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乱世の確率事象改変

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大徳の答えは白に導かれ

 白蓮や星、鈴々が桃香達と話さなくなってから五日。劉備軍に与えられた被害は甚大であった。被害と言っても戦による物理的な損害という訳では無く、攻撃を受けずに兵の数が大きく減ったのだ。
 行軍中に娯楽と呼べるモノは喋る事くらいである為に、兵同士で噂や情報が回るのは普段よりも早い。黒麒麟が居ない、徐晃隊が居ないと伝われば、何故かと考えるのは必然であり、彼の元よりの噂から脚色されて広まっていくのは当然であった。

 離脱した兵曰く、我らが兵士となったのは家たる徐州を守る為。黒麒麟が残るというのに、どうして自身で守るべき徐州の民が離れられようか。

 一万という膨大な数ではあったが、それでも離反する兵がその程度に留まったのは奇跡的と言えた。以前からの行い、加えて徐州での桃香達三人による尽力あってこそ、残りのモノは着いて行くと決めてくれた。しかし士気がどん底まで下がってしまうのは詮無きこと。
 士気が格段に落ちている状況の中、朱里は一人、残存兵数と分け与えて残った兵糧の計算の途中で、彼の影響力と先読みに心が疼いていた。
 秋斗が行ったモノは、劉備軍が離れる事を前提として、徐州の自衛力や生産力低下を危惧しての思考誘導。それに気付いた為に。

――やっぱり……あの人は益州入りを狙ってたんだ。徐州に私達の影響を残して、曹操さんが掌握しきる為の時間を稼いで、しっかりと相対出来るように。

 彼が何を目的に動いていたかが見えて、心が落ち込んで行くのと反して、ゾクゾクと背筋に快感が昇る。

――きっと洛陽の時点で既にこの状況を読んでいた。そうでなければ戦が終わってから直ぐ、白蓮さんに同盟を薦めるわけが無い。白蓮さんが勝とうと負けようと、彼はずっと……曹操さんを打倒する為に思考を積んでいたんだ。

 彼を思い出すだけで締め付けられる胸の痛みから、朱里の淡い桜色の唇から熱い吐息が漏れた。
 狂う寸前の他が為を想う滅私の在り方、狡猾にして冷徹ながらも卑賤ならず温情な心、どちらもが……彼女の仕える主とは似て非なるモノ。
 心臓はうるさい程に喚き散らし、脳髄に居座る黒い獣はその存在を求めていた。

 全てを見て欲しい。全てを理解して欲しい。全てを扱って欲しい……従えて欲しい、と。

 被支配欲と言えるその感情は異質なモノだと朱里も理解している。
 桃香に向ける欲求とは似ているが全く違うモノであり、皆を同列に扱う事を良しとする桃香に仕えるならば持っていてはいけないモノ。
 今、秋斗に向けているのは、心優しい朱里が持つはずの無かった感情。秋斗の異常な先読みと効率思考は、それだけ朱里の内部に居る化け物にとって魅力的だった。
 冷徹な軍師としての彼女は未だ冷めやらぬ微睡の中であったが、居なくなった彼の影を見る度、聞く度に目覚ようと意思を露わにしていた。
 甘い思考のままで彼の影響を一番に受けた親友に勝てるなど、万に一つも有り得ない。だからもっと策を、もっと思考を、もっと……。
 もはや内から留められるはずも無く、朱里は漸く……もう一人の昏い自分を認めた。

――これからはちゃんと……全てを見透かして、操ってみせる。

 知らぬ内に、彼女の口は自嘲の笑みを浮かべていた。
 悲哀はあった。後悔もあった。絶望があった。
 夜毎に枕を濡らし、一つ一つと自身の間違いを確かめ、もう隣に帰って来ない親友と、信じ抜けなかった彼に懺悔していた。
 恐怖もあった。今の主の元では絶対に許されない手段を行える鳳凰と、自分では辿り着けない知識と思考回路を持っている黒麒麟に。
 この五日で彼女が過去の自分を乗り越える為に溜めていた自責から来る絶望を、内に秘めた獣は瞬く間に食い散らかした。己の糧と出来るように。空へはばたく意思と出来るように。
 今の主でも自分を御しきれると既に示されている。全てを包み込める程の大きさがある事も知っている。配られている手札は全くの別物。されども扱い方は理解していた。
 しかしふと、彼女の心に疑問が来る。

――私は何がしたいんだろうか。

 冷たくなろうと決めて、一番初めに考えたのはそんな事。
 何を理由に自分はこの軍にいるのか。いつからかそれが他人のモノになっていなかったか。自分は何を以ってこの乱世に出ようと決めたのか。
 彼女は大陸がどうすれば平和になるのか知っている。今まで積み上げられてきた歴史など、天与の才と並々ならぬ努力を積み上げてきた彼女にとっては覚えていて当然のこと。
 華琳のやり方も、桃香のやり方も正しい。どちらも乱世が終われば平和になる事に違いない。
 自分はただ平和を作りたかったのか、と聞かれれば否。民の役に立ちたかっただけなのか、と聞かれても否であった。
 朱里が初めに望んだ事は、水鏡塾を途中で飛び出してでも成し遂げたかった事は……たった一つ。

「私は……自分の才の全てを賭けて、桃香様と一緒にこの大陸に平和を齎したい」

 ただの噂から期待を込めて会いに行き、自身の才を捧げるべき主だと感じた。これこそが天命だと信じ、優しい人と共に大陸を救いたいと願った。
 それを声に出して確かめた。心に、一線を引く為に。
 桃香の為にと思って黙すれば崩れ、我欲を見れば視界が狭まる。何より、自身の主や仲間を信じなくて何が臣か。
 彼を信じられなかった朱里は、もう二度と間違うまいと心を固めていった。天高くから全てを見据え、主を支える龍となる為に昇り上がり始めた。

 ただ……静かに、ほんの一粒だけ涙を零して瞼を固く閉ざす。急な孤独感が胸に押し迫り、ひきつけを起こしたかのようにしゃくりあげた。
 愚かな自分を思ってか、それとも居ない二人への懺悔からか……否。
 彼女はもう、想いを寄せる彼が自分達をまだ信じてくれると期待するしか出来ず。そして敵対する事でしか……半身に近かった親友の隣に並べない。

 大切なモノ達をその手に掛けるやもしれない覚悟の刃が、彼女の心に一筋の切り傷を付けていた。
 己が招いた事だとしても、根の優しい少女が持つには、その刃は些か鋭すぎた。


 その時に現れた人の言葉は、そんな彼女を救うモノであった。
 つらつらと話してくれた主の友から促されて、朱里は自身の主の元に堪らず駆けた。



 †



 行軍を始めて五日目。
 夕闇が落ち着く頃に桃香の天幕に私達三人は来ていた。
 愛紗と朱里は居ない。今回は単独で相対せねばならないと、桃香自身で判断を下していたようだ。
 机の上に並ぶ三つのお茶は、私達に馴染みのある娘娘で出される緑茶。ゆらゆらと湯気の立つお茶を前に、口をつける事もせず、どこというでもなく視界を浮かせる。
 目を瞑って他の者が話すのを待つ星、難しい顔で唇を尖らし俯いている鈴々、二人とも自分から話すつもりはない。
 対して桃香は、凛と引き締めた表情に力強い瞳を湛えて私を見据えていた。

「何から話そうか」

 ぽつりと呟いた、普段通りの声音で。
 別段気にする事も無い。わざわざ気を張らなくても、私は自分の本心を話せばいいだけなんだから。
 既に自分の中で折り合いをつけたから、怒りなんか無いし、哀しくも無い。雛里の事も、秋斗の事も、乱世では有り得る事で、乗り越えなくちゃいけないモノ。裏切りでは無く、離反というのはどんな勢力にも有り得る事だから。
 一寸、桃香は私の普段通りの声に驚くも、直ぐに表情を引き締めなおした。

「三人で色々と話したよ。秋斗のこと、雛里のこと、秋斗お付きの侍女二人のこと、いろいろな。その上で言わせて貰う。お前は……雛里が言った事の本当の意味を理解してるか?」
「本当の……意味……?」

 桃香は眉を寄せて私を見やった。
 ただ単に雛里が自分から離れて行ったわけでは無いのは分かっているようだけど、やっぱり思い至ってはいないんだろう。
 目を細め、小さくため息を吐いた。このため息は呆れから……なのかもしれない。

「雛里はこう言ってるんだよ。『お前がどれだけ誰かと手を繋いで作る平和を望もうと、自分だけは絶対に手を繋がない。お前に作り出された平和な世界に入りたくない』ってな。曹操なら国の主って立場もあるし、完全に負けた場合はお前の言う事を聞くだろうけど……雛里は聞かないだろう」
「そ、そんなこ――――」
「そんなことないなんて言わせないぞ。お前の話を全く聞かない人間だっているんだよ。何度叩き伏せようと、どれだけ何かで縛ろうとも……多分、雛里の場合は秋斗しか諦めさせる事は出来ない。秋斗が諦めさせられなければ、お前がどんなに平和な世界を作ったって否定し続けるだろう。雛里だけじゃなくて、他にも諦めない奴が出て来るのも分かってたか?」

 口を挟んで言うと、桃香は茫然と目を見開いた。

「……諦め?」

 反応したのはその言葉だった。桃香は先を見過ぎてるから、その時の相手の気持ちが見えてなかったのか。作る世界は確かにいいモノであっても、相手も自身の作る世界を望んでいるというのに。

「お前の望み、平和な世を継続させる為に手伝って貰うっていうのは、お前が抑え込んだ奴等にとっては自分の望みを諦めた状態なんだぞ? 曹操にしても、雛里にしてもだ」

 桃香が望みを叶えるって事はそういう事だ。全ては同じ。結局は自分のわがままを押し通すってことなんだから。
 私にしても、幽州の民だけを想うなら曹操に従って治める方が後々の為にもなるのは間違いない。だけど……私が望み、皆に望まれた公孫伯珪としては、曹操に従わないというわがままを押し通す事を選んでいる。
 言うなれば、過程や結果に於ける利や理で無く、矜持や想いを秤に乗せる選択をしたということ。犠牲になる者達を必要な犠牲と割り切って。
 ここからの桃香には私から言っておかなければならないか。

「いいか? 一人でも多くの犠牲をなくしたいなら、他の荒れている場所を治めた後で曹操に従えばいい。曹操が善政を敷いているのは確かだから、争うで無く、傷つくでも無く、傷つけるでも無く、早急に乱世を終わらせられるだろう」

 直ぐに桃香は苦悶の表情に変わった。
 争う前に従えば多くの犠牲なんか出るはずも無いけど、自分の望みを諦めて、曹操に天下を委ねろと言えば納得出来るわけも無いだろうな。曹操のやり方は今を切り捨て、後の大きな平穏を望むやり方。桃香の志している事は……今消え行く命を一つでも多く救い、一つ一つ繋げて大きくするやり方。どちらかが折れなければどうしようも無いモノだ。
 けど――

「これはお前のしようとしている事にも繋がるんだけどな。従う事に納得出来るか? 抗おうとしてるだろ? 自分の望みの為に多くの犠牲を払おうとしてるだろ? だから……秋斗の心は追い詰められて、雛里は離れて行ったんだよ」

 矛盾を呑み込むとはどういう事か、きっと桃香はまだ本当の意味で分かってはいなかった。
 秋斗は自分で気付いて成長するのを待ってたみたいだが……私の望みと、星や鈴々の心の為にもう待つ事なんか出来ない。
 今、この場で現実を受け止めて貰わないとダメだ。そうしないと……私達は桃香を見捨てないといけなくなる。

「お前はこの矛盾を呑み込んで進むと言ったらしいが、これを理解して尚、自分の作ろうとしてる世界を信じられるのか?」

 厳しく言うと星と鈴々が漸く桃香を見た。答えをしっかりと聞くつもりなんだろう。
 桃香はギリと歯を噛みしめて、自分の中で暴れる心を抑え付けているようだった。
 でも……まだ終わってない。こんな程度で終わりにはしない。お前にはさらに言っておかなければならない。

「桃香、此処からの話はさっきよりもっとしっかり刻み込め。お前は……曹操と変わらない、いや、下手すればそれよりも酷いかもしれない」

 大きく息を吸った桃香だったが、どうにか言葉を抑え込んだようだ。心の内を表すように、瞳は悲壮と苦渋に深く沈んで行った。

「カタチは違うけど、目指してるのが平和な大陸ってのは同じ……そんな事が曹操と変わらない理由じゃあないぞ。お前がこれからするだろう戦いは、自分が望む世界を作り出す為に、自分の国の民を多く犠牲にして行う戦い。叩き伏せて無理矢理従えるか、叩き伏せて諦めさせて同調させるかの違いでしかない。結果を見ても、過程を見ても、曹操のしてる事と何にも変わらない。これは皆を率いる『劉玄徳』個人のわがままだ」

 昔の桃香なら、きっと違うとかダメだとか言い返してきただろうけど、今の桃香は全てを呑み込んで消化してくれる。
 自分が否定されて反発するだけの奴は王の器じゃあ無い。受け入れた上で曲がらずに何かを為そうと走り続ける奴じゃないと人を導く王足りえない。
 秋斗は……この伸び代に期待してたんだろう。私が今言ってるような事をいつか話すつもりだったのかもしれない。いや……間違いなく、あいつならそうするはずだ。
 もう一つだけ、大陸を救う王の土台を造って居なくなったあいつの代わりに言っておこう。

「曹操よりも酷いっていうのはな、曹操は殴ると宣言した上で殴るっていう……私は納得し兼ねるけど、ある意味で真っ直ぐなやり方。桃香は言う事を聞かないと殴りますと無言で脅してる事になるんだ。そんな状態で話し合いも何もあったもんじゃないさ。ただの交渉、もしくは脅し、それがお前がしようとしてる『話し合い』だよ。前にお前が曹操とした交渉と同じく、な」

 絶句。やはり桃香はこれに気付いてなかったのか。
 最後に力を使ってでも止めるっていうのはそういう事だ。例え力を使うまでに優しく語りかけようと、力を持ってる時点で無条件の信頼関係なんか築けるはずも無い。桃香の論の致命的な欠点は、結局は力に頼る所なのだから。
 顔を俯けて、桃香は震えながら沈黙していた。息荒く、突きつけられた現実に押しつぶされそうに見えた。
 考えてるだろう。悩んでるだろう。苦しんでるだろう。叫び出したいだろう。
 矛盾を背負うってのは本来、気が狂う程の罪悪感と自責に苛まれるモノ。ブレない何かを秘めていないと自分の全てが折れてしまうほど重厚な塊。もしくは……秋斗のように、自分の命を投げ捨てる程に歪んで行くかだ。
 私も嘗て感じた事があるモノ。なんとしてでも幽州を守るとずっと前に決めていたから耐えられたモノ。

 桃香の答えを待ちながら、お茶を手に取って一口啜った。懐かしい娘娘の味は、もう戻ってこない平穏な日々を思い出させてくれた。
 私にとっての平穏な日々は秋斗が来てから牡丹が死ぬまでの期間。それ以前は……桃香と一緒に私塾に通っていた時。
 桃香は友達。昔からの大切な友達。私の昔を知ってる友達。秋斗や星のように、ふざけ合って楽しい時間をくれるような友達じゃなくて、ただ傍に居ても不思議では無い、そんな友達。
 優しい事は知ってる。誰かの為に在りたいのも知ってる。人を助けたくて仕方ないのも知ってる。人を信じ抜く奴だって事も知ってる。自分と同じだという都合のいい姿だとしても、秋斗や雛里の事だって桃香は信じてたんだ。
 何処か暖かい陽だまりにも似た空間を作り出してくれる、そんな子だ。強いっていうのはなんだろう、と考えた時、真っ先に浮かぶのは桃香だった。
 折れず、曲がらず、歪まず……武の才が無くとも、明晰な頭脳が無くとも、真っ直ぐに誰かを信じて、温もりを与えて進んで行く彼女は、王としてはきっと木なんだろう。そこに皆が寄り集って想いを寄せ、強い日差しや雨から守って安らぎの時間をくれる、大きな……木。
 私はそうなれない。積み上げて積み上げて、漸く人から認められるくらいなんだ。人を導くのに必要なのは強く大きな意思。私には……どうやってもそれが一つにしか向けられない。だから、私は桃香のようには決してなれない。私を慕ってくれる者達だけが切り取って積み上げて、信頼と言う名の柱で建ててくれた小さな家……それが私。誰もが入れる大木では無いんだ。
 桃香のようになりたいとは思わない。前までは羨望を向けていたけど、それももう無い。
 しかしやはり……その意思溢れる瞳は、どうしようも無く眩しい。

――ああ、やっぱりお前は強いんだな、桃香。

 どれほど時間が経ったか、顔を上げて私達三人を見据えた桃香の瞳は強く、気圧されるほど。
 答えはきっと、既に出ていたんだろう。

「私は……何回も、何回も、分かってくれるまで、私と同じ世界を作ってくれるって言ってくれるまで、言葉と力で、交渉や脅しって言われても戦うよ。平和の為に協力して貰いたい、こっちの方がいいんだって、皆で協力するほうがいいんだって……そんな平和を一緒に作って貰って、後の世に託したい。分かって貰えなかったら、それを実感して貰う為に力を使って諦めて貰う」
「矛盾してでもそれを貫くのか?」
「……うん。私は私の望む世界の為に、久遠の彼方に争いの無い世界を作るために、一人でも多くの人と……手を繋ぐ。一人でも多くを救いたいのに、多くの人を犠牲にする矛盾は……その世界を作る為に私が背負う。わがままだけど、作り出した平和な世界を壊されないように、結果で示す」

 放たれる声には意思の強さ。桃香は一つも迷わなかった、折れなかった、曲がらなかった。

――あいつだったらこんな時、桃香になんて返すんだろう。

 ふと、桃香に見つめられてそう思った。
 想像しても何も浮かばない。秋斗がどう答えるか、私には全く分からなかった。
 しかしまだ、返す話が終わってないので振り払い、目を細めて桃香を見据えた。

「雛里の事は? あいつは絶対にお前の作る輪に入らないぞ?」
「あのね……私、虎牢関であの人に言われたんだ。さっきまでこんな大切な事をちゃんと分からないで、視界を広げようとしないで言い返そうとしてたんだね」

 桃香が変わったのは、そういえば連合の途中でだったと思い至る。特に洛陽の前後で大きくなっていた。虎牢関って事は……やっぱり秋斗が変えたのか。

「私は踏み倒した人の憎しみも怨嗟も、何もかも受け止めて平和な世界の土台を造るって決めてる。それは顔の知らない相手じゃなくて、嘗ての仲間でも友達でも家族でも一緒だった事に気付いてなかった」

 それがどういう意味を為しているか分かってないとは言わせない。
 少しの殺気を込めて、私は桃香に言葉を返す――――

「……じゃあお前は雛里をこ――」
「違うのだ白蓮。お姉ちゃんはそっちじゃないのだ。お兄ちゃんだって……絶対そっちにならないのだ」

――――途中で、ずっと黙っていた鈴々が口を開いた。信じている、と全面に出ている瞳。
 星は何かに気付いたようで、ほんの少し嬉しそうに微笑んでいた。
 桃香を見ると……泣きそうになりながら鈴々を見ていた。優しい笑みを浮かべて。

「うん。白蓮ちゃん、私は雛里ちゃんを死なせるつもりは無いよ。雛里ちゃんは私と手を繋いでくれなくても、秋斗さんとなら手を繋げるんでしょ? そして秋斗さんは白蓮ちゃんや星ちゃん、鈴々ちゃん、沢山の人と手を繋げる。ゆっくりでいい、ほんの少しずつでいいから、長い時間を掛けて、多くの人の手を借りて……そうやって私の世界を作っていきたい。私が皆と手を繋ぎたいんじゃなくて、誰かと誰かが手を繋いで作り出す、笑顔溢れる世界にしたいの」

 光が見えた。
 どうしようも無くか細い、されども眩しい光だった。
 桃香の根っこは全く変わって無くて、変わる必要も無かった。私には逆らう人を最悪の場合殺す事しか考えられなかった。
 桃香が言っている事は他力本願の責任放棄だと言える。でも、近しいからこそ、今まで出来ていたからこそそれが出来ると分かる。
 きっと雛里は秋斗の影響を受けてああなった。秋斗が桃香に従うと決めていたから離れないでいた。桃香が乱世を治めると信じていたから……手を繋げた。もう一度それを行うだけなんだ。
 ふいに、雛里が去り際に残したと言っていた言葉が甦る。
 曹操の在り方を知っていて尚、秋斗は桃香を信じて従っていた。

――そこにはどんな想いがあって、どんな理由があったんだろうか。

 私には全く分からなかった。ただ……言える事は一つ。私達は信じる事しか出来ない。帰って来てから確かめるしかない。
 その時は……ゆっくり話そう。星と一緒に酒を飲みながら、あいつが背負っているモノと考えている事を聞いてやろう。
 帰って来ない時は……いや、今は桃香と話をしようか。

「その為に……三人とも、力を貸してくれないかな?」

 泣きそうな顔で紡がれた。不安と懇願を込めて、桃香は最初の一歩だというように私達を見回す。
 私の答えは決まっている。
 曲がらなかったなら、歪まなかったなら、折れなかったなら……どうするか。
 隣を見ると星と鈴々は微笑んでいた。
 怒りも、悲しみも、この五日で受け止めた。私が現実を叩きつけて、桃香がどう答えるかを見てから、どうするか決めようと話していた。きっと私と同じなんだろう。

「桃香、私はお前の作る優しい世界を信じ、力を貸そう。私の家、幽州を取り戻す為にも、これから奪われない為にも」
「くるくるのお姉ちゃんが作る世界よりも、お姉ちゃんが作る世界の方が楽しいに決まってるし、鈴々はそっちで暮らしたいのだ!」

 自然と微笑みを零して私が言い、弾けんばかりの笑顔で鈴々が言った後、星は少しだけ黙っていた。瞳の中でゆらゆらと揺れている光は、きっと私と同じ事を考えてるから。

「私も、あなたの作る世界の一助をさせて頂きたい」

 口の端を綻ばせながら目を伏せ、星はゆっくりと言葉を零す。その声音には、私にしか分からない哀しみが掬い取れた。
 大丈夫、分かってるから。
 何も言わず、しかし星に伝わったのは分かっている。

「ありがとう。三人ともこれからもよろしくね」

 ほわほわした桃香の雰囲気に空気が緩み、私は知らぬうちにほっと息を付いた。
 桃香はこれでいい。
 愛紗は……きっと自分で答えを出しているだろうけど星と鈴々に任せる。
 後は朱里だけか。

「うん、これからの乱世、必ず望む世界を作り出そう」

 笑いかけて、私と星は天幕を後にした。
 鈴々はきっと桃香と沢山話したくて残った。桃香と鈴々と愛紗の絆は強いが、これからさらに強く結ばれるだろう。
 二人で歩きながら隣を見ると目が合った。締め付けられる胸の痛みは、間違いなく共に持っている大きな覚悟から来るモノ。

「……星」
「分かっておりますよ。もし、秋斗殿が拒んだなら、我らが止めなくてはならないのですから」
「ああ、聞いた通りの絶望に落ちた後じゃどうなるか分からない。私は秋斗の事を信じてるけど、あいつが私の知ってる、『桃香を信じてた秋斗』でいられたなら、だ」
「変わってしまったなら、目的の為に例え友である我らであっても切り捨てる。秋斗殿はそういう方でしょうな」
「鈴々から聞いた徐晃隊、牡丹に授けた策を見ても異常過ぎる。あいつは桃香と同じだけど曹操とも同じなんだろう。最悪の場合は……」

 思い浮かんだ事態に、私の胸はビシリと痛みを伴った。

「私に任せてくだされ。引き摺ってでもあなたの元にお連れ致しますゆえ」
「……頼む。曹操は桃香が、秋斗は私かお前が折って諦めさせるしかない。……まあ、どうなるかなんか分からない。今は哀しみに沈み過ぎるな」

 そう、今は考えないでいい。あいつに出会った時に私達でやり遂げよう。
 それが例え戦場であっても。
 考えながら、私の胸は不安でいっぱいだった。
 歪んでしまったあいつは自分の望みが叶わなかった場合、自ら死ぬことは無くても壊れないでいられるんだろうか。私の話を聞いてくれるだろうか。

「お心遣い痛み入る。では白蓮殿、私はあの堅物と少々話がありますのでこれにて」
「任せた。こっちも任せとけ」

 星の言葉で思考を打ち切り、二手に分かれてそれぞれ目的の天幕に向かった。





 朱里に対して桃香と行った会話を離すと、彼女は涙を零してしばらく泣き叫んでいた。
 自分のせいなのに雛里や秋斗を殺さなければならない。そんな覚悟と自責の刃が食い込んでいた彼女は、桃香の示した道によって救われた。
 落ち着いた頃合いで促し、桃香の天幕に行った彼女を見送って自分の天幕に戻ると……やはり星が居た。

「居ると思った」
「当然でしょう。三人の邪魔をする事は出来ず、一人寂しい白蓮殿のお相手は私を置いて他に居ない」

 ため息を落とす。苦笑と共に紡がれたからかいの言葉はいつも通りの星のまま。批難の目を向けると肩を竦める彼女は、相も変わらず掴み処が無い。

「酒を飲みたい、と言った所だろうけど気分じゃないんだ」
「なんともそれは奇遇ですなぁ。今日の私も百薬の長が必要のない健康な身体でして」

 クスクスとくすぐったい笑い声が耳に良く響いた。
 微笑みながら対面の椅子に腰かけ、彼女の瞳を見据える。爛々と輝く光は濁りなく、もう悩みも無くなったようだ。

「朱里は雛里と秋斗を手に掛ける覚悟で潰されそうになってたぞ」
「なんとまあ……あの子も我らと同じく頭が固すぎるようだ」
「一人で背負わなくても私達が一緒に背負えばいい。桃香の作って来たこの場所はそういう所になった」

 突然、神妙な面持ちになった星が私を見つめる。最近はこいつの考えてる事がある程度読めるようになってきた。
 言いたいのはきっと秋斗の事だろう。

「……秋斗殿は頭の良い方です。歪んでしまったとしても、我らが語りかければ必ず自害する事は無いと思います」
「ああ、侍女の二人に対して生きてくれと願ったあいつなら、私達が願ったらそれを思い出して生きようとしてくれるだろう」

 秋斗は歪み切ってしまったら、桃香が作った世界を壊さないように、自分で命を絶つ事を選ぶかもしれない。
 それを止めるのが私達の役目、か。

「星が無理やり連れてきて、私がひっぱたいてやればいい。人を救いたいなら、想いを繋ぎたいなら、負けてからも続けろと言ってやればいい。……戻ってきてくれたらそんな事する必要も無いけどさ」
「意地っ張りで、自分勝手で、頑固で、そしてわがままな方ですからなぁ、秋斗殿も」

 苦笑を一つ。
 瞳に淡い色を浮かべた星はあいつに想いを馳せていた。
 どれだけ星は秋斗の事を想っているんだろう。人を愛するってのはどんな気持ちなんだろう。
 考えても私には分からない。ほんの少し、私の知らない大きな想いを理解している星が羨ましく感じた。

――星とは違うけど。私は友として、あいつと一緒に平穏な世界を作りなおして、笑い合って暮らしたいな。

 先に作られたそんな世界を思い浮かべると、もう居ない牡丹の笑顔を思い出した。
 牡丹なら、今の私にどう言うだろうか。

――白蓮様の望むままに、なんて笑って言うんだろう。あのバカの歪んだ脳髄は私が真っ白に洗って、捻くれた心は馬で踏み潰して直してやりますっ……とかも言いそうだ。

「ふふ、あははは!」
「……? 如何なされた?」

 思い出し笑いが零れた私を訝しげに見つめてくる。
 星に話しても同じ答えが返ってきそうだ。

「いやな、牡丹が今の私を見てどう言うか考えたら笑えてきた」
「ふむ、牡丹なら秋斗殿の脳髄を綺麗に洗って、捻子くれた心を踏み潰して正しますとか言うのでは?」
「っ! ははは! やっぱり! 牡丹ならそう言うよなぁ!」

 やはりというかなんというか、星が思い描く牡丹も私と同じだったようだ。そのまま続きを思い浮かべていた星は悪戯っぽくにやりと笑う。

「クク、暴走して白蓮殿への愛を語り尽くすのもお忘れなく」
「お、そういえば星は牡丹の早口を聞き取れてたんだったな」
「話すのも躊躇うような事ばかりゆえ、教えられませぬ」
「いいさ、どうせ私の事持ち上げてばかりだったんだろ?」
「その通りではありますが……白蓮殿が寝ている間に掛け布を……おっと――」
「ちょっと待て! あいつは私が寝てる間に何をしてたんだ!?」
「酒無しでは語れない話ですなぁ」
「くっ……結局こうなるのか……」
「おやおや、気分じゃ無かったのでは?」
「気になったままで寝れるか! ほら、お前の天幕に行くぞ! 洗いざらい吐いて貰うからな!」
「我が主もわがままな事だ。では参りましょう」

 楽しそうに歩く星の背を追って、呆れながらも私の心は満たされていた。変わらない私達の関係は壊れずにずっと続いていく。
 歩きながら、私は願いを一つ夜天に浮かべた。

――離れてしまった友とも、再び楽しい日々を過ごせますように。

 今は乱世、どうか治世になったなら、いつかのように平穏に暮らせる世界を。

 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

今回、敢えて白蓮様の一人称で書いた事をお許しください。
桃香さんはこんな感じに完成しました。本来なら主人公がするはずだった役割を白蓮様にして頂きました。
白蓮様や星さんが華琳様の仲間になる、というのはありえません。ごめんなさい。
それと、これからも蜀陣営時は白蓮様を主として話を進めます。


次は孫呉、袁術軍の話です。
ではまた 
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