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トワノクウ

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トワノクウ
  第六夜 ふしぎの国の彼女(二)

 
前書き
 「妖祓い」 と 陰陽衆 

 
 日比谷に到着する頃には、くうは汗だくだった。
 濡れた頬に銀の髪が張りつく。前で朽葉は息も上げずに悠然としているというのに。

「これが大名屋敷ですか……」
「珍しいか?」
「そりゃあもうっ」

 一階建だが整然として威容でさえある邸宅が並ぶ町並み。それらが、未来では日本初の西洋式ホテルである帝国ホテルや、鹿鳴館に変わると思うと、複雑だったが。

 かすかなセンチメンタルに浸っていると、くうの肩からイタチがとび降り、小さな四本足で駆け出した。

「あ、待って!」
「兄弟がどこにいるか感じとったのかもしれないな」

 朽葉はイタチを追いかけて走りだした。あれだけ歩いて走ってまだ体力が残っているのか。

 さびれた武家屋敷が立ち並ぶ中で一人ぽつんと待つわけにもいかず、くうはくらげのように全身をふよふよさせて朽葉について行った。

 イタチが、そして朽葉が入った一軒の屋敷にくうも飛び込み、屋敷の庭に息を切らして辿り着いた。
 枯れた山水庭園の中、広い空間に出た。

「お、追いついたっ……朽葉さ……」


 きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!


 くうの声を掻き消した獣の悲鳴が、どういう状況で意味で上げられたのか気づくまでが遅れた。

「え――え?」

 遠くの地面に倒れ伏す二匹のイタチに、くうが連れていたイタチが取り縋る光景。あれがカマイタチの兄たちに違いない。とび散ったペンキのような赤は彼らの血だろうか。

「! 見るなっ!」

 先にこの場に着いていた朽葉がくうの目元を着物の袖で覆った。

(なに、あれ。なんて出来の悪い特撮……みたいな、現実)

 血を流して悶えていた獣たち、あの可愛いイタチの嘆く様がフィクションのはずがない。

 怯える自分が分からない。あの程度の傷ならスコアゲームでモンスターに負わせてきた。急所を外してぴくぴくするモンスターに対しても、ゲージが減るまで攻撃し続けた。
 だから、あんなものは見慣れているのだ――見慣れて、いるのに。

 血は、鼻の粘膜を突き、目を赤く射る。
 傷は、動悸を速め、身体を震えさせる。

 何があってこうなっているのか推測もできないでいると、さく、さく、と正面から誰かが歩いてくる音がした。

 くうは爪先立って足音の主を確かめる。

 背格好からしてくうと同年代の少女だ。布で顔を覆っているので人相は窺えないが、露出した大きな瞳に息が詰まるほど威圧された。

 ――あの少女がカマイタチを傷つけた?

(ふじ)(ばかま)、か」

 朽葉が呟いた名に、かすかに少女の瞳がやわらぐが、後ろでカマイタチが起き上がりかけるや硬さを取り戻してしまった。

「わざわざ顔を隠して、どうした」
「ああ、これですか。今回のは特に切り傷が酷くなる、嫁入り前の娘が顔に傷をつけるな、と佐々木様の奥方様が」

 ――この、声。
 知っている気がする。女の子にしては低く、その音質だけで本人に「生意気」のレッテルを貼る、声。

「朽葉さん、今日はうちの仕事ですからご遠慮願えますか? あたしにも貴重な練習の場なんで」

 練習って、といきり立ったくうを、少女は意に介さず動いた。

 少女は音叉を出すとそれの柄に軽い音を立てて口付け、腰に下げた匕首に打ちつけた。場に見えない波を広げる純音に、呼吸が掻き乱された。

 振られた音叉から出てきたのは、よもぎ色の体毛と赤い瞳の対比が映える三つ目に六本足のウサギだった。ウサギはその矮躯(わいく)に似合わぬ推進力でカマイタチに体当たりを食らわせた。
 カマイタチが地面に落ちると、小イタチが駆けつけてくる。兄イタチたちを案じて懸命に走る。

 その小イタチにすら少女が狙いを定めた時、くうはほぼ脊髄反射でとび出した。

「だめだ、くう!! 戻れ!!」

 聞けない。大丈夫だ。この程度のピンチならシミュレーションノベル系で何度も潜り抜けた。成功率2,7のミッションを最短でクリアしたこともある。

 くうは野球の滑り込みの要領で、転びながらイタチを腕の中に収めることに成功した。

(ほら、やっぱりできた。お父さんの会社(じっか)仮想現実(バーチャル)は最高なんだから。現実(リアル)だって、ほら、こんなに上手く応用できた)

 だが、ウサギを避けるのは間に合わなかった。ウサギはイタチではなく、くうにその威力で体当たりを食らわそうと突撃してくる。

 くうはイタチを抱えて背中を丸めた。

 ウサギの直撃を受ける前――横ざまに別のものが出てきて、ウサギはそれにぶつかって転がった。

 巻き上がった砂埃に遮られた視界が晴れると、くうの目の前に象ほどもあるネズミが立ち塞がっていた。

『怪我はないかえ?』
「は、はひっ」

 慌てて答えたくうの向こう側、わずかに見えた朽葉は忌々しげに唇を噛んだ。

「こら藤さん。その程度の小物、一度に片付けなさいって前にも言ったでしょうが」

 どこからか聞こえた声は壮年の男のものだ。

「黒鳶……」

 朽葉が頭を巡らせた方向をくうも見やると、塀の上に白い忍装束の男がいた。背や肩幅が江戸時代の男性にしてはしっかりしている。

「朽葉さんじゃないですか。どうもお久しゅう」

 男は至って適当に朽葉に手を振った。逆に朽葉の表情は険しさを増した。

 巨大なネズミが少女の横を通り過ぎ、無残に地面に落ちたままのカマイタチ二匹を少女の前に放ったところで、黒鳶は少女のほうに向き直った。

「藤さん。仕損じるとさっきみてえに人にとばっちりが行くっての、忘れてたわけじゃないでしょうね?」
「――。すいません」

 布のせいでくぐもった声は不満げだが、それよりくうには、再び耳に入れた彼女の声がどうしても聞き覚えがあるものに思えてしかたない。


〝小学の頃は親の仕事で外国とび回ったからね。ナンバーが自然と洋楽ばっかりんなっちゃって〟
〝でも英語とか発音よくて声もよく伸びてるし、素敵だよ。くうの声なんて無駄に高いだけだもん〟
〝やだよ。女なのにこんな低い声〟


 確かめたい。
 くうは少女が声を上げるのを待ったが、少女は再び気炎を上げたカマイタチとの戦いに集中してしまった。

 そしてさらに、黒鳶もくうたちの前に降りてきた。

 このイタチにまで何かされたらどうしよう、と怯えが臨界点に達した瞬間を見計らったように、朽葉がくうのそばまで来てくれた。入れ替わりに巨大ネズミは黒鳶の後ろに下がった。

「お前が来ると知っていれば来なかったものを」
「こいつぁ手厳しい。私は大歓迎ですよ。帰ったら萱さんの悔しがる顔を拝めやすからね」

 人相が知れない相手には忌避が湧く。どの時代でも危険人物は顔を隠すと相場が決まっているのだ。この男も友好的とは限らない。

「藤さん」

 黒鳶は朗らかに少女に呼びかける。

「もういいですよ。さっさとやっちまいな」
「はい」

 たった二音がやはり知ったものに聞こえる。けれどもそれを気にするわけにはいかない。その音を発した少女がまさにカマイタチに刑を執行しようとしている。

「やめてください! カマイタチは三匹揃えば安全なんでしょう!? この子返しますから、だからその子達も……!」
「安全になろうがそいつがはぐれたら元通りでしょ。いいから黙って見てな。――命令は、とっくに下されてんのよ」
「やめ……っ」

 前に踏み出しかけたくうは、朽葉に掴まれて止められた。朽葉がくうを両腕に閉じ込められて守るようにしたのは、少女からか、これから起きる光景からか。

『タ、助ケ、テ』

 カマイタチの片割れが喘ぎ喘ぎに訴える。獣型の妖がしゃべる、それだけの事象が生々しく耳を掻き回す。
 今までのアドベンチャーで敵キャラクターに容赦したことはくうにもない。だが、今回のこれは現実だ。

『死ニタク……ナ、……』
「うるさい」

 少女は再び音叉を鳴らし、太さが一センチもない長々としたトカゲを出した。トカゲは細剣と化す。

 少女は手を、上げる。

「知らない、そんなの」

 ――無情に過ぎる答えに、くうははじめて、目の前の少女に恐れを抱いた。

 そして、その身を針のように鋭くしたトカゲを武器に、少女はカマイタチ二匹の胸に風穴を開けた。カマイタチたちは地面に転がりしばらくは、ぴくぴくん、と悶えていたが、それもやがて沈黙した。



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