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盆の海

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第一章


第一章

                          盆の海
 その日海は荒れていた。この季節になるといつも荒れるのであった。
 夏が深くなり盆の頃になる。すると海は荒れ、また汚れも目立つようになる。
 観光客も減っていく。もう海には殆ど人がいないようになっていた。
「この季節はいつもこうだよな」
「ああ」
 二人の少年がそんな海を見て話をしていた。
 一人は髪を短く切った元気そうな少年で名前を田中義彦といった。
 もう一人は髪を伸ばしてうっすらと茶色に染めている。彼は宮下明憲といった。
「そっちどうだよ」
 義彦は明憲に尋ねてきた。
「そっちって?」
「東京の方だよ。何かそっちは髪の毛染めてもいいみたいだな」
「ああ、まあな」
 明憲はそれを受けて義彦に話をした。
「こっちの中学校は校則とかは自由なんだ」
「いいな、それ」
「けどな、結構それはそれで辛いぜ」
「何でだよ」
 義彦はそれを聞いて明憲の顔を不思議そうに見た。実は明憲は元々はこの海辺の町にいたのである。だが親の仕事の関係で東京に引っ越したのだ。盆は実家がここにあるので戻って来る。それで昔から付き合いのある義彦と今一緒にいるのである。
「校則が緩いだろ」
「ああ」
「その分さ、自分で何でもしなくちゃいけないから」
「いいことじゃねえか、それって」
 義彦はそれを聞いてこう返した。彼にとっては羨ましい話である。校則の厳しい今の学校に辟易していたのだ。
「自分で何でもできるんならよ」
「けどそれがかえって辛いんだよ」
 それでも明憲はこう言い返した。
「何でも自分で決めて自分でしないといけないから。あれこれ考えなくちゃいけないんだぞ」
「そうなのか」
「そうだよ。だから辛いんだ」
「俺はやっぱりそっちの方がいいけどな」
「御前はそうかもな」
 明憲は義彦がそう答えるのはある程度わかっていた。だから結局は頷いた。
「けれどな」
「ああ」
「ここの学校、そんなに校則きついか?」
「俺にとっちゃきついぜ」
「そうか」
「髪形だって今でもスポーツ刈りとかだしな」
 今頃流石に坊主はなかった。今では自衛隊でも殆ど見ない髪形だ。実はこれには事情があってあまりそうした髪形は好ましくないのでは、という意見があるからだ。自衛隊はそうした意見、とりわけ外からの意見であった場合非常に敏感に反応する。そうした組織なのだ。
「そういえばそうだったな」
 明憲もそこにいたからわかった。
「俺もスポーツ刈りだったよな」
「ああ。その時は髪も黒かったな」
「そうだったよな」
「御前そのうち禿げるぞ」
「おい、何でだよ」
 意地悪い笑みを浮かべてきた義彦に少しムキになった言葉を返す。
「何で俺が禿げなくちゃいけないんだよ」
「だって髪染めてるからよ」
 義彦は言った。
「髪の毛傷めるぞ。それでそのうち」
「そうだったのかよ」
「そうだったのかよって御前知らなかったのか」
「向こうじゃ皆してるからさ」
「じゃあ皆禿げるな。東京は将来禿げだらけだ」
「御前の親父だって禿げてるじゃねえか」
「親父は親父、俺は俺なんだよ」
「何言ってる、禿って遺伝するんだぞ」
「そうなのか!?」
 義彦はその言葉にギクッとした。
「って知らないのかよ」
「ああ」
 そうやらお互い髪の毛に関する知識は乏しいようであった。
「何かよお。大丈夫なのか」
「禿げる前に結婚するからいいさ」
「できたらな」
「御前こそな。朝目が覚めたら急に・・・・・・なんてこともあるかもな」
「御前そりゃホラーだぞ」
「けれどあるらしいぜ、本当に」
「絶対にあって欲しくない話だよな」
「全くだぜ」
 中学生にしてはいささか場違いでかつ深刻な話であった。彼等はその深刻な話を終えるとまた海を見た。明憲は夕焼けで赤く染まり、同時に銀色の光を放つ海を眺めながら義彦に声をかけてきた。
「なあ」
「何だ?」
「あいつのこと、覚えてるか?」
 彼はそう声をかけてきたのだ。海を眺めながら。
「忘れるわけないだろ」
 それが義彦の返事であった。
「どうして忘れるんだよ」
「そうだよな」
 明憲はその言葉に頷いた。
「お互い。忘れられないよな」
「当たり前だろ、あいつのことはよ」
 見れば義彦も海を見ていた。二人は同じ海を見ていたのであった。
「あんなことがあったしな」
「そうだな」
 明憲はあらためて頷いた。
「あいつも。ここにいたらよかったのにな」
「ああ」
 義彦は座り込んだ。明憲は立ったままであった。
「本当ならここにいたんだ」
 義彦は座り込んでから言った。
「ここにな。それが」
「あれからもう二年経つんだよな」
「そうだな」
 義彦は海を眺めながら明憲の言葉に頷く。
「あの時の海は今よりずっと穏やかだったのにな。何で」
「俺に言われてもわかるかよ」
 義彦はたまりかねたかの様に言った。
「海のことなんてよ。何時変わるかわからねえんだから」
「そうか」
「そうだよ。こんなの本当にすぐ変わるじゃねえか。御前もわかってるだろ」
「ああ」
 その言葉に頷く。彼も長い間ここに住んでいた。だから海のことはかなりわかるつもりだった。
 穏やかかと思えば急に荒れる。そしてその下には何があるかわからない。板の下一枚は地獄とはよく言ったものだ。海はどれだけその表面が綺麗でもその中は果たしてどんな顔はわかったものではないのだ。あの時もそうだった。
「いきなりだったよな、本当に」
「そうだったな」
 義彦は落ち着きを取り戻した。そのうえで明憲の言葉に頷いた。
「波にさらわれて」
「死体もな。浮かんで来なかったよな」
「けれど見ない方がよかったかもな」
「何でだよ」
「御前も海で死んだ人見たことあるだろ?」
 海辺ではつきものである。水死した者の遺体は実に無残なものだ。水を飲んで腹は膨れ上がり、目は上を剥き、身体がまるでゴムマリの様に膨らむのだ。彼等もそれを見たことがあるのだ。
「あいつのあんなふうになった格好、見たかったか?」
「じゃあ御前は見たいのか?」
 義彦は答えるかわりに逆に明憲にこう問うてきた。
「いや」
 彼はその言葉に首を横に振った。
「まさか。そんなわけないだろ」
「俺だってそうさ」
 義彦は海を眺めたまま答える。遠くから、そして側から波の音が聞こえてくる。その音は二人の心に寂寥感も与えていた。
「誰だってそんなの見たくはないさ」
「そうだよな」
「けれど。見ないとな。かえって」
「ああ」
「生きているなんて思えるわけないしな」
 明憲はその言葉には無言で頷いた。
「あいつ、今どうしてるんだろな」
「向こうで楽しくやってりゃいいけれどな」
「向こうか」
 義彦はその言葉を聞いて考え込んだ。それから明憲に対して言った。
「なあ」
「何だ?」
「その向こうって何処なんだ?」
「向こうって言えば一つしかないだろ」
 明憲は当然といった顔と言葉でそれに返した。
「あの世さ」
「そのあの世ってのは何処にあるんだ?」
「何処にって」
 この言葉には返答に困った。
「そりゃ決まってるじゃないか」
「空にか?」
「それか地面の下だよ。こっちは地獄だけどな」
「あいつは地獄には行ってないぜ」
「ああ」
「だったら。空かな」
「そうじゃないのか?」
 二人はここでその空を見上げた。その赤さはさらに深くなっていた。そして次第に暗くなろうとしていた。
「もうこっちにはいないのは絶対だからな」
「けれど。あいつは海で死んだんだぜ」
 義彦はここでこう言った。
「こっちにいるんじゃないのか?」
「こっちって海にか?」
「ああ」
 彼は答えた。
「俺はそう思うんだけどな」
「馬鹿言えよ、海は俺達の世界とは違うぜ」
 明憲はその言葉にこう反論する。
「やっぱり違う世界なんだよ。だからもうあいつはこっちにはいないんだ」
「そういう意味か」
「ああ。こっちの世界にいるってんのが生きているってことだろ。だからもうあいつは」
「そうだよな、やっぱりいないんだ」
 義彦はそこまで聞いて残念そうに呟いた。納得するしかなかった。
 
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