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その魂に祝福を

作者:玄月
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魔石の時代
第一章
  始まりの夜3

 
前書き
覚醒編。または苦労人(?)編。今回は少し軽め、かな? 

 


 ひょっとして、彼らは子守役が欲しかったのだろうか。
 何の因果か知らないが相棒――御神美沙斗の兄とその妻に引き取られ、彼らの家に連れて帰られてから数日が経ち……ひとまず、自分が置かれた環境を俯瞰できるようになってから、真っ先に思ったのはそんな事だった。
 彼ら夫婦の間には、三人の子どもがいた。家族関係は円満なようで、入院する父親の元に足繁く通っている。また、父親に代わり家計を支える母親もよく手伝っているようだ。誰もが理想とする家族像を体現していると言っていいだろう。だが……それでも、客観的に見れば特殊な家庭だと言わざるを得まい。
 長男――恭也という少年は、士郎の連れ子らしい。母親が誰なのかをあえて聞き出そうとは思わないが……それだけなら、そこまで珍しくはない。
 長女――美由紀という少女は、何と相棒の実の娘だという。なるほど、時折親子に羨望の眼差しを送っていたのは彼女が理由だったらしい。まったく、困ったものだ。
 この時点で、彼の妻――桃子と直接血の繋がった子どもはいない。だが、彼女は随分と献身的に二人を育てたようで、彼らも桃子を実の母親だと慕っている。美由紀に至っては、最近は俺に見せつけるように露骨に桃子を母と呼んでいた。彼女にしてみれば美沙斗の『息子』と紹介された俺には色々と思う事があるのは想像に難くない。その態度は必然だと言っていいだろう。
 もっともこの二人は、今はさほど問題ではない。父親不在という事で、それぞれが忙しそうにしているし――この世界の社会通念からすればまだ成人では無いとはいえ、それに近い年齢に達している。家業に夫の看護にと桃子は朝も夜もなく働いているが……今さら子守が必要という事もあるまい。
 母親が母親としての役目に専念できない。そのしわ寄せは末の娘……皮肉にも唯一桃子とも血の繋がりがある娘だけに押し寄せていた。
 自分にそれを知らせたのは、かみ殺された嗚咽だった。聞いている者の胸まで痛む様なそれに導かれ、慣れない家を彷徨う。そして、
 行き着いた先にいたのがなのはだった。彼女は慌てた様子で涙を拭い、なんでもないよと笑って見せた。その姿に愕然としたのを今でも覚えている。
 情けない話だが――この時になって、初めて自分はそれに思い至った。考えてみれば当然の事だった。今は彼女の両親も、他の兄妹達も、自分の事で手一杯なのだ。だから、彼女は誰にも甘えられなかった。甘えなかった。こんな幼い子が……今がちょうど甘えたい盛りだろうに。
 こっちへおいで――そう呼びかけると、なのはは酷く驚いたようだった。そして、もう一度言った。
「私は大丈夫だから」
 ここまで分かりやすい嘘も珍しい。場違いにも、少しだけ笑みが零れた。いや、少しだけ肩の力が抜けた。あまりよく覚えていないが――それでも、彼らより随分と長く生きているらしい。自分にも目的はあるが……それでも、今を生きる事に必死な彼らの代わりに、この子のために時間を費やすのは間違っていない。
 そのために少しだけ『彼女』達の事を後回しにしても――それでも、『彼女』達は笑って許してくれるだろう。そう思う。
「光お兄ちゃんも?」
 だが、独りは寂しいだろう――問いかけると、彼女は言った。
 彼女がそう言った理由は分かっていた。士郎と桃子はともかく、他の二人は、自分が御神美沙斗の『息子』だと言うのが引っかかっているらしい。露骨に避けられているのは嫌でも自覚していた。忌避されるのは今さらだという思いはあったが――それでも。
 そうだな。そうかもしれない。頷くと、なのはは少しだけ躊躇ってから、言った。
「じゃあ……一緒にいよう?」
 ああ、そうしよう。頷くと、なのはがこちらに駆け寄ってきた。そのまま抱きついてきた彼女の頭を軽く撫でる。程なくして、彼女は静かに泣き始めた。
「もう、独りは嫌だよ。寂しいよ……」
 ああ、そうだな。独りは寂しいな。彼女を抱きしめながら、呟く。自分も永い時を独りで生きてきた。いや、一人ではない。自分にはリブロムがいた。『彼女』達がいた。右腕には恩師達がいた。だから、自分は永遠の孤独に耐えられた。
 だから、せめて。この娘がひとり立ちするまで……いや、俺が何者かを知るまでは。俺を必要としなくなるその日までは、自分が彼らにしてもらったように、この少女の孤独を慰めよう。この少女と孤独を分け合おう。そう思った。そして――これが、自分達兄妹の始まりの記憶である。




「これからどうすればいいの?」
 これで私にも魔法が使えるようになったはず。そんな事を思いながら、あのフェレットへと振り返る。と、彼はそこで倒れていた。どうやら魘されているらしい。
「もう! みんな、その子をいじめちゃダメ!」
 彼を取り囲むようにしている恭也たちに向かって叫ぶ。
「いや、落ち着け、なのは。俺達は何もしてない」
『そうだぞ、チビ。オレ達はあくまで純然たる事実を告げただけだ』
「も~! 何でそう言う事ばっかり言うの!? 光お兄ちゃんはそんな事しないよ!」
『いや……。お前、オレの話をちゃんと聞いていたか? 相棒は殺すと言ったら殺すぞ』
「だから、そんな事させないって言ったでしょ!」
 ちゃんと話を聞いていないのはこの本――リブロムの方だと思う。
『……確かに相棒は、魔法使いとしちゃ二流だって散々言われてたけどよ。だからって、魔法使いの覚悟をお前が覆せるとは思えねえけどな』
 覚悟。その言葉は、妙に重く聞こえた。光は一体どれだけの覚悟を背負っているのだろう。分からない。想像もつかない。……だけど、負ける訳にはいかない。
『まぁ、いいだろ。精々頑張りな。ヒャハハハハッ!』
 他人事のように笑うリブロムに、ムッとした。何か言いかえそうと口を開く。
「そうね。なのはが決めたなら、お母さんは止めないわ。でも、くれぐれも無理はしないで。リブロム君の言う事をよく聞くのよ」
 だが、私が何か言う前に、お母さんがそんな事を言った。言って、リブロムを拾い上げ、私に手渡そうとする。途端に、リブロムが叫んだ。
『ぎゃああああああっ!? 何しやがるこのバカ野郎!』
 何で私ばっかりこんなに嫌われてるの?――いい加減、そんな疑問を無視できなくなってきた。だが、問い詰めるより先に、今度はお父さんが言った。
「そうだな。正直に言えば、引き留めたいくらいに心配だが……。だが、言い出したら聞かないのは血筋なんだろうな。なのはの事を、任せたぞ。リブロム」
『何でオレがコイツの面倒を見なけりゃならねえんだ!? つーか、まずは娘の方を止めろよ! 普通止めるところだろここは!?』
 じたばたと暴れ、お母さんの手を振り切る。……その勢いで顔――だろう、多分――から床に落ちたがそれでもめげずに起き上がってから、リブロムが叫んだ。
『相棒の時と言い、オマエらには危機感ってもんがねえのか!? 危険には近づかないって教わらなかったか!?』
「俺が言うのもなんだが……お前って、ひょっとしたら家で一番の常識人なのかもしれないな。本だけど」
 しみじみと、恭也が言った。確かにそうかも、と思わなくもない。もっとも、本当に止められたら、困ってしまうのだけれど。
『しみじみ言ってんじゃねえよ、このバカ野郎! テメエも止めろよ、妹の一大事だろうが!?』
「まぁ、確かにお前の言う事にも一理あるか」
 恭也がため息をつく。止められるのかと思って、身構えている私を見やって、もう一度ため息をついてから、恭也はこんな事を言った。
「俺も探してみる。多少は伝手もあるし、あいつからいくらか心得も教わっている。付け焼刃なのは認めるが、相当に異質な代物みたいだからな。おそらく俺にも見つけられるだろう。見つけたら連絡すればいいよな?」
「お兄ちゃんも魔法使えるの?」
 伝手と言うのも気になったが――取りあえず、心得について聞いてみる。
「いや、残念だけど俺は魔法は使えないよ。教わったのは、ちょっとした技術だけだ。魔法使いにとってはごく基本的なものらしいけどな。結構便利なんだ」
 立ち上がった恭也は、私の頭にポンと手を乗せて笑った。
「くれぐれも無理はするなよ。心配しなくても、その宝石とやらは光がどうにかするだろうし、アイツは……まぁ、俺たちが何とかして連れ戻すさ。アイツには大きな借りもあるし、まだ勝負も付けていないからな。このままいなくなられるのは癪だ」
 だから、なのはは危ないと思ったらいつでも辞めていい――そう言うと、恭也は部屋を出て行った。多分、その『伝手』に相談に行ったのだろう。
 みんなが協力してくれる。その事にホッとした。やっぱり光は私達の家族なのだ。
「何度も言うけど、無理はしないで。みんな揃って無事に帰ってきてね」
『……一応確認するが、みんなってのはどっからどこまでだ?』
 桃子の言葉に反応したのは、リブロムだった。
「それはもちろん、なのはと光とそのフェレットさん。あとはリブロム君よ」
『……つまり、オレがこのチビの面倒を見るのは確定なんだな?』
 リブロムが本当に嫌そうに呻く。今日初めて会う彼に、こんなに嫌われている理由がさっぱり分からない。本当に、一体何でなのだろう。
「いいじゃない。っていうか、ここでリブロム君が嫌がってついて行かなかったせいでなのはに何かあったら、光は何て言うかな?」
 言ったのは、美由紀だった。身支度を整えているところを見ると、恭也についていく気なのだろう。と、それはともかく。
 美由紀の言葉に、リブロムの顔が強張った。……ような気がした。本だからよく分からないけれど。
『くぅ……っ! 確かにあのシスコン野郎ならオレまで燃やしかねねえ……ッ!?』
 リブロムが慄いたように後ずさりする。それからしばらく唸り、言った。
『おい、そこのフェレット。いい加減起きろ!』
 言いながら器用に身体を回し、本の角をフェレットの頭にぶつける。途端、悲鳴が上がった。
「ひいいいいッ! 命、命だけはあぁぁああぁぁああっ!」
『やかましい! それはこれからのお前次第だ!』
 目を覚ました途端、凄い勢いでソファの下まで走って行ったフェレットに向かってリブロムが言った。
『いいか。死にたくなければ、オレをこのチビから守れ。で、死ぬ気でこのチビも守っとけ。そうすればオレが相棒に命だけは見逃すように頼んでやる』
 一も二も無く、フェレットが頷いた。一体、光はどれだけこのフェレットを脅かしたのだろう。思わず心配になってしまう。
『よし。忘れるなよ――』
 言ってから、リブロムはふと言葉を切った。
『お前、名前は?』
 そう言えば、今までちゃんと名前を聞いていなかった。
「僕はユーノ。ユーノ・スクライアと言います」
「あ、私はなのは! 高町なのは!」
 フェレット――ユーノの自己紹介に、慌てて答える。
『だあああっ! オマエの事なんて誰も聞いてねえ!』
「何でそんな意地悪ばっかり言うの!?」
 リブロムに詰め寄ると、彼は凄い勢いでユーノの背後に隠れた。本なのに。
『いいか、ユーノ。お前の命はオレが預かる。忘れるな。だから今すぐこのチビをどうにかしろ』
「もう! そんなこと言わなくても大丈夫だってば! 大丈夫だよ、ユーノ君。光お兄ちゃんは本当は優しいんだから」
『テメエはあのシスコン野郎がブチ切れたところを見た事がねえからそんなのんきな事が言えるんだよ! あれ見りゃオマエだってそんな事言えなくなるぞ!』
「そんなことないもん!」
「えっと、あの、その……」
 ユーノを挟んでリブロムと言いあう。その日の夜――私にとっての始まりの夜は、そんな風にして過ぎていった。




「やはり逃げたか……。脅しすぎたか?」
 朝日を睨み、舌打ちする。一応夜明けまで待ってみたが、結局あの魔導師――ユーノとやらは、戻ってこなかった。ウチが見つからないだけというオチもないとは言い切れないが……さすがにそこまで間抜けではないだろう。とはいえ、見つかったからどうなるというものでもあるまい。恭也や士朗、美由紀が侵入者に気付かないとは思えないし、よしんば外見に騙されたとしても、リブロムまで誤魔化される訳がない。辿り着いたとしてもなのはに接触する前に発見されて終わりだろう。もっとも、だからと言って恭也たちがアイツをどうこうした……具体的に二度と戻ってこれないような状態にしたとも思えない。となれば……。
(となると、俺を恐れて逃げたってところかな)
 それならそれで構わない。むしろ、好都合だ。俺を恐れて逃げたと言うのなら、俺の逆鱗に触れるような真似もしないだろう。例えば、なのは達を巻き込む、と言ったような。
(まぁ、恭也たちに見つかって今も追い回されてるって可能性もあるか)
 さすがに命までは取らないだろうが――まぁ、多少痛い目と怖い目には合わされているかもしれない。それに関しては自業自得だ。危険を承知で巻き込もうとする方が悪い。
「まぁ、しばらくはリブロムに任せるか」
 相棒がいれば――相棒の手助けがあれば大抵の脅威は弾き返すだろう。何せ、あの家には恭也と士郎と美由紀がいるのだから。
(しかし、どうしたものか……)
 とはいえ、いつまでも預けておく訳にもいかない。大切な相棒であり――俺の目的を達成するために必要なものは全てあの中にある。必ず取り戻す必要があった。
(だが、あの魔導師がいる限り残しておくべきか)
 取り戻すだけならすぐにできる。今慌てて回収する必要もない。どの道、あの魔導師を追い払うまではあの家に置いておく必要はあるのだから。
 それに、あるいはこの一件が終われば――…。
「未練、かな」
 異界の魔法使いに目をつけられた以上、戻る訳にはいかない。もしも戻れば、『彼女』の二の舞になりかねないのだから。それを理解した上で、呻く。
 あの場所は、居心地が良かった。それは認める。もし仮に、引き留められでもしたら振り払う事は出来ないだろう。そんな事を思う。思ってしまう程度には、自分は孤独でいたらしい。そして、それを凌ぐ術をまだ取り戻してはいなかった。
「寝坊して、遅刻しなければいいが……」
 そんな事を呟いてから、朝日に背を向けて歩き出す。例え、リブロムが手元になくとも、できる事はある。
 ……――
 世界には――少なくとも、かつて自分が生きていた世界には、異境と言うものが存在していた。立ち入るだけで、そこに存在するものを活性化させる。そんな領域の事だ。自然に存在する魔法と言っていいだろう。巧く使えば便利だが、それは精々地形を利用するのと大して変わらなかった。だが――
「よし。これでいい」
 その特殊な供物に、あの宝石……ジュエルシードとやらの魔力を記憶させる。これで、多少は捜索も楽になったはずだ。供物の調子を確認しながら呟く。かつての自分は、異境を任意に作り出し、制御する術を見出していた。それも、かなり特異とはいえ供物魔法の一種として昇華していたらしい。供物魔法である以上は、効果もある程度は制御できる。そもそも、この異境構築の技術は『奴ら』の介入をなるべく早期に察知する事を目的として研究、開発したものだ。この宝石が事実『何でも願いを叶える』代物なら、流用は簡単である。さらに、その研究過程で他にも様々な使い方を発見していた。例えば、かつての自分が拠点としていた館を取り囲んでいた異境は、敷地を外界から隔離し特定の手順を踏むか、特定の人間しか入れないといったような効果を持たせていたはずだ。
 もっとも理論の詳細に関する記憶はまだ取り戻せていない。今この世界にある異境は、全てかつての自分が作ったものの流用に過ぎない。まぁ、今の自分では予め設計されたものを図面通りに組み立てる――その際に多少の組み換える程度の事しかできない訳だ。
(それでも、ある程度の使い道はあるけどな)
 誰に対してでもなく、言い訳をする。
 例えば、家の道場。あの場所は、身体の治癒力が高まる半面、疲労が貯まりやすくなっている。どこぞのチャンバラ馬鹿が引き籠っていた頃、身体を壊さぬように施した細工であり、この世界では初めて構築した異界でもある。ちなみに、疲労しやすいという代償はさっさと出てくるようにわざと残したものだが……今となっては持久力訓練に利用されている。それに気付いた時点で解除しようと思ったが、件のチャンバラ馬鹿に止められた。自分としては、全く不本意な結果だったが。
 そして、今細工したのは、この街全体を覆う大規模な――それこそ、今の自分が管理できる最大級の異境だった。その効果は異物や外敵の発見である。より具体的に言うのであれば、心眼の強化だ。特定の地点であれば、街全体を心眼で見渡せる。いわばこの街全体が俺の領土――縄張りだと言えた。
(まぁ、本来なら魔法使いに領土もクソもないが……)
 と、思うのは俺の魔法使いとしての記憶、または意識の根幹にあるのがリブロム――つまり、旧世界の魔法使いのものだからだろう。だが、時代というのは常に移ろいゆくものだ。価値観や立ち位置とて変わりはしない。魔法使いが――古代セルト人が人殺しに貶められたのも歴史の変化によるものであるなら、その逆もまた然りである。もっとも、今となってはそれさえもどうでもいい事だが。
(まぁ、目的を達成するのに手段は選べないか)
 なのはに魔法の才能がある事はかなり前から気付いていた。だからこそ、同業者の接近には細心の注意を払っていたつもりだった。さらに、俺自身も御神美沙斗の相棒として、彼女の仇に目をつけられている。この街を包んでいる異境は二つに意味でなのは達を守るために構築したものである。そのため、魔力以外の反応――例えば、相棒や士郎、恭也や美由紀などのような強い気や生命力――も吸い上げられるようになってた。……のだが、どうやら今回はそれが仇となったらしい。
 異質な気配を満遍なく吸い上げようとすれば、微弱な気配を見落とす。微弱な気配に気づけるほど集中すれば、それ以外の索敵が疎かになる。使いこなすには力を最適な配分に調整してやる必要があった。あの魔導師とジュエルシードはその隙間をすり抜けたらしい。欲をかきすぎた……というより、単純に在りし日のようには行かないという事だが――ともあれ、こうしてむざむざと接近を許してしまった以上、異境の精度を上げる必要がある。これ以上の接近を許す訳にはいかない。
 ……あの子の傍にいられないなら、なおさらだ。
「これで発見できればいいが……」
 ジュエルシードとやらは、通常はかなり安定しているようだ。それはありがたいが、これほど安定しているとその気配を汲み取りづらい。実際、今のところ反応はなかった。
「残りは一九。それが一つも引っ掛からないとはな……」
 幸先は大いに不安だった。だが、これ以上ジュエルシードに力を集中させてしまえば、この異境本来の役目が果たせなくなる。まして、異界の魔導師に目をつけられた今となっては、これまで以上に警戒が必要だった。
「供物を強化するしかないか……」
 それも容易ではない。少なくとも、一日二日でできるような事ではなかった。強引に力を増強させる事が出来ない訳でもないが、それで供物が破損でもしたら、修復にはさらに時間がかかる。当面は、こまめに移動し複数ヵ所で心眼を使うより他にない。
「面倒な事だ……」
 この広い街の中で、ろくな手がかりも無く、小さな宝石を一九個も探し出さなければならない。陰鬱な気分になるのは否めなかった。ため息ともに改めて心眼を開く。もっとも、ものの数分で変化があるとも思えなかったが。
「これは……幸先がいいと言うべきか?」
 ものの数分で、変化は生じたようだ。最初の獲物が、索敵に引っ掛かったらしい。




 僕がご主人様と出会ったのは、冷たい雨の降る日だった。
「可哀そうに……」
 雨の中で凍え、薄れる意識の中。このまま死んでしまうのだろうか。そんな事を思いながら目を閉じる直前、その声を聞いた。抱きあげられた時の暖かさは今も覚えている。
 それから僕は、その優しいご主人様と一緒に過ごすようになった。
「あなたが来てくれて助かったわ。女の独り暮らしだしね」
 立派な番犬がいてくれて心強いわ。ご主人様は、そう言って笑う。でも、それはどうだろう。街やテレビで時々見かける大きくて立派な身体に比べて、僕の体はとても小さい。爪も牙も、全然ダメだ。
「いいのよ、あなたはそのままで」
 小さくて柔らかな貴方が好きだもの。立派な身体を持つ仲間を見つめていると、ご主人様はそう言ってくれた。それは嬉しい。でも、僕はご主人様を守れるだろうか。いつも、それだけが心配だった。
「あら? どうしたの、それ?」
 ある日、ご主人様と散歩していると、茂みの中に光る石を見つけた。とても綺麗な石だった。ご主人様にきっと似合うだろう。そう思って持って帰る事にした。
「これでよし」
 でも、ご主人様はそれを僕の首輪につけてくれた。
 ご主人様に上げようと思ったのだけど。見上げると、ご主人様は気に入らなかったかしら、と困ったように言った。そんな顔はして欲しくない。ずっと笑っていてほしい。
 そのためなら、何でもしよう。そう思った。……そう思ったのに。
「やめて! その子に乱暴しないで!」
 嫌な匂いのする男に腕を掴まれたご主人様が、泣きそうな声で言った。男はにやにやと嫌な笑みを浮かべて、ご主人様の身体に手を伸ばす。
 僕が守らなきゃいけないのに。必死に起き上がろうとするが、痛む身体は動かない。たった一度蹴られただけなのに。この小さな身体はそれだけで役に立たなくなった。確かに噛みついたはずなのに、ちっぽけな牙は何の役にも立たなかった。必死に地面をひっかき、男を睨みつける。
 もっと、もっと大きな身体があれば。もっと鋭い牙があれば。もっと、もっと!
『その願いを、叶えましょう』
 ご主人様がくれた綺麗な石が、青い光を放つ。変化が起こった。小さな身体が大きくなり、柔らかな毛皮は固くなる。ちっぽけな爪も牙も、どんどん鋭くなった。力だって、今なら誰にも負けない。
「なっ――!?」
 ご主人様から離れろ。その男を突き飛ばす。面白いくらい遠くまで、そいつは吹き飛んだ。でも、ご主人様も地面に倒れて動かない。
 こいつのせいだ。こいつがいなくなれば、きっと目を覚ます。
「何なんだよ、この化け物は!? くそ、やめろ。やめてくれ!」
 何度蹴られても痛くも無い。無理やり抑え込み、その喉に牙をつきたてる。その直前――何か鋭い物が、僕とそいつの間を貫いた。
「よせよせ。そんなの喰ったら腹を壊すぞ?」
 邪魔をするな――振り返った先にいたのは、黒いおかしな服を着た小さな男だった。だが、それはただの人間ではない。良く分からないが、危険だった。きっとこいつもご主人様に乱暴するに違いない。そんな事は絶対に許さない。
 ……――
 気配に従い行き着いたのは、街なかにある神社だった。なのはを連れて何度か来た事もあるその場所に、最初の獲物はいた。黒く巨大な、犬の化け物。いや、化け物などと言ったら失礼か。どうやら、ソイツの望みは飼い主を守る事らしい。例え、その結果化け物になり果ててたとしても。見事な忠犬だった。
(まぁ、もうしばらく見てても良かったが……)
 その忠犬に喧嘩を売り、返り討ちにあった挙句失禁して倒れているのは、街でも高名なゴロツキだった。ゆすりたかりに暴力三昧。ついには女に手を出したらしい。全くどこまでも迷惑な奴だ。……いや、お陰で探し物が見つかったのだから、たまには役に立つというべきか。
「どちらにせよ迷惑な事には変わりないか」
 気絶している女性を見やり、ため息をつく。何であれ、この忠犬に人の血の味を覚えさせるのは忍びない。
 呻いていると、それが隙となった。その一瞬で、忠犬は襲いかかってくる。危うく首がなくなるところだった。俺を危険だと判断したのだろう。なかなか鼻が利くらしい。
「ウチの妹にも見習わせたいくらいだ」
 氷塊の盾で突進を弾きながら呟く。なのはの危機感の薄さは、一体誰に似たのやら。
「……いや、あれはただ単に両親譲りか」
 さもありなん。俺のような化け物を自分の家族に迎え入れるような連中だ。特に否定できるような言葉も思いつかず、ため息をつく。と、それが聞こえたのか、忠犬は不満そうに吼えた。馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。
「確かに不義理ではあったかもしれないな」
 その忠義に報いるべく、意識を集中させる。実際、昨夜の魔物より、その忠犬は強力だった。おそらく実体、あるいは寄り代があるせいだろう。
 とはいえ、それだけだ。かつての自分が相手にしてきた化け犬どもに比べれば、大した相手ではない。冥府の氷で凍てつかせ、鉄風車を叩きこむ。
「じゃあな」
 幸い、それだけで事は足りたらしい。身を捩りながら、忠犬の身体が崩れていく。
「やはり俺が知る魔物化とは少し違うらしいな」
 その際に撒き散らされたのは、ヘドロのような黒いナニカではなかった。とはいえ、問題となるような違いでもない。必死になって牙をむく子犬と、その首元で光るジュエルシードを見やり、右腕をつきだす。
「さて、仕上げと行こう」
 この場合、どちらが対象となるのかは分からないが――どのみち生贄にする気はない。救済を済ませると、子犬の身体に残っていた傷が消えた。
「悪いが、これは貰っていくぞ」
 身体の具合を確かめるついでに、首輪からジュエルシードを回収する。子犬は抵抗しなかった。自分には過ぎたものだと理解したのかもしれない。誠実なだけでなく頭もいい。ますます立派な忠犬だ。頭を軽く撫でてやってから、飼い主に近づく。
「心配するな。お前の飼い主も無事だ」
 肉眼と心眼のどちらで見ても、生命に危険が及ぶ損傷はない。ゴロツキに抵抗した時にいくらかの擦り傷は負っているようだが、それらはすべて数日もあれば痕も残さず完治する程度のものだ。気絶した理由はやはり心理的なものだろう。……まぁ、ゴロツキに襲われた挙句、愛犬がいきなり化け物になればショックを受けて当然か。
(となると、もうひと手間いるか)
 この忠犬が捨てられるのは、あまり良い気分ではない。ため息と共に魔法を行使する。
「大丈夫ですか?」
 一応念のため傷を魔法で癒してから――ついでに法衣が普通の服に見えるように魔法で細工してから――軽く揺さぶり飼い主の女性を起こした。
「え……? あれ、私は……」
 寝ぼけたように目を瞬かせる彼女が、正気に戻る前に告げる。
「すみません。ウチの犬が驚かせたようで……」
 何もいない空間を軽く撫でながら、俺は言った。彼女にはそこに黒く凶暴な顔つきの大型犬が見えているはずだ。それは、幻惑魔法の一種だった。
「あ、いえ……」
 しばらくその空間を見つめ、彼女は納得したように笑った。
「確かに驚きましたけど……。お陰で助かりましたから」
 そこで思い出したのだろう。彼女の顔から血の気が引く。
「あの子は!? あの子は大丈夫ですか?!」
「ああ、その子なら平気ですよ。ほら」
 子犬は恐る恐る飼い主を見上げていた。彼女は、その子犬を抱き上げ、抱きしめた。
「良かった。本当に良かった……」
 心からの安堵。涙声になっている彼女を見やり、ホッと一息つく。これでいい。これであの魔物とこの子犬が彼女の中で結び付く事はないだろう。
「ありがとうございました。お陰で私もこの子も助かりました」
 あなたが気絶した原因は俺にもあります。念のため病院まで付き添いましょう。そう言った俺に首を振って見せてから、彼女は笑い、そして深々と頭を下げた。
「さてと、あとは後始末だな」
 彼女達を見送ってから、残ったもう一人……つまり、彼女に絡んでいたゴロツキに視線を動かす。こちらも、重篤な傷はない。そろそろ目を覚ますだろう。妙な事を言いふらされたら面倒だ。それに、少しばかり反省してもらう必要もあるだろう。
 治安を守るのも、魔法使いの仕事だった。
 ……――
「くそ、くそ、何だってんだよ! あの女、妙な化け物使いやがって!」
 語気も荒く吐き捨てる。全く腹立たしい。女のくせに自分に逆らうなどと。しかも、あんな化け物を連れているなんて。
「警察は何やってんだ! あんな化け物を野放しにしとくなんて職務怠慢だろ!」
 口汚く罵りながらも、胸中では別の事を延々と繰り返していた。
 一体、この屈辱をどう晴らせばいいのか。簡単だ。あの女を徹底的に痛めつけてやればいい。二度と自分に逆らえないように。欲望に火がついた。
 甘い香りを――女の匂いを感じる。視線の先には、あの女がいた。まるで誘うかのように、『裸のまま』街中を歩いている。ちょうどいい。手間が省けた。笑みを浮かべ、羽交締めにする。
「やめろ!」
 あの女の裸体に手を這わせる。あの化け物はいない。それなら問題ない。このまま、二度と逆らえないようにしてやる。力づくで『ベッド』に押し倒そうとして――
「いい加減にせんかああああっ!」
 妙に野太い声と共に、身体が浮く。気付けば地面に叩きつけられていた。
 ……――
「まぁ、こんなものか」
 近くのビルの屋上から、街一番のいかつい警官に抱きつき、押し倒そうとしたゴロツキに華麗な一本背負いが決まるのを見届けてから俺は肩をすくめた。これで少しは大人しくなってくれればいいのだが。しかし、それにしても……。
「いつ見ても見事な効果だな。やっぱり女は魔物ってことか」
 訳が分からない。そんな顔で、勝ち目のない乱闘を開始したゴロツキを見やり、呻く。
 行使したのは、誘惑魔法。その中でも、いわゆる性欲に作用する魔法だ。元々は魔物……元人間の魔物に対して用いる魔法である。いや、確かにそのはずなのだが……。
(むしろ、魔物の方が利きが悪いような……)
 というか、味方が魅了され、酷い目にあった事が何度かある。今となってはその印象の方が圧倒的に強かった。
「まぁ、いいか。これでこの街も少しは平和になるだろう」
 誰かが通報したのか、応援まで駆けつけてくる。複数人の警官に担ぎあげられ連行されていくゴロツキを見届けてから、俺はその場所を後にした。




 どうやら、出遅れてしまったらしい。
 何度か光と来た事のある神社の境内で、私はがっくりと肩を落とした。ジュエルシードの反応があったはずの場所は、前に来た時と同じように静寂に包まれていた。もちろん、昨夜のような怪物も、ジュエルシードも、光の姿も無い。
「せっかくここまで走ってきたのに……」
 石段まで走って上がったせいか、足にうまく力が入らない。そのうえ空振りとなれば、なおさらだった。このまま座り込んでしまおうか。そんな誘惑を覚えた。
『まぁ、想像通りのオチだな。そもそもお前の足で間に合う訳ねえよな。ヒャハハハハ!』
 鞄の中からげらげらと笑う声がする。リブロムだった。光の『相棒』だというこの本は、何故か私にはとても意地悪だった。中身も読ませてくれない。
「ま、まぁまぁ。あの人……光さんがここに来たのは間違いないんだから、ひょっとしたらまだ近くにいるかも」
 励ますように言って――途端、自分の言葉にゾッとした様子で周囲を見回すのは、一匹のフェレット……ユーノだった。色々とあって、彼は光を怖がっているのだ。
「そうかな?」
 息を整えてから、身体を起こす。
「それなら、もう少し探してみるの」
『お前に相棒が見つけられるかな?』
 途端に、リブロムがまた意地悪を言う。けれど、それは間違っている。
「見つけられるよ! だって、私かくれんぼ得意なんだから!」
 光が私を見つけられなかった事はあっても、私が光を見つけられなかった事はない。
『……それ、ただ単に相棒に忘れられてただけだろ?』
「そんなことないもん!」
 そんなやり取りをしながら、神社を後にする。
「何かあったのかな?」
 そのまま街に戻ると、ちょっとした騒ぎが起こっていた。人々の話に耳を傾けると、どうやら男の人が警察官に襲いかかったらしい。 
「関係あるのかな?」
 その男の人は、連れて行かれる時に妙な事を口走っていたらしい。怪物に襲われた。裸の女に誘われた。と、言ったような。
≪どうかな。ジュエルシードの反応はないみたいだけど……≫
 辺りを見回しながら、ユーノが首を傾げる。確かに、それらしい気配……昨日の夜に感じた妙な感じはしない。
「リブロム君はどう思う?」
 物陰に移動して、鞄の中に問いかける。
『変態が警官にしょっ引かれただけだろ。騒ぐような事じゃねえ。何せ、春だしな』
「私は真面目に聞いてるの!」
 どうにもリブロムはいい加減だ。光の相棒だと言うのに、探す気はないのだろうか。
『相棒が近くにいるなら、今頃ユーノの首が飛んでるんじゃねえか? お前を巻き込んだのは明らかだしよ』
 その言葉に、ユーノが身体を強張らせ、凄い勢いで周りを見回す。
「だからどうしてそんなことばっかり言うの!?」
 ユーノを慰めながら叫ぶ。何か最近叫んでばっかりだ。本当にこの本は……まぁ、意地悪なところは光に似ているかもしれないけれど。ともかく、鞄の隙間からぎょろぎょろと目を動かし、リブロムはこんな事を言った。
『まぁ、真面目な話……。世界の維持――いや、今はそんな大袈裟じゃねえか。まぁ、治安の維持も魔法使いの仕事だってことだな』
 それが、どういう意味なのかこの時は良く分からなかったけれど。


 
 

 
後書き
今週の更新はちょっと早めですが……

2015年10月17日:脱字修正 
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