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妻を見ること

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第一章


第一章

                    妻を見ること
 戦国時代の話だ。周防の国に大内義隆という戦国大名がいた。
 彼は武将というよりは文化人というような男であり戦争は不得手であった。しかしその勢力は大きく家臣も多かった。彼の権勢を慕って都落ちしてくる貴族も多く彼の下で山口は栄えていた。
 その彼の家臣の一人に浜田与兵衛という者がいた。彼はどちらかというと主君義隆の好みに合った男であり政治や文化の方に力を発揮していた。その彼には妻が一人いた。
 その妻は元々都にいた女で多くの公家達と同じで都の戦乱を嫌って落ち延びてきていた。そこで浜田と出会って夫婦となったのである。
 都の者らしく肌は白く綺麗で顔形もよかった。そのうえ学問にも歌にも秀でていて気立てもよかった。その道に詳しい彼にとってはまさにおあつらえ向きの女房であり彼はこの妻を深く愛していた。義隆もこの夫婦を信頼し二人は仲睦まじく暮らしていた。
 その義隆は都に憧れること深かった。それは都から公家達を迎え入れているところからもわかる。それを不満に思う家臣達もいたが浜田はそうではなかった。
「困ったことにのう」
 義隆は彼と二人になって話をしていた。居室で二人になって話をしていた。義隆のふっくらとした穏やかな顔が浜田の鼻筋の通った白い顔を見ていた。
「春賢がわしに対して不満を述べているのじゃ」
「御館様にですか」
「うむ」
 浜田の言葉にあらためて頷く。
「困ったことにな。わしが公卿の方々と共にいるのをよく思っていないのじゃ」
「またどうしたでしょうか」
「軟弱じゃと言うのじゃ」
「軟弱と」
 浜田はその言葉を聞いて眉を顰めさせた。
「そうじゃ。わしが戦をせぬのも嫌らしい」
 大内はこの時東に尼子を、西の九州には大友という強敵をそれぞれ抱えていた。だが義隆もそれへの備えは怠ってはいなかった。ところが陶は急進派であり積極的な策を採らない彼に対して不満を抱いていたのだ。なおこれは後に陶の義隆に対する謀反にまで発展する。
「とにかく尼子も大友も滅ぼしてしまえとな」
「御言葉ですが」
 浜田はそれを聞いたうえで述べた。
「今はそれ程動く必要もないと思います」
「そちはそう考えるか」
「はい」
 彼はあらためて頷いてきた。
「今尼子も大友もまとまっております。ですから今は」
「かえって下手に動くとまずいというのじゃな」
「それがしはそう考えます」
 彼は言う。
「如何でしょうか」
「ふむ。確かにな」
 義隆は彼の言葉を聞いて納得したように頷いた。
「その通りじゃ。東には毛利もおるな」
 毛利元就である。戦国時代においてその智謀を謳われた稀代の権謀家だ。しかしこの時はまだ安芸の一豪族に過ぎない。
「まずは安心じゃ」
「むしろ」
 浜田はさらに主に対して言う。
「尼子や大内よりも中を考えた方が宜しいでしょう」
「中をか」
「そうです」
 浜田の目が光る。鋭い光だった。
「今は大内の家中の方が大事であると思います」
「ふむ、わかった」
 義隆はその言葉を聞いて納得したように頷いた。
「ではそうしよう。それでじゃ」
 彼はさらに話を続ける。
「今度都に上洛するな」
「はい」
 浜田は彼の言葉に頷く。義隆はこの時足利将軍家に呼ばれて上洛することになっていたのだ。そこで官位を朝廷に任じられることになっていた。官位は正三位、そして大宰府の大弐に任じられることになっていたのだ。これは都を慕う彼にとっては願ってもないことであった、そのことにかなり喜んでいたのである。
「それでじゃ。そなたも来るのじゃ」
「それがしもですか」
「うむ。そなたは奥方のこともあり都のことに詳しい」
 ここでもまた妻のことが影響していた。
「よいな、それで」
「わかりました」
 家臣としては当然の義務であった。そしてそれ以上に彼も都に憧れていた。そのことから彼もまたこの度の義隆の上洛を喜んでいたのだがそこに呼ばれたことにさらに喜びを感じたのである。彼にとっては願ってもないことであった。
 そのことを家で妻であるおたけにも話す。おたけはそれを聞いて笑みを浮かべた。
「よいことですね、それは」
「うむ、まさか都に上るとはな」
 彼女に話していても笑顔になる。
「思ってもいなかったが。僥倖じゃ」
「そうですね。都へ行かれるなんて」
「それでじゃ。暫く家をあける」
 彼はここで無念な顔になった。
「済まぬがその間頼むぞ」
「わかりました」
 おたけはにこりと笑ってそれに応えた。こうして彼は主について都に向かうのであった。そのまま義隆は都に留まるが浜田もそれに同行していた。やがて八月十五日になった。おたけはまだ都にいる夫のことを考えながら家に留まっていた。
 夜空を見上げてもそこには何もない。月が見えるがその下には彼女が慕う者はいない。同じ月を見ていても夫は今都にいるのだ。
 その中で慕う心は変わりはしない。その心のままに歌を詠む。その歌を筆で紙に書き留めた。

 思ひやる 都の空の 月影を 幾重の雲か 立ち隔つらむ

 書き留めて床に入る。床に入っても一人だ。憂いを共にして一人休むのであった。
 その日義隆はもう国に入っていた。浜田も共にいる。彼等は草原に仮の泊まり場所を設けてそこで休んでいた。義隆と浜田の他に十人程いた。皆義隆が信頼する家臣達であった。
 彼等は今泊まり場所で義隆を中心として酒を楽しんでいた。義隆はその中でふと月を見上げたのであった。
「のう」
 そのうえで家臣達に声をかける。
「よい月じゃのう」
「はい」
「全くです」
 家臣達も月を見上げて彼に応える。皆悪い気はしない。
「美しい月です」
 黄色く輝かしい満月である。皆それを見上げながら酒を楽しみ続ける。
「国に帰ってきたわし等を出迎えてくれておるな」
「そうですな」
「迎えが月とはまた風流」
 周りにいる者達もまた義隆と同じ好みになっていた。だからこそ義隆も彼等を都に同行させたのである。なおここには陶はいない。そこに今の義隆と陶の溝が感じられた。

 
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