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漫画無頼

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1部分:第一章


第一章

                    漫画無頼
 峰崎幸也は最近どうにも気分が優れなかった。それには理由があった。
『これでいいのか』
『こうすればもっとよくなるのではないのか』
 あれこれと考えることが多いからだ。それを考えさせるのは漫画であった。彼はいつもありとあらゆる漫画雑誌を見て考えたり悩んだりしていた。
 それもその筈で彼は漫画雑誌の編集長であったのだ。二百万部を超えるかなりの人気雑誌だ。その雑誌の編集長として漫画をあれこれと読んでは考えているのだ。
『漫画は面白くなくてはいけない』 
 これが彼の持論である。同時にこうも思っている。
『漫画は文化だ』
 こうも考えている。彼はその漫画に携わっている者として強い自負を持っていたのである。もうすぐ五十代になるがこの気持ちは昔から変わりはしない。
 だからこそ考え、悩んでいるのだ。特に最近の自分の雑誌での漫画のあり方について悩んでいた。
「やっぱり編集長あれですよ」
 編集部で会議をする。その中でスポーツ漫画の担当が多いことで知られている左門が言ってきた。彼は元々陸上部でそうしたことが好きなのだ。好きこそ、というやつである。
「もっとスポーツ漫画をですね、増やすんですよ」
「スポーツか」
「そうですよ、やっぱり少年雑誌ですよ」
 少年みたいに目を輝かせて言う。
「ここはもう爽やかで明るい青春をですね」
「爽やかっていうよりは暑苦しいじゃないのかな」
 だがそれに反論してくる人間がいた。同じ編集部員の大河である。名前はかなり大袈裟だが優男で好きなのは純愛、前は少女雑誌にいてラブコメ漫画をヒットさせてきた。今も峰崎の雑誌で純愛ものを担当してヒットさせている。繊細な男として知られている。
「それよりもっと人の心の細かいところを描いた漫画がいいよ」
「いや、そんなのは駄目だな」
 しかし左門はそれを聞こうとしない。実は二人はこの編集部においては水と油である。
「友情と努力、やっぱりこれだ」
「だからそうじゃないんだって」
 大河も負けてはいない。真っ向から反論する。
「それ以上に人の心だよ、やっぱりそれを細かいところまで描いてこそさ」
「漫画だというんだな」
「そうさ」
 大河も引かないじっと左門を見据えて返す。
「漫画は何と言っても人の繊細な心まで描けるから漫画だからね」
「違うな、やっぱり漫画は友情や努力まで描いて」
「どっちも駄目だ」
 そこにまた反論者が出て来た。伊達だ。彼はプロレス雑誌から来て熱血格闘漫画の担当だ。スポーツの左門と馬が会うかと思えばこれが全然違う。本人達曰くスポーツと格闘は全然違うというのだ。彼は今熱く激しい格闘漫画の担当をしている。
「漫画は気迫、そして人間の限界を描くものだ」
 拳を振るって力説する。
「それこそが漫画だ。御前等それがわかっていない」
「わかっていないのは君だよ」
 大河は彼の力説を一蹴した。
「何だよ、そんなの漫画じゃない」
「全くだ」
 左門もこれには同意して頷く。
「御前の漫画は強さのインフレーションだ。そんなのが何になるんだ」
「人は強くなっていくものだ」
 伊達も真っ向からそれを主張する。
「無限に強くなっていくもの、身体も心も」
「身体だけだな」
 左門はそう言い返す。
「御前の言う漫画ってのはそれだけだろ。だから駄目なんだよ」
「俺の何処が駄目なんだ」
「全然駄目だ」
 また参戦者が現われた。巴という。彼はお笑い好きでギャグ漫画が好きだ。ギャグ漫画ではなくても所々にお笑いを入れてはどうかと漫画家にいつもアドバイスする。その為彼はコメディーの名プロデューサーと言われている。
「漫画ってのは楽しくないと駄目だろ。君等はそれがわかってないんだよ」
「どっちがわかっていないんだ」
 伊達はムキになって巴に言い返す。
「御前の漫画はお安い笑いだけだ。子供騙しだ」
「子供に笑って貰えるのが漫画だ」
 彼は学習雑誌にいた。その為子供の目線を考えているのだ。
「子供が何を見抜いて何を捉えるのかが大事なんだ。そんなこともわからないのか」
「子供に友情と努力の大切さを知ってもらう」
「心の動きの素晴らしさを知ってもらう」
 左門と大河はそれぞれ主張する。
「そういうことだ」
「違うのか」
「御前等はまっすぐなだけじゃねえかよ」
 またしても参戦者だ。悪い感じの男矢吹である。彼は不良漫画が十八番だ。しかし彼の不良漫画は美学があるとされている。アウトローの美学を漫画家と共に目指している。
「駄目だ駄目だ」
 矢吹は言う。
「不良の掃き溜めの中でそれが出て来るんだよ」
「心って奴がか」
「そうだ」
 矢吹はそう左門に答える。
「御前等だって作品の中に不良出したりするだろ?やっぱりワルにこそ何かがあるんだ」
「それはどうかな」
 それに大河が反論する。
「僕はそうは思わないね」
「何っ!?」
「君の言っていることは仁侠映画じゃないか」
「それがどうした」
 矢吹自身もそれを認める。
「悪いっていうのかよ」
「悪くはないよ。けれどそれは正道じゃない」
「正道なんて糞喰らえだ」
 矢吹は最初からそれを捨てている。彼はそこには価値観を見出してはいなかった。
「アウトローの中にあるんだよ、全てが」
「添え物は主軸にはなれないのさ」
 大河はまた彼に言い返す。
「純愛こそが正道なんだよ」
「純愛!?いいじゃねえか」
 意外にも矢吹はそれを不敵な笑みと共に肯定してきた。
「純愛上等だ。望むところだ」
「否定しないのか」
 伊達はそれを見て声をあげた。
「それはいいのか」
「つっぱっていても何かを見ている」
 矢吹は前を見据えて語る。不良だの任侠だのを言うわりには澄んだ目をしていた。
「正面をな。そこにあるのは純愛だ」
「へえ」
 大河はそれを聞いて面白そうに声をあげた。そのうえで矢吹に言う。
「わかってるんだ」
「ボロボロになってもどれだけ傷ついても裏切られても貫く。そうだろう?」
「そうさ」
 大河もそれを認める。
「君も王道はわかってるんだ」
「違うんだよ、王道なんかじゃない」
「どういうことかな」
 それを否定されると大河はむっとしてきた。
「純愛こそが王道じゃないか」
「それはあくまで目指すものよ」
 矢吹の声がまた不敵なものになっていた。
「ただ突き進んで目指すもの。純愛にしろ友情にしろそうなんだよ。アウトローっていう中においてな」
「アウトローにこだわってばかりで見ていないな」
 左門が彼に反論する。
「そうして王道を無闇に拒んでるだけじゃないか、君は」
「そういう手前は友情だの努力ばかりで他を見ていないな」
「それが全てじゃないか」
 左門は自分の友情と努力を大いに肯定してきた。
「その先にあるものが光るんだよ、だからこそ」
「戯言だな」
 矢吹は口の端を歪めてそれを否定する。
「光ってのはどん底から見て掴み取るものなのさ」
「光は笑いの中にこそあるんだよ」
 それに巴が言い加えてきた。
「笑ってこそ世の中じゃないか」
 皆が皆それぞれの意見を頑なに述べていた。ある程度は重なるところもあるが全体としては全く妥協がない。峯崎はそれを止めるのでもなくただ聞いているだけであった。しかしそのうち言ってきた。
「よし」
「どうしました、編集長」
「今日の会議はここまでだ」
 彼は言った。
「いいな、それぞれの仕事に戻ってくれ」
「それぞれって」
「まだ会議の時間ですよ」
 編集員達はそう彼に問う。皆きょとんとした顔で。見れば彼等はそれぞれ立ち上がり取っ組み合いになる寸前であった。その状態で彼に顔を向けたのである。
「それでどうして」
「いいからだ」
 しかし彼は多くを言わせなかった。
「わかれとは言わない。だが戻れ」
「はあ」
「編集長が仰るんなら」
 そう答えるしかなかった。彼等はそのままそれぞれの机か担当している漫画家のところに向かった。峰崎はそれを見送ってから一人会議室に残っていた。
 
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