは回復して、魔力もかなり回復してるからこれ以上の悪化もないって、深森さんは言ってたよ」

「そうか」

 わずかに安堵の笑みをこぼす。

「雪菜たちが向こうの部屋にいると思うから詳しいことはそっちで話そ」

 友妃はベッドの上にいる彩斗に手を伸ばす。少し、照れがあったがその手を掴んでベッドから立ち上がる。

 リビングに行くと友妃と同じようにナース服を着た雪菜と古城と紗矢華がテレビに釘ずけとなっていた。

「嘘だろ、おい!?」

 古城が頭を抱え、携帯電話に手を伸ばす。
 状況が理解できない彩斗はその場に立ち竦むのだった。




 メインストリートを派手な衣装をした人々が横切っていく。
 ナイトパレードもどうやらクライマックスに差し掛かる直前らしい。
 そのとき、浅葱の携帯電話が鳴り出し、そこに表示される名前に軽く目を見開いた。

「唯ちゃん、悪いけどちょっとサナちゃんのこと頼むね」

 鳴る携帯電話を見せながら混み合う歩道を離れて閑散とした裏通りへと移動する。

「──もしもし、古城?」

『浅葱!? 今はどこだ?』

 聞こえてきたのは切羽詰まったような古城の声だった。

「どこって……クアドラビルの前だけど。ほら、キーストーンゲートの近くの。今はちょうどパレードの本隊が通ってて」

『やっぱりそうか。小さな女の子と一緒にいるよな』

「なんであんたがそんなこと知ってるよの?」

『それは、今はいい。その子は誰だ? 知り合いか?』

 早口で古城は聞いてくる。よっぽど焦っているのであろうか。

「ううん。迷子。どうしてだか知らないけど、懐かれちゃってさ」

『……迷子? 名前は?』

 電話越しに古城の戸惑う声が聞こえる。

「──浅葱さん!」

 答えようとする浅葱の声を遮って叫ぶ少女の声が聞こえる。思わず電話を耳から話して、背後を振り返る。
 裏路地の暗がりからサナの手を引きながら走ってくる唯がいた。

「どうしたの? そんなに慌てて?」

「いいから早く逃げてください!」

 切羽詰まったように唯は叫ぶ。

「逃げても無駄だ」

 次に聞こえてきたのは嗄れた声だった。
 唯は恐怖したように後ろを振り返る。
 それにつられて浅葱も振り返り、暗闇の目を凝らす。
 そこから現れたのは、老人だった。
 年齢はおそらく六十歳ほど。年齢のわりに大柄で、骨ばった身体には布切れのような粗末な衣服が巻きついている。

「浅葱さん! 早くサナちゃんを連れて逃げて!」

『──浅葱、どうした?』

 戸惑った古城の声が電話からきこえる。

「それが、変なお年寄りに絡まれて、唯ちゃんが逃げろって──」

 サナの手を掴みながら、浅葱は一応逃げられる準備をする。
 その瞬間、老人が吼えた。

「邪魔だ! 退け──」

 老人の全身が赤く染まる。彼の肉体そのものが、高熱を帯びた金属のように発光を始めたのだ。
 老人の背後に陽炎が立ち上る。強烈な熱気が吹きつけてくる。
 超高温の炎を体内に宿し、赤熱した老人の姿は、まるで炎の精霊(イフリート)のようだ。

「精霊遣い──!?」

 老人の正体に気づいて、浅葱がうめいた。
 精霊とは、高次空間に存在するエネルギー体。極めて高純度の霊力の固まりだ。
 精霊は本来、この世界に呼び出されれば、一瞬で消滅してしまうものだ。それを操るには、精霊炉という巨大なものが必要だが、例外的に精霊を召喚できるのが、“精霊遣い”だ。
 単純な攻撃力では、そこらの魔術師など比較にならない。人の身でありながら魔族を超えた怪物なのだ。

「うおおおおおっ!」

 老人が再び、吼え、灼熱の熱線がこちらへと襲いかかる。
 そのときには、もはや浅葱に避ける術はなかった。
 せめてサナの命だけは守らねばと身体はとっさにサナを覆うように動いた。
 だが、灼熱の熱線が浅葱を襲うことはなかった。
 なにが起きたのかわからなかったが、サナを覆っていた身体を起こすと浅葱たちを守るように立つ一人の少女の姿があった。

「大丈夫ですか、浅葱さん」

 普通の顔で唯は浅葱たちの安否を確認する。
 浅葱は驚きで頭が働かない。
 友人の妹が精霊遣いの攻撃を止めた。
 ──しかも無傷で。

「貴様はなにものだ? 儂の精霊を素手で止めるとは」

「あたし? あたしはどこにでもいる普通の中学生だけど」

 皮肉を込めたように唯は答えた。それは彩斗の癖だった。自分を名乗るときに遠回しに言って、相手を困らせるという。
 浅葱も初めてあったときに少し困ったことを思い出した。

「浅葱さん、走るよ!」

 その声に浅葱は、サナの手を引いて走り出す。
 浅葱はもう一台のスマートフォンを取り出して、全力で走りながらマイクに怒鳴る。

「──モグワイ!」

『聞こえてるぜ、嬢ちゃん』

 耳元から流れ出したのは、皮肉っぽい響きの合成音声だ。浅葱の“相棒”──人工知能のモグワイだ。

「状況は!?」

『全部わかってる。その爺さんの名はキリガ・ギリカ。効率良く人を殺すために、自分の体内に炎精霊(イフリート)を植え込んだ化け物だ。六年前に、絃神島でテロを起こそうとしたところを逮捕されて、監獄結界に送られた』

「監獄結界!? あれって都市伝説じゃなかったの?」

 浅葱は唖然としながら訊き返す。
 老人の足はそれほど速くなかった。
 だが、老人は、邪魔な障害物を全て燃やし尽くしながら、最短距離を真っ直ぐ追ってくる。

「くっ……モグワイ、ルート計算! 地下共同溝からキーストーンゲートのEエントランスに向かうわ。隔壁コントロールを!」

『Eエントランスか──了解だぜ。次の角を曲がって右だ。地下街に降りる階段の踊り場に、共同溝のハッチがある』

 浅葱はサナの小さな身体を抱きかかえて階段を駆け下り、すぐ目当てのハッチを見つけた。水道管のメンテナンスのための、作業用のトンネルだ。
 鍵はすでにモグワイが解除している。ハッチを蹴って、薄暗い共同溝へと飛び込んだ。
 直径二メートルくらいの狭いトンネルを走る。
 キリガ・ギリカもすでに共同溝に入っていた。
 そんな老人と浅葱たちを隔てるように、天井から分厚いシャッターが降りてくる。
 厚さ約二十四センチ。材質は魔力付与した高強度鋼。吸血鬼の眷獣の攻撃に耐えるべく設計された隔壁は、無駄に頑丈だ。

「このまま諦めてくれればいいんだけど──」

 浅葱はそう呟いて驚愕する。
 分厚く頑丈な隔壁の表面が、淡くオレンジに発光していることに気づいたからだ。
 キリガ・ギリカが操る超高温の炎が、隔壁を炙って熔かしている。

『まずいぜ、嬢ちゃん……予想よりも隔壁の消耗が激しい。温度が設計限界を超えてやがる』

「魔力付与に頼ったのが裏目に出たわね。物理的な熱量だけで押し切られるなんて……」

 他人事のように冷静に分析する。
 ギリカはおそらく魔術を使えない。召喚した炎精霊を霊力限とし、攻撃魔術を使うような器用な芸当はできないようだ。

「ママ……」

 なにかを決意したような眼差しで、サナが浅葱を見上げてくる。まるで自分がここに残るから逃げろ、と浅葱に訴えかけているような表情だ。
 まったく、と浅葱は息を吐いて、サナの小さな肩を抱いて不敵に笑ってみせる。

「大丈夫。あなたはあたしが絶対に護ってあげる──“魔族特区”育ちを舐めないでよね」

「そうだよ」

 唯はサナの頭を軽く撫でながら言う。

「あたしもついてるから大丈夫だよ」

 そう言って、唯は隔壁を正面に向かい立つ。右手を後ろに引き、左手を前に出して隔壁の方へと向けるその構えはどこかの武術のようなだ。

「浅葱さん、すぐに逃げれる準備をしておいてください」

 浅葱の方を一切見ずに唯は一方的に告げる。
 それは、彼女がギリカ・ギリカをどうにかするということなのだろう。
 普通なら止めるとこだ。
 だが、彼女は一度、攻撃を受け止めている。それがどんな方法を使ったかは知らない。
 だが、今はその可能性にかけるしかない。
 緒河彩斗の家族は実に不思議なものだ。母親の美鈴は、浅葱と同等以上のプログラマー。妹の唯は、精霊遣いの攻撃を受け止めた。
 ここまでくると彩斗もなにかしらの能力を持っているんじゃないかと疑ってしまうくらいの不可思議さだ。

 隔壁が完全に溶解する。ドロドロに熔けたシャッターを引き裂いて、赤熱した老人が姿を現した。

「どうした、娘ども、そこまでか──」

 嗄れた声で、キリガ・ギリカが哄笑する。

「悪いけど、お年寄りはここでお寝んねしててね」

 強く地面を蹴って唯が老人へと突っ込む。それに合わせて、キリガ・ギリカの右腕が高温の炎を吹き上げる。
 このままでは、唯がやられる。そう思った瞬間だった。唯は前に出していた左手を後ろで引いていた右手の方へと持っていく。

「──若虎(わかとら)!」

 唯の叫びとともに溜め込まれていた両手を一気に前へと突き出し、赤熱した老人の腹部目掛けて両手の掌底が放たれる。
 それは高温を放つ老人の腹部へと直撃する。そしてキリガ・ギリカは後方へと大きく吹き飛ばされる。
 その攻撃は、魔力を込めた強烈な一撃だ。

「浅葱さん、逃げるよ」

 唖然とする浅葱に唯は当たり前のように走り出そうとする。

「ちょ、ちょっと、あなた一体なに者なの?」

「あたしは、ただの彩斗くんの妹だよ」

 無邪気な笑みを浮かべながら唯は走り出す。
 その後、浅葱たちは点検用のハシゴをよじ登って、マンホールの蓋を開けて地上に出る。

「このまま追っかけて……来ないわけないわよね」

 浅葱たちの後方で、路面のアスファルトが異臭とともに熔け落ちていく。そこから這い出してきたキリガ・ギリカだ。

「やってくれたな、娘……」

 憎々しげに歯を剥いて、老人が低い声を出す。ずるずると足を引きずりながら、浅葱たちの方へと近づいてくる。

「いいぞ……これだけ活きのいい獲物は久しぶりだ。“空隙の魔女”が魔力を失っていると聞かされて拍子抜けしていたが、貴様は儂が焼き尽くしに値する敵だ!」

 老人の右腕が高温の炎を噴き上げる。それを眺めて、浅葱は呟く。

「悪いけど、こっちはあんたのワガママにつき合ってられるほど、敬老精神に富んじゃいないのよね──モグワイ!」

『ククッ、ああ、どうにか間に合ったようだぜ──頼む』

命令受諾(アクセプト)

 人工知能の声に応えたのは、静かな声だった。
 声の主は、薄い水色の瞳を輝かせた人工生命体(ホムンクルス)の少女。彼女の背中から翼のように広がったのは、虹色に輝く巨大な腕だ。
 その巨大な腕がキリガ・ギリカを叩き伏せる。

「ぐはっ……!」

 ビルの壁に叩きつけられたキリガ・ギリカが、全身から鮮血を流す。そんな彼を眩いサーチライトが容赦なく照らし出す。
 顔を上げた老人が目にしたのは、人工生命体(ホムンクルス)の少女を体内に取り込んで出現した巨大なゴーレム。透明な筋肉の鎧に覆われた、人型の眷獣だ。
 眷獣の背後には、特区警備隊(アイランド・ガード)の機動部隊が、完全武装で布陣している。
 キーストーンゲートのEエントランス──特区警備隊(アイランド・ガード)主力部隊が常に待機している、|非常事態用の出撃ルートだ。
 浅葱はただ逃げ回っていたのではなくここにおびき寄せたのだ。

人工生命体(ホムンクルス)が……眷獣を操る……だと!?」

 信じられない、というようにキリガ・ギリカは首を振る。
 本来、人工生命体(ホムンクルス)が眷獣をその身に宿すことなどありえない。

「馬鹿な!」

 立ち上がったキリガ・ギリカが、灼熱の炎を撒き散らしながら、アスタルテへと殴りかかった。分厚い金属の隔壁を融解させた、炎精霊(イフリート)の炎撃。
 しかし眷獣の巨大な腕が、その攻撃をあっさり受け止めた。

「──執行せよ(エクスキュート)、“薔薇の指先(ロドダクテュロス)”」

 無感情なアスタルテの声が聞こえる。
 キリガ・ギリカの肉体から放たれる、炎の勢いが弱っていく。アスタルテの眷獣が、炎精霊(イフリート)の霊力を奪っているのだ。

「貴様……儂の霊力を……喰って……!?」

 キリガ・ギリカはついに悲鳴を上げた。

「肯定」

 霊力を吸い尽くされたキリガ・ギリカは最後の力でギリギリで眷獣の巨腕を回避する。
 しかしそれを読んでいたように小さな人影がキリガ・ギリカめがけて突進する。

「──瞬虎(しゅんこ)っ!」

 目にも止まらぬ速さで移動した唯の掌底に反応することすら出来ずにギリカ・ギリカは仰向けに倒れた。
 倒れた彼の左腕──鉛色の手枷が発光し、そこから吐き出された銀色の鎖がキリガ・ギリカの全身を拘束する。そして老人の身体は虚空へと消え、やがて消滅した。




「──駄目だ。通じねえ」

 突如として途切れた携帯電話の画面を眺めて、古城は悔しげに顔を歪める。
 通話が途切れてから、かなりの時間が経っている。浅葱が誰かに襲撃されているとするならばかなりやばい状況だろう。
 もし襲撃者の正体が監獄結界の脱獄囚なら、浅葱たちの命が危ない。
 浅葱はただの高校生だ。監獄結界の魔道犯罪者に襲われているなら、無事にいる可能性はほぼない。

「くそ……だいたいなんで、浅葱が那月ちゃんと一緒にいるんだ!?」

 ゲストハウスの外へ向かいながら古城が壁の殴りつける。

「落ち着け、古城。少しくらい冷静になれ」

 エレベーターの壁に背を預けながら彩斗は冷静に呟く。
 だが、内心ではあまり冷静ではない。古城たちからある程度の事情を訊いて今がかなりまずい状況だというのは、百も承知だ。

「それにあそこには、唯がいるんだろ。それなら少しくらいは安心だ」

「どういうことですか、緒河先輩?」

 雪菜が銀の槍を握りながら、疑問を口にする。

「あいつは、対魔族武術っつうのを習ってんだよ。多分、そこらの吸血鬼程度なら軽々しく倒せるぐらいには化け物だぞ」

 その言葉に雪菜たちは一瞬、言葉を出すことさえも忘れているようだった。

「それでも、いくらあいつが化け物だとして相手は魔道犯罪者だ」

 浅葱、唯、那月の無事を願いながらエレベーターは降下していく。

「それにしても、なんで浅葱ちゃんと唯ちゃん、那月ちゃんが一緒にいたんだろ?」

 友妃が銀の刀を手に握りながら、呟く。

「おそらく、藍羽先輩がキーストーンゲートにいたせいかもしれません」

 答えたのは雪菜だった。

「キーストーンゲート?」

「はい。南宮先生は、魔力が完全に奪われる前に空間跳躍で逃走したのですよね。だとすれば、考えられるもっとも安全な場所を逃走先に選んだはずです」

「そうか……キーストーンゲートには特区警備隊(アイランド・ガード)の本部があるからな……」

 確かにあそこなら絃神市内でもっとも安全な場所だ。
 那月が逃走場所に選ぶのは、当然の判断だろう。
 そしてそこで偶然にも、バイトで訪れていた浅葱に会ったということだろうか。

「ですけど、特区警備隊(アイランド・ガード)の待機所に辿り着く直前に、南宮先生は完全に幼児化して、記憶を失ったんだと思います」

「その状態で浅葱に会ったのか……」

「おそらくその時に唯もパレードを見い来てて会ったんだろうな」

 最後のゲートチェックを通過して、彩斗たちはようやく建物の外へと出る。
 だが、出たものの浅葱たちの場所へといく手段がないのだ。
 モノレールは停止中。道はパレードで混んでおり、先ほど乗ってきた戦車は使えない。
 吸血鬼の体力なら全力疾走でも十五分くらいかかる。
 眷獣を使えば、すぐに行けるがいまの彩斗にそんな魔力など残っていない。

「先輩、あれを!」

 そのとき雪菜が古城の手を引いて叫んだ。彼女が指差したのは、小さなコンビニ。

「チャリか!」

 雪菜の目論見を察し、古城は走り出す。コンビニの前には一台の自転車が止められている。

「持ち主にはわたしたちが謝りますから、先輩たちは行ってください! 吸血鬼の脚力なら──」

 雪菜が銀色の槍を振って、自転車のチェーンロックを切断する。
 そして彼女は自分の指先を小さく傷つけ、そこから流れた血を古城の口の中へと含ませた。

「あっ! あーっ!」

 雪菜の指を舐める古城を睨んで、紗矢華が悲鳴を上げた。

「俺はいらねぇからな、友妃!」

 自分の指を傷つけようとする友妃を制止させ、古城が跨る自転車の後ろに乗り込む。

「わたしたちもすぐに追いかけますから」

「悪い、姫柊。恩に着る!」

 古城は吸血鬼の筋力にモノをいわせて思いっきりペダルを踏み込んだ。

「振り落とされるなよ、彩斗!」

 後ろからの力を受けたように自転車は動き出した。




 菫色の髪をした女性が真紅の鞭を握りしめたまま、目の前を睨みつけている。
 彼女は、ジリオラ・ギラルティ。第三真祖の血脈に連なる“旧き世代”の吸血鬼だ。
 彼女は監獄結界からの脱獄囚だ。
 キリガ・ギリカをアスタルテと唯の活躍によって監獄結界へと引き戻した。
 だが、その直後に彼女は現れ、“意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)”によって特区警備隊(アイランド・ガード)の精神操作し、サナを殺そうとしてきた。それを阻止するべくアスタルテと唯が浅葱とサナを守るも相手は魔導犯罪者だ。
 そんなに時間を稼げるわけではない。アスタルテの眷獣は長時間は長時間耐えることはできない。唯もどうやら魔力は防げても実弾などは防げないようだ。
 そんな危機を救ったのは意外な人物だった。

「──ディミトリエ・ヴァトラー……“戦王領域”の貴族がどうして……!?」

  ヴァトラーは、困惑する彼女に優雅に一礼して微笑んだ。

「お目にかかれて光栄だよ、ジリオラ・ギラルティ。“混沌の皇女(ケイオスブライド)”の血に連なる氏族の姫よ」

 浅葱たちを護るように、ヴァトラーがジリオラの前に歩み出た。

「“忘却の戦王(ロストウォーロード)”の血族であるアナタが、ワタシの邪魔をするというの?」

 ジリオラのその問いを持ち構えていたように、ヴァトラーが笑う。

「ここは我らが真祖の威光が及ばぬ、極東の“魔族特区”だよ。聖域条約に定められた外交使節としてこの地にいるボクが、人道的見地から、犯罪者であるキミの凶行を阻止する──なかなか良く出来た筋書きだとは思わないか?」

「ワタシたち監獄結界の脱獄囚を狩るのが、アナタの狙いだったということかしら?」

 ヴァトラーは戦闘マニアだという噂で有名だ。
 彼にとって、監獄結界からの脱獄囚は退屈しのぎの強敵に過ぎないのだろう。
 ジリオラはうっすらと汗を浮かべつつ、右手で鞭の眷獣を荒々しく鳴らした。

「だけど、あなたにワタシの眷獣が斃せて──?」

 その瞬間、彼女の支配下にあった特区警備隊(アイランド・ガード)たちが、一斉の武器をヴァトラーへと向けた。その状況に表情一つ変えずに、右手を掲げ、軽く指を鳴らした。

「──“娑伽羅(シャカラ)”!」

 海蛇に似た眷獣が、ヴァトラーを取り巻くように実体化する。
 巨大な海蛇が、自らの肉体を超高圧の水流へと変えて躊躇なく特区警備隊(アイランド・ガード)を襲う。
 アスファルトは砕け散り、武装した隊員たちは、吹き飛ばされていく。

「人間を楯にでもするつもりだったのかい? わからないな……キミに操られる程度の無力な連中の命を、どうしてボクが気にすると思ったのサ?」

 ヴァトラーが退屈そうな声でジリオラに訊いた。特区警備隊(アイランド・ガード)の主力部隊は壊滅状態。それはジリオラの軍勢が失われたことを意味している。

「もう終わりかい? 第三真祖の氏族の実力がこの程度だとしたら、期待はずれだヨ」

「……ええ、大丈夫よ。安心しなさって──あなたに落胆する余裕はあげないわ!」

 菫色の髪を振り乱して、ジリオラが吼えた。彼女の右手が陽炎のように霞んで、真紅の鞭がヴァトラーの眷獣に絡みつく。

「なるほど……キミが操れるのは人間だけじゃないというわけか……」

 眷獣の制御を奪われたのにヴァトラーは笑っている。その笑みは満足するような危険な笑みだ。

「思い知れ、蛇遣い──“毒針たち(アグイホン)”よ!」

 彼女の頭上に、真紅の蜂の群れが出現する。数にして、五百、千──空一面を埋め尽くすほどの膨大な群れだ。

「はははは、いいね。実にいい。それでこそ、惨劇の歌姫だ!」

 ヴァトラーが晴れやかに哄笑する。
 彼のもとへと、真紅の蜂たちが押し寄せる。それは巨大な炎がヴァトラーを焼き尽くそうとしているように見えた。絶対に逃れられようのない無数の眷獣のよる一斉攻撃。
 だが、そのときヴァトラーの頭上には、漆黒の渦のようなものが音もなく出現していた。

「──“毒針たち(アグイホン)”!?」

 ジリオラが、驚愕に歪める。
 真紅の蜂たちが、青年貴族の身体に辿り着く前に次々と姿を消していく。
 ヴァトラーの頭上に浮かぶ漆黒の渦が、蜂たちを片っ端から呑みこんでいるのだ。

「眷獣……!? まさか!?」

 その渦の正体が、絡み合いもつれ合う何千もの蛇の集合体だと、果たしてジリオラは気づいただろうか。
 ヴァトラーが召喚した新たな眷獣は、千の頭を持つ蛇の眷獣──
 数百匹の蜂の群れを食らい尽くすために、ヴァトラーはそれを上回る蛇を召喚してみせたのだ。

「このボクに、こいつを召喚させるほどの敵には久々に遭えたよ、ジリオラ・ギラルティ」

 ヴァトラーは満足そうに呟いた。彼の碧眼は真紅に染まり、彼の唇からは長大な牙がのぞいている。
 追い詰められたジリオラが、ヴァトラー本人を目掛けて真紅の鞭を放った。だが、その鞭もヴァトラーの眷獣に捕食されていく。
 鞭だけでなく、それを握るジリオラの腕までも喰らっていく。

「ああああああああああ──っ!」

 ジリオラの絶叫が響く。
 蛇たちは彼女へと次々と襲いかかる。

「い……いや……やめて……助け……て……!」

 ジリオラは必死に抵抗しヴァトラーから逃れようとする。

「…………」

 浅葱はサナの目を覆った。これ以上の惨劇を、幼い彼女に見せるわけにはいかない。
 この青年貴族は、浅葱たちを救いに来たわけではなかった。彼は戦いを望んできただけだった。
 特区警備隊(アイランド・ガード)は壊滅状態。彼らの攻撃を受け続けたアスタルテももう限界だ。ジリオラの眷獣から浅葱とサナを守っていた唯も体力切れだ。浅葱たちを救える者はもういない──

 誰か助けて。あの男を止めて。
 サナの身体を抱きしめたまま、浅葱が弱音を吐きそうになる。

(助けて……彩斗、古城)

「ヴァトラ────ッ!」

 その願いに応えるように彼女のよく知る少年の声が聞こえた。
 その瞬間、夜空を満たしていた濃密な妖気が消滅した。
 降りそそぐ月光が照らし出したのは、自転車に跨る暁古城と、その後方に乗っている緒河彩斗だった。




 抉れた路面。ビルの外壁はひび割れ、付近の信号や街灯は傾いている。
 特区警備隊(アイランド・ガード)の主力部隊は壊滅状態。そして面積の異様に少ない服を着た女が、半死の状態で倒れている。
 こんな状況で浅葱と、彼女が抱いている那月と思われる少女と、唯たちが誰も死ななかったのは、認めたくはないがこの状況で平然と笑っている青年吸血鬼のおかげだ。

「やあ、古城、彩斗」

 ヴァトラーが汗だくの古城を眺めて、場違いなほどの笑顔で呼びかけてくる。

「呑気に挨拶してる場合か! やり過ぎだ、オマエ!」

 そうかなァ、とヴァトラーが不服そうに首を傾げる。
 彼の足元に倒れる女は監獄結界の脱獄囚だ。
 傷ついた脱獄囚の女の左腕で、鉛色の手枷が発光する。
 そこから吐き出された銀色の鎖に搦め捕られて、彼女の姿は虚空へと消えた。どうやら監獄結界に戻されたらしい。

「へえ……監獄結界のシステムが動いているのか。キミたちのおかげでなかなか面白いものが見られたよ、古城、彩斗。やはりこの島は退屈しない」

「勝手に喜んでろ……!」

「お前は一回死んでこい……そして目覚めるな」

 呆れた顔でそう吐き捨てて、彩斗たちは浅葱のほうへと駆け寄った。

「遅いわよ、彩斗、古城」

「……悪い」

 浅葱らしい第一声に、少し安堵する。彼女の手を握って、立ち上がるのを手伝ってやる。
 彩斗は浅葱を立ち上がるのに協力するとすぐに壁際に座り込む人工生命体(ホムンクルス)の少女と、妹の元へと駆け寄る。

「大丈夫か、唯、アスタルテ?」

 アスタルテはぎこちなく振り返って、弱々しく答える。

「肯定。ただし戦闘続行は不可能。休息と再調整が必要です」

「わかった。あとは俺たちに任せろ」

 唯もいつもの無邪気な口調ではなく弱々しい声で答える。

「なんで彩斗くんがここにいるの? というかなんでそんなボロボロなの?」

 聞かれたくないこと聞かれ、回答に困り、空を仰ぐ。

「まぁ、いいや。とりあえず、来てくれて嬉しいよ、彩斗くん」

 ぎこちなくはあったがこちらに微笑む唯に少し、申し訳ない気分になる。彩斗がもっと早くここに到着していれば、唯がこんな目に合うことはなっかた。
 それでも彩斗にはまだやるべきことがある。そのためにはいまは唯をこれ以上この事件に巻き込むわけにはいかない。

「ゴメンな、唯。もう少しだけ待っててくれないか」

 唯の頭を撫でる。

「アスタルテ、唯のことを任せていいか?」

命令受諾(アクセプト)

「頼んだぞ、アスタルテ」

 彩斗はアスタルテの頭を二、三度撫でて古城たちの元へと戻る。
 するとそこでは、古城とヴァトラーが睨み合っている。

「はは……ははははは……ははははははははは!」

 ヴァトラーが突然噴き出した。
 苦しげに両腕で腹を押さえ、身体をくの字に折って笑い出す。

「まったく、なんて姿だ。見る影もないな、“空隙の魔女”──あはははははは」

「ヴァ……ヴァトラー……?」

 古城は困惑に表情を歪める。
 どうやらヴァトラーは、浅葱が護っていた少女が那月だということに気づき笑っているようだ。

「見たところ、キミも手負いのようだね、古城」

 そしてヴァトラーはこちらに顔だけを向けて彩斗を涙を拭いながら見る。

「キミもだよ、彩斗。そんなキミたちで彼女を護りきれるかい?」

「なにが言いたい?」

 警戒心を高めながら、彩斗は訊く。
 だが、正直いって古城と彩斗はどちらとも全力で戦えるわけではない。普通に脱獄囚と戦って、護れるかどうかもわからない。
 しかし特区警備隊(アイランド・ガード)の主力部隊は壊滅状態だ。
 そんな状態を見透かしたように、ようくな口調でヴァトラーが告げる。

「彼女はボクの船で預かろう」

「「……は?」」

「もちろんキミたちも一緒にくればいいよ。そのほうが愉しめそうだしね」

 思いがけないヴァトラーのていあんに、彩斗と古城は言葉を失った。
 しかし、すぐに彼の真意に気づいた。監獄結界の脱獄囚たちは、那月の命を狙っている。
 ヴァトラーはそいつらと戦いたくてウズウズしている。

「脱獄囚たちの狙いが彼女なら、連中はまた必ず襲ってくる。市街地にいれば、一般人を巻き込むかもしれないな。それよりは安全だと思うが、どうかな?」

「おまえが那月ちゃんの護衛につく……ってことか」

 古城は考え込む。ヴァトラーを信用はできない。
 だが、彼が護衛につけば気安く脱獄囚たちも襲ってくることはないだろう。そうやって時間を稼げば、那月を元に戻す方法が見つかるかもしれない。
 彩斗は一度、古城とアイコンタクトをとり、口にする。

「……わかった。その話に乗ってやるよ」

 だが、この状況でヴァトラーがどんな形であれ味方についたことは大きい。

「はあ!? ちょっと、あんたたちなに勝手に決めてるのよ!? つか、なんで彩斗と古城が“戦王領域”の貴族と知り合いなわけ!?」

 これまで静かに話を聞いていた浅葱はもう限界だったようだ。

「いろいろ事情があるんだよ。それはまた今度、ゆっくり説明してやるから──」

 殺気だった浅葱に詰め寄られ、彩斗と古城は必死に誤魔化す。

「あんたたちね……それであたしが納得すると思ってるの?」

「……とりあえずは、いまは無理にでも納得してくれ」

「あんたには、他にも聞きたいことがあるんだから覚悟しなさいよね!」

 突然、浅葱は古城からターゲットを浅葱に変えて詰め寄ってくる。
 彩斗はなんのことだか検討がつかない。
 それを考えてるうちに浅葱が人差し指を勢いよく立てて宣言した。

「いいわ。条件つきで、サナちゃんのことをあんたたちに任せてあげる」

「「……条件?」」

 猛烈な悪寒が、彩斗と古城に走る。浅葱は絶対に手放さないと言わんばかりにサナを強く抱きしめ、そしてきっぱり宣言した。

「彩斗たちと一緒に行くからね。あたしも」

 なに、と天を仰ぐ彩斗と古城と、再び笑い出すヴァトラー。
 まだ、“波朧院フェスタ”は終わらない。 
 

 
後書き
やっぱりタイトルが思いつかないです……
とりあえずこれで唯もただものじゃないってことになってしまいました。
あとは、父親だけです。
ちなみに地味に父親の名前だけは登場しております。

次回は、ほぼ原作通りになると思いますのでご了承ください。
それでは次回も見ていただけることを祈って 
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