| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

トワノクウ

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

トワノクウ
  第二十八夜 赤い海(一)

 
前書き
 少女 と 彼 

 
 顔に傷のある者を直視できる人間がいないと知ったのは、己がまさに顔面に二目と見れない醜い傷痕をこしらえてからだった。

 気まずげに逸らされる目。嫌悪を滲ませ噛む唇。笑みになりきらない曖昧な表情――

 世話をする巫女や賄いの坊主、面会に来る陰陽衆や各地の神職者の一挙一動が、いつも棘や針となって心に突き刺さった。刺さって、刺さって、いつしか心は硬く強張っていった。

 それをふにゃっと軟らかくできるのは妹だけだった。


〝兄様! 包帯を替える時間よ〟


 治らない傷痕を直視する手当ての時間は巫女が交替でやっていた。まさに彼女らの態度が突き刺さるそこに、妹が割り込んでから、全てが変わった。
 妹だけは、この傷痕を忌避することなく、むしろ名誉の負傷だと笑って手ずから包帯を替えてくれた。

 妹だけでいいと思っていたはずだった。
 けれど、兄妹二人で閉ざした世界に、一人の少年が入ってきた。

 気まぐれで世話をした人間だったが、少年にとっては大恩となったらしく、礼として顔の傷の手当てをさせてくれと頼んできた。


〝気持ち悪く……ないんですか? この痕が〟
〝正直、きついです。でも、我慢できないほどじゃありません。()()()()()のことで真朱さんの負担が減って、貴方のためにもなるなら、()()()()()やらせてください〟


 この時だった。彼に自らの命を預けようと心から思えたのは。



                         ***



 日も落ちて空が暗くなった頃。くうも眠りに就くために夜着に着替えている最中だった。

 帯を解いて紬の袂に手をかけた時、それはくうを襲った。

「――ったぁ……!」

 紬が床に落ちた。襦袢姿で、くうは右手の平を強く握りしめた。

 この、亀裂が奔ったような感覚。覚えがある。薫が天座の塔に乗り込んだ時もこんな感じだった。
 そして今、くうが浮かべたのは薫ではなく。

「――潤君――?」

 理屈は分からない。だが、分かる。潤が苦しんでいる。傷ついている。

 くうは襦袢を脱ぎ捨てて裸になり、下着を、ドレスを、帽子を次々と着て行った。
 そして、着替え終わるや、露台へ出て、翼を背中から生やして飛び立った。

 坂守神社に飛ぼうとして――ふいに力を失って地上に降り立った。

 塔のある敷地から出てすらいない石畳の上で、くうは蹲る。

 思い出してしまったのだ。
 潤がくうを見殺しにした夜を。血の海にくうを捨てて行った潤の背中を。
 あの瞬間の、世界中の希望という希望がまやかしなんだと錯覚したほどの絶望を。

(ほんとに行かなきゃって思ってるの? くうはほんとに潤君を助けに行きたいの?)

 火花のように何度も何度も、あの夜の記憶が爆ぜて消える。
 くうは強く自身を抱く。息が苦しかった。

(潤君なら大丈夫だよ。あんなに、あんなに強いんだから)

 思考がじわじわと楽なほうに傾いていく。

(今の私は天座にいるんだから、天敵の坂守神社に行くなんてだめだよ。梵天さんも露草さんもきっと嫌だよ)

 自分を逃がす理由が浮かぶほどに心が二つに裂けてゆく。

(分からない……誰か、私がどうすればいいのか教えて)

 涙が流れないのに変な声だけ落ちた。


「くう! 大丈夫か!?」

 誰かの声が後ろから追ってきて、誰かの手がくうの背に添えられた。

「露草さん……っ」

 くうが飛び立って落ちたところを見て駆けつけてくれたのだろう。
 気遣ってくれる露草に、くうは飛び付いて甘えたかった。無理しなくていい、行かなくていい、と言ってほしかった。その行為が孕んだ浅ましさに気づかなければきっとそうしていた。

「くう」

 上からの低い声に顔を上げる。塔から出てきた梵天が、静かにくうを見下ろした。

「行くのかい?」

 ああ、彼は分かっているのだ。くうが露草に選択を丸投げしようとしたことを。
 だからこうして、くう自身の意思を言わざるをえない問い方をして、くうの甘えを封じたのだ。

「――たい、です。逢いたいです。潤君に逢いたいんです!」

 くうは恐怖に裂かれながら自らの恋心を選んだ。


 梵天は微かに痛ましいものを見る目をしたかと思うと、くうの肩に腕を回して自身の胸に引き寄せた。
 驚くくうの上から、降る雨のようにその声は聞こえた。

「君がそう望むなら」

 肯定しているのにまるで苦渋の決断を下すように聞こえて、くうは急に申し訳ない心地になった。

「どうして……ここまで良くしてくれるんですか?」

 露草を目覚めさせるための白鳳なら、くうにはもう利用価値がないはずだ、とくうは己の感情を全く埒外にして考えた。

 梵天は自嘲に近い微笑を浮かべる。その目が、くうを通してくうではない誰かを見ていた。

「君は俺の姉の一人娘だからね」

 くうの心臓の近くがじくりと痛んだ。

 やはりくうは先人の残したものに頼らなければ何もしてもらえない程度の人間なのだ、という気持ちが強まった。

(篠ノ女空はカラッポ。つまらない、何も持たない子)

 くうは祈るように胸の前で手を握る。

「ありがとうございます……」

 こんなに弱々しい礼を言ったのは初めてだった。







 くうは自力で空を翔け、空五倍子が梵天と露草を乗せ、彼らは坂守神社を目指していた。
 近づくほどに右手の平のしるしは鋭利に痛んでいく。

「おい、あれ!」

 露草が指した。空が、赤い。まるで火事の現場だ。

「妖の気配と、血臭も混じってるな。夜襲でも受けたか」
「っ行きます!」
「これ白鳳! 先走ってはならん!」

 空五倍子に叫ばれ、くうは唇を噛んで踏み止まった。


 程なく彼らは坂守神社から僅かに離れた、敷地と森の境界線に降り立った。神社に入るための鳥居も見える。

「ここからは結界があって俺達は入れない。一人で行けるね?」
「はい!」

 くうは踵を返して駆け出した。




 鳥居を潜るや、体がずしんと重くなった。初めて来た時とは異なり鳳が完全覚醒していたためだろう。

(私が死ぬ結果になったとしても)

 境内に入って石畳を蹴って社を目指した。

 あちこちでピンクのぶよぶよしたモノと巫女たちが戦っている。火矢を使う巫女もいた。火の手が上がったのは、だから。

 彼女らに加勢せず目当ての人物を探していたくうは、

(逢いたいだけなの、潤君に!)

 目の前に立ちはだかる――恋しい少年の敵意に満ちた姿に、底知れない安堵を覚えた。



 Continue… 
 

 
後書き
 殺した相手の無事を見て安心する時点で我が家のヒロインは病んでいます。

 「ピンクのぶよぶよしたモノ」が何の妖怪か。これ後々重要な要素になりますよ! 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧