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それでも行く

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第一章

                  それでも行く
 果し合いの約束をしていた、しかし。
 今渡辺主水兼友は病の床にあった、枕元に座っている医師にこう言われた。
「助かる病ですが」
「それでもか」
「はい、動いてはなりませぬ」
 このことを釘を指すのだった。
「間違っても」
「馬鹿を申せ。わしはじゃ」
 渡辺は医師に顔を向けてこう言った。その顔は病ですっかりやつれている。しかし目の光だけは強く爛々とさえしている。
「果し合いに行かねばならぬ」
「剣のですか」
「そうじゃ、約束じゃ」 
 それ故にというのだ。
「行かねばならん」
「無理です」
 医師は彼に真剣な面持ちで返した。
「それはとても」
「出来ぬか」
「若し動けば」
「命に関わるか」
「はい、ですから」
「しかしな。これはな」
「約束だと」
「約束を違えてはならん」
 それは絶対というのだ。
「断じてな」
「だからですか」
「わしは行く」
 強い声でだ、彼は言った。
「何としてもな」
「馬鹿な、今の貴方のお身体では」
 医師は戸惑いを隠せない顔で渡辺に言った。
「剣を持つことはおろか」
「立つこともか」
「相当に苦しい筈です」 
 それでだというのだ。
「とても」
「そう言うがな」
「あの、立てないですね」
 医師は渡辺にこのことを断った。
「そうですよね」
「立てる」
 無理に言った言葉だった、明らかに。
「心配は無用だ」
「無用って」
「そうだ、だからだ」
「果し合いにですか」
「行って来る、今からな」
 こう言って実際にだった、彼は。
 起き上がった、そして着替えてだった。
 腰に刀を差して出ようとする。しかし。
 その動きは鈍くだ、身体を動かすのがやっとという感じであった。今その場で倒れても不思議はない感じだ。
 それでも何とか歩き屋敷を出ようとする、医師はその彼をさらに止めようとした。
「馬鹿な、本当に行かれるのですか」
「武士に二言はない」
 やはりこう言った彼だった。
「断じてな」
「そう仰いますが」
「御主の案ずることではない」
「案じます、私は医師です」 
 それでだというのだ。
「ですから」
「そう言うか」
「言います、本当に今お身体を動かされては」
 命に関わるというのだ。
「無茶をされないで下さい」
「約束は約束だ」
 渡辺は医師の話をあくまで聞こうとしない、そうしてだった。
 屋敷の外に出てだ、そのうえで。
 歩いていく、果し合いの場に。もう医師は彼を後ろから見るしか出来なかった。心配でどうしても目を離せなかったのだ。
 屋敷を出る時にだ、彼は渡辺の家の者に言った、その言った言葉とは。 
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