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SAO ~冷厳なる槍使い~

作者:禍原
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SAO編
第二章  曇天の霹靂
  2.鏡の表裏

 目の前で金髪の少女――ルネリーが鏡の中へと吸い込まれていく。

「……!」
 俺は咄嗟に消えゆく彼女の手を掴もうとするが、間に合わない。
 ルネリーの体全てが鏡の中へと吸い込まれてしまった。

 ――まだだっ!

 鏡の向こうにはルネリーの姿が確認出来た。まだ助けられる。
 俺は鏡の中へと身を乗り出した。
 ズズ……と俺の体が鏡をすり抜ける。違和感や抵抗感はない。
 すとんと、ルネリーが倒れている場所へと何事もなく降り立った。

「……大丈夫かっ」
「えっ、あっ、はい!」

 ルネリーは混乱しているようだ。床に座り込んだまま目を白黒させている。
 しかしそれも仕方がない。俺とて事態を完全に把握出来てはいないのだ。
 だが一応ルネリーの無事は確認出来た。次は――

「……? ……なっ!?」

 俺は自分が今通り抜けてきたと思われる大きな姿見を見た。
 しかし、元居た鏡の向こう側からは此方側が見えたのに、此方側からは向こう側は見えなかった。
 鏡に映るのは俺と床に座るルネリーだけだ。

 ――此方側から向こう側へは行くことが出来ないということか?

 鏡を触っても硬質な感触だけで吸い込まれることはなかった。
レイアとチマの(むこうがわ)の状況が解らない。ダンジョンは基本的にメッセージ機能が使用できないため、連絡を取ることも出来ない。

「……パーティーを、分断させられた……」

 罠、という言葉が脳裏を過ぎる。
 発動条件は鏡に触れること? いやしかし、通り抜けた姿見と同じ物を別の場所で初めて見た時にルネリーやチマが物珍しがって触れていたと記憶している。その時には何もおかしなことは起こらなかった。ならばこの鏡だけが特別なのか、それは現状解らない。

 俺の呟きにハッとした様子のルネリーが立ちながら言ってくる。

「キリュウさん、早くレイアとチマと合流しないと!」

 ――確かに、ルネリーの言う通りだ。

 原因を考えることは大切だが、今ははぐれた二人と合流することが先決だ。
 この状況が何かしらの罠であったとしても、この世界が《ゲーム》で在る以上は打開する方法が必ず有るはずだ。
 情報が足りないのなら、行動で集めるしかない。

「……そうだな」

 頷きながら周囲を見渡すと、先ほどまで居た部屋によく似た部屋に俺たちは居るようだった。しかし、違和感がある。
《逆》なのだ。何もかも。
 テーブルの配置、壁掛け絵画の位置、扉や窓、そしてこの大きな姿見に至るまで、部屋の内装が先ほどまでと線対象になっている。

 ――正に《鏡の世界》。それがこの洋館の隠しダンジョンというわけか。

「セオリー通りなら、どこかに元の場所に戻れる何かがあると思いますけど……今回なら《鏡》がキーになりそうですね」

 しばらく調べたが、もうこの姿見は何の反応もしない。ただの鏡だ。
 誰かを通すことで効果を失くすのか? 解らないが、もしそうなのだとしたら、いつまでも此処にいても仕方がない。

「……探そう、戻る方法を。レイア、チマと合流する方法を」
「はい!」

 俺たち二人は隠しダンジョンの探索へと乗り出した。



   ◆



 九王暦586年 ハナノキの月 8日

 何故だ。どうしてこんなことになってしまったのだ。
 寡聞にして聞いたこともない、あり得ない現象。
 いくら探しても、いくら考えても、解決方法は見つからない。思いつかない。

 何故なんだ。何故、私なんだ。よりにもよって私の代にこんなことを起こさなくてもよかったのではないか。
 あの日からというもの、我らは《力》を使うことが出来なくなった。
 私から、我らから、全てを奪ったあの《災厄》。
 衰える一方の我らとは逆に、万理の影より出ずる魔物共は以前よりも力が増したような気がする。
 部下からは見慣れない強力な魔物が《降りてきた》とも報告に上がってきていた。

 もう 散々だ。
 何故、私の代でなんだ。
 どうして私ばかりがこんなめに遭う。

 私は郊外にある別荘として使っていた館へと籠った。
 知らないのだ。私にも何が何だかわからないのだ。
 領主だからとて、何でも私に訊かれても困る。
 頼まれたからといっても、私にもこの現象をどうにかするなど不可能なのだ。
 無責任と言われようが、能無しと蔑まれようが。

 出来ないものは出来ない。
 私に縋らないでくれ。

 私が、誰かに縋りたいくらいなのだ。
 本当に、どうしてこんなことになってしまったのか。

 返してくれ 《力》を。

 返してくれ 以前の日々を。

 くるしい こころが

           えがおなど とうにわすれてしまった

      なみださえ すでにかれつきたようだ

 どうか
     どうか

 ――――どうか かえしてくれ

       われらに わたしに

   ちへいせんをこえてなおつづく あの《悠久なる大地》を――



「……これは、日記?」

 蝋燭に灯された小さな明かりに寄り添うようにして、A4サイズの分厚いボロボロな本を抱えながら、さらりと解けるような長い銀髪を耳にかけながら友人が呟く。
 洋館の外は大雨のようだ。窓を打つ雨音がその勢いを物語っている。
 元々この十八層は天候変化が激しいのが特徴なので、暗いのに我慢すればわたしたち二人ともさほど気にはならなかった。

「みたいッスね……ぶっちゃけ内容は意味わからんスけど」

 すぐ隣で覗いていたわたしは、首を傾げながらそれに応えた。
 今わたしたちが居るのは、六畳部屋をふたつ縦にくっつけたような細長い書斎だった。
 此処は二階西棟の中間に位置する部屋で、二階唯一の安全地帯だ。
 敵の出ない安全地帯はこの洋館ダンジョンでは此処だけのようで、わたしたちはモンスターとの戦闘を避けながらこの部屋まで辿り着いた。
 どれだけ放置されていたのか、既に部屋の至る所が風化していて、唯一まともに読めそうだったのが、レイアの持っている日記らしき本。

 わたしたちは情報を、謎を解くヒントを探していた。
 キリュウさんとルネリーが大きな姿見に吸い込まれてしまい、わたしとレイアは取り残されてしまった。
 鏡を調べたがうんともすんとも反応はなく、時間が経ったせいで部屋の中のモンスターがリポップしてしまった。
 同時に、主街区の教会でかけてもらった対アンデット用の祝福バフも消えた。そろそろ帰ろうと思っていた矢先にこの理解不能な事態。
 レイアは、姿見を調べることを一度断念して安全地帯に移動することを提案してきた。しかしそれはキリュウさんたちに繋がるかもしれないあの姿見を放置していくという意味でもあった。

 わたしはそれに躊躇したが、いつ合流出来るかもわからない状況で聖水を余計に消費するのは避けたいという理由を聞けば、渋々ながらも同意せざるを得なかった。
 幸いにも、パーティーを組んでいたおかげで二人のHPだけは確認できた。
 微少な増減はあれど、HPバーがグリーンからイエローになってはいないことを見れば、まだそれほど危険な状況には陥っていないということだ。
 二人も戦っている。こちらと合流するために。
 マップ上で存在が確認出来ないということは、キリュウさんたちはたぶん隠しダンジョンに送られてしまったのだろうという結論になった。わたしたちが一度行った場所ならば、必ずマーカーで解るはずだからだ。

 でも、《測量スキル》を持つレイアでさえ、二人が消えた鏡の向こう側をマッピングすることは出来なかった。それはあの姿見が単なる隠しダンジョンへの隠し扉ではないことを示していて、あの二人は何処か別の空間へと移動してしまったのだということが解る。
 トレイン上等な状態で、脱兎の如く安全地帯に飛び込んだわたしたちは今後について話合った。

『仕掛けがある以上は、何かしらのヒントがあるはず』

 そういった結論を出したわたしたちは、数時間前にただの休憩で立ち寄った時には、モンスターのドロップアイテムが目的の時には見向きもしなかった書斎の隅にある本棚で《これ》を見つけたのだ。
 不死者の館の書斎で見付けた日記なんてアイテム、謎解きヒントの定番中の定番だ。

「もう少し続きがあるみたい」
「他人の日記って何故かすっごく気になるッスよね? さ、続き続きっ♪」
「……」

 レイアが、この子には今後絶対私の日記には近付けさせないようにしよう、と思っているような顔をした気がした。



 九王暦591年 ヒムロの月 14日

 あの《災厄》から、既に五年近くの月日が流れた。

 私も、我が領民たちも、少し前に比べればずいぶんと落ち着きを取り戻した。
 世の不条理に悲観しようとも、人間である限り腹は減る。
 他領や他国との交易が望めない以上、自給自足は間逃れない。

 ようやく田畑や酪農も軌道に乗り、未だ黒パンだが、食事も改善の兆しを見せ始めていた。
 領地では子供が生まれたという報告もあった。

 少しずつではあるが、この暮らしに慣れ始めている我らが居た。

 そして今日、我らに再び変化が起きた。

 一人の《旅人》が、我が館を訪ねてきたのだ――――



「……この日記、この館の主だった領主さんが書いたもの、かな?」
「我が領民たち、我が館って書いてあるし、そうみたいッスね」

 わたしたちがこの日記から得られたのは、恐らくSAOの世界設定に連ねたものらしかった。

 ある日突如として、《九連合王国》という人間族の国に所属するとある伯爵領が、地面ごと巨大な円盤状に刳りぬかれて空へと引き上げられた。
 そして、何処(いずこ)からか顕れた同じような巨大な円盤が幾重にも重なり、故郷の遥か上空にて浮遊するようになった。
 当然、領主も領民も、誰もが驚愕した。前兆もなくいきなりの事態だった。
 領民たちは領主の下へと殺到した。どうしてこうなったのか、助けてくれ、元に戻してくれと。
 領主は苦悩した。自分にも解らないのだと。自分に訊かれても答えられないのだと。
 懇願する領民の声についに耐え切れなくなった領主は、人里離れた別荘に隠遁した。

 領主の責を放棄したのだ。

 自領の民に応えることが出来なかった自責に悩み、原因不明の理不尽なる現象へ恨みを募らせて約五年が経過して、少しずつ異様な環境にも順応していった。

 そんな頃に領主の館に訪れた《旅人》。
 それは《他の階層》から移動してきたという事実に他ならなかった。

「ほむほむ? これで他の階層と交流が出来るようになって……ってことッスかね」
「ううん。もしそうだったら、《こんな状態》にはなっていないと思うよ」

 レイアの言葉にわたしは室内を見渡した。
 確かに、これで万々歳、めでたしめでたしという感じだったら、こんなにも寂れてボロボロな館にはならないと思う。アンデット系モンスターがうじゃうじゃと出るこんな館には、なっていなかったと思う。

「レイア、続きを」
「……うん」

 わたしの促しに、レイアは次のページをめくった。



   ◆



「ハァァァ!!」
「――せいッ!」

 点在している燭台の弱々しい明かりに照らされた暗い通路。
 あたしとキリュウさんは敵モンスターを倒しながら洋館の中を探索していった。
 あれから一時間以上が経過した。
 窓の外は昼間と一転、雷雲と降りしきる豪雨で景色すら見えない。
 隠しダンジョンである洋館内の構造は、元居た場所とあまり変わらなかったこともあり、あまり迷わずに済んでいる。文字通り、鏡映しのように左右対称の館だ。

 だけど、問題はモンスターの方だ。
 元居た場所――《表の館》と呼ぶことにした――では、スケルトン系やゾンビ系のモンスターが多かった。
 けれど、鏡を通り抜けた此方側――《裏の館》では、アストラル系のモンスターが多い。
 実態を持つスケルトンやゾンビは祝福バフがなくても、通常の武器でもある程度のダメージは与えられるが、アストラル系モンスターには実態がない。つまり教会での祝福バフが切れた今となっては、聖水を使用してバフを得られなければモンスターにダメージを与えられないということだ。
 戦闘を避けようにも、《表の館》とは違う巡回経路を持つアストラル系モンスターたちが壁をすり抜けて襲ってくる。
 キリュウさんの《索敵》スキルで敵の位置がわかっても、《裏の館》にはまだ巡回するモンスターたちはいっぱいいる。
《表の館》へ戻る方法を探しながら敵との遭遇を避けるのは不可能だった。

「……あっ」

 聖水の効果がまた切れた。
 あたしの持つ片手剣《シックライト・ソード+10》を包んでいた白光が薄れて消える。

「スイッチ!」
「あ、はい!」

 すかさずキリュウさんがあたしとモンスターの間に割り込む。
 対峙していたモンスター《ロイトリングレイス・シャドウ》に槍による三段突きを見舞った。
 黒い霧が集まったかのような怨霊が繰りだす伸びる手による異常状態付与攻撃を紙一重で避けながら攻撃を重ねていくキリュウさん。
 あたしがもう一度参戦することもなく、数秒後、敵は砕け散った。

「……聖水のストックがもう残り少ないな」
「はい、あたしもです……」

 あたしたちは安全地帯、二階東棟の中程にある部屋へと辿り着いた。《表の館》とは逆の場所にあるばずという推測は当たった。
 連続戦闘の緊張を解き、しばしの休憩をとりながら今後の方針をキリュウさんと話し合う。

 問題は聖水の数だった。
 二人の残数を足しても、残りあと八個。
 バフの効果時間にすれば四十分。二人で使えばその半分しかもたない。

「一時間以上かかって、東棟の二階と三階は探索しましたけど、特に何もありませんでしたよね?」
「……ああ。このペースで東棟の一階、そして西棟全てを探索するのは不可能だ」

 厳しい現実をキリュウさんが口にした。
 パーティーが半分に減り、尚且つ夜間の強化されたアンデット系モンスターに、どうしても探索は慎重にならざるを得なかった。
 レベルが十も低いモンスターたちが手強く感じる。
 聖水が尽きれば、モンスターにまともにダメージを入れることも難しくなる。出口も解らない状況でのそれは、絶望的だ。
 このままレイアと――美緒や佳奈美に会えなくなっちゃうんじゃないかと、怖くなったあたしは唇を噛みしめた。

「え……?」

 ふわっと、頭の上に温もりを持った重みを感じた。
 視線を上げてみると、横に並んだキリュウさんが視線を窓の外に向けながらあたしの頭に手をのせていた。

「……大丈夫だ」

 瞳を閉じて、いつもの感情のない表情でキリュウさんは言う。

「諦めるな。道は必ずある」

 それは、ありきたりな励ましの言葉。
 人によっては陳腐と言うかもしれない。
 けれど、あたしには解った。

 ――声が震えてる。

 恐怖で、という印象じゃない。
 これは、慣れないことをしているからというふうに感じる。

「……レイアもチマも、俺たちを探してくれているはずだ。――――《仲間》を、信じよう」

 応えないあたしを心配したのか、キリュウさんは言葉を重ねる。
 触れている手のひらから、優しさが滲んできたように錯覚してくる。

 キリュウさんは他人と接することに慣れていないと言っていた。
 その彼が、不器用に、でも一生懸命にあたしを励ましてくれている。

 トクン、トクンと。鼓動が少し速くなる。

 その心地よさに、あたしはさっきまでの暗い感情は消えていた。

「はい……あたし、諦めませんっ!」

 気力充実。気付けばあたしは満面の笑みをキリュウさんに向けていた。



   ◆



 九王暦591年 ヒムロの月 15日

 《旅人》をしばらく我が館に泊めることにした。

 予想していた通り、彼は他の地から《移動》してきたらしい。

 だが、どうやって移動してきたのか、それが解らなかった。
 彼はどうやら《移動》によって記憶障害を起こしているらしい。《移動》の部分だけが頭に靄がかかったように思い出せないという。

 掛り付けの医師は、外的損傷は見受けられないため、しばらくしたら記憶が戻る可能性が高いと診断した。
 円盤状に切り取られた我が領地同様に、幾重にも重なった別の地。

 もし彼の地と交流ができれば、生活はより安定するだろうし、この異常事態の原因も解るかもしれない。

 故に、《旅人》には客間の一室を貸し、療養させることにした。




「記憶喪失ぅ?」
「物語としては在り来たりな展開だけど、此処から今の状態までどうやって持っていくんだろう……」
「十中八九、この《旅人》が関係してることは明らかッスよね。実は事件の黒幕で、記憶喪失なんても領主を欺く嘘だったり……」
「とりあえず先を読もうよ。この日記には、きっとこの館の秘密が書かれているはず……」



 九王暦591年 サクラの月 8日

 あの《旅人》が来てからというもの、館の雰囲気は随分と明るくなった。
 彼は実にユーモアのある性格をしていて、私や使用人たちも久しぶりに大きな声で笑ったものだ。

 幼子のように純真な彼は何にでも興味を示した。
 今日は領地の何処どこで何をしたなど、私との夕食時に話してくれるのが日課となっていた。
 最近では、彼は我が館に関心を持っている。
 どの程度広いのか、どんな部屋があるのか。

 彼に訊かれて、私は少々戸惑った。
 先々代の領主、つまり私の祖父が造らせたこの館。
 幼少時に遊びに来てはいたので、その存在自体は知ってはいたが、基本的に一部しか使用しないために全容を把握していなかった。

 そう彼に話すと、

『だったら、ボクが探検してもいいかい? 宝を見付けたら教えるよ』

 と言ってきた。

 子供の宝探しのような無邪気な発言に、私は笑顔で快諾した。
 流石に宝などは残っていないだろうが、私にも知らない部屋が見つかるかもしれない。

 ――彼が見付けてくれるのなら、それは良いことだ。




「……」
「なんかこの領主さん、《旅人》に入れ込みまくりッスね」
「そう、だね。何処か、不自然なくらいに」




 九王暦591年 ミカンの月 13日

 あれからというもの、彼は館の中を探検しているようだ。
 何やら熱中しすぎて食事の時間も忘れるくらいらしい。
 探検は夜まで続くこともあって、彼の世話を任せている使用人の者を困らせているのを度々見かけている。

 そういえば、今日給仕の者が不思議なことを言っていた。
 なんでも、昨日の夜に客間の一室に《旅人》の彼が入るとこを見たのだが、呼んでも返事が返ってこず、仕方なしに部屋の扉を開くと、そこには彼どころか誰の姿もなかったという。

 しかしその後、件の彼は別の場所で何事もなく見つかった。
 きっと給仕の者は寝ぼけでもしていたのだろう。

 ――昨日といえば、雲一つない夜空に満月が輝く良い夜だった。




「……?」
「何やら雲行きが怪しくなってきたんじゃないッスか?」
「うん。もしかしたら、さっきチマが言っていたことが当たりなのかも」




 九王暦591年 イトスギの月 22日

 おかしい。

 最近、やけに頭がぼやける。
 彼は仕事のし過ぎだと言ってくれた。

 ――嗚呼、彼の優しさが身に染みる。

 だけど、体の調子がおかしいのは事実。
 なにか、いやに喉か渇く。

 時々、意識が混濁する。

 白昼夢を見ていたかのように、記憶が途絶える時がある。

 ――嗚呼、でも大丈夫だ。

 彼が言うのだから問題は無いのだろう。
 そういえば、我が館で働いている使用人は何人だったか。

 やけに少なく感じたのだが、気のせいだっただろうか。

 喉が渇く。

 水差しの換えを常備させよう。
 大丈夫。彼がそう言ったから。

 ――あ れ?

 私は今日、彼と何を話しただ ろう か

 そもそも

 わたしは きょう

 かれと はなしを したのだろうか

 いや いつから はなしをしたきおくが ないのか

 なにかが おかしい

 かれは――

     ――いったい

 ――――どんな かおを していた?





ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!

「えっ、な、何?」

 日記も終盤に差し掛かったというところで、突如何処かから大きな音が聞こえてきました。
 何かが、とてつもなく大きな何かが動いているような音。

「なななななナンの音ッスか……ッ!?」

 洋館自体が動いているかのような轟音に、私とチマは同様を隠せませんでした。
 けれど、未だ確定的な情報が無い現状で、ルネリーとキリュウさんとの合流の目途が立っていない状態で、何か館に変化が表れたというのなら調べるしか今の私たちに手はありません。

「チマ!」
「わわわ解ってるッス!」

 不安顔から一転、覚悟を決めたチマが頷く。
 残りの聖水を出来る限り即時使用できるように、ウエストポーチや衣服のポケットなどに入れておきました。

「HP全快ッ! レイア、行くッスよ!」
「うん!」

 チマは腹を据えるのが早い。それはSAOに囚われる以前より感じていたことでした。
 もしかしたら、何も考えていないということも彼女ならありえそうですが。
 それでも意気込む彼女の勢いに、幾度となく助けられてきたのも事実です。
 私たちは安全地帯である部屋を出ました。

「音はどっちから聞こえた?」
「えーと、たぶんエントランスからッス!」

 面白そうだから、という理由で《聞き耳》スキルを取っていたチマにこの時ばかりは感謝しました。
 部屋を出て右の通路を駆け、中央に位置する吹き抜けのエントランスへと向かいます。

「とーぜん、敵は居るッスよね……っ!」

 巡回のスケルトン系モンスターの敵パーティーを視認。
 確かこの通路はアストラル系モンスターの巡回経路にもなっているはず。

「蹴散らしていくよっ、チマ!」
「うわっほー、『蹴散らす』なんて物騒な言葉をレイアが使うとは」

 ――それだけ私も余裕がないんだよ……!

 というか、顔は真剣なのに声音は平然としてるって、チマってどうゆう神経しているんだろう。などと一瞬考えたが、今はそんな場合じゃない。
 回復アイテムも心許無い状態では、さっきの轟音が、この《変化》が、この現状を打開してくれるかもしれない最後の希望。

「――チマ!」

 私は新緑色の鞭、十五層でのクエスト報酬である《トワインズアイヴィ》を思い切り振るった。

 鞭スキル行動阻害技《バインド・グラスプ》。

 ダメージを与えることは出来ないが、スキルを解除するまで、自分も動けなくなる代わりに敵一体の動きを完全に停止させる。ただし、敵によって体重や体格は当然異なる。自分の筋力値やスキル熟練度が足りないと不発に陥るばかりか、技後硬直が普通よりも長くなる、一長一短なスキル。
 ディ-プグリーンのライトエフェクトを纏った鞭がスケルトンの一体に巻き付き、完全に封じ込む。

「でぇぇぇっ、やあああ!!」

 女の子にあるまじき豪快な気合いの発声と同時、チマは残りのスケルトン二体に突進し、近距離から範囲攻撃を放つ。
 確か、両手用大剣スキル重範囲二連撃技《ゲイル・ヘリックス》。
 オレンジ色の光と轟音を振りまいて、二回転しながら大きな鉄の刃でスケルトンたちを一文字に――いや二文字に斬り伏せました。
 聖水の効果がバツグンなうえ、チマの攻撃力は私たちの中でも既に群を抜いている威力、レベルが十分に上なこともあり、重攻撃をまともに受けた敵は一撃でHPバーを消失しました。

「んで、こっちもッスねー……うりゃあっ!」

 何処か気の抜けるチマの気合いと共に、私が拘束していたスケルトンは光に消えました。

「ふいー」
「ゆっくりしてる暇はないよ! 次の巡回が来る前にエントランスの方へ!」
「応ッス!」

 大剣を肩に担ぎながら私に並走するチマ。
 視界端のミニマップと、巡回モンスターの経路を記憶から照らし合わせ、極力戦闘は避けるように、けれど迅速に通路を抜ける。

「――え?」
「こ、これは……!?」

 エントランスへ出ると、吹き抜けの二階へ出ます。
 連絡通路である此処には、探索では何度となく訪れた場所。

 しかし、今までには確認できなかった明らかな《変化》がありました。

 ――隠し、階段……?

 広いエントランスの中央、煤出入口から正面階段まで敷かれた煤けた深紅の長いカーペットの丁度真ん中に、今までには無かった階段が――《四階へと続く吊り階段》が現れていました。

「そういえば、外から見たときはこの館て、四階建てだったッスね……」

 そう、チマの言う通り、最初に外から確認したこの洋館は四階建てでした。
 なのに探索可能だったのは三階までだけ。探索に夢中でそんなことにも気が付いてませんでした。

「……」

 恐らく、四階に行けば《何か》が解るでしょう。
 上手く行けばキリュウさんやルネリーとも合流することが出来るかもしれません。

 ――でも、それは楽観的希望。

 仕掛け階段を使わなければ行けない四階、それは最悪の事態――《ダンジョンボスとの遭遇》を想起させるに十分でした。
 戦闘の起点となる戦巧者のキリュウさん、敵の意識を引き受ける防御力の高いルネリー、この二人が抜けた状態でのボスとの戦闘は恐らく苛烈を極めるでしょう。

 ――行きたい。

 四階へ駆け上り、ルネリーやキリュウさんに再会したい。
 二人と離れてまだたったの二時間弱しか経っていないというのに、既に心細くなっている私が居ました。
 双子の姉妹で、掛け替えのない親友のように育ったルネリーは元より、あのいつも無表情で冷静で、けれど時に見当違いなことを言う意外と抜けたところもある一つ年上の男性、キリュウさんも。

 ルネリーの楽観的な言葉に突っ込みを入れたい。
 キリュウさんの落ち着いた言葉を聞いて安心したい。

 ――けれど。

 ルネリーと同じくらい大好きな親友であるチマ。
 時におちゃらけて場を和ませ、時に鋭く指摘して道を示してくれる頼れる友人である彼女を、二人と会える確実な根拠があるわけでもない場所へ、危険であることは明確な場所へ、ただ行きたいという感情だけで連れて行ってもいいものか……。

「な~に迷ってるッスか」
「え……?」

 バンと、いきなり私の背をチマが叩きました。
 次いで強く肩を組み、にぃっと笑みを向けてくる。

「《道》はもう見えてるッスよ。退路は、わたしたちにはないんスから――――行くしかないのに迷うのはナシッスよっ」

 そう、でした。
 退路? 洋館の出口? コードに護られた主街区?
 キリュウさんやルネリーが居ない場所に逃げ帰って、どうしろというのでしょう。

 帰るのなら、《全員一緒》。

 私たちの《道》は、それしかないのですから。

 ――あーあ。また、佳奈美に支えられちゃったなぁ。

 ルネリーにもキリュウさんにも支えられてばかりです。
 嫌ですね、一方的なのは。どうせなら互いに支え合う関係に、私はなりたい。

「……行こう、チマ」
「そうこなくちゃッス!」

 ――待ってて下さい二人とも。必ず、助けに行きますから……!

 私たちは一階エントランスのモンスターを倒しながら、現れた吊り階段を昇って四階を目指しました。 
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