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トワノクウ

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トワノクウ
  第二十五夜 風花散る (三)

 
前書き
 境界 を 外す 

 
 何もかも思い出したとき、長渕薫は死のうと決めた。

 友達を殺した人間がのうのうと息をしていて許されるはずがない。

 脱走してきたのは、くうに裁いてもらうためだった。くうには薫を裁く権利がある。何故あの凶行に至ったかくうに懺悔して、身勝手だと罵られ、くうの怒りによって殺されたかった。

 何もくうに手を下してほしかったわけではない。死ね、と一言言ってくれれば薫はその場で笑って自決できた。

 それなのに、あの少女は、薫を裁かなかった。
 自分も薫と同じだと。同じ思いでいたのだと。同じ地点に立っていたのだと。どこまでも健気に訴えた。

 ああまでされてなお、くうに裁きを求められるほど、薫は厚顔になれない。あるいはそれこそが薫が持つくうへの友情かもしれなかった。

(一度やった。前科がある人間はまたやる。あたしはまたくうを殺す)

 長渕薫は自分を信じない。一度殺した罪悪感にのたうち回って悔い改める自分などいないと思っている。
 だから、今度は自分自身の手で終わらせようと考えた。

 薫は森を走って走って、渓谷に出た。眼下には森。充分な高さがある。飛び降りれば即死できるだろう。
 深呼吸を一度。この世で吐く最後の息になるよう願って。

 宙に身を躍らせた。

 すさまじい落下感が心臓を襲った。


(ああ、そういえば)


 薫は凪いだ心で目を閉じた。口元には、微笑。


(藤袴って名前だけは)


 瞼の裏に浮かぶのは、その名を与えて初めて呼んだ人。


(好きだったな)


 この思い出が走馬灯なら死も悪くない。


 だが、いつまで経っても予想される激痛はない。
 それどころか身体を切る風も消えている。背中がもふもふと温かい。
 薫は目を開けて自分の身体を確かめる。どこも破損はない。
 まさか、と思って起き上がると案の定、薫の下には黒鳶の子飼いの猫股がいた。

『黒にとくと礼を述べておけ』

 猫股は乱暴に彼女を地面に放り出した。

(師匠がここに来てる?)

 尻餅をついた薫のちょうど正面、肩で息をする黒鳶が、いた。

 状況に頭が付いて行かない薫の――頬を、黒鳶は平手打ちにした。
 口の中に広がる鉄の味と頬の熱に、ぽけっと黒鳶を見上げた。

「ふざけんじゃねえぞ、馬鹿弟子」
「師、匠」
「次は助けねえ。今回だけだ。覚えとけ」

 黒鳶がどんな顔をしているのかは頭巾のせいで見えない。そうでなくともさすが隠密で、黒鳶はめったなことでは感情を読ませない。

 その彼が、自分のために、ここまで怒っている。
 その彼に、自分のために、ここまでさせた。

 薫は人殺し。殺した相手が生き返ってもなくならない罪。ただの劣等感から友達を殺した――そんな長渕薫を、薫が一番消してしまいたい。

 それなのに。
 今にも消えたいくらい自分が大嫌いなままなのに。
 助かってよかったと思っていると、黒鳶に伝えたくてならない。

「薫ちゃーんっ」

 呼び終わるが早いか、白い翼を羽ばたかせて、くうが降り立った。
 くうは黒鳶と猫股と、薫を見比べ、状況を把握したようだった。

「黒鳶さん。ありがとうございます! 薫ちゃん助けてくださって」

 髪が翻る勢いで頭を下げるくう。さすがの黒鳶も面食らっている。師のこんな顔を薫は初めて見た。

「あ、あの、薫ちゃんのことは、くうが一方的に好きなだけで。薫ちゃんは天座とも妖とも関係ないですから。だからその、ヒドイことしないであげてください!」

 くうが再び頭を下げた。

「あんた、何でそこまでするの。あたしなんか庇っても、いいこと、何もないのに」
「――やっぱり、すぐには変わらない、よね」

 変われるものか。薫は、長渕薫が大嫌いだ。嫌い過ぎて、情けなさに涙が滲んだ。
 するとくうが薫の前まで来て、薫とまっすぐ目を合わせた。

「だいじょうぶ。私が薫ちゃんのいいとこ、素敵なとこ、全部教えてあげる。薫ちゃんが自分を好きになれるまで。薫ちゃんが抱えてる辛さに負けないでいられるくらいに、薫ちゃんに言ってあげる。――大好きだよ、薫ちゃん」

 薫は涙でグシャグシャの顔をくうの胸に押しつけた。くうは薫を抱きしめて髪を撫でる。

「あんたのっ、そういうとこが……大っ嫌いなんだよ……!」

 辛うじてそれだけ言うと薫は大声で泣き喚いた。





 泣き止んだ薫は、くうの胸から離れると、黒鳶を向いた。

「この子は、あたしの友達です。それを妖との繋がりとお思いになるんでしたら、好きに処分してください」
「薫ちゃん……っ」

 黒鳶は立ち上がった。もう好きにしろ、とも、付き合いきれない、とも取れる表情。

「藤さん。帰りやすよ」
「! はい……きゃっ」

 立ち上がった薫を、黒鳶がひょいと肩に担ぎ上げたのだ。薫は何か言いかけたが、黙ってむくれた。

「生憎と今日は非番なんでね。とりあえずコレだけ回収していきやす」
「さすが商売人ですねー」
「いえいえ。そんじゃ、次に会うのが敵か味方か分かりませんが、それまではどうぞお元気で」

(うわあ。こんなに心のこもってない「お元気で」って初めて聞きました。むしろ「とっととくたばれ」とか思ってますよこの人)

 それでも黒鳶は薫を迎えに来た。弟子のために一時でも人と妖の区分を棚上げした。それは大きな収穫だ。棚上げできる程度に深層心理に妖への容赦がある証明だからだ。

「黒鳶さんもお元気で」

 くうは愛想よく返し、薫に向けて笑みの質を変えた。

「じゃあね。ばいばい、薫ちゃん」

 黒鳶は薫を抱えて背中を向けた。

 しばらく離れて、薫が勢いよく顔を上げた。


「くう! ごめんね、ごめんね、ほんとにごめんね!」


 必死に叫ぶ薫に、自分は何を思っただろう。

 一度はくうを殺した。くうが白鳳でなければ取り返しがつかなかった仕打ちをした薫。殺したいくらいにくうに嫉妬し、劣等感に苛まれていた薫。

 哀れで愚かで、だからこそとても愛おしい友に対し。
 くうは、薫と同じく哀れなほどに愚かしい場所にいる者として、笑ってみせた。






 薫たちが完全に見えなくなってから、くうは切れのよい息を吐いて笑んだ。
 帰らなければいけない。きっと露草や空五倍子ならくうを心配してくれているから。

 翼を出して一度森の木々を抜ける高さまで飛び、目立つ五重の塔を目指して飛んだ。すぐに塔は近づいた。

 塔の境内に一つ羽ばたき、ドレスの裾を押さえて着陸する。露草は中に入らず待っていてくれた。

「ま、また来ちゃいました、です」

 へら。とりあえず笑ってみせた。体内では心臓が激しく打って、吐きそうな気分であっても。

 露草は錫杖を木の枝に戻して消すと、ずかずかとくうの前まで来て、戸惑うくうの――頭に拳骨を落とした。

「た!? え、ふぇえ!?」
「これ露草! 白鳳は陰陽衆と一戦交えたあとなのだぞ!?」

 空五倍子が飛んで来た。塔の出入口を見やれば梵天も出て来たところだった。

「こいつが見当違いなこと言うからだ」
「だ、だってくう、ここに住んでるわけじゃありませんしっ。一度出てったから、『ただいま』はだめって思ったから。あの――ごめんなさい」
「謝るくらいなら最初から『ただいま』って言え。意地っ張り」
「つ、露草さんだけには言われたくないですぅ」
「――ああ、もう、どっちもうるさい」

 梵天が、頭痛がするといわんばかりにこめかみを押さえ。

「くう。しばらくはここにいろ。雑兵とはいえ陰陽寮とやり合ったんだ。みすみす人里に出たら次こそ狩られる」
「いいんですか?」
「俺はだめなことは最初から口にしない」
「ありがとうございます!」

 くうは大きな溜息をついてしゃがんだ。梵天からお墨付きが出たのだ。これで天座の彼らともっとたくさんの時間を過ごせる。

「くう?」
「なんだか……とっても疲れちゃいました」

 見上げると、梵天は優しくくうの頭に手を載せた。
 何か言われることもなかったが、彼の手はとても暖かかったのでそれだけでよかった。



                              Continue… 
 

 
後書き
 「トワノクウ」における薫編、終了でございます。
 妖になってしまった親友に対し、人間側(薫)がどう出るか。
 これが原作であれば梵天と銀朱みたいに仲直りするかもしれないのですが、残念ながら妖排斥が厳しくなった原作6年後ではそうなりませんでした。くうと薫はどこまでも敵同士でした。

 そしてこれは師弟の歩み寄り回でもありました。
 女子の顔に傷がつくのを嫌がりそうな黒鳶が弟子を平手打ちにしたシーンは、書いてて爽快でした。 
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