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翅の無い羽虫

作者:黒核誇珀
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十章 自由への本能

 
前書き
グロテスクな表現がありますので苦手な方は読まないことをおすすめします。 

 
 私は教会の椅子に座り、ただ視界の奥にいる神様の像を眺めていた。
(まだ……生きてる)
 そう安堵している自分がいた。
 それと同時に、いろんな疑問が浮かび上がってくる。冷静になってみればあいつに訊かねばならないことが山ほどあった。
(なにをどうしたら、あんなことができるんだ。いや、それ以前に、初めての症例の対処法をなぜ知っていたんだ)
 やはりただ者ではない。そう思った。
「……」
 だが、救ってくれたことに変わりはない。どうやって治したかわからないが、命の恩人として感謝すべきだろう。
 一度落ち着くと、今までの記憶が底から湧き出てくる。
(……)
 アマノとセイマは……いや、考えたくない。そんな現実は知りたくない。
 しかし、私を助けるためだとはいえ、その身を犠牲にしたとはいえ、大国に刃向った。当然連帯責任だ。あの会社はどうなるのだろう。
「……」
 やはりそれも考えたくなかった。逃げてばかりな気もするが、もう耐えられない。
「……うっ……」
 腹部がまた痛み出した。背中もなんだか熱い。頭がボーっとしてくる。胃の中が逆流し、少しだけ胃液を吐くと同時に喉が千切れそうなほど痛む。だがしばらく堪え続けている内に徐々に痛みは引いていった。吐いた体液の色は粘り気のある黄土色だった。
「……遅いなぁ」
 あの白髪赤眼は死骸の処理に手こずっているのか。こうも一人で居続けては寂しい気も起きる。
(ちょっと様子見てこようかな)
 もしかしたら私の身体から出た死骸を見てしまうかもしれないけど、今の精神なら大丈夫な気がしてきた。私は席を立つ。
 教会の入り口の扉をギギギ、と開けた。


「待っていましたよ、ミカドさん」
 目の前は、確か道路だったはずだ。
 人通りも少なかったはずだ。
 しかし、目に映ったのは、大量に向けられた銃口。壁の様に、まるで私を拒んでいるかのように隔てられ、連なった鉄製の盾の数々。
 声の主を辿ると、あのとき会社にいた偉そうな大国人が変わらない表情で嘲笑していた。
「ぇ……ぁ……」
「おーおー、壮大な歓迎に感服しているのかな? それは嬉しいことだ」
 皮肉を吐き捨て、饒舌な大国人はぺらぺらと演技じみた様子で話を続ける。
「悲劇のヒロインが教会で涙を流し、救いを求める。嗚呼、なんて可哀想なことだ。だが、もう安心したまえ、貴女を救う白馬の王子様が迎えに来てやったよ。まぁ貴様のような廃人の成りそこないに陥ってしまった蛆虫の塊なんざヒロインとは呼べんがな。さ、状況が分かったら、さっさと我々と共に来るんだな」
 ふふふと嗤うその表情が歪んで見える。私は後ずさりした。
「おや、逃げるのかね? ま、逃げ場なんぞ無いに等しいが」
 それでも、私は遠ざかった。だが、その距離にも限りがあり、背中に神様の像がぶつかる。
「……い……や……」
 折角生きながらえたのに。折角救ってもらえた命なのに。
 それを無駄にしたくない。
(イノは……イノは何やってんだよ!)
 心の中で必死にそいつの名前を叫ぶ。だが、そんなことではいつまでたっても伝わらない。追い詰められる恐怖で声が出なくなっていた。
「……待っている時間も無駄だ。捕まえろ」
 その大国人はつまらなさそうに命令した途端、十数人もの兵が教会の中へ突撃してくる。
「くっ、来るな! 来るなぁあああああああ」
 だが、抵抗しながらもあっさりと捕まってしまう。自分の非力さを憐れんだ。
『確保しました』
 ガチャンと手錠をつけられる。同時に背中辺りに注射で刺されたような痛みが走る。
「うぁ……」
 ガクンと膝が抜ける。鎮静剤のようだ。
『よし、連れていけ』
 大国の言語でその男は冷たく言い放った。
 足を引きずられながら、外へと運ばれていく。


 終わっていく。
 ここで、自分というひとつの生涯が終わっていく。
 思い返すことはない。みんなには悪いが、思い残すことはない。
 後悔はしていない。
 こんな運命を憎んではいない。
 ただ、生きたい。
 逝きたくない。
 死にたくない。
 生きたいんだ。
 一瞬一瞬を。
 やっぱり生きていきたい。
 どんなに迷惑をかけても。
 ―――生きたい。


「……ぁぁぁ……」
 脚に力が入る。抵抗のなかった体がまるで鎖が解き放れたかのように自由になる。
 そして、その自由を
『―――っ?』
 現実へと変える。
『なんだ!?』
 連行していた3人の大国兵は宙を舞っていた。
 捕まっていた罪人の手錠はひしゃげた形で床に転がっていた。
 罪人の顔は、最早人間としての理性を失っていた。
 目は白濁に染まり、零れる涙の様に血を流していた。腕や顔の血管がビキビキと張っており、筋肉の筋が露わになる。張り裂けそうなほど隆起するあまり、所々から血が噴出し、服を赤く滲ませ、身体を伝う。
「ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
『チッ、とうとう壊れたか』
 さっきまで嘲笑していた大国人の表情が歪む。
『今すぐ捕獲しろ!』
 怒鳴るかのように声を荒げ、同時にすべての兵が教会の中へと入る。
「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
 何人もの兵が一斉に銃を放つ。悉く被弾し、血飛沫を上げる。
 だが、ソレは怯みさえしない。
『麻酔銃が効かないのか!?』
『とりあえず撃ち続けろ!』
 すると、銃によって腹部に開いた幾つかの赤い穴から未発達の人の手が生えてくる。同時に、顔面の血管が更に膨張し、大樹の根のように、人の脳のように張り、目を覆うほどにまで腫れあがった。獣のように牙を剥き出し、涎を垂らす口のみが人のそれだと判断できなくなっていた。
 撃たれた背も再生すると同時に膨張し、両の肩甲骨あたりから長い触手がその身を激しく動かしながら猛スピードで生えてきた。
『はっ、最早化物同然だな!』
 監視員の大国人は汚物を見るかのような目で見下し、嗤う。
 化物はその背から生えた触手を目にも見えぬ速さで周囲を薙ぎ払い、何人もの兵の身体が切断される。
『あああああああ』
 胴体を斬られた兵は即死し、腕や脚といった体の一部を切断された兵は床で転がり、叫び声を上げる。
『くそ! 剣みたいだあの触手!』
『あれをどうにかしねぇと!』
 だが、化物の猛攻は止まらない。その隆起した腕に掴まれた兵はあっさりと投げ飛ばされ、二階のステンドガラスを打ち破る。
 だが、ひとりの兵が撃った銃弾が背中の触手に当たり、パァンと弾けた。化物は悶える。
『今の内だ!』
 隙を狙った兵は背に担いであったチェーンソーのようなものを取り出し、ヴィィィと高速で無数の刃を回転させながら化物へと駈ける。
 だが、それも呆気なく、もう片方の触手によって頭部をぶすりと刺され、貫通する。それを刺したままぶん投げ、壁に勢いよく衝突し、床に落ちる。
『接近戦はダメだ! 遠くから撃ち続けろ!』
 兵は距離を保ち、撃つ。だが、いくらその身体を銃弾で壊そうとも、すぐさま再生し、立ち上がる。
「アアアアアアアアアア」
 甲高い、しかし濁りのある獣の声。悍ましく、その場の人間は身震いをする。
『とりあえず、遠くからなら大丈夫だ。脚を撃ち続けて、触手に気を付ければ問題な―――』
 ぐじゅ、と潰れた音が鈍く周囲の兵の耳にこびりつく。
今話していた兵の顔が食い潰されていた。
 顔面を食ったその口のような筋組織の塊の根を辿ると、化物の口から出て来たものだった。
『う、うぁあああああああああ』
 ドォン! とその口から生えた触手を撃ち、ドパァンと肉塊を撒き散らす。
「ヴォァアアアアアアアアアアアア」
『口からも触手……しかも牙付き』
『……はは、ゾンビ映画のワンシーンを思い出す』
『冗談じゃねぇ、とりあえず油断はできねぇぞ』
 すると、化物は四肢の筋肉を隆起させ、地面を振動させるほど強く蹴り、遠距離にいる兵を殴り潰した。
『ぎゃあああああああ』
『くそ! なんで死なねぇんだよ!』
『う、撃て! とにかく撃べがッ!』
 神聖な教会は真っ赤な血肉で赤黒く染まる。反響する悲鳴と怒号。そこはあまりにも無残で、醜かった。
『……まったく、使えない奴等ばかりだ。狂人一人さえ捕まえられないのか』
 けがわらしいもの見せやがって、とその大国人は舌打ちし、金の装飾がなされた拳銃から銃弾を、入り口から撃ち放つ。
 それは化物の脳の頭頂部のような顔に命中し、怯む。だが、化物は呻きながら口から触手を銃弾のように高速でその大国人に向けて撃ち放つ。
『……ゾンビ野郎が』
 憎たらしげな口調で呟き、拳銃で向かってきた触手を粉砕させる。そしてもう一発、頭部を撃った。
「ア、アァア……ヴァアアア……」
 力尽きたのか、化物はふらふらと千鳥足になり、彷徨うように、しかし行き先を目指して入口へと向かう。
『しつこいなぁおい』
 ドォン! と足を撃たれる。その場に倒れ、しかし両腕で身を起こす。
 銃声が二回響く。両腕に穴が空き、再び床に口づけをする。
 それでも、その人とはかけ離れた醜い顔を日の差す入口へと向ける。
『こっち見んじゃねぇよ気色悪ぃ』
 そして顔面を撃たれる。今度こそ倒れた化物からは音ひとつしなくなった。
『……し、死んだのか?』
 ひとりの兵が呟く。それが聞こえたのか、拳銃をしまいながらその大国人はつまらなさそうに言う。
『死んでねぇよ役立たず。まぁギリギリってとこだろうが、すぐ回復する。ま、しばらくは暴れないと思うがね』
 生き残った兵は僅か5名。殆どは血肉の塊となってしまった。
 ひとりの兵が化物の身体の異変に気が付く。
『局長! 化物から何か音が……』
 すると、触手や隆起した筋肉、腫れあがった血管や皮膚はピキピキと収縮し、萎んだ人型のぶよぶよした肉塊と豹変した。
『やけにふやけているな……なんだ突然』
『まるでエイリアンだ』
『……それを背中から破ってみたまえ』『はっ』
 局長の命令に従い、ナイフを用い、慎重に背中を切開する。すると、中には綺麗な女性の体躯が胎液のようなものとともに入っていた。それを2人がかりでずるると取り出す。
『これは……化物になる前と同じ……』
『脱皮、か。生命危機を感じて、宿主だけでも完璧に再生させたのか。てことはあの醜い姿は、鎧の役割をしていたのかもな。ま、罪人が無傷である以上、どうでもいいことだが』
 局長はつまらなさそうにそれを見下し、煙草を取り出す。
『そいつを布で巻いて動けねぇように鎖とかで縛り付けろ。で、他の局に連絡し、この悲惨な地獄絵図を元通りにしておきたまえ』
 煙草の煙はただ真上へと漂う。
 
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