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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第93話 高貴なる魔術師

 
前書き
 第93話を更新します。

 次回更新は、
 7月30日 『蒼き夢の果てに』第94話。
 タイトルは、『闇にひそむもの』です。
 

 
 再び復帰した戦場。そこは……。

 目の前に立ち塞がるのは――死そのもの。
 腕が跳ばされると、その切り離された腕から。膝から下を失えば、後方に置いて来られたその脚から。身体の何処かに攻撃を受け、分離させられた部品から自らのデッドコピーを作り続ける元アルマンの魔物。
 その度に胸の扉から発生する黒き闇。
 そう、それはデッドコピー。その姿形は立ち上がった犬の姿に似る。身体中は何か異様な苔か黴の如き物に覆われ、顔かたちは人間と言うよりは犬に近い。但し、足の部分は何故か蹄に似た物で覆われている。
 まるで伝承上の……古の狂気の書物に記載されているグールの如きその姿。

 対して――当然、ソロモンの魔将たちも無能ではない。
 腕を斬り跳ばすと同時に放たれた炎の氷柱(つらら)が、黒き気に覆われた右腕を一瞬にして燃やし尽くす。
 脚を斬り跳ばした瞬間、歌うように奏でられたレヴァナの月の呪文が狂気の分身を生み出すより早く、黒き呪われた脚の浄化を行う。

 しかし――
 熟練の木こりが振るう斧の音が周囲に鳴り響き、元アルマンの魔物の胸に存在する異界への入り口から闇が溢れる度に増えて行く敵の数。
 上空には未だ五山の送り火は健在。微かに……元アルマンの魔物が発する音に比べるとかなり劣るものの、それでも除夜の鐘も未だ流れて居る状態。

 どう考えても現状は不利な状況と言うしか方法がない。しかし、それでも完全に手遅れと言う訳ではない。

「厄介なヤツを呼び出しやがって!」

 口では悪態を吐きながら、それでも呪符を取り出しそれに息を吹きかけ周囲に放つ俺。
 刹那、現われる俺の姿をした剪紙鬼兵(せんしきへい)たち。その数は七。これで、残りのすべての剪紙鬼兵を投入したと言う事。

 但し、こいつらは所詮、紙の兵。魔法を使用する事が出来ない以上、単なる目くらまし。時間稼ぎ以上の役に立つとは思えない。
 俺の能力の完全コピー。飛霊を呼び出せたらもう少し何とかなるのですが、ルルド村の護衛にすべて残して来ましたから、流石に無い袖は振れない、と言う状況。

「アルマンが呼び出そうとしたテスカトリポカには色々な相が有る」

 タバサに説明しながら右腕を軽く振るう俺。
 その瞬間、地上に落ちた太陽に等しい輝きが俺の右腕の先に発生。所有者に必ず勝利をもたらせると伝説に語り継がれしケルトの至宝、聖剣クラウ・ソラス。
 放たれた剣風。いや、これは単なる剣風などではない。空間自体を歪め、離れた場所に存在する目標に対して直接ダメージを与える初歩の仙術。

 数メートルの向こうに存在していた元アルマンの魔物の小型。破片から生成されたデッドコピーが一瞬にして両断され、宙に舞う。
 しかし、これだけでは不完全。その一瞬後には周囲に存在する魔力……テスカトリポカの本体が存在する魔界より供給され続ける黒き魔力が凝縮されて行き――

 流れるように揺らめくは繊手。囁かれるは愛の言葉に非ず。蛍火のような淡い輝きに包まれた少女が、彼女に相応しい見た目は緩やかな……。しかし、現実には非常に素早い動きで口訣を唱え、導印を結ぶ。
 刹那。両断されたデッドコピーが大地に倒れるよりも……。いや、回復を開始するより早く発動する仙術。
 そのクトゥルフ神話に語られるグールに等しい魔物の周囲に舞う白い輝き。

 魔物の上下に発生した魔術回路。ふたつの円がそれぞれ逆方向に回転する度に、複雑な幾何学模様をその内側に描き出し、発光するほど活性化した小さき精霊たち……彼女の行を指し示す水の精霊たちが包み込んだ次の瞬間。
 白き……氷の彫像と化して仕舞う魔物。
 そう、ただでさえ今宵は冬至の夜。周囲の大気は凍え、普通の人間ならば凍死したとしても不思議ではない気温下での戦闘。こう言う時は冷気・凍結系の仙術の効果は普段以上に大きく成る。

「今、アルマンを乗っ取って顕現しようとしているのは、その中でも小物。テスカトリポカの吸血鬼としての相ヨナルデパズトーリ」

 人気のない夜の森に響く斧の音。皆が寝静まった夜中に木の根元に斧を振り下ろすような音が聞こえ、騒音の原因を調べようとした者の前に、首の無い朽ち果てた死体の姿として現れるとされる魔物。
 但し、古い世界を滅ぼし、新しい世界を創造すると言われているテスカトリポカの相の中ではコイツはかなりの小物。おそらく、召喚しようとした人物の召喚士としての力量と、その贄の質に因って、この程度のヤツの顕現で納まってくれたのでしょう。
 もっとも、この程度……と考えなければ、とてもでは有りませんが戦える訳は有りませんから。

 僅かな氷の欠片を撒き散らしながら、その場に倒れ込む氷の彫像。

 俺の目から見るとゆっくりとした動作で。しかし、普通の人間から見ると神速に分類される速度で左右から挟み込むように接近するデッドコピー……テスカトリポカの眷属グールを一閃。左から右に抜ける光の断線で、上半身と下半身を分離させて仕舞う。
 そして、その次の瞬間には、先ほどと同じ要領で、四つに分かれた身体のパーツをすべてタバサが氷の彫像へと変化させて仕舞った。

 雑魚を相手にするのは、俺とタバサならばまったく問題がない雰囲気。氷の彫像化された連中に関しては、この戦いの後に一気に浄化すればそれだけで事が足りる状態。

 しかし――――

 元アルマンの魔物――いや、吸血鬼ヨナルデパズトーリが再び咆哮を放った。まるでいくつもの違う声……人間や獣の声を複数重ねたかのような、複雑で分厚い響き。魂を揺さぶる、生命体の持つ根源的恐怖を感じさせる異世界の歌声。

 その声が響くと同時に、ヤツの周囲に無数の魔法陣が浮かび、何もなかった虚空には数十個の輝ける球体……ソフトボールクラスの球体が発生した。
 刹那。その白く輝く球体ひとつひとつが、周囲に向け一斉に発射される!

 しかし!

 球体が動き出すと同時か、その一瞬前。俺が右斜め後方に跳ぶ……タバサの傍らに向け跳び込むのと時を同じくして、周囲に発生する違和感。
 その時、一瞬前まで俺が立って居た空間を超高温のプラズマが通過。その先の地面を大きく焼き、そして抉った。
 爆風により、朦々と舞い上がる土煙と落ち葉。しかし、その落ち葉も一瞬の内に燃え上がり、大地に再び降り積もる際には黒い細かな燃えカスへと変化して居る。

 しかし、被害はそれだけ。
 流石に、前回のゴアルスハウゼン村のクトゥグアに比べると、大地がいきなり固体から気体へと昇華しない分だけ破壊力は小さい。但し、それでも今度の相手も破壊神にして創造神。その神威は並みではない。
 焦げた腐葉土と樹木の香りが冬の夜風に、それらに相応しい異臭を付けた。但し、その本来の目的を果たす事はなく、空しく空を切り、大地を、そして森を焦がして行くだけのプラズマ。

 しかし――
 次々と召喚され、周囲に向け放たれる蒼白き球体(プラズマ)。確かに、俺とタバサには一度だけ魔法が反射出来る仙術……呪符が装備され、俺に木行、つまり、雷系の攻撃はそもそも無効。更に、タバサにも俺の属性を付与して有る護符(タリスマン)を装備して貰っている。故に、このプラズマによる攻撃はおそらく無効。
 但し、兵は詭道。ギリギリまで切り札は取って置くべき。相手にこの攻撃が有効だ、と思わせて置く事が俺たちに不利となる要因はありません。

 触れると間違いなく黒焦げ。普通の生命体ならば確実に死に至る球雷。

 俺の身体に無数の傷が発生。見ている目の前で、同時に三体の剪紙鬼兵がプラズマの直撃を受け、一瞬の内に元の紙切れへと戻されたのだ。
 しかし!

 俺とタバサに向け飛来する複数のプラズマ。そのまま突き進めば間違いなく二人に何らかの被害を与えるのは確実なルート。
 しかし、その瞬間、俺たちの正面の空間が歪んだ。そう、まるで澄み切った水面。波ひとつ立てていない完全に澄み切った水面(みなも)に、小石を投げ込んだ時に発生する波紋が次々と広がり――

 プラズマがその歪みに衝突。そのまま勢いを殺され、いなされ、逸らされ、後方の森や地面に直撃。確かに破壊を周囲へと撒き散らせたが、肝心の俺とタバサは無傷。掠める事さえなかった。
 ただ……。
 ただ何もないはずの空間に、まるで纏わり付くかのように残る雷光の蛇が、確かに其処に不可視の壁が存在していた証明のようで有った。

「アイツを倒すには――」

 吸血鬼ヨナルデパズトーリが再び、上空に向け咆哮を放った。その瞬間、ヤツの胸から黒い闇が漏れ出して来る。
 触れる物のすべてを奪い尽くすかのような黒き闇。それが彼の神の与える祝福。あの闇に触れたなら、苦悩も、悲哀も、辛苦も、そして絶望も。……全て平等に失って仕舞う。

 そう、残る物は只の虚無のみ。

 おそらく、ある種の人間に取っては、それも救いと呼べるかも知れない。
 しかし――

「アイツと魔界のテスカトリポカの絆を断ち切る必要が有る」

 そう説明しながら、右腕でタバサを抱え跳ぶ(瞬間移動する)俺。
 刹那、先ほどのプラズマの激突に因り燃え始めた灌木から炎の蛇が生成され、俺とタバサの居た空間を横薙ぎに払った。

 しかし、その瞬間には既に空間を移し、まったく別の位置に立つ二人。

「ヤツ……アルマンとテスカトリポカとの絆を」

 そう口にした瞬間に再び瞬間移動。今度はグールの攻撃を紙一重で躱し、其処から後方三メートルの位置に転移。
 その刹那。

「具体的には、ヤツの魔界と繋がっている胸の扉の部分と、テスカトリポカ召喚の触媒と成って居る翡翠の仮面を同時に破壊する必要がある」

 見ている目の前で、白い結晶に包まれて氷の彫像と化すグールの姿を瞳に映しながら、口では先ほどの説明を続ける俺。
 但し、口で言うほど、これは簡単な作業ではない。

 仮面を破壊しても胸の扉を破壊しない限り、魔界から供給される魔力を断つ事が出来ず、おそらく仮面も瞬く間に再生されて仕舞う。
 胸の扉を破壊して魔力の供給を断ったトコロで、仮面を破壊しなければ、今、この場所に蓄えられた魔力だけで、胸に開いた異界への扉など容易く再生されて仕舞う。

 双方をほぼ同時に。少なくとも、完全に回復される前に破壊する必要が有りますから。
 仮面と扉。双方を破壊すれば、もしそれだけで足りなかったとしても、次の一手でヨナルデパズトーリの憑坐とされたアルマンを何らかの形で封じれば、この事件は終了でしょう。

 後方三メートルの位置に転移した瞬間、タバサの手が優雅にひらめき、
 再び襲い掛かって来たグールたちを白い結晶が包み込む。そして、次の刹那には、不気味な氷の彫像が複数、誕生していたのだった。

「わたしはどちらを破壊したら良い?」

 さも当然のように、俺の腕の中からそう問い掛けて来るタバサ。その部分を自らの式神に任せる、……と言う選択肢は彼女の中にはないのでしょう。
 それに、二人の動きをある程度同期させなければならない以上、ソロモンの魔将と雖も、俺と攻撃のタイミングを合わせるのは難しいのも事実です。

 まして、マルコシアス及びウヴァルは最初にヨナルデパズトーリから分離した二体の魔物を。レヴァナは、俺の呼び出した剪紙鬼兵たちと共に、その後に発生したグールの群れを相手にしている以上、現状では本体を相手に出来るのは俺とタバサの二人しか居ませんから。

「タバサには翡翠の仮面の方を頼みたい」

 再び転移を行い、前方から接近するプラズマと、後方から忍び寄りつつ有った炎の蛇を回避。
 その転移の直後に、腕の中の少女に対してそう告げる俺。
 そう、仮面の方は破壊すればテスカトリポカとアルマンの間に有る絆を断つ事は可能でしょうが、胸の部分に関してはそれで終わるとは思えませんから。

 何故ならば、吸血鬼ヨナルデパズトーリの胸に存在する扉は、おそらく次元孔。異次元に向かって開いた穴で有る以上、物理的に破壊しただけでは異世界との絆は断ち切れない可能性が高い。
 そして、タバサは未だ次元孔の閉じ方も、開き方についても教えては居ません。
 更に、戦闘に使用する為に予備の術式……術の展開の高速化を行う術式を重ねる事や、術の威力強化の呪文を唱える事も難しいので、流石に魔法の天才……。魔女の中の魔女ヘカテーの加護を受けて居る彼女でも難しいでしょう。

 微かに……。本当に微かに首肯いた気配が腕と、そして心に伝わって来る。

 獣の遠吠えとも、複数の人間の叫びとも付かない咆哮が俺たちに打ち付けた。それは只の音に過ぎない現象。しかし、神威により強化されたソレは既に物理的威力を備え、普通の人間ならばその中に神の怒りを感じ、その場でただひれ伏せ、神の怒りが鎮まるのを祈るしか方法がない、……と感じさせるに相応しい咆哮。
 おそらく、苛立ちが頂点に達したのでしょう。吸血鬼ヨナルデパズトーリが上空を仰ぎ見るようにしながら、猛り吼えて狂って居た。
 まるで、その彼方に存在している何モノか(天空神に)挑むかのような雰囲気で……。

 その瞬間――
 その瞬間、まるで竜巻が発生するかのようにヤツを中心に空気が走り、土砂が、大地を覆う落ち葉が――
 そして、紅き泉の水が巻き上げられた。

 但し、これはヤツ自身が何か特殊な魔法を行使して居るようには感じない。おそらく、漏れ出した魔力が周囲に影響を与えて居るだけ。たったそれだけの事で、この不気味な色彩の竜巻は完成して居た。
 そして再び、ヤツの姿が闇に沈み、振るわれる斧に似た音色が響き渡る。

 光……宙に浮かぶ魔術回路が発する光が、昏い嵐の中心に存在するメソアメリカ出身の吸血鬼をぼぅと浮かび上がらせた。
 その時――――

 一瞬前まで俺とタバサの居た空間が歪んだ。そう、文字通り、空間自体が歪んだように見えたのだ。
 おそらくこれは、ハルケギニアのコモンマジックの念動と同じ種類の魔法。不可視の手に掴まれた空間毎、捻り潰されたのでしょう。

 但し、その時には既に動きを開始して居た俺とタバサに実害はなし。不可視の手が握り潰したのは空間内に存在した二人の影と残り香のみ。

 彼我の距離は十四、五メートル。タバサは俺の後ろを追走中。この距離ならば、現実の時間では一瞬。俺の体感時間でも三手ほどの短い時間。

 魔物……吸血鬼の周囲に浮かぶ魔術回路が回転を繰り返し、活性化した小さき精霊たちが蛍火のように光りを放ちながら乱れ飛ぶ。
 そうして、苛立ちが募ったように吸血鬼ヨナルデパズトーリが咆哮した。

 彼我の距離は十メートル前後。その瞬間、俺、そしてタバサの周囲に防御用の魔術回路が発生し、同時に身体に施された神明帰鏡符が一枚剥がれ落ちる。

 刹那!

 仮面の吸血鬼周囲に浮かび、ゆっくりと回転を続けていた魔術回路がぐにゃりと歪み、そして次の瞬間、完全に消えて仕舞う。
 同時に異様な音と共にヤツの両腕の骨が砕け、肉が潰れ、裂けた皮膚からは赤黒い、血液とも、それ以外の何かとも付かない液体が噴出して来る。

 しかし!

 更に苛立ったような咆哮を上げ、小五月蠅げに両腕を振る魔物。たったそれだけの事で、まるで時間を逆回しにしたかのように完全に潰れて仕舞った腕は、元通りの逞しい人間型の腕へと戻って仕舞う。
 その瞬間に、周囲からすべての精を吸い上げ、ヤツを中心とした空間すべてを死と静寂が支配する空間へと変化させた。
 そう。例えヤツが動く度に体液や魔力を体外にいくら撒き散らせようとも、そんな物はヤツに取って蚊が刺した程度の事。本人は痛手とすら感じていないでしょう。
 但し、この魔法反射が産み出した時間は貴重。俺の剣の間合いまで後三歩。
 ここまで接近されて新しい術を行使するのは難しい。ここで咄嗟に魔術を起動させても、効果を現す前に、俺とタバサの剣がヤツを刺し貫いて居る。

 そう考えた刹那。先ほど振り払われた状態のままにされていた魔物の右腕が、俺とタバサに向けて無造作に振り抜かれた!
 その勢い、更に破壊力は正に神の領域。その右腕が作り出す衝撃波だけで、人間など容易く粉微塵にされて仕舞うであろう。

 だが、しかし!

 次の瞬間。赤黒い体液を撒き散らせて千切れ、後方に向けて跳ぶヤツの右腕。魔術師の証、そして防寒用のマントに赤黒い斑点が付き、顔や蒼となった髪の毛を穢されて行く。
 同時に、効果を発揮した物理反射の呪符と呪詛防止用の呪符が身体から剥がれ落ちた。
 流石は破壊神の一顕現。元々人間でしかなかったアルマンの血液を、何か別の物……人を簡単に穢し、呪い殺す事の出来る呪物と変えて体内を巡らせているらしい。

 しかし、そんな事は最初から想定内。後、残り二歩!

「我、世の理を知りて防壁を断つ!」

 半身に構えた俺の右手の先に光が収斂して行く。但し、これは一気に爆発させる為の収斂ではない。
 闇を斬り裂くように下段からの抜き打ちが一閃。しかし、鮮やかに半月の光輝の帯を描いた勝利をもたらす光輝(クラウ・ソラス)の一閃は、吸血鬼ヨナルデパズトーリの身体に触れる事さえなかった。

 しかし、振り抜かれた剣に確かに感じる手ごたえ。そして何もない空間から、バシッと言う、まるで何かを斬り裂いた時に発生する響きを感じる。
 そう、この時、俺は間違いなくヤツ――吸血鬼ヨナルデパズトーリの精霊の護りを斬り裂いて居たのだ!

 遅れて放たれる魂を震わす咆哮。自らの防備を完全に破られた事を悟った怒りの咆哮が森に木霊し、周囲の樹木が、大地が一瞬にして枯死して仕舞う。
 しかし、それは所詮、精霊の護りも持たない一般的な生命体に対しては有効な吸精術。俺やタバサには一切の害を与える事など出来はしない。
 俺の剣が振り抜かれ切る前に急制動。僅かに左足を滑らせるだけに止め、左足にタメを作りながら右足を一歩引く。
 急制動。その一瞬のタイムラグ。
 やや身体を屈めた俺の右肩に軽い衝撃。その瞬間、普段通り彼女に勢いを付ける為に生来の能力を発動。

 俺の右肩を踏み台にして宙を舞う彼女の右手には、如意宝珠『希』により正確に再現された七星の宝刀が彼女の行……水行に相応しい黒曜石の輝きを放つ!
 タバサの蒼き髪の毛が神速により発生する風に揺れ、凍てつく冬の大気を七星の宝刀が切り裂く。
 その瞬間!
 音を切り裂いた剣先が発生させる破壊の牙が前方へと扇のように広がり、立ったまま枯死していた異世界の吸血鬼の背後の巨木を次々と斬り払って行く。
 交錯は一瞬。仮面の左の頬より侵入した宝刀がそのままの勢いで仮面と、その仮面に隠された吸血鬼の素顔に黒曜石の断線を作り出して居た。

 そして、タバサの攻撃に遅れる事一瞬。剣を右肩の位置に構え、そのままの姿勢で吸血鬼に向かい跳び込む俺。
 俺の霊気の活性化に伴い、眩いまでの蒼き光輝を纏った刃が一直線に胸の扉……テスカトリポカの住む異世界へと繋がる次元孔と化していた胸の扉を貫通。
 その瞬間に僅かに手首を捻り、同時にヤツの体内にありったけの霊力を叩き込む。

 原理は異界へと通路を閉じる際とほぼ同じ。但し、今回は相手が術に対する抵抗を行う為、通常の場合よりも巨大な霊力が必要と成る。
 一歩間違えば、俺の霊力が暴走を開始。そのままテスカトリポカの魔界へと通じる次元孔は閉じる可能性が高いが、それ以外の場所に通じる次元孔が開く可能性が大。さりとて、加減を行った挙句、テスカトリポカの魔界に通じる次元孔を完全に閉じる事が出来なければ、タバサが破壊した翡翠の仮面を修復され、また一からやり直し。次は、物理反射や魔法反射。それに呪詛防止の術もない状態で、この仮面の吸血鬼を相手にする必要が有る。

 流石にそれは出来ない!

 猛烈な勢いで仮面の吸血鬼に体当たりを食らわせる形と成る俺。しかし、その勢いを殺すように、ヤツの背後に発生する巨大な魔法陣が描き出されて行く。
 その姿は、巨大な十字架に掲げられた咎人の姿。巨大な魔法円の中に浮かぶ五芒星に半分めり込むような形で光の剣に胸を刺し貫かれている。

 いや、違う。それは――魔法円はひとつではなかった。ヤツ、仮面の吸血鬼と俺を取り囲むように更に立ち上がる五つの魔法陣。それぞれが木火土金水を指し示す色を放ちながら、

 仮面の吸血鬼。……いや、もうその仮面は剥がれ落ち、元の精悍な貴族に相応しい容貌のアルマンの素顔が酷く哀しい表情を浮かべて居た。
 そして……。

 ぐしゃり、と言う音と共に、その身体が崩れ落ちた。
 元々、人間の骨格や筋肉では身長三メートル以上、体重も三百キロ近くの身体を支える事は出来ません。まして、その姿で二足歩行など当然不可能。
 今までヤツが立って動いて居られたのは、テスカトリポカの加護……魔力の供給が為されて居たから。魔力により骨格を、筋力を強化し、自らの周りの精霊を強制的に使役して肉体を維持して居たのです。その魔力の供給が断たれた今、元優秀な系統魔法使いであるアルマンに、精霊が従う訳はありません。

 その巨体を支えるべき両足が潰れ、腕が無力な肉塊と化し……。
 精霊を使役して、無理矢理生命体の振りをしていた身体中の筋肉が肉塊……いや、何かよく判らない黒い物質へと変化し、そこから更に黒い霧状の()()へと変わって行き――

 そして――
 そして、最期には上空で未だ炎を上げ続ける送り火へと吸い込まれて行ったのでした。


☆★☆★☆


「主よ、永遠の安息を彼に与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え」

 俺の独り言に等しき祈りの言葉が、深く吐き出された溜め息のように口元を白くけぶらせた。
 確かに、この場で死した人間たち。生前の彼らが、他人の生命を路傍の石ほども気にしなかった人間たちの命だったとしても、命は命。更に、俺までがアルマンと同じレベルに堕ちる必要は有りません。
 もっとも、彼ら自身に関しては、天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさずの言葉通りの結果と成って仕舞いましたが。

「主よ、世を去りたるこの霊魂を主の御手に委せ奉る(まかせたてまつる)
 彼らが世に在りし時、弱きによりて犯したる罪を、大いなる御あわれみもて赦し給え」

 俺の祈りにしては珍しい……知識としてしか知らない西洋の祈りの(ことば)なのですが、それでも生前のアルマンやラバンが信奉していた宗教から考えると、この場ではこの詞が相応しいでしょう。
 但し、邪神の生贄にされた者の魂が輪廻の環に戻るとは考えられないのですが。

 鐘の音が途絶え、上空より紅く照らして居た五山の送り火の炎が消えた瞬間、世界は次第に大晦日……このハルケギニア世界の十二月(ウィンの月)最後の日(ティワズの週、ダエグの曜日)に相応しい色と、季節を取り戻して行った。

 しんと冷えた大気。静寂が支配する冬枯れの森。そして、俺たちの頭上には、何時の間に広がったのか灰色に濁った氷空(そら)から――
 そう。一年の締めくくりに相応しい白い使者が、普段よりは幾分暗さを増した氷空からゆっくりと舞い降りて来たのだ。
 先ほどまで繰り広げられていた異世界の戦いの場には相応しくないただの雪。雲の中の水分が結晶化した物。この冬至の……そして、次の一年の始まりに相応しい色に染めて行く氷空からの白い使者。

 彼女が、氷空に向けてその白い華奢な手の平を広げた。
 その手の平の上にそっと舞い降り、そして儚く消えて仕舞う氷空からの御使い。

 視界を徐々に埋めて行く白。その世界の中心に佇む蒼い少女。完全な黒に包まれている訳ではない薄い墨の如き闇と儚く消えて行く白い雪。更に、彼女独特のペシミズムと言うべき雰囲気が相まって、じっと見つめているだけで何故か……。

 涙が込み上げて来る。そう言う考えが浮かび、そして、もう一度、彼女を見つめ直す俺。
 何故かこの場に居るのが彼女……タバサである事に対する違和感。まるで、かつて同じようなシチュエーションを別の誰かと経験した事が有るような気も……。
 吐息を白くけぶらせ、彼女が俺を見つめた。いや、見つめ返した。

「すまなんだな、タバサ」

 ゆっくりと彼女の傍に歩み寄りながら、そう話し掛ける俺。そして、彼女の手を包み込むように、そっと握る。
 小さく華奢な彼女の手は、普段以上に冷たかった。

 しかし……。

「問題ない」

 ゆっくりと首を二度横に振った後、彼女は普段通りの答えを返して来た。
 そう、普段通りの彼女の答え。其処には感情の起伏を感じさせない、ただ言葉の響きが存在するだけの答えが有った。
 但し、おそらく彼女は俺が謝った本当の意味に気付いてはいない。俺は彼女が寒さに晒されていた事に対して謝った訳ではない。
 俺が謝った理由は……。

「父の死の真相は、ガスコーニュ地方の反乱を陛下に伝えようとして暗殺された。この事実だけで充分」

 アルマンを生きて捕らえた上で、ヤツから色々な情報を聞き出したかった。そう思考を巡らせた瞬間、その考えを遮るかのように、タバサがそう言った。確かに、ガリアが発表した内容はオルレアン大公に悪い評価が残るような物ではなかった……のですが……。
 ただ……。

 晴れ渡った氷空に等しい瞳で俺を見つめる彼女。其処に後悔の色はない。無念の死を遂げた自らの父親の事を話すにしては、あまりにも透明過ぎる表情。
 ただこの部分に関しては、知り過ぎても、返って彼女自身が傷付く可能性も高い。

 正直に言うと臭い物に蓋をする、と言う結果は好きではないのですが、この部分に関してはむしろ知らない方が残った関係者すべてが傷付かない可能性の方が高いですか。
 かなり消極的ながらも、そう言う結論に到着する俺。すべてを知って居る……唯一、生きた状態で捕まったシャルル・アルタニャンが語った内容はイザベラやジョゼフが知って居るだけでも十分でしょう。

 言葉にして答えを返さない俺。ただ、これも通常運転中の俺の反応。そんな俺を晴れ渡った冬の氷空に等しい瞳で見つめる彼女。
 そうして、

「あの時のアルマンに、あの翡翠の仮面を用意する事は出来なかった。それでも、何故か彼は仮面を被る事が出来た」

 まるで新聞の天気欄か、求人広告を読むような無機質な言葉使いでそう続けた。

 確かに、タバサの妹の消息を知って居る可能性の有るヤツ……アルマンを簡単に死なせて仕舞ったのはイタイ。折角、掴み掛けた解決の糸口を失ったのは痛恨の極みと言うべきでしょう。
 しかし、タバサの言う事には一理も二理もあります。あの時、アルマンの魔法は封じて有りました。あの状態で魔法を行使するのは俺やタバサでも難しいと思います。まして四肢の動きも完全に封じて居ました。この状況で、テスカトリポカ召喚の際に使用される呪物を自ら被る事は不可能だったはずです。
 これはおそらく――

「あの時、初めてアルマンは神。テスカトリポカに選ばれたんやと思う」

 それ以前は単に自称、神に選ばれた存在。確かに多少の権能を手に入れていたと思うけど、自在にテスカトリポカの能力を操って居たとは言い難かった状態。
 しかしあの瞬間。俺に敗れ、憎悪と屈辱に塗れた瞬間、アルマンはテスカトリポカの憑坐(よりまし)として相応しい心を得た、と言う事なのでしょう。

 テスカトリポカは不和や憎悪。敵意や争いの神。そして、生け贄を要求する神でも有りますから。
 まして、ヤツ……アルマン・ドートヴィエイユと言う人物は神話上の敵役ケツアルクァトルと同じ金髪碧眼。そんな人間を支配して、テスカトリポカを信奉する民たちを虐げ、殺して行ったイスパニアの人間を殺して行くのですから、テスカトリポカの究極の目的にも合致すると思います。

 つまりあの瞬間、アルマンの顔に現われた翡翠の仮面は、アルマン自身が被ったのではなく、仮面自身が何処かからアルマンの元に現われたと言う事。流石に、そんな事を予測して置く事は難しいですし、対策を施して置く事も難しかったと思います。
 それでも、対策……アルマンと魔界のテスカトリポカとの絆を完全に断つ事は難しかったとしても、仮面が現われる事は防ぐ事が可能だったかも知れないのですが……。

 一度、上空に視線を移動させ、世界を満たして行く冷たい白を瞳に映す俺。吹雪くと言うほどの激しさはなく、しかし、ちらつくと言うには少々風情に欠けた様。
 まぁ、何にしても……。

「今回も無事終了、と言う感じですか」

 得た物は無かったけど、致命的な何かを失った訳でもない。相変わらずギリギリだったけど、それでもテスカトリポカ召喚などと言う迷惑千万な企みは防ぐ事が出来た。
 確かに大量使用して、そのすべてを倒されて仕舞った剪紙鬼兵の返やりの風の作用によってアチコチに受けた傷から流れ出た血により、俺の見た目はかなり凄惨な物に成って居るとも思います。しかし、それもタバサから受けた血の作用で今まで以上の回復力を得た事により、傷自体は既に塞がって居る状態。
 万能と言うには程遠い存在の俺にしては、上出来だと誉めてやっても良いでしょう。

 それに……。
 戦闘時にはそれほど感じなかったけど、大地の上を滑り、返やりの風で開いた傷口から吹き出した血液などで俺の服はボロボロ。傷に関しては既に塞がっているけど、汚れた服に関してはそう言う訳にも行かず。
 流石に、肌に貼り付いたようになって居て非常に不快。早いトコロ、当座の拠点。ルルド村に帰って、着替えだけでもしたい。

 後は、この憎悪と恐怖に染まった召喚の地を、元の清浄な泉に戻すだけ。流石に、多くの死に穢された泉を一足飛びに戻す事は出来なくても、この危険な気が蟠った状態さえなくせば、後はゆっくりと自然な状態へと戻して行けば良いのですから。

 そう考え、氷空の彼方から降りしきる白から、再び蒼の少女へと視線を戻す俺。
 その瞬間。

「オルレアン大公家当主シャルロット様」

 
 

 
後書き
 今回のタイトルはテスカトリポカの別名からの流用です。
 それでは次回タイトルは、『闇にひそむもの』です。

 
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