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SAO ~冷厳なる槍使い~

作者:禍原
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SAO編
第一章  冒険者生活
  Ex2.裏方の仕事人

『――会って、話がしたい』

 思わずドキッとくるような簡潔なメッセージに、私はいやいやと首を振った。
 短い付き合いだが、あの無愛想な少年がそんな色気のある話を振ってきたことなんてあった試しは無い。となると、メッセージでは伝えきれないような複雑な話か、もしくは文章に出来ないほど曖昧な話か。どっちにしろ実際に会ってみなきゃ解らないか。
 私は了解の返事と、落ち合う時間や場所の確認をメッセージで送った。

「……さテ、今日はあとやらなきゃいけないことハ、と」

 約束の時間までのスケジュールを頭の中で組み立て直す。人に会うのが二件、メッセージを送る用事が三件。ギリギリになってしまいそうだが、どうにか間に合うだろう。

「――にしても、初めてだネ。あの子の方から話がアルなんテ」

 ただの話とは思えない。わざわざ直に会って、だなんて。もしかしたら私の情報屋としての力を必要としているのかも。
 私は厄介事の雰囲気を感じながら、人気の無い道を走り出した。

 予想より少しだけ早く予定していた要件が終わり、私は余裕を持って約束の場所へと向かった。
 中央広場の近くにある大きな酒場とは違い、何と言うか侘しい酒場だ。光源が少ないのか全体的に薄暗く、何より人が全く居ないということが侘しい雰囲気を上乗せしていた。
 自分以外、誰も居ない店の中を歩き、カウンターへ腰掛ける。時刻表示を確認すると指定した時間まであと三分。今はエールという気分ではないので、ウイスキーをロックで注文した。
 SAOのシステム的には酔えないが、場の雰囲気というものに酔いながら、ちびちびとそれを飲みつつ奴を待つ。
 デジタルな時刻表示を見つめながら待っていると、ちょうど下二桁にゼロが並んだ所で、後ろのスイングドアが開き、カランカランとカウベルの音が店内に響いた。

「――デ? 珍しく呼び出したりなんかシテ、どうしたんダ? しかもあの三人娘は抜きで、なんテ……」

 いつも会うときと全く変わらない無表情面の少年に、さっそく問いを投げる。
 切れ長の蒼い瞳に真一文字に閉じた口、瞳と同色の少し長めなストレートヘア、百七十近くはあろう背丈にGジャンとGパンのようなデニムに良く似てる革製の上下を着込んでいる少年――キリュウ。中学生とは思えない鋭い眼差しの圧力(プレッシャー)に押されているのに気付かれないように、私は意識して不敵な笑みを浮かべた。

「……いきなり済まない。お前に調べて欲しい事があって呼んだんだ…………アルゴ」
「にはハッ。まあ、そりゃそうだろうナ」

 目を伏せて謝るキリュウの顔に、予感が当たりそうだなと苦笑する。
 だが依頼だというならはっきりさせておくことがある。私はキリュウに向けて口を開いた。

「ヒトツ、言っておくけどネ……個人的な調査とくれば、いつもとは勝手が違うヨ? ちゃんとお代は貰うシ、色々と細かい決まりもあるんダ。そこんトコ、解ってるよナ?」
「……ああ、勿論だ」

 私のモットーは《金になるなら自分のステータスすら売る》だ。
 自分で言いだした訳ではないが、ベータ時代にそういう噂が流れ、以来それを貫いている。まあこれもキャラ作りの一環だ。
 誰かが情報を欲しがり、私にそれを依頼する。と、ここで《誰かが何と言う情報を欲しがった》という情報が出来る。依頼者はその情報を私が商品として扱う、という事も考慮に入れて私に依頼しなければならない。その情報に対する口止め料を払うも払わないも自由。私は買い手売り手の情報を《お金》でやり取りすることを公表している。
 人に依っては私には依頼をしたくないと思うかもしれないが、それに対する私の武器は《正確性》、《信頼性》、そして《早さ》だ。
《お金》はこの世界で生きる者にとって共通の必需品。私はお金に嘘は吐かないし、逆もまたしかり。お金だけが、この世界で――いや、現実でも仮想でも、唯一《信頼が目で見ることが出来る》モノなのだ。信頼の形としてはこれ以上のものは無い。
 私の言葉にキリュウは、更に険しくなった顔で頷く。

「くっくっク、まあそんなカタくなんなヨ。まずは依頼を聞こうじゃないカ。キミからの頼みは初めてだケド…………あの三人には聞かせたくない話なんだろうウ?」
「……ああ」

 いつもカルガモの子供みたいに後ろをくっついている三人娘の姿は見えない。重っ苦しい雰囲気を纏った少年の様子を見るに、結構ヤバゲな話かなーと想像する。
 キリュウは飲み物すら頼まずに、本題から始めた。

「……調べて貰いたい事は二つ。一つは、《ビーター》と呼ばれるプレイヤーについて知りたい。特に、人柄などを」
「――ッ」

 思わず、飛び上がりそうになった。流石にこれは予想外だ。
 この少年がビーターなんぞに何故(なにゆえ)興味を持ったのか。
 ビーターとは、ベータテスターにして重度のMMOゲーマーのことを指し、ベータテスト時の情報を以って他プレイヤーよりも利を得ようとする者の蔑称だが、一般プレイヤーの間では、ベータテスター=ビーターという認識になっているプレイヤーも多い。この少年は何を思ってビーターを調べようとしているのか。有り得ないとは思うが、悪意を持って調べているとは思いたくない。
 そう思ってしまった私は、情報屋としては失格モノの質問を返した。

「はて、なんでマタ?」

 これは必要の無い質問、ただの興味本位だ。つい言ってしまった事とはいえ、人に依っては情報の引き出しとも捕らえられかねない。

「……その理由は、調べて貰いたい事の二つ目にある」

 だがキリュウは、気にした風もなく話を続けた。……否、気にする余裕もないのかな。

「昨日、この酒場でとある話を耳にした。《バリと呼ばれる者が、ボス戦の騒動に乗じてビーターに何かをする》という話だ」
「……」

 キリュウの言葉を聞いたとき、最初に思ったのは《ついに来たか》だった。
 いつか来るとは思っていたが、やはり予想よりだいぶ早い。良い意味にも悪い意味にも、この世界にプレイヤーたちがすっかり慣れたときには、来るかもしれないと思っていたが。
 ネトゲをする大多数は、優越感を感じることを目的とする。誰よりも多い時間を費やせば必ずトップに立てる世界、それがゲームであり《ネトゲ》だ。しかし逆を言えば自分よりも多くの時間を費やす者が居ればトップには立てない。そこで嫉妬が生まれ、積り積れば憎悪となる。結果、妨害をする輩が出てくることになる。無論それは非マナー行為であり、蔑まれる事でもあるが、その手の嫌がらせは消えることは無い。顔の見えないネット上ということも、そういう行為をすることの罪悪感を薄めているのかもしれない。
 そしてこの《ソードアート・オンライン》。ネットゲーマーたちだけのコミュニティーと化したこの仮想世界で、プレイヤーたちの悪意の矛先として《ビーター》が選ばれるのは遅かれ早かれ解っていたことだ。

 ビーターという呼称が生み出された経緯には、実は私も関係している。
 第一層のボス戦の前日、ボスについての情報を放出した(一応、ベータテスト時のものと注釈は入れた)が、戦いの中でボスは予想外にも上層のモンスターが扱う《カタナスキル》を扱った。
 これはベータテスト時とは異なる点だ。これにより部隊は混乱、しかもレイドのリーダーが真っ先に死亡するという事態にさえなった。撤退するしか無いという時に、キリトが戦線を一人(正確には女フェンサーと二人)で立て直し、その後LA(ラストアタック)まで取ってボスを倒すことと相成った。

 しかし一般レイドメンバーは、キリトがカタナスキルに詳しかったことを、《ベータテスターだからビギナーの知らないボスの力を知っていた》と捉えた。これではテスターとビギナーの溝が更に深まると考えたキリトは、『自分は他のテスターとは違う。テスターであり重度のMMOゲーマー……ビーターだ』と宣言し、テスターに向かうだろう敵意を自分一人に集めようとした。
 彼は第一層にして一般プレイヤー全員を敵にまわすような発言をしたのだ。他のベータテスターに恨みの矛先が向かぬように。

 私は、ボスの情報はベータ時のものと明言していたものの多少の責任を感じ、ビーターに関する真偽含めた様々な噂を流すことで、一般プレイヤーたちの《ビーター像》をあやふやにしようとした。
 なのに、今回の件だ。正直、溜め息が出そうだよ。

「この話が真実かどうかを、調べて欲しい」

 その声に、若干の迷いが帯びているのを感じた。

 ――何を迷う?

 いや、考えれば解ることだろう。

「ン~、なるほどネ。人を陥れるような話を聞いてそれを何とかして防ぎたいと思っタ。でもビーターなる人物が噂通りの俗物なら関わらずに放っておこうと…………こういうコト?」

 この少年が見た目とは違い、かなり人が良いということは解っている。が、事は考えれば考えるほど簡単じゃない。それを知りつつ意地悪な言い方をしてしまう自分に少し反省。

「にゅははハ~。ちょっとしたジョーダンだから、そんなに傷付いた顔しないでくれヨー」

 顔に影が落ちるのを見てすかさずフォロー。忘れがちだけど、まだ中学生なんだよね、この少年。
 でも、この件に関わるならまだまだ意思確認をしなければならないことが多くある。

 ――少年……キミは、私たちテスターにとって敵となるのか? それとも……。

 私は続けて、またもや意地悪な質問を投げつける。

「だが、いいのカ? もし、仮に噂はデタラメでビーターが実は良い奴だったとシヨウ。そして、その答えを聞いたキミは彼を助けようとするのだろうナ。……で、そのあとハ? 聞いた限りじゃ、まあ穏やかな話でもなさそうだシ、それに出る杭は打たれルっていうしナ。この件は決着の着け方が問題ダ。しかも今後、きっとそういうバカはたくさん出てくるゾ? キミはそのとき、どうする気なんダ?」

 キリュウは沈黙した。彼が何を考えているのかは解らないが、少なくともテスターわたしたちの敵にはならないだろうという漠然な予感はしていた。

 きっとこの少年は、思ったより頭は良くない。
 それは勉強が出来ないとか、とっさの判断が出来ないとか、そういう頭の良さではなく、人と人との付き合い方などの人間関係において、なんというか要らない事まで考えているというか、人が良すぎるというか、そこまで考えなくてもいいんだぞとは思う。

 ――まあ、だからこそ信頼の置ける人物足り得るのではあるんだガネ。

 キリュウは約一分の後、未だ迷いの晴れない顔で言ってきた。

「……解らない、どうしたらいいかなど。……だが、だからといって放置するわけにもいかない」

 はて、と思う。今の響きには迷っていた先ほどとは逆に、確かな意思を感じた。
 直ぐに私は訊き返す。相手が相手なのでシリアスになり過ぎないように注意しなければならないのが辛いところだ。

「ほーウ、それはまたどうしテ?」

 元々説明するつもりだったのだろう。キリュウは間も開けずに話しだした。

「……昨日この村へ来たときに、一人の男性プレイヤーにフロアボス会議の日取りを質問した。そして今日、中央広場で行われた会議のあと、再び会ったそのプレイヤーは《バリーモッド》と名乗った。彼は仲間に《バリ》、もしくは《バリー》と呼ばれているらしい」
「ほむほム、なーるなル。ビーターに何かをしようとしている人物らしい《バリ》って奴が、その《バリーモッド》とかいう奴かもしれないト」

 もう既に、件の人物と接触していたということか。そしてその人物を見て、実際に事を起こしそうな奴と思ったってことだろうか。

「…………それだけでもないのだが……」
「?」

 ――まだ何か理由があるのか。

 小首を傾げた私にキリュウは言う。

「そのバリーモッドというプレイヤー……どうやら、ルネリーに気があるらしい」
「…………ハア?」

 想像を遥かに超えた答えに、思わずキャラが崩れそうになってしまった。

 ――なんでいきなりそんな展開に? 

 と、彼の話を聞きながら情報を整理する。
 なるほど、女性が極端に減ったSAOじゃ、美少女というだけで目立つ。しかもここはゲームの中、現実では有り得ない《強さ》をアピールすることが出来る場所だ。容姿が特に酷いという者ではなければ、可愛い女の子も高値の花ではないと考える輩も出てくるというものだろう。

「――つまり、自分のオンナを盗られたくナイ、ということダナ。ククク」

 ここで茶化すのを忘れない私は、キャラになりきっているなと思う。

「そういう関係ではない。……が、守りたいと思う仲間だ。企み事をするかもしれないような人間を、彼女たちに近付けさせたくはない」
「まーまー、そういうコトにしておこうカ。……くひ」
「……」

 おっと、不機嫌にさせてしまったかな。
 だが、こういう所は年相応な態度だなと自然に笑みが浮かぶ。
 今回の件は私にも関係がありそうだし、今後のことを考えてもやはり調べておいた方が良さそうだ。

「オーケー、いいダロウ……その依頼、この鼠が引き受けタ!」

 今夜は、長い夜になりそうだと思いながら、私は力強く言った。








 その後、ちょいと意味深ぽい言葉を残して、私は酒場を出た。

 ――さぁ~テ、まずはっト……。

 歩きながらフレンドリストを開く。
 目当ての人物を見つけ、簡単にメッセージを飛ばす。
 返事はすぐに帰って来た。そしてそれを何人かで繰り返す。
 今メッセージを送ったのは、キリュウたちとは別の協力者たちだ。SAO内の情報を再確認してもらっているキリュウたち四人とは毛色が違い、主にプレイヤー関係の情報を集めるのに役に立ってくれている。このほとんどが元ベータテスターで、その時代からの付き合いでもある。彼らは利己的な分、自身に有益であれば、こちらにとっても有益となる信用に値する者たちだ。しかし、彼らの多くはソロではなくパーティーを組んでいる。つまりは、ベータテスターということを周りに隠して生活している。色々とリスクは高いが、それゆえにビギナーたちの情報は多く持っている。真偽問わず様々な噂を集めてくる協力者、逆に数は少ないが確かな情報を持って来る協力者、彼らから情報を貰って取捨選択し、自分で精査するのだ。

 私には協力者が大勢居る。
 そのほとんどがギブアンドテイクの、雑多に情報を集めることを目的とした連中だが、中にはSAO以前より付き合いのある――信頼の置ける者たちも居る。
 信頼の置ける者の数は少ないが、そのほとんどが何かに特化している者たちだ。
 何か、と言っても主に知識面に関してだけど、その知識は収集した情報の補完やら推測への裏付けなどに役立たせてもらっている。
 最近はキリュウなど、実戦面でも信頼出来る協力者も出来たお陰で、より充実した情報を手に入れることが出来るようになった。
 情報が多ければ多いほど、それらは取引などにも使えて、更なる情報を呼ぶ。
 幾多のプレイヤーの声を聞き、それらをまとめ、一つの結果、結論を導く。その結論のもとに調査し、確信を得る。
 それが、私のやり方だった。

「……まさか、同じベータテスターでもある奴が、ビーターの暗殺を企んでいたとはネ……」

 情報を集めていく中、その答えに行きついたのは早かった。
 バリーモッドという珍しい名前は、ベータ時では目立ったプレイヤーじゃなかったようだが確かに覚えている者は多く居た。
 彼もキリトと同じように、ベータテスト時と同じ名前でプレイしていたのが幸いだ。それさえ解れば調べる情報の絞り込みもし易いというものだ。
 彼の周りの状況を調査しながら、バリーモッドの真意を推測する。
 バリーモッドは元ベータテスター。
 彼は周囲にそれを隠して今まで過ごしてきた。
 彼はビーターについて悪意ある噂を流している。
 彼はビーターの容姿について特定した噂を流している。
 更に、彼は普段の仲間とは別にプレイヤーを集めている。
 そして彼は、ボス戦にてビーターを殺すと言っている。
 ここまでくれば、なんとなくバリーモッドの心中を想像できる。

 ――奴のこれまでの態度を考えると、キリトに危害を加えようとしているのは明らか……カナ。

 今度のボス戦で、ということを考えると、キリトに接触する機会も限られてくる。
 バリーモッドの取る方法も簡単に思いつくというものだ。

「……だけド」

 問題はそれをどうやって防ぐか、だ。
 知り合いも何人かボス戦に参加する予定だ。報酬を払ってキリトの警護をしてもらうか?
 しかし、参加するプレイヤーたちは心から信頼できる者たちではない。
 こんなシリアスめいた状況では、ここぞいう場面で手のひらを返されかねない。
 だが、信頼できるプレイヤーに頼むとしても、命の危険が高いボス戦で、ボス以外にも注意を向けろというのも、信頼できるプレイヤーだからこそ頼みにくい。なんとも難しい話だ。

 ――キリトには、なるべくこの件は伏せておきたいしネ……。

 彼は、第一層のボス戦でビーターとなった。
 それが、あと九十九層あるアインクラッド攻略完了まで嫌われ者になり続ける覚悟をしたうえで宣言したのか、それともその場のノリだったのかは、彼の人柄からは微妙に判断が付きにくい。
 が、それでもその行動はプレイヤー全体のためであったし、その行動によって救われた者も少なからず居る。
 その反面、キリトも苦悩していることだろう。なぜなら、いつ誰かに非難されてもおかしくない状況を自分自身で作ってしまったのだから。
 だからこそ、これ以上の面倒事をアイツに背負わせることはしたくは無い。
 特に深い仲、というわけじゃないけど、まあまあ長い付き合いでもあることだしな。

「…………ふむゥ」

 長く考えている時間も無い。
 と、いうわけで、もういっそのことキリュウに賭けてみるというのはどうだ?
 バリーモッドは元ベータテスターといっても、攻略組というわけじゃない。
 レベルもプレイヤーとしての技術もそこそこ、といった塩梅だ。
 スキル構成も《聞き耳》みたいな両手剣士には不釣り合いなものがある以外は普通。
 これならキリュウくらいの実力者なら問題は無いと判断できる。

 ――問題は彼が協力してくれるかどうかダネ。

 キリュウ自身、この件を問題視してはいるようだが、関係の無いプレイヤーのために命をはってくれるのか。
 話を聞く限り、迷っている印象を受けた。
 あの年頃特有の無垢な正義感と、現実的な損得勘定で板挟みになっているんだろうと推測。
 あの堅物少年を説得するには――

「…………クフ。くふハッ……にゅっふっふハハハ!」

 自然と笑いがこみ上げてくる。
 この私が、ここまで人間関係で悩むとはね。
 今までは――ベータ時代やそれ以前のMMOのときには、そんなことは考えなかった。
 騙された方が悪い。やられる前にやれ。
 やられたくなければ、相応の対策を事前に考えてしかるべきだ。

 ――でも……。

 このデスゲームが始まってから、私の考えは明らかに以前と変わった。
 出来ることならプレイヤー全員で協力してアインクラッド攻略に臨みたいし、プレイヤー間の諍いはなるべく起こしたくない。
 そんな考えもあったからこそ、無償のエリア別攻略本なんてものを放出したし、ベータテスターと思われるのも覚悟の上でボスについての情報を公開した。
 ……いやまあ、もちろん色々とメリット、デメリットは計算したけどね。それでも根幹にあるのは純粋な人助けだと私は思っている。

「…………っ、ハァァァ~……」

 なんとも面倒くさい話じゃないか。
 私がこんなにも色々と考えているというのに、誰もがそれをあざ笑うかの如く自分勝手だ。
 デスゲームなんてフザケタ状況でも、全員が全員協力しあえる訳じゃないし、まして他人を貶める輩まで出る始末。

「…………くくク」

 いいだろう。いいだろうともさ。
 お前たちがその気ばらば、私にも考えというものがある。

 ――あの計画・・・・、早めるとしようカネ……。

 私はキリュウにメッセージを打つ。
 バリーモッドについて調査した内容を簡単にまとめ、まずは結論。バリーモッドが事を起こす旨を伝え、次いでビーターについて書く。このとき、やや同情を引き易い文章にするのも忘れない。
 わざとらしいくらいでいい。
 騙されてくれればめっけモノ。そうじゃなくても確実に布石にはなってくれる。
 そして焦らすようにしてから、次に私の秘密――というほどでもないが――ベータテスターだということを明かす。
 人間ってのは、他人から秘密を打ち明けられれば少なからず気持ちが浮き立つ。自分以外は知らないのだという優越感を感じるせいだ。
 ここで意見を誘導してやれば、考えが肯定的になる可能性が高い。
 追い打ちをかけるようにバリーモッドの動機について説明する。被害妄想が過ぎるとはいえ、彼もデスゲームで歯車が狂ってしまった被害者なのだと。暗に、バリーモッドを犯罪者にさせるなという意味を込める。
 最後にとどめとして、情報の報酬は要らないということ、そしてボス戦が終わった後のことはこちらで責任を持つということを示し、少しでも頼まれる側の重圧を軽くしてやる。

 ――ふむ。ここまでしてやれば十分だろウ。

 これは頼みであると同時にテストでもある。
 キリュウが、私にとって本当に信頼できる人物となりえるかというテストだ。
 彼がこの状況でキリトを助けようとするお人好しバカなのだったら、私は最大限キリュウのこれからをバックアップしよう。
 他人のために命を張ってくれる人間は貴重だ。他の誰がそういう人間をバカと笑おうが、最後の最後で頼れるのは結局そういう奴だけだ。
 逆に、もしキリュウがキリトを見捨てるような人間だったとしたら――――それはそれでいい。
《デスゲーム》なのだから、自分の安全を優先するのは当たり前だ。
 しかし、そういう輩はこれからも大事な場面で自分を取る。無論、信頼は一切できない。
 いきなり関係を切ることは無いが、次第にフェードアウトしていくのは確実だろう。

 私は自分を臆病者と認識している。
 本来ならば、自分の方から他者を信じるということを始めて、徐々に信頼を築いていくものなのだろう。
 だが私は、まず相手ありきだ。
 信頼できる相手と、しっかりと判断ができて初めて一歩だけ踏み込む。
 相手がその一歩を受け入れれば次の一歩を踏み出すが、そうでなければそこで終わり。
 此方だけが信頼して飛び込んでも、相手が受け止めてくれなければ痛い思いをするのだから、慎重に慎重を重ねる。痛い思いはしたくないから。

 でも今回は時間が無い。
 私の信頼全部を委ねていい人物か、ゆっくりと石橋を叩いている時間は無い。
 一足飛びに「他人の為に命を懸けてくれ」と頼むしかない。
 普段のキリュウならば受け入れてくれる可能性は高い。それは今までの付き合いからでも解る。問題は、命の懸かった極限状態ではどういう選択をするのかだ。
 正直な話、そこまでの信頼関係はまだ築けていないと思う。

 ――抜き打ちテストだ、キリュウ。見事、私にとっての正解を導き出してくれ……。

 私はメッセージの送信ボタンを押した。




  ◆




「――ハッ、ハッ、ハッ……!」

 暗闇に染まったフィールドを、俺は闇雲に走っていた。
 思考もなく、目的地も決めず、ただ離れなければいけないという意識のみで身体は動いていた。

「ゼッ、ハー、ゼッ、ハー……っ」

 どのくらい時間が経ったのか、走っていた先に偶然あった村の《圏内》に入ったとき、俺はようやく足を止めた。
 両のひざに手をついて、息を整える。

「すぅー……はぁー……」

 呼吸が落ち着くのと同時に、頭の方も落ち着いてきた。
 落ち着いたことで、思い出したくないこともどんどん脳裏に甦って来る。

 ――クソッ……クソッ……クソォォ……!

 失敗した。
 あれだけ大言壮語を吐いたってのに、ビーターを殺せなかった。
 協力してくれた奴らにゃ報酬を払わなきゃならないし、殺せなかったことで色々と言われるだろう。
 ノリの軽い即席の仲間やつらのことだ。最悪、『ビーターを殺すと息巻いて、結局は殺せなかった男』というのを尾ひれ付まくって周りに言い触らしかねない。

「……ぅ」

 いや、絶対にするだろう。
 これじゃ本当の仲間あいつらのもとへさえ帰れねぇ……。
 結局、俺がしたことは、俺の全てを失くしただけだった。

 あの野郎――俺の目論みを邪魔しやがった蒼い髪と眼のガキ。
 ルネリーちゃんといた野郎だ。名前は忘れた。
 俺のルネリーちゃんとパーティーを組んでいるどころか、更に二人も女の子を囲んでいるイケスカない奴。
 最初の印象はそれだけだった。
 ルネリーちゃん絡みでまた会うかもな、とは思っていたが、まさかあの場面で出しゃばってくるとは全くの想定外だ。

 ――アイツ……今回のこと、ルネリーちゃんに言うかな……?

 言うよな。俺がアイツだったら言うもん、ゼッタイ。
 ああ、仲間も尊厳もを失い、最後にはフラグさえも失うといふのか。

「はぁぁぁ~~……」

 溜め息を深く吐いて、体も気分も重くなった気がした。
 あの野郎が居なければ、きっと、何もかも巧くいってたんだ。
 俺はビーターの足を切断して、ビーターは毒ガスの中に取り残されて死ぬ。
 ビーターさえ居なくなれば、だんだんとその存在は忘れられていって、そして仲間と戦い続けて行ってベータテスターだのビギナーだの差が無くなったそのときは、俺はあいつらに打ち明けるつもりだった。そのときなら、受け入れてもらえると信じて。

 ――それをあの野郎が、台無しにしやがったんだ!

「…………っ」

 だけど、と思う。
 あの野郎が居なければ、俺は――死んでいたかもしれない。
 俺が毒ガスに引きずり込まれたとき、アイツは他の奴らが唖然としている中、ひとり躊躇なく毒ガスに俺を追って飛び込んできやがった。
 なんなんだよアイツは、意味がわからねぇ。
 何処で聞いたのかは知らねぇが、俺がビーターを殺そうとしてることを知って止めに来たんじゃないのか?
 アイツからしてみりゃ、俺は犯罪者だろ?
 なのに、なんでアイツは俺を助けたんだろうか。

『……ルネリーたちなら、そうしただろうからだ』

 いや、理由は一応言ってはいたけど、今考えてみるとそれだけってありえるのか?
 そんなんで他人のために命を懸けるのか? ないだろ。
 アイツに助けれらて、わけもわからないうちに協力させられ、気が付いたら毒ガスは消えていた。
 絶対に助かるわけがないと思っていた俺は、最初助かったことを自覚できなかった。
 でも、アイツと目が合ったとき――こいつに助けられたんだと、自分の邪魔をした奴に助けられたんだという羞恥が、俺の心を満たした。
 そして俺は、ボス戦の真っ最中だというにも関わらず、たまらずひとり抜け出した。
 言いようのないモヤモヤを抱えて、ここまで走って来たというわけだ。

「……はは」

 笑っちまう。我ながら滑稽すぎて自分で笑えて来る。
 もう俺は、これから先どうしたらいいのか……。



「ねえ、そこのお兄さん」



「……あ?」



 俺が自棄になりかけたそのとき、誰かが声をかけてきた。
 うつむいてた頭を上げると――そこには、胸元の大きく開いた赤いドレスを着た女性が立っていた。
 ウェーブのかかった赤みがかった茶髪のセミロングに、少しきつめの化粧。年齢は二十代前半くらいか?
 化粧は濃いが、美人ではある。エロマンガとかで見た娼婦っぽい感じのお姉さんだ。

「フフ……ねえ、何してるの?」
「え、と……べ、別になにも……」

 すーっと寄り添うみたいに近付かれ、女耐性の低い俺はどもってしまう。

「そうなの? なにか深刻そうな顔をしてたけど」
「……ちょっと、嫌なことがあっただけだよ」
「ふーん」

 もう少しで触れそうなほど近付いてくるわりに、その女性の声はどうでもよさそうだ。

「あ、あんた……なんなんだ?」

 田舎村の、他に誰も居ない夜の通りで、全く知らない女性と二人っきり(しかも距離が限りなく近い!)という、この雰囲気に耐えきれず、俺はその女性に訊いた。

「アタシ? アタシはね……あそこ、見える? あのお店で働いてるのよ」

 女性が指差す方向には、一軒の酒場が。
 プレイヤーが露店ではない個人の店を持つにはまだ時期が早いんじゃないかとも思ったが、聞けばどうやらアルバイトのような毎日クエ(一日一回までだが毎日受けられるクエスト)で日銭を稼いでるらしい。

「ヤなこと、あったんでしょ? だったら飲んでかない? もう時間も遅いし、泊まれる部屋もあるわよ?」

 奢らないけど酌ぐらいはするわよと、まだ名前も訊いていないこの女性に勧められ、俺は拒否する暇もなく押し切られた。

 ――ま、いいか。今日は色々ありすぎた。酔えないけど、それでも飲みたいときだってあるよな……。

 それに、こんな美人が酌をしてくれるっていうし。
 今夜だけはイヤなこと全部忘れてしまおうと、俺はその女性についていき、その酒場へ入って行った。




  ◆




『~~~~~~~~~~っっっ!!!??』

 私が寄りかかっている壁の向こう、隣の部屋から絶叫が聞こえてくる。
 そして直ぐにピタッと止んだ。
 本来、この仮想世界のあらゆるドアは、条件つきながら完璧な遮音性能を持っている。
 閉じられたドアを透過する音は、叫声シャウト、ノック、戦闘の効果音、の三つだけだ。平常の話し声などはたとえドアに耳を押し当てても聞こえない。
 ましてや壁なんて論外、何をしてもどうやっても隣の部屋の音は聞こえるはずがない。それが叫び声だったとしても。
 しかし、ここの宿は例外中の例外だ。俗にいうボッタクリ宿。
 一般の宿屋と同程度の値段のくせに、鍵はないわ、部屋はせまいわ。更には部屋を囲う壁は普通のドアと同じ特性を持っている。そう、叫び声などは通る、ということだ。ありえないったらない。

「ふー……。一仕事終えた後のバレンシアは美味しいわね」

 ノックもなしに私の居る部屋へと入ってくる赤いドレスを着た女。
 彼女は片手にグラスを持ちながら、優雅な足取りで私に近付いてきた。

「酔えないカクテルなんて、ソフトドリンクと同じだろウ?」

 私は特に気にせずにその女に話しかける。

「無粋ねぇ、それを言ったらSAOここにある全てのお酒がソフトドリンクということになっちゃうわ。ノンアルコールカクテルと言ってちょうだい。――アルゴ」

 挨拶的な軽口に、私はクスッと苦笑する。

「まあ、それは置いておいテ……ありがとウ、キミに頼んでよかったヨ。――《メリーシア》」

 ドレスの女性、メリーシアは蠱惑的に微笑んだ。

「あなたの頼み、しかもこんなに楽しい《お仕事》を断るワケないでしょう。ふふっ……これでも、あなたには感謝しているんだから、アタシ」

 立ち話もなんなので、私たちは部屋に置かれたテーブルにつく。
 小さな丸テーブルに一対のイス、そして簡素なベッドだけがこの部屋の備品の全てだ。
 ストレージから新たな飲み物を出しているメリーシアに倣って、私も常備してあるウルバス産のブランデーを開けた。

「……それにしても楽勝だったわ。明らかに童貞まるだしで。えーと、名前なんだったっけ? 聞いたけど忘れちゃった」
「バリーモッド。っておいおイ、依頼の説明したときも名前教えたはずダロ」
「いいじゃない。どうせもう――二度と・・・会うことなんてないんだし」

 そう、バリーモッドはもうここには居ない。
 想定外のことが起こらない限り、二度と彼がキリトやキリュウの前に姿を見せることはないだろう。

「今回はぜんぜん難しくなかったし、報酬はいいわ。そのかわり、またお願いね♪」
「ハァ、まったく、キミは本当に昼・とは別人だよネ。二重人格と言ってもいいんじゃないカ?」
「あら。アタシをこんなふう・・・・・にしたのはあなたよ、アルゴ。……あなたのおかげで、アタシは変われたのだから」

 彼女――メリーシアという女性プレイヤーとは、このソードアート・オンラインのベータテストで偶然知り合った。
 実は、ベータ時代のメリーシアはかなーり地味めな女だった。
 三つ編み、ハの字眉毛、俯き顔、重度の対人恐怖症。
 なんでそんなアバターでオンラインゲームなんてやってるんだと、思わずツッコミを入れたくなるほど意味不明な引っ込み思案な娘。
 そんな彼女に私はとあるアイテムを渡した。
 アバターの容姿に直接作用するタイプの《メーキャップアイテム》。
 簡単に言えば化粧品。
 私の両頬の三本ヒゲもその類のアイテムを使って描かれたものだ。
 彼女に渡したのは、フォトショップのように自分の顔や髪を色々といじくれるもの。最初は戸惑っていたようだが、すぐに使い方を覚えた彼女は、己の美の追求に溺れていった。
 そして次に私が彼女に会ったとき、彼女は変わり果てた姿となって現れた。元が良かったのか、メリーシアは誰もが美人と賞賛するほどの容姿となっていたのだ。
 化粧は女を化けさせる、というが、彼女の場合、容姿だけではなく性格すらも化けてしまった。
 化粧を覚え、人が変わったことにより、彼女はとある《病気》を持つようになったのだ。

「ああ……、はやく次の男を騙したい……♪」

 メリーシアは、《ハラスメント行為誘起詐欺師》なのだ。







 昼間の彼女は地味で真面目な女性プレイヤー。
 男性の割合が多いパーティーの中でも、信頼はされるが恋愛感情なんて抱かせないという意味不明の特技を持つ。
 会話も最低限しかなく、意見もせず、ただ黙々と与えられた役割をこなす彼女には、その姿にある種の諦観すら見て取れる。彼女を初めて見た者は、きっとデスゲームのせいで感情を閉ざしてしまったんだなと思うことだろう。

「デスゲームとなって初めてのお仕事……♪ 簡単ではあったけど、やっぱりイイわぁ……はふん」
「にはハ。この変態メ」 

 しかし、ひとたび陽の落ち切った闇夜となれば、彼女は胸元を大きく開いたドレスを纏う娼婦のような蠱惑的な女性プレイヤーに変貌する。
 特定の酒場にカモになりそうな男性プレイヤーを誘いこみ、色々と思わせぶりな言動でハラスメント行為を相手に起こさせる。
 メリーシア曰く、騙されたと解って、でもシステムによって動きを拘束された男性プレイヤーのあの驚愕と絶望と憤怒の入りまじった顔が堪らなく快感なのだという。

 ――ゼッタイ地獄へ落ちるナ、このオンナ……。

 それは私もか、と思ってから自嘲する。
 私はメリーシアに依頼して、バリーモッド相手に《仕事》をしてもらった。
 先ほどの叫び声の主は、バリーモッドだ。
 キリュウからキリトを守ったとの連絡が来る前に、あらかじめ監視役を頼んでおいたプレイヤーに報告を貰った。そしてバリーモッドの進む方向に先回りをして、場を整えた。

 今、この小さな村には私たちしか居ない。そうするように私が仕向けたのだ。
 恐らく、メリーシアに誘われたバリーモッドは、促されるまま彼女に触れ、そこで彼女はいつも通り「ごめんなさいねぇ~♪」というセリフと共に《ハラスメントコール》をしたのだろう。
 申告コールにより、加害者はシステムによって一時的にその場で動きを拘束される。手足が動かないだけなので、加害者はこのとき様々な感情をその表情に映す。ある者は怒り、ある者は助けを乞い、またある者は絶望に茫然とするか絶叫する。
 そして然る後、強制転送されるのだ。
 全てを失ったバリーモッドは、最後の最後でも騙され、叫びながら何を思ったのだろうか。

 ――ま、もう関係ないけどネー。

 何故ならバリーモッドは――

「ねえ、アルゴ?」
「ん?」
「それで、《あの件》はどうなったの?」
「…………あア、あの件ネ」

 メリーシアに問われ、回答しようとしたそのとき、メッセージの着信音が鳴った。
 私は慣れた手つきでメッセージウインドウを開く。

「誰?」
「…………」

 噂をすれば、というやつかな。

「ねぇー、教えてよぉ」
「……《あの件》についてだったヨ。ほラ」

 私はメリーシアにメッセージを見せた。

「ふむふむ……んふふっ、なるほど。計画通りみたいね。……でもよく《アレ》を見つけたわよね? いえ、むしろよく考え付いたって言った方がいいのかしら」
「にっひっヒ。まぁネ」

 送られてきたメッセージにはこう書かれてあった。






『アルゴさん。あなたの情報通りの手順で、黒鉄宮の《牢獄エリア管理システム》を掌握することが出来ました。予想通り、投獄日数の変更も可能みたいです。アルゴさんの仰る通りでした。このシステムを悪用されでもしたら大変なことになります。これより、私が責任を持ってこの黒鉄宮を管理致します。お任せ下さい。
 そして次に、連絡にあった通り、先ほど牢屋(ジェイル)に強制転送されてきた男性プレイヤーを一名確認しました。転移してきた当初は盛大に喚いておりましたが、今は大人しくしています。彼がPK未遂を起こしたというのは、アルゴさんの情報なので信じますが、本当に《無期投獄》の設定にしてよろしいのでしょうか?』

 このソードアート・オンラインの世界には《犯罪防止コード》というものがある。主街区などの一部の町村に敷かれた、システムによる絶対ルールのことだ。
 このルールに反する行為を行った場合、プレイヤーは重いペナルティを受ける。
 簡単な例を挙げるとするなら、やはりセクシャル・ハラスメントだろう。
《犯罪防止コード圏内》で男性プレイヤーが故意に女性プレイヤーの身体へ接触を試みた場合、女性プレイヤーはハラスメント行為をシステムに申告(コール)できる。
 申告された男性プレイヤーは身体(アバター)を拘束されてカーソルが犯罪者を示すオレンジカラーとなり、黒鉄宮内にある監獄エリアの牢屋(ジェイル)へ強制転送させられる。

 ベータテスト時代であったならば、リアルで三日間は牢屋にアバターが更迭されられ、ログアウトしてもアバターはそのまま牢獄の中に居続ける。
 期間限定のベータで三日間の拘束はかなりきつい。
 更に、このコード違反にも重さがある。
 普通の刑務所と同じだ。罪の重さで服役期間が変わるのは当たり前ってね。

 ベータでは、基本的に違反の罰は三日間の投獄が普通だった。
 では、今はどうだ?
 デスゲームという状況下で、逆に言えばたった三日間の投獄で犯罪も許される。
 もし、犯罪上等というバカが現れたりでもすれば、この世界はどうなってしまう?

 ――決まっている。混沌だ。

 アインクラッド百層の攻略をしている場合じゃなくなるだろう。
 そう考えた私は、何よりも真っ先に黒鉄宮を調べた。
 黒鉄宮には監獄エリアがある。
 ベータ時代、監獄エリアを始めとした黒鉄宮の管理はNPCが行っていた。
 しかし、現在の黒鉄宮内にはNPCは居ない。関係者以外立入禁止(キープアウト)だった場所も出入り自由となっていた。
 私は宮殿内をくまなく探し、そして《監獄エリアの管理システムにアクセスする端末》を見つけ出した。
 だが見つけたはいいが、それの管理を私がする訳にはいかない。

 私は金に薄汚い情報屋――《鼠のアルゴ》なのだから。

 そんな私が監獄エリアの管理システムなんてものを掌握していることがバレたら、暴動は確実だろう。
 ならば、そんな大層なものを管理してても誰からも文句を言われず、なおかつそれを絶対に悪用しないと信用できる人物を管理者とすればいい。
 幸い私は、そんな人物に心当たりがあった。
 私は今し方メッセージを送って来たそいつに返信する。

『構わなイ。設定を《無期投獄》で固定してクレ。キミも解っているダロウ? いつ開放されるかも解らないこの状況。限られたコミュニティの中に、犯罪を起こそうとする人物がいル。その人物は事の大きさを理解できていないんダ。そんな奴を野放しにしておく愚は犯してはならナイ。しかも、一度投獄されれば、そのことを逆恨みして更なる犯罪に繋がりかねなイ。だからこそ、投獄された者はSAOをクリアするまで投獄し続けたほうがイイ。キミには嫌な役目を押し付けてしまった形となるが……くれぐれも頼ム。――――《シンカー》』

 シンカーは《MMOトゥデイ》というSAO開始時の、日本最大のネットゲーム総合情報サイトの管理人だ。いや――だった、というほうが正しいか。私はかねてから数々の情報をそのサイトに提供していたこともあって、彼とは旧知とも呼ぶべき間柄だった。

 彼は現在、はじまりの街に籠っている全プレイヤーたちのため、集団で安全に狩りを行い、全員でアイテムやコルを分配するという活動をしている。
 無論、そんな彼の人望は厚い。
 彼ならば、《監獄エリアの管理システム》を管理していても誰も文句は言えないだろう。







 この理不尽な世界で、理想を保つことは大変だ。
 信頼できる者ができても、少しの希望が見えてきても。
 必ずといっていいほど《邪魔》が入る。
 こっちが気を使って色々してるってのに、その全てを台無しにしてしまう奴が現れる。
 もう疲れた。理想を全て叶えることは無理だということが解った。解ってしまった。
 だから限定する。
 守るモノと、切り捨てるモノを区別するのだ。

 ――キリュウ。

 君は合格だ。よく正解を出してくれた。
 私の中で君は《守るモノ》に分類されたよ。
 今後、私は君を助け続けよう。きっと、君も私を助けてくれるから。

 ――バリーモッド。

 君は不合格だ。君の境遇には同情するが、よくも私の苦労を台無しにしてくれた。
 私の中で君は《切り捨てるモノ》に分類されたよ。
 今後、君はSAOがクリアされるまで牢屋の中に居るといい。安心してくれ、寂しいのは少しの間だけだ。きっと、すぐに仲間が増えるから。








 第三層フロアボス攻略の翌日。
 私は今回のボス戦についての噂をあらっていた。
 バリーモッドは結構ビーターについて言い触らしていたようだし、彼が失敗したあとの経過が気になったのだ。
 しかし意外なことに、それほど噂は広まっていなかった。
 そもそもデスゲーム状態で犯罪を起こすことを本気で信じるプレイヤーも少なかったのだろうと思う。
 更にその上、噂好きのプレイヤーたちは別件に夢中だったようだ。

「…………ぷ……くっ、にゃはははははハ!」

 その別件というのが――



『――プレイヤーたちの運命を握る大事なボス戦に、あろうことか三人もの美少女を侍らせたハーレム野郎現る!!――』



 もろに知り合いのことだった。

 ――ま、このくらいは幸運税ということで少年には我慢してもらおう。

 今のところ計画は順調のようだ。
 でも、それも最後まで続くかは解らない。
 だから私は、今日もアインクラッド中の陰を駆け廻る。
 誰よりも多く情報を集め、誰よりも多く情報を扱い、全てを利用して《邪魔》に備えるのだ。

 他の誰が知らなくても良い。

 自分自身だけの――――自己満足(りそう)のために。 
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