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翅の無い羽虫

作者:黒核誇珀
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六章 出会い

 私は自分が怖い。
 外見の美しく若々しい女性の裏側には酷く醜い化物が棲みついている。それは刻々と私の身体を貪っていく。中身が壊れ続けているのに、見た目の女性らしさは変わらぬまま。
 ただ、さっきから目がぼやけたり、耳が聞こえづらくなったりする。五感を失えばこうやって自由に逃げ回ることもできない。
「はぁっ……はぁっ……」
 そして私は殺人を犯した。自分の意志ではない。気が付いたら殺していたのだ。中身の悪魔がその人の命を奪ったのだ。その男性は隣から聞こえてくる荒々しい音と女性の甲高い悲鳴と怒号で心配になったのだろう。そしてその鉄製の玄関を開けたら……。
 だから私はこうやって逃げ回っている。捕まらないように逃げている。何故だか昨夜の服装とは異なり、外出用の姿となっていたが、そう言う理性と冷静さはあったんだなと感心する。だが、必死で逃げていることに変わりはない。
(まだバレてないと思うけど、アパート内の人があれを見て通報でもすれば、警察が捕まえに来る……っ)
 罪人は逮捕されると、強制的に選抜者として大国に連れてかれ、家畜として死ぬまで利用され続ける。
 コートの袖からぼたぼたと、ぼとぼとと粘り気のある赤い雫が垂れる。腕がむず痒い。
「どうしよう……どうしよう……っ」
 早朝の小雨の中、行き先を失った私は走り続ける。行き先も解らず、ただ、走り続ける。
 だが、それでも体は勝手に目的地へと導いてくれる。零れ零れの記憶が身体を先導させたのだろう。

「はぁ……はぁ……」
 着いた場所は教会だった。何の宗教かも知らないその建物を私はただ教会としか形容できなかった。
 私は息を切らしながら教会の中へと入る。誰もいなく、電気の無い建物内は神聖さを語っている。奥には大きな神様の像が何かの杖を片手に、天を仰いでた。
 宗教を信じない私でも、その姿は神々しく感じられた。
 私はひたりひたりと静かで涼しさがある中央の道を歩く。教壇らしい場所で私は神様の像を見つめる。まるで自分が被告人になったみたいだ。
「…………」
 私は膝をつき、祈りを捧げる。信者になったかのように、罪を懺悔するかのように。
「神様……っ、私をお助け下さい……っ」
 だが、罪を懺悔せず、あろうことか、助けを求めた。
「私は人を殺めてしまいました。私は罰されるべき罪人だと承知しています。ですが……ですが、いつこの生を絶つのかわからないこの身をお助け下さい……っ!」
 信仰などしたことがない故、私の言ったことは図々しく、傲慢で、冒涜をしていたに近い言葉だっただろう。だが、神様を祈ったことない自分がここまでして必死に祈ったことはない。それほど、この残酷な現実に耐えきれなかったのだろう。
「……はは、救われるわけないよな」
 私は自分に憐れみの笑みを向けた。最早どうでもよくなっていたのかもしれない。
立ち上がり、周りを見渡す。両サイドにあった教会の大きな窓はこの教会の庭を映していた。
(教会にも庭園みたいのあったんだな……)
 右側の窓には緑の丘に白い花の数々。そして丘の上には大きな樹が一本立ち聳えていた。
(ずいぶん立派な樹だな……)
 私は窓へ寄り、その美しく鮮やかに光を照らす樹を見つめる。
「……?」
 だが、私は樹の傍に何かいることに気が付く。
「なんだろう……?」
 ここからではわからない。私は教会を出る。

 雨が上がり、日が射してくる。朝日でもそれは温かく、眩しかった。
 教会の傍にある緑の丘陵は有名な神話の一ページを思い出させる。思ったほど広大ではなかったが、それでも十分に広い丘だった。私は丘を登る。
 丘に咲く数多の白い花が風で舞い上がる。晴れた空に照らされるそれはこの不安定な心に癒しを与えてくれた。
 丘の上に聳える緑の繁る大きな樹を見る。結構な大きさだった。巨木ではないが、何か神々しさがあった。
(……誰だ……?)
 その樹の傍にいたのは、人間だった。
 機に背もたれて寝ているその人間を私は最初、老人かと思っていたが、その人の傍に行くと、それは大きな見間違いで、老人どころか、私より若そうな可愛らしくも逞しそうな顔つきをした白髪の子供だった。肌は白く、歳は17から19ぐらいだろうと思われるが、その寝顔はとても愛らしかった。それ故なのか性別はどちらか見当がつかなかった。
 服装は立派とは言えないが、何かの団服のような、コートのような素材だとみられる。何より、その真っ白な髪の毛と裏腹に真っ黒な服を着ていたのだ。
(ここらでは見ないよね……そもそも髪が白いってのが……)
 私はしゃがみ、顔を良く窺う。すると、タイミングよく、その人間は目をゆっくりと開けた。
「うわっ」
 驚いたのはその人間でなく私だった。いきなり目を覚ましたのもそうだが、
(目がすごく……赤い)
 瞳が燃えるように、血の様に真っ赤だったのだ。
 瞳が赤い人間など見たことがない。病気でそうなると聞いたことがあるが、生まれつきともいえる程鮮やかな色をしていた。
 そういえば本で読んだことがあった。「紅い眼」は確か……
「あの」
 紅い眼の人間は立っている私をその眼で見つめながら話しかけてきた。
 それは少年とも少女とも見分けがつかない。だけどとても凛々しく、美しい声だった。
「は、はい……」
 何故か私は敬語で返事をする。緊張でもしてるのか。
「……あなたは誰ですか?」
「……」
 それはこっちの台詞です。
 だが、それを言っても何も始まらない。ここは素直に名乗るしかないか。
「私はミカドといいます。それであなたは……」
「ミカドかー、いい名前ですねー」
 その人は楽しそうに感想を述べた。何故そんな楽しそうなのか。
「おねがいがあるんですけどいいですか?」
「は、はい……?」
 私は一歩引き下がりながらも話を聞いてみる。
「おなかすいたので何か食べ物恵んでくれれば幸いですね。ありがとうございます」
 いやもう確定かよ。こっちまだ何も言ってないよ。
 コートのポケットに手を入れてみる。そこには入れっぱなしだった財布が入っていた。
(突然家を飛び出したから無いかと思ってた)
 となれば、近くの販売店にこの子を連れて食べさせるか。
 しかし、私は殺人を犯した。一応死体はベッド下に隠しておいたが、あの部屋のありさまだったら怪しまれて、やがてその死体を見つけるだろう。そうなって指名手配でもされたら、家どころか町にさえ戻れなくなる。最早店どころではない。
 だが、この子に対し財布と携帯以外何も持っていない私にできることは店に寄って何かを買うことぐらいだ。でもそれはあまりにも危険だ。どうするべきか。
 その子のおなかから腹の虫が大きく鳴る。それが私の良心に響く。
「あの、やっぱりだめですか?」
「え、いや、そういうわけでは……」
「ダメなら別に構いませんけどね」
 よかったのかよ。この無垢な笑顔で言われる辺り、なんだか嵌められた気分だ。
「だって、ミカドさんもそういう余裕はないでしょうし」
「!」
 私はその一言に怯んだ。なぜそんなことを言ったのか。
「さっき教会で必死に祈ってるのを見ました。気持ちはミカドさんほどわかりませんけど、不安定な身体と命に振り回されて弱りきっているのはわかりますよ」
 そして、この人間は言った。
「せいぜい2日ですね。ミカドさんが人間のミカドさんとして生きられるのは」
 耳を疑った。私の目は驚きで開いたままだ。
「……っ、なんで、あ、あなたにそんなことがわかる……」
 しかしその白髪の若者は変わらぬ笑顔で自信ありげに言い放った。
「わかろうとしてるからですよ」
「……っ」
 こいつは馬鹿にしてるのか。そんな理由で分かるはずがない。
「……バカにしてるのですか?」
 精神的に参っている私の沸点は達しやすくなっていたが、それでも怒鳴りたい感情は抑えて、堪えるように言った。
「あれ、やっぱり理由になってなかったですか。えーとじゃあなんて言おう」
 その場の雰囲気を変える、いや壊すようにその子は「んー」と考える。
「難しいし考えないでおきます。あ、そうだ、ミカドさんって男なんですね。しかも生まれつきじゃないってのがびっくりでした」
「なっ……!?」
 さり気なくとんでもないことをこの子は発言した。
「えっ……な、ええ!?」
「? どうしたんですか」
「な……な、なんで、わかったんだよ」
 私は戸惑う。
 今会ったばかりなのに、初対面なのに。
こうもあっさりと正体(ないめん)を突きとめられた。
何者なんだこいつは。なんでわかったんだ。
そう考えることしかできなかった。
 親しい同僚や私を手術した医者以外では女性として振る舞っていた私はつい中身の男性を出してしまう。
「えーと、なんででしょうね。正直わからないです」
 からかっているのかと思ったが、その表情には純粋さがあり、とても嘘とかついている様には見えなかった。信じられないが本当にわかってないのか。
(…………)
 それに、余命があと2日と断言したのも気になる。もって三週間と言ってくれた医者の余計な優しさが頭を掠める。
「ミカドさん」
 若者が声をかける。その声には温かみがあった。
「神様にお願いする程、涙を流す程、生きたいのですか?」
「…………」
 私は眼を逸らし、頷く。それを言われただけで、目にじわりとくる。
「わかりました」
 そして笑顔を向ける。その笑顔は輝いて見えた。
「わかったって……?」
「力になるかわかりませんが、ミカドさんが人として生きていける術を一緒に探します」
「……え」
 その言葉の優しさ以前に、助かる方法はあるのかと疑問が浮かんだ。だが、ひとりで彷徨ってもただ死を迎えるだけ。それなら、この一筋の糸を掴み取らなければならない。
「……本当に?」
「本当ですよ」
 その言葉が私の壊れかけた心を救ってくれたのかもしれない。莫大な恐怖感から微かな安堵が暗い心の底から湧いた。
「あ、ありが」「でも」
 言葉を遮られる。だが本人はわざとそうしたわけではないようだ。
「でも……?」
 私は恐らくとんでもない条件を要求されると予測していた。
「その前に、何か食べさせてくれませんか。お腹へって死にそうです」
 だがそれは、あまりにもちっぽけな条件だった。
 私は少しだけ笑う。その表情は今まで出したことがなかったかもしれないほど、その笑みは優しいものだっただろう。
 私は偽りの「女性」としてではなく、中身の「男性」として話す。
「わかった、食べきれなくなるまでたくさん食べさせてやる」
 紅い眼をした白髪の若者はお腹を鳴らしながらこれ以上ないくらい嬉しそうな顔をした。 
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