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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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P.T.M


―――その刹那は、彼女の精神力と常人離れした集中力によって精神だけが加速し、引き伸ばされる。実際には0,1秒にも満たないその時間に、彼女は思考までもを加速させ、事態を把握すると同時に顔を顰める。それは、あってはならない事態に至った己の未熟さと迂闊さを呪う顔だった。

(ぬかったわね・・・私としたことが、ひどい失態・・・!)

死角となっているにも拘らず油断した。
今日の朝に少し寝坊をしたせいで、朝食をゆっくりとる時間もない状況まで追い込まれてしまった焦りがあったのだろう。今日初めて行く学校というシチュエーションに対する潜在的な緊張もあった。トーストを食べながらの登校というはしたない真似も、それを咀嚼するのも恐らく自身の集中力を乱す要因になった。それが故に、曲がり角で人にぶつかるかもしれないという至極単純な危機回避思考を怠ったまま加速してしまった。

分かるのだ。まだ視界に映ってはいないが、その気配を感じる。向こうもまた危機回避を怠り油断している。このまま進めば両者が激突するのは自明の理だった。まるで運命の女神に弄ばれるかのごとく重なってしまった偶発と過失のからくり装置が導き出す結果へと、彼女は加速する。

 ≪0,01秒経過≫

だがしかし、女神の定めたこの結果を受け入れるほどに彼女は御人好しではなく、そしてからくりの歯車に干渉するための力と意志を併せ持っている。されば行動しよう。女神の定めに反旗を翻し、この世界でおのれだけの望む現実という名の結果を勝ち取ろう。この星に生きとし生けるものの中で人間だけが神を信じる。ならばその神に反逆できるのもまた、人間だけだ。

ふっ、と浅く息を吐き、姿勢を落とす。コンディション、問題なし。睡眠時間、眠気、先日の食事から導き出される体の異常、体温、疲労の蓄積情報を自己分析した結果、これから行うアクションの妨げになるバッドステータスが存在しないことを確認した彼女は正面を睨みつけた。
向かい曲がり角は左曲がり。道路側には排気ガスや塵で少し汚れたガードレール。道幅は目測2メートルと言った所で、決して向こうから来る人間と衝突が不可避な狭さではない。障害物は小石やごみを含めて行動を阻害される要素無し。唯一邪魔になるのは、これから曲がり角に出現する不幸な人物のみ。

停止か―――否。この加速では慣性を殺しきれない。
内角か―――否。向こうも内角の可能性が高く、なにより恐らく曲がりきれない。

ならば必然、導き出される答えは―――外角を大回りに相手を躱す!

決まったのならば行動は迅速に、だ。走っていた左足を角度にして15度ほど道路寄りに、それによって重心が僅かに外の方向へ逸れるのを、右足の踏込で更に加速。これによって外角ギリギリの進行ルートに変更された。

この速度と歩調ならば通常のルートへ容易に復帰することが出来る―――そう内心でほくそ笑んだ彼女のしたり顔がすぐさま凍りつく。

(なっ・・・)
(何っ!?)
((同じコース・・・ッ!?))

 ≪0,04秒経過≫

寸分狂わずに同じルート―――つまり外角に踏み出したその方向には、今まさに曲がり角を彼女と同じ方法で曲がろうとした少年の姿があったのだ。一瞬目が合うが、その双眸は驚愕に見開かれている。推測だが、恐らく向こうから見たこちらもそれと同じ顔をしているだろう。

これは不味い事になった。判断ミスだ。それは人間同士が咄嗟に起こすシンクロニズムであり、今という環境下でなければカバーすることも可能な現象だった。しかし、今この状況下においてこれは非常に危険な状況と言える。もしもこれが通常歩行時に起きた現象ならば、こちらが止まるか向こうが止まるのを待つことが当然として可能だ。だが既に避けるための方向転換まで行った彼女たちはかなり姿勢的、慣性的な余裕が殆ど存在しない。恐らく接触を避けるために行なえるアクションはあと―――たった一度しか行えないだろう。

その事実は、彼女の予想通り相手方、つまり彼も察していた。

だがここで大きな問題が生じる。もう一刻の猶予もないこの状況下で咄嗟に行なえるアクションは、ごく限られている。つまり両者の次に行うアクションの選択の幅は非常に狭い。これが何を意味するか、察しの良い彼は既に気付いていた。
すなわち、彼の彼女が次に行う行動がブッキングし、再度衝突の道筋に互いが飛び込んでしまう可能性が非常に高くなっている。もしもそうなれば、正面衝突は必至。彼も彼女も加速そのまま互いに互いの運動エネルギーをぶつけあい、無様にもコンクリートで舗装された道端に這いつくばることになるだろう。

そのような醜態を彼は晒したくないし、衝突によって相手方と口喧嘩になる可能性とてある。何より転んでズボンに穴でも空いたらクラスの笑いものだ。だが、もう既に考えなしの咄嗟の行動で失敗の許される選択肢を棒に振った。次にして最後の選択を誤れば、それが彼の敗北だ。運命の女神へ(こうべ)を垂れる行為だ。

だから次に取る行動を、絶対に彼女と同じものにしてはならない。可能性の分岐、未知なる選択肢の開拓、広漠たる大地に落とす一つの種子。今、それを生み出すのだ。

(どうする?向こうは何をする?)
(これ以上左には曲がるスペースがない)
(かといって右も既に曲がれる角度ではない)
(ガードレールを蹴って方向転換を・・・だめだ、角度が足りない)
(ステップで強引に方向転換を・・・無理だな、転換ロスの間に衝突する)
(すれ違いざまに相手を掴んでいなせば・・・いや、駄目だ)
(遠心力でどちらかがレールにぶつかる。最悪、バランスを崩して両方・・・)
(更に姿勢を落として躱せないか?)
(駄目だな。それではやはり相手にぶつかるリスクを拭えない)
(右、左、下も駄目で後ろへは戻れず、更に止まることも出来ない。ならば・・・)
(残された選択肢は・・・)

奇しくも、女神は2人の若者に同じ選択肢しか用意して居なかった。正にそれは運命のいたずらとも言える悲劇か、若しくは喜劇。

((上しかない!!))

≪0,1秒経過≫

導き出した選択肢は全く同一にしてこの場を切り抜ける唯一の決定に相違なかった。ただし―――彼等の思考はなお加速する。

(上にどうする?相手の上を越えるか?)
(飛び越える・・・?いや、待てよ)
(向こうも同じ結論に達しているなら、「飛ぶ」か「飛ばせる」か・・・)
(そのどちらかを選択しなければいけない)

どちらかが飛べば片方が下を潜ることが出来る。だが両方が飛べば、当然ながら空中で衝突する羽目になる。それでは余りにも間抜けだ。イカロスの羽は太陽に近づきすぎて溶けたと言うが、これではそれ以前の問題だろう。どちらもが飛んでも、どちらもが飛ばなくとも待つのは敗北。ならば―――

(あの女は)
(あの男は)
((どっちを選ぶか、考えろ!))

≪0,17秒経過≫

顔を見る。ほんの一瞬の時間をハイスピードカメラのようなスローモーションで観測している彼は彼女を見る。彼女もまた蠅の羽ばたきすら数えられるほどの集中力で彼の瞳を見つめた。互いに互いの顔を見て、両者はほぼ同時にある推論を立てた。

思えば、方向転換の方法から今こうして視覚情報を得ようと必死になっている所まで、両者の行動は似通っている。ほぼ同一と言ってもいいほどにだ。つまり、彼/彼女もまた運命に逆らう一筋の矢である、可能性を芽吹かせようとする存在である可能性が高い。

―――すなわち、「私達」はその思考回路や行動に於いて似通っているという推論が立つ。
だが、それでは意味が無い。自分が悩んでいる間、相手も悩んでいるということ。ならば行動も同時に起こす可能性が高い。そうなれば矢張り、正面衝突は必至―――いや、待て。

(跳躍するのと姿勢を落として下を潜るのでは予備動作が変わってくる)
(姿勢を落とすのは体をさらに沈め、後は少し歩幅を調整すればいい)
(だが跳躍するのならばある程度脚に踏ん張りを利かせ・・・)
(尚且つガードレールの外に飛び出さない勢いである必要がある)
(ならば)
(恐らく)
((予備動作を先に起こさなければならないのは、跳躍する側!!))

≪0,2秒経過≫

ならばそこから逆算すれば、一定の距離を越えて尚互いが跳躍しなかった場合、その時点で両者の思惑は決壊する事が導き出される。ともすればどちらかが飛ばなければいけない計算になる。この計算に男は戦慄した。互いに思考回路が似通っているのなら、既にこの時点で彼女の方も事態に気付いているという事だ。つまり彼女もまた跳躍が先に来ることに気付いた。気付いたうえで、時間制約内に万が一両方が焦って飛んだ場合は共倒れ似るという事実に気付いたのだ。

(フェイントをかけ、相手を飛ばせるか?いや・・・)
(もしも、もしも向こうもまた同じことを考えていたとしたら?)
(いや、考えているな、あの焦り方は。私も、困っている)
(駄目だ、何か・・・何か私と相手との間に―――)
(何かこのシチュエーションに於いて決定的に行動を別つような―――)
((決定的な思考の違いはないのか!?))

何か別つものは。
誕生と死のように。
太陽と月のように。
陰と陽のように。
右と左のように。
男と女のように―――男と、女?

≪0,3秒経過≫

両者ははっと息を呑んで互いの顔を見た。―――あった。たった一つの光明。

(彼女にそういう意識があるのなら・・・)
(彼がそれに気付いたのなら・・・)

瞬間、運命が変動した。

彼は踏み出した脚の膝を曲げて体を縦に沈ませ、曲げた足のばねを解き放った。身体が宙を浮き、美しい曲線を描く前転で跳ね、ガードレールのポールに着地した。彼はそのままポールを飛び降りて自らの目指す道へと戻る。

僅かに遅れ、彼女は踏み出した脚を沈め、地を這うような低さでつま先の地面を蹴り飛ばした。彼女の上を彼の影が通り過ぎたことを確認し、一口トーストを齧りながら体勢を立て直し、元の進行ルートに復帰する。


((これが・・・正解・・・ッ!))


跳躍して空を選んだ彼と、疾走絵を続け大地を駆けることを選んだ彼女はすれ違い―――その先の道へと、運命を乗り越えた先へと降り立った。

考えてみればどちらが下でどちらが上を選ぶかなど簡単な事で、単純に「スカートがめくれ、中身を見られるリスクを冒してまで彼女が飛ぼうとするだろうか」という考えの元、彼は跳躍した。そして彼女は、そんな彼がその事実に気付いてくれると信じて下を行った。

―――この間、1秒の出来事である。

僅か1秒の間に・・・両者の間に信頼関係と呼べるだけの関係が形成されたのはもっと短い時間でしかない。果たしてそのような刹那の間に行なわれた寸毫のやり取りで、人は分かり合えるものなのだろうか。未だかつて、これほど短い邂逅で相手を信頼できる人間がいるだろうか。それは運命といった生易しいものではない、奇跡。

両者は振り向かなかった。互いの姿を確認することも、名前を確認することも無かった。彼は家に忘れ物を取りに行くのに忙しく、彼女は学校へ向かうのに忙しかったからだ。わずか一秒の意思疎通はその瞬間に終了し、彼らは自分の時間へと戻っていった。

彼らの時間間隔はきっと、人間の域を超えた世界にいるのだろう。
さらば、新人類たちよ。例え一瞬の出会いは君たちの心の中で永遠になるだろう。
一期一会の合間に築いたその信頼関係は、人類の新たな希望となるだろう。
人と人が分かり合える、争いの無い未来へと・・・・・・




「―――という事があったんだ。結構可愛い女の子だったと思う。きっと赤い糸で繋がったパートナーだと思ってるんだが・・・どう思う、冴鮫?」
「抱いた感想は三つある。一つ、お前は馬鹿だ。二つ、内容が馬鹿馬鹿しい。そして三つ・・・馬鹿の話には興味が湧かない」
「相も変わらず見事なまでに連れないお返事アザーッス!」

教室に向かう途中に出くわした、我が盟友である(と勝手に思っている)冴鮫の冷淡かつ容赦のない返答に思わず感謝の言葉が出てきてしまった。この罵倒されているのにいっそ清々しくて嫌にならない気分は何なのだろう。言葉責め大好きなドМの皆さんには堪らないだろう。幼馴染と上手く言っているのもこの絶妙な罵倒の賜物なのではないだろうか。

「ったく、何でお前は馬鹿と言われて悦ぶかねぇ?そういう特殊な性癖なら余所を当たってくれないか?俺は特殊異常性癖なんか持ってないし、うっかりお前のマゾヒズムがいりこにでも伝染ったら困る」
「またノロケが出たよ・・・これだからリア充は!」
「喧しいわ!変態が増えたら困るからそう言ったまでだ!!」
「彼女に対する独占欲ですねわかります!」
「違うっつーの!あいつにそんな青春宜しく甘酸っぱい意識は抱いとらん!!」

冴鮫的には幼馴染のいりこが本気でマゾではないかと疑っての言葉なのだが、他人から訊けば大切な彼女にに変な事を教えるなと釘を刺しているようにしか聞こえないのだから不思議だ。世界は不思議に満ちている。きっと彼と彼女の出会いも、そんな不思議の一つなのだろう。

なお、件のいりこちゃんはお花摘みに行っているらしい。花壇のフラワーを引っこ抜きに行ったのかと聞くと、面倒だからそれでいいと言われた。何か間違っただろうか?

と―――前方の注意を怠ったその瞬間、通りかかった教室のドアが突如開く。その目線の先にいた彼女の姿を確かめた瞬間、彼と彼女は再び出会い、そして2人の精神は加速した。

(この短期間でまた出会うのか・・・)
(案外、本当に何かしら縁があるのかもね。でも・・・)
(この速度、距離・・・これはまずいな)
(既に確実に避けられるタイミングを逸してしまっている!)
(しかも、咄嗟に体を止めようとしたことで体のバランスが・・・!?)
(そしてまたもや、そして奇しくも条件は向こうと同じ・・・)
(つまり)
(これは)
((第2ラウンド・・・ッ!!))

おお、運命の女神よ。汝は何故我々に試練を与えたまうか。

運命を変えるため彼と彼女は再び刹那の読み合いにその身を投じた。
 
それは永劫に続く、幾重にもわたる分岐の選択―――彼と彼女だけの聖戦。



「アホらし・・・」

そしてそんな2名の聖戦に、冴鮫は非常に素直な感想を漏らすのであった。
  
 

 
後書き
P(パン咥え)
T(遅刻の)
M(曲がり角)

彼・・・名前は東雲晴(しののめはる)。ちょっとバカ。
彼女・・・名前は倉知マイリ。やっぱりちょっとバカ。 
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