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シルエットライフ

作者:赤人
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いたたまれない高校生の話

 
前書き
どうも、赤人です。
今回からは、とある男子生徒達が登場します。 

 
世界に白い布が被せられた。そう錯覚した。
何も見えなくなり、顎の辺りに熱を感じる。

数秒もせずに、トイレの床へと倒れ込んだ。

「ああ、きたねえな」

透き通るような声が響く。ドラム缶の中に入れられて、外から滅茶苦茶に殴りつけられているかのようだ。
頭が痛い。顎にも鈍い痛みが襲ってくる。熱が痛みに変換された。

僕は今、学校の男子トイレの中に居た。
昼食を終えた後の、昼休みの時間だ。
昼休みの時間に、どうしてトイレの冷たい床に倒れ伏していなければならないのか、自分でも理解に苦しむ。
いや、本当は、理解している。この男のせいだ。
残されたちっぽけなプライドが、事実を頭の中で形にすることを拒んでいる。
言ってしまえば、これは奴隷のプライドだ。
自分が無様に、人に踏みつけられながら生きていると、思いたくないのだ。

男子生徒は顔の骨格は小さく、日本人離れしていた。どちらかというと、西洋人に近いだろう。
二重瞼の目は大きめで、思慮深さと透明感のある色気を感じさせる。
身長は僕よりも頭一個高かった。細いながらもしなやかな筋肉を纏っているのが、制服の上からも見て取れる。

僕のクラスのヒーローだ。
好きだった深夜アニメをきっかけに、課題よりも熱心にギリシャ神話について調べていたことを思い出す。
暗い室内で、父に「いいかげんに寝ろ」と怒鳴られないように祈りながら、パソコンに向かい合いキーボードを叩いていた。

そのギリシャ神話に出てくる英雄たちに、不細工だった、という記述は一つもなかった。
そしてその英雄たちは、常に物語の主役だった。輝く才能を持ち、眩しい容姿を持ち、選ばれた血筋の持ち主だった。
この男も、そうだ。
文武両道、容姿端麗、心地光明と三拍子揃っている。
そこに羊頭狗肉も足せば、四拍子だ。

「なにか用?」顎を擦り、床に手をつきながら、上体を起こした。
口許を歪ませ、笑みを顔に張りつける。

「涎、ついたじゃねえか。うわあ、きたねえ」

そう言って、榊原は入口の近くにある洗面台へと向かった。
後ろに控えていた、ボディーガードとも、同類ともつかない二人の男子生徒が、にやにやと粘質な笑顔を顔いっぱいに広げていた

僕は休み時間にトイレに用を足して、教室に戻るのもなんだから、B棟の屋上前の踊り場で時間を潰そうと考えながら出口へと向かった。
その時に、榊原がお供を二人連れて現れた。男性用の香水と思しき、人工的な匂いに思わず鼻を摘まみそうになった。
そして、榊原の拳が、飛び跳ねる魚のように、力強いエネルギーを伴って僕の顎へと叩きつけられた。

「大丈夫かよ、後藤」

「そうだよ後藤、ああ、泣くなって」

二人の男子生徒が茶化してくる。実際に、目の端に涙が浮かんでいたのが、悔しかった。
悔しさを源泉として、更に涙が出てきそうになるのを、必死にこらえる。

榊原も、この二人も、僕のクラスメイトだ。
名前は、幼い少年の面影を残した顔で、男にしては長い髪を揺らしている方が井岡彰俊(いおかあきとし)
短髪でスポーツマンのような体系をしている方が島津祥吾(しまづしょうご)だ。
井岡は美少年というわけではなく、どちらかというと島津の方が顔が全体的に引き締まっており、目鼻立ちなどは整っているのだが、何故か井岡の方が女子に人気がある。
島津はまるで狼や豹といった肉食獣のような、暴力的な雰囲気を発散させていた。
どちらも頭部の骨格は小さく、髪は整髪料でも使っているのか、トイレの照明の光を白く反射している。

そして、二人とも、笑っていた。
きっと楽しいのだろう。

「よお、後藤、こんなところで何してるんだよ」

「小便に決まってるじゃんか」

「小便以外にも、色々とすることあるだろ」

「そうだよ、俺達がやったあれ、どうしたんだよ」

「吸わなきゃだめだって言っただろ」榊原が首を回す。ごきごきと骨が鳴る音が聞こえる。

榊原の横で腕を組んでいた島津が、近づいてきた。つられて、井岡も足を踏み出す。
島津が倒れたままの僕の横に座り込んで、制服のズボンのポケットを漁り始めた。
井岡は汚い物にでも触るかのように、脚で僕の服を突っついて、何かを探している。

「お、あった」

島津が、僕のズボンのポケットから、長方形の箱と、真鍮色のライターを取りだした。
煙草の箱だ。無機質なデザインで、赤い色をしている。

「なあ、なんで吸ってないんだよ」

「す、吸ったよ、見てみろよ、一本減ってるだろ」

「島津、そのライター、開けてみ」

言われた通りに、島津がライターの蓋を開ける。
首を回し、島津の方を見る。ライターから、何かを剥がしている。

「俺がそのライターを貸した時、使ったら分かるように、セロハンテープを貼って置いたんだよ。
吸ったなら、剥がしてあるだろ? それがどうして剥がれてないんだよ」

「何か意味があるんだろうと思って、張り直したんだ」

「嘘つくなよ、一回も剥がした形跡がないじゃねえか」

そっちこそ、嘘をつくな。
剥がした剥がしてないなんて、どうせ見分けもつかないくせに。

起き上がろうとすると、榊原が歩み寄ってきて、背中を思い切り踏みつけられた。
トイレの床と自分の身体がぴったりと密着する。圧迫されて、息ができない。

「それじゃ、約束は約束だ。時間は休み時間が終わるまで。はい、始め」

榊原が号令を下す。
ああ、いやだ。僕はこの後、こいつらにされる仕打ちを知っている。

体が、服が、物が、魂が、尊厳が、破壊されていく。

きゃっきゃっとはしゃぎながら、島津と井岡が、足を振り上げた。













放課後のチャイムは、まるで地中に生き埋めにされた人間を救助する消防士の叫び声のように感じられた。
もういいぞ、帰っていいんだぞ。逃げていいんだぞ。
学級委員の号令に従って、教師に向かって、正確にはただ前に向かって軽く頭を下げる。
その動作だけでも、体中が痛んだ。中学の頃にやっていた、サッカー部を思い出す。
初日、僕は体がほとんど動かなかった。足は石のように重くなり、胃は空っぽで、家に帰ることすら必死だった。
今も、そうだ。腹を抑え、足を引きずり、廊下の壁に手をつきながら、歩いていた。

廊下は笑顔でしゃべりながら歩く生徒達と、部活動のために校内に残る生徒達で賑わっていた。

周りは楽しそうに、放課後の予定を話し合い、どこそこに遊びに行こう、などと暢気に言っている。
三人組の女子生徒の視線が、こちらに向いているのに気づいた。
冷たい、侮蔑と好奇の目だ。会話が聞こえてくる。

「なにあれ、気持ち悪い」

「ねえ、ほっとこうよ」

「そうそう、あんなブス、関わるだけ無駄だって。ほら、こっち見てるよ」

ブスとはなんだ、ブスとは。男に言うなら不細工だ。というより、お前らだってゲームに出てくるモンスターのような顔をしてるじゃないか。
それになんだ、お前ら、そんなにお前らは偉いのか。
僕はお前らに対して、何かしたというのか。何もしていない相手を見下して、指を差す権利がお前らのどこにある。

精神の弦が激しく揺れる。
胸の内から、どろどろとした、熱い何かが沸き立つのを感じた。
その熱が足へ、手へと伝わる。握り拳を作り、歯を噛み締め、足に力を入れる。
怒りのエンジンが震えだす。

今にも走り出し、あの女子生徒達に殴りかかりたいという衝動に駆られる。
しかし、女子生徒達を睨んだ直後、全身を激痛が走った。身を捩る。

女子生徒達が猿のような甲高い悲鳴を上げる。
ちくしょう、これでまた、変な噂が流れる。悔し涙が出そうになった。
もうやめろ。やめてくれ。僕をこれ以上見下さないでくれ。

気付くと、頬が濡れていた。涙が流れていた。
慌てて俯き、そして急ぎ足で、女子生徒達の横を通り過ぎる。
こんなことを、あと一年近く繰り返さないといけないのか。

心の中で、悲嘆の叫びを上げる僕がいた。
のたうち回り、無様に許しを請う僕の声が聞こえてくる。
何かを振り切ろうとするかのように、痛みを堪えて走り出した。












不幸中の幸いとでも言うべきか、教室から出てから一度も、榊原達には出くわさずに済んだ。
階段に近づくと、不思議と痛みも和らいだ。なんだろう、帰れるという開放感のせいだろうか。

普段なら、そのまま階段を下りて、走って家へと帰るだろう。
だがその時は、僕自身でも分からないが、B棟へと向かっていった。
引き寄せられるようにして足が動くもので、僕は自分に対して言い訳をした。
安全を確認しよう。

B棟の屋上前の踊り場は、普段は絶好の隠れ場として機能してくれるが、放課後は榊原達の溜まり場となる。
だから、そこに榊原達がいれば、そこ以外の場所は安全という訳だ。
流石に榊原達が何人もいたら、僕は死んでしまうだろう。精神的に。

それに、榊原達はいつも三人組でいる。
彼らの内の一人しかいない、という状況はまずないだろう。

彼らの中心は榊原だから、榊原がいないと、島津も井岡も激しい暴力や嫌がらせはしてこない。
榊原も、何故か単独だと、僕に危害を加える様子はない。
それどころか、たまに気持ち悪いくらいに親切な一面を見せる。
この前は、島津達に無理やり奪われた財布を返してもらった。中身を確認したものの、一円も減っておらず、嬉しさよりも不気味さを覚えた。

しかし、不思議な奴らだ。何故力を持っているのに、他の男子生徒からも慕われているのに、魅力があって女子から好意を持たれていたりもするのに、
身を寄せ合って何かから身を護るように動くのだろうか。

B棟に辿り着いたが、まだ榊原達は見かけていない。
奥の階段へと向かう。あの階段を上っていけば、屋上前の踊り場だ。

無人の廊下は静かで、心地良い。
そこには善意も悪意もなく、清らかな雰囲気すらある。
無、と言えばいいのだろうか。

廊下の中間あたりまで歩いたところで、立ち止まった。
どこかから、人の声が聞こえるのだ。
男性の声だ。何かに悶えるような、呻き声が聞こえる。
誰かが怪我をしているのかもしれない。
階段から落ちたりでもしたのだろうか?

慌てて走り出した。体の痛みは、嘘のように綺麗さっぱりなくなっていた。
階段に足をかけ、そのまま力を入れ、跳ねる。
二段飛ばして、階段を駆け上がる。息切れも感じない。数時間前にあんなに酷い目に遭った筈なのに、体調は絶好調だ。

階段の踊り場に出ると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
男子生徒が、隅で蹲っている。暗い空間の中で、目を白黒させていた。

声をかけようとして、はっとした。
男子生徒の足元を見る。

長い、小指が転がっていた。












 
 

 
後書き
以上です。ここまで読んでいただきありがとうございます。とても嬉しく思います。
感想を書いてくださると、参考にできる他、誤字脱字にも気付けるため、助かります。
それでは、今後とも赤人の小説をよろしくお願いします。 
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