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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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俺に可愛い幼馴染がいるとでも思っていたのか? 中編

 
―――貴方が悩んでいるのは知っている。

きっと毎日のように苦しんでるんだと思う・・・私の所為で。

私がいなくなれば、全部解決するのかな。

でも、それは駄目。貴方の幸せと私の望みを天秤にかけて、片方を捨てるなんて。

そんなのは、選べるわけがないよ。


だから―――ごめんなさい。



 = =


昼休みに食べられなかった弁当は、5限目で食べるべきである。これは万物の理にして、慣習的生物的観点からも正しいと言えるものである。栄養補給の唯一の手段と言っても過言ではない食事という行為を行わないなど、生きとし生けるものとしては考えられない死に向かう行為だ。俺は即身仏でも仙人でもないから霞を喰って生きている訳ではなく、当然に食事は必要なのである。

「そう、つまり俺が遅弁していた事には合理性があり、説教を喰らう謂れはないと主張します」
「その意見は却下します」

にこりと優しい笑顔で人の意見をばっさり切り捨てる国語教師の中村先生。ちょっと頬がこけているのがチャームポイントで、教師人の中でも身長が高めで人の良さそうな微笑を浮かべている・・・が、中村先生は一度駄目と言ったら絶対駄目なタイプの人である。
他の教師ならば屁理屈の通る人もいるのだが、この人は自分の中で確固たる価値観があり、それに即してイエスとノーを即決する、頑固者だ。許してくれる範囲さえ見極めればそこまで厳しくもないのだが、こと規律に関してはちょっと真面目すぎると思う。

そしてそんな真面目すぎる先生に外の非常階段で弁当を貪っている所を発見された俺は、目出度く自習室に閉じ込められて反省文を書かされているのだ。反省してないけどね。いっそ逃げようかとも思ったけど・・・先生ってば全力疾走の自転車にも追い付くくらい足速いんだよなぁ。

「別に弁当を食べること自体は否定しません。若いんですから空腹が辛くて授業に集中できない事もあるでしょう。しかし君・・・弁当を食べていることを理由に教室にすら来ないというのは単なる無断欠席ですからね?せめて一言掛けてください」
「そこを何とか・・・!」
「駄目駄目。君みたいな子はこっちが妥協を見せると別の事まで理由をつけて責任逃れしようとするんだから」
「酷いぞ先生・・・俺のことを信用してないな?生徒を信じない教師なんて大人失格だ!」
「いいえ、面倒くさがりの君なら絶対に私の発言を利用するだろうと信じているが故です」

苦笑する先生は俺の魂胆を完全に見透かしていた。ぎゃふん。
俺が面倒くさがりなのは全く否定できない。先生は僅か一か月の付き合いで俺のことを熟知しているという訳だ。僅か一か月で俺の幼馴染を名乗るあいつのように。

では、2人の違いは?先生もいりこも出会ったのは高校に入ってからだ。そして二人とも俺の性格をある程度知っている。つまり2人は似ていると仮定する。二人の違いは何だろうか。人間関係的距離なら教師より生徒同士の方が近いのが普通だ。年齢も、出会う頻度も、生活の中心である家の距離もいりこが圧倒的に近い。俺個人との接触により蓄積された記憶は、いりこがもし本当に俺の近きにいたと認識しているならいりこが上。全てにおいていりこが勝っている。唯一、性別的な仲間意識では先生の方に分があるかもしれないが。

もしもいりこが男だったら、あいつは俺の親友みたいなポジションに入り込もうとしたのだろうか。いや、この仮定は俺が正常であることを前提としている以上は空論の域を越えない。重要なのは、俺が正気かどうか。

「それで延年君、今は何を考えてるんですか?」
「人間の個体差と記憶の蓄積について思いを馳せていました」
「また小難しい事を考えてますね・・・」

俺の咄嗟の一言というのは結構特殊らしく、教師は皆俺が適当な返事をすると苦笑いする。そんなに変な事を言っているだろうかとも思うが、確かに言われてみれば普通の高校生ならもっと別の事を考えている筈だ。ハマっているゲームとか好きなアイドルとかテストの結果とか、そういう話だ。
最も俺といりこはそんな話は碌にしない。他人からしたらそれ抜きで会話が成立しているのが不思議でならないというのだが、そういう意味では俺といりこは相性が悪いわけではないのかもしれない。また、俺が異常なのは実は昔からで、いりこはそれにすっかり慣れきっているのかもしれない。そう考えれば、俺は昔から変わらず、いりこも昔から変わらない。そう言うことかもしれない。

俺はその時、腹の底が冷えるのを自覚した。何も変わっていない。それはつまり、今までもこんなことが過去に起きていて、本当に俺だけが忘れているかもしれないという事じゃないか?みんなは既に本当のことを知っていて、敢えて俺に全てを黙って作り物の人間関係を押し付けているんじゃないか?

時々物語である話だが、記憶が定期的にリセットされる人物の話である。事故か何かで一定期間以上思い出を脳に残しておけなくなった俺は実はとっくに記憶をなくしており、周囲はそれを知っていて俺に過去の情報を与え続けるのだ。
そうすることで俺は毎日を問題なく送り、事故に遭った当時まであまり面識のなかったいりこが幼馴染という嘘のポジションについて率先的にパーソナリティに関わる記憶を・・・そして、一定期間が立ったら俺はまた記憶を―――

馬鹿らしい。そんなのはいつもの考えすぎじゃないか。今日も何度か下らない妄想をしたじゃないか。それと同じように流してやればいい。だのに、急に俺は自分の記憶に自信がなくなってきた。俺の精神を構成しているのは俺の記憶のみなのだから、それが否定されれば俺は足場を失うんじゃないか。そんなことは無い筈だ。

「先生。先生にとって俺はどんな生徒ですか?」

自分というこの意識が綱渡りのロープの上を歩いている錯覚に小さな危機感・・・咄嗟に先生に意見を求めていた。先生は生真面目だから、大抵の質問には大真面目に返事をしてくれるという無意識の信頼があったのかもしれない。だからこそ規律に厳しい割に、生徒から敬遠されるに至っていないのだ。中村先生は質問を吟味するように顎を押さえてふむ、と唸った。

「君は基本的には不真面目で、やればできる事を面倒くさがって放置することの多い困った生徒です。ですが頭が悪いわけではなくとても論理的な思考も持ち合わせ、いつでも新しい発見や知識を探している。周囲との付き合いは人物が限定されがちですが、いりこちゃんとの会話はクラスの名物です。弄っているのに時々反撃を喰らって狼狽える君は・・・意外と可愛げがあると評判ですよ?」
「はぁ・・・なんか、教師らしい視点ですね。ちなみに最後の方の可愛げって誰の言い出したことですか?」
「いろいろ、です。生徒側だけでなくね」

悪戯っぽくウインクする中村先生。色々って何ですか、色々って。男としては相手の性別とかを根掘り葉掘り聞きたいようでもあり、しかしこれ以上突っ込んだらがっついているようで恥ずかしい気もする。なんか無意識に相手が美人の人だと良いなとか考えている辺りが、俺のまだ子供たる所以なのだろうか。
しかし、と先生はまじまじと俺を見た。

「君がそんな事を言うのも珍しい。何か悩み事でも?」
「え?あぁ・・・まぁ。例えばだけどさ、先生。聞いてくれる?」
「どうぞ」

促されるままに、俺は俺の内心の不安を出来るだけぼかして吐露した。俺より人生経験の長い先生なら何かためになる事を言ってくれるかもしれないと考えたからだ。先生なら、どうする?

「先生に・・・そうだな、先生が猫を抱えていたとする。真っ白い猫だ。先生はそいつが捨てられてるのを見て不憫になり、飼ってやることにした。猫は元気に歩き回って、その近所を散歩して回る。ところが飼い始めて数日後、お隣さんがその猫を捕まえて先生の所に怒鳴りこんでくる」
「ふむ・・・何か怒らせてしまったようだ。猫が余所で粗相をしたのかな?」
「当然先生はそう思うだろう。ところが隣人はその猫を突きだして”この黒犬を放し飼いにするな!”と大声で注意するんだ。つまんでいるのは猫なのに」
「んー、白い猫を黒犬と間違えるなんて普通は考えられないよね」
「見ればその隣人以外にも、先生に迷惑そうな目線をぶつけるご近所の皆さんが集まっていて、みんな白猫を指さして”そうだそうだ!”と同意するんだ。しかも彼らは、その彼らの言う”黒犬”は何年も前から先生が飼っていた犬で、近所の子供たちは放し飼いになっているその犬を怖がっていると言い張る。何かの冗談かと思って何度も確認するが、皆の怒りは本物だ」
「・・・・・・まるでホラーだ」
「そこで本題。先生はその猫を数日前に拾った猫だと言い張れる?それとも実は自分がおかしくて、本当は昔から飼っていた黒犬なんだと考え直す?」
「それは、難しい質問だ。ちょっと考える時間が欲しい」
「いいですよ、自分でも意地悪な質問だと思ってます」

だが、先生の考える時間は俺の予想に反して意外と短かった。

「駄目ですね、いろいろ考えようと思ったんですが・・・私は結局それが拾ってきた白猫だと言い張るでしょう」
「何故?皆は本気で、前から飼っている黒犬だと考えて、そう認識しています。先生もこれは犬だったとうわべだけでも言い張らないと皆は先生を異常者だと思いますよ」
「ははは、厳しいな。・・・延年君。私は古いタイプの人間でね?」
「・・・?ちょっと意味を図りかねます」

自習室の椅子の背もたれにぎしりと体を預けた先生は、懐かしむように天井を見上げる。

「いや、私は教師をやる前は・・・海外の危険な所で働いてた時期があってね。周りの人は平気で嘘をつくし、囮みたいに扱われることもあった。上司も碌な人じゃなくて、ちゃんとした情報を教えちゃくれない」
「どんだけ過酷な職場ですか!?アフリカの紛争地帯にでもいたの!?」
「似たようなものさ。だから私はそこで自分の目で見たものだけを信じ、自分の考えだけが正しいと思い込むことにした」

まさかの先生・元傭兵説浮上に思わず身を乗り出してしまったが、先生は手で制して落ち着くよう促す。促されるままに椅子に座ると、先生は改めて指を組んで、真剣な瞳でこちらを見た。

「自分の直感を信じないと、ここではやっていけないと思ったんだ。だから私はそんな状況になったら、生き残るために培った直感に従って”その子は拾った白猫だ”と言い張ると思う。ご近所さんたちがいかれてしまったかとうかはさておいて、自分の直感が他人に引っ張られるのは危険だよ」

正直、ちょっと言葉が出なかった。先生のそれは要約すれば「俺が間違ってると思うんなら愚直なまでにそれに従う」という事だ。どっちが正しいのかという悩みではなく、自分の感覚が狂わされる事を「異常」ではなく「危険」と捉えている。つまり先生の言う古いタイプというのは、思い込んだら一直線という頑固な思考の事を指しているんだと思う。

「人は社会の中でしか生きていけないと言いますが・・・最後に頼れるのは自分自身だけだと、あそこで思い知らされました。私は他人に自身を委ねられない人間なんですよ。でもそれは人を頼れない事でもあります・・・余りにもぶきっちょ過ぎますから、延年君は私みたいにならないでくださいね?」
「・・・まあ、善処します」

取り敢えず思ったことは、俺と先生では問題に対する価値観が違い過ぎること。俺のそれは認識と記憶の話だったが、先生にとってそれは自我とアイデンティティの話だった。何となく発想のスケールに負けた気がして、自分が異常かもと悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。

―――そうだ、俺はいりこの事を覚えてないんだから、覚えてないものは覚えてないと言い張ってやればいい。俺はそう感じているんだから、その認識は俺のものだ。原因など二の次で構わない。
俺はこれからも1か月ほど前に出会った同級生、というスタンスを守っていこう。

心機一転、心を持ち直した俺の心境の変化を悟ったのか、先生は微笑んだ。微笑んで、ぴっと俺の目の前にある原稿用紙に指を指した。

「で、反省文書き終わりましたか?」
「・・・・・・善処します」

こうして俺の勝手な盛り上がりは、その一言であっさり沈下してしまった。考え事は後にしよう。・・・ここで「反省することなど無いと思っているからその感覚を信じます」とかいったら、流石に怒られるかな。



 = =


さあ、とうとう6限の授業も終わったことだし推論を続けようか。

例えば・・・本当に例えばだが、もしも俺たち人類が今生活しているこの世界が実際にはヴァーチュアル・リアリティと呼ばれる偽物だったとして、俺達の肉体は生命維持カプセル的な所で保管されていたとしよう。当然その記憶も生活もすべては外から管理され、俺達はそれを認識しないまま生活を送っている状況が現実に起きているのだと仮定する。

だとすると俺の記憶と現実の乖離は設定の異常ということになる。俺が特殊で設定を受け付けないのか、それともいりこがここに侵入したことを俺だけが偶然感知できているのか。或いは不正なアクセスで俺の記憶が・・・ともすれば、ここは現実じゃないんだからいりこが何者かなんて大して考える必要はないのでは?
駄目だ、この線は捨てよう。異星人説と並んで訳が分からない。

人の認識を都合よく書き換えるもの。空想の世界で言えば、それは魔法とか言うのではないだろうか。脳科学とかエピソード記憶といった物理の世界を越えた幻想の技術なら、俺の頭から一人の人間の記憶だけを抜き取ったり、周囲を騙すことが出来るかもしれない。無論相手が魔法だろうと超能力だろうと、物的に証明する手段が存在しないのではお手上げだ。保留だな。

そういえば、クトゥルフ神話という架空の神話にアザトースとかいう存在がいるらしい。世界の全てはこのよく分からん神の夢であり、我々人間の認識と言うものはアザトースの眠りが終わった時に同時に消滅するとかなんとか。夢オチ説の延長線上みたいな話だ。ふむ、それじゃいりこの記憶について何一つ説明できてないじゃないか。ようし、この線は無かったことにしよう。

あるいは、実はここは何らかの手段で物理的に閉じられた世界であり、テレビから流れる人気アイドルの歌とかで皆は集団洗脳されており、彼女はその洗脳の範囲の外に・・・いや、俺が外?どっちにしても筋が通らないし、洗脳の話は異星人説の時にやっただろう。却下却下。
こうなったら俺が実はキャトルミューティレーション的な何かで脳を弄られて、大切な人の記憶を失うとどんな影響が起こるかの人間関係を観察している奴が・・・ええい、出来損ないのSFにしか答えが行き着かないじゃないか!

「どしたの?」
「思考実験に行き詰まった。満腹中枢が刺激されて眠くなったせいに違いない」
「単に眠くなっただけならそう言えばいぃのに。遅れてきたチューニ病って奴?」

高校生だから既に高二病に進化している。フェイズ2、もはや医者も匙を投げざるを得ない手遅れ状態だ。俺、臨終。等と下らない事を考えるのは止めて手元のプリントを運搬する作業に戻る。日直の俺はクラスのプリントを教室まで持って行く義務を無理やり背負わされた学校の奴隷なのだ。
ならば頼んでもないのにそれを手伝ういりこはなんだ?態々自分から苦労を背負うなどマゾヒストのすることだ。つまりいりこはきっとマゾ。俺に知らない人呼ばわりされて1か月が経過しても嫌な顔一つしねえので本物の可能性がある。

「なんか、ものすごぉく失礼なこと考えてない?」
「お前がどこから来た何者かについては四六時中考えている。俺の予想ではお前は宇宙人か超能力者、若しくは実在しない存在だ」
「私の想像以上に失礼なこと考えられてた!!」

実はこいつは幽霊とか、集合無意識が生み出した幼馴染因果の結晶かもしれないし。大宇宙の意志の末端な可能性だってゼロじゃない。ただ、限りなく低いとは思っているが。

ひょっとしたら未来で罪を犯して孤独を強いられる「過去流しの刑」みたいなやつに処されたのかもしれない。そんで俺だけは未来人の記憶改変を受け損ねたのでいりこを得体のしれない存在だと認識しているのだ。だからこいつは俺に複雑な感情を抱いてやけになった結果ナイフで・・・あれ?違う違う、そうじゃない。なんやかんやで一方的に気に入られたパターンだろうその場合。そのパターンだと未来人。きっと目指すは未来改変だな。

「いりこ、過去は変えられないから過去なんだ。現実を真摯に見つめる冷静さも、時には必要だと思う」
「勝手に記憶改変してるさざめ君の言うセリフじゃないよねそれ!?どちらかというとそれを言うのは私だよね!?あぁあ、もう・・・・・・何でこんなの好きになっちゃったんだか」
「唐突な告白かよ・・・言っておくがお前の謎が解けるまで信頼を置く気はないぞ?そんな見え見えの釣り針ぶら下げたってクマは釣れないぜ」

と、隣でノートの山を抱えて歩いていたいりこの脚がピタリと止まる。何だ急にと訝しげに見やると、まるで油の切れたブリキみたいに首をキリキリ回してこちらを見ていた。顔面蒼白だ。どうしたのだろうか。(かわや)か?トイレット・ベン・ジョーに会いたくなったのか?・・・流石にこれを口に出したら殴られそうだが、俺の予想に反していりこの気にしていたのは別の事柄だった。

「・・・・・・・・・・・・私、声に出してた?」

至極真面目な顔で見つめられた。いや、軽く冗談のつもりなんだろうと思ってたんだが、本音だったのか?露骨にアッピル・・・もといあれだけ露骨に好意あります行動とりまくって人をからかったたくせにその辺には一線引いてたのか。てっきり俺の認識を陥れるための巧妙な罠だと思っていた。周囲のリアクション的にあんまり意識していないものかとも。

というか、本気なのか?演技ではなく本音で漏らしたのかあの一言?疑わしいようで本当のような気もする。何だかここで冗談でしたーと流すのが無難な気がしてきたので、ちょっとおどけてみる。

「あーあー突発性難聴になったせいで何にも聞こえなーい」
「絶対聞いてたよねその反応!?」
「インド人、嘘ツカナイ」
「生粋の日本人だよね!?実家に家系図とかあるよね!?」

ちなみに、嘘をつかないというのはインド人でなくインディアン、若しくはネイティブアメリカンである。言語の中に嘘という言葉や概念が存在しないことが由来らしいが、どの部族がそうであるかはよく分からない。果たしていりこは嘘をついているのかどうか、頭を抱えるいりこをよく観察するが答えは出ない。

「聞かれたぁ・・・絶対聞かれたぁ・・・!!」

全力で突っ込まれた上にこちらの誘いに気付かなかったらしい。おーおーリンゴのように顔が真っ赤。これだけオーバーリアクションだと逆に本気なのか演技の達人なのか見分けがつかない。ここ最近は正体不明の事象である幼馴染に一方的に知られるのが嫌でいろいろからかいまくってフラストレーションを発散させてきたが、これは初めてのリアクションかもしれない。その様子は本当に恋する乙女のようで―――

「・・・その、さざめ君は私みたいな女の子・・・イヤ?」
「―――・・・」

正面から来られると、俺も何といえばいいか分からなくなった。すうっと頭の中が白くクリアになっていく。

いりこの顔は微かに紅潮し、しかしその目は期待と不安の狭間を揺れる。想いを伝えたい欲求と嫌われていた時のリスク、その二律背反が彼女の胸に渦巻く感情なのだろうか。こんな事ならもう少し女心を勉強しておくべきだったと変な後悔をする。
少しばかり、俺の認識の話に戻ろう。恋とて認識が無ければ始まらない筈だから、この思考実験にも意味はあるかもしれない。ひょっとして、俺も二律背反に揺れるがゆえに動揺したのかもしれない。

まず、俺はこいつに好意を持っていない。いや、友愛のようなものはあるかもしれないが、恋愛感情となると持っていない。可愛いし、一緒にいて悩まされることは多くても決して嫌いな訳ではない。だがそれと恋愛感情の間に「こいつは誰だ?」という根源的な認識の壁が立ち塞がっていて、それを突破できない。
もしも俺が異常なのだとしたら俺はずっとこの壁を突破できないし、いりこの想いも壁を突破できない。仮に彼女が何かしらの要因を作っていたのだとしたら、彼女は人に色々と言う癖をして壁の向こうに引きこもっていて本当の想いを伝えあうのは無理だ。

では仮に、最初から壁が無くて俺と彼女が普通に当然に幼馴染だったら?
俺が彼女に好意を抱く可能性はあったかもしれない。だが、特別な人間でもない俺を何故、という疑惑が生まれれば俺は答えを出せずに逃げるかもしれない。あるいは本当は好きなのに素直になれずに嫌いというとか、何か勘違いを誘発する言葉をかけてしまうかもしれない。

しかし、これは不思議なことではないだろうか。2つのシチュエーションに置いて違うのはそれまでの俺の認識の中での「幼馴染」という絆の積み重ねの有無だけであり、彼女自身にはどちらのケースでも何の変化もないと考えれば、全ては俺の内心の問題だ。だけれども、俺はその大きな差異があるにもかかわらず後者の道で随分とネガティブな推論を行っていた。つまるところ、俺の言った認識の壁とは、実は後者においても存在するのではないか?それが名前を変えただけで、結局心の壁は立ち塞がるのではないか?

「俺は・・・」
「ッ!ごめん、変なこと言った!忘れてね!!」
「あっ・・・おい、ちょっと待て!」
「嫌!!」

咄嗟に伸ばした手は空を切る。強い拒絶を含んだ言葉だった。

足早に去ろうとする彼女の後ろ姿を見て俺は咄嗟にしまった、と思った。下らない問答を頭の中で繰り広げたせいか表情が硬いものに変容していたらしい。彼女はそれを俺の認識と違う方向に解釈してしまった。すなわち、迷惑に思っていると事実を錯誤した。でなければ、涙など流す訳が無いじゃないか。

今まで、幼馴染だという記憶はないからずっと距離を置いて来た。その距離が、実は俺が勝手に想像した認識の壁だったとしたら、俺が彼女を好きではないと思っていたその事実さえ俺の実情とたがえたものなのかもしれない、と俺は考えたのだ。結果などどうでもよく、可能性の模索の一つに過ぎない。

なのに、俺は何をこんなに焦っているんだろうか。

明らかにいりこは前を見て歩いていなかった。ただ堪える感情を俺に見せまいと、一刻も早く俺の視界から去ろうと歩幅を大きくしていき、とうとう耐えられなくなったかのように走り始めた。抱えたノートはばさばさと上から床に滑り落ち、俺も持っていたプリントを床にぶちまけて走る。

速い。いりこが運動もそこそこできる事は知っていたが、想像以上の脚の速さで距離がなかなか縮まらない。俺だって50メートル走7秒ちょい位の速さは出せるのに、今のいりこはそれ以上の速さに思えた。

しかし、足の速さで負けているというその事実よりも、俺は別の事により多くの思考を裂かれていた。
どうしてだ。何故俺はこんなにも必死に彼女を追いかける。何故わざわざ誤解を解こうとしている。アイツの事を内心で気味が悪いとか思っていたじゃないか。それ以上に、俺がおかしいのかもしれないと悩んでいた。だがいりこと関係が悪化して絶縁状態になれば、もうそんな悩みは関係が無くなるはずだ。

そして、後悔の時がやってくる。全力で走り、前も碌に見ていなかったいりこは校舎外の非常階段へ跳びだす。非常階段と銘打ってはいるが、実際にはこちらの階段の方が校舎内のそれより地の利が良いのでよく使われているのだが―――そこは、手すりが無いのだ。老朽化の所為で少し前に崩れてしまい、慌てて走れば方向転換しきれず落下してしまう。危険なため、本当は閉じておかなければいけない扉だった。

開けたのは、昼の逃走の時にあそこを通った俺だ。

「いりこ、止まれ!!」

言葉はしかし、間に合わない。俺の最悪な想像をそのままなぞる様にいりこは階段で足を踏み外し、体が宙に浮いた。落下するであろう段の高さは約4メートル。落ちれば当たり所が悪くて骨折するかもしれない。

だが当たり所が良ければかすり傷程度で済むかもしれないし、人が死ぬほどの階段でもない。落ちたのはいりこの不注意だし、彼女にとっても一時の感情に流されてはいけないといういい教訓になるだろう。だから―――俺がわざわざ助けてやる必要なんて、特にない。

特にない、筈なんだけどな。


「こんのぉぉぉーーーーーーッ!!」
「あ・・・っ?」


全力で跳躍。ふくらはぎが予期せぬ激しい動きに痛むが、体はちゃんと加速して前へ跳んだ。この速さで落ちたら骨折くらいはするかもしれないが、ともかく俺の踏み出しによる加速がいりこの落下を上回った。体験したことのない浮遊感と高所から落下する恐怖を抑え込み、必死で手を伸ばし、いりこの頭を抱え込んで頭を守るように体を縮める。

運動音痴という訳ではないがそれほどスポーツが得意でもない俺が、よくもまぁ咄嗟にこれだけ出来たものだ。自分で自分に驚きながらも、下に待っているであろう固いコンクリートの地面に備えて体をこわばらせ―――俺達は、重力に引かれるがままに落下した。 
 

 
後書き
宇宙人に洗脳・・・いろんな作品でよくある事
それすら夢オチだったといたら・・・さよならを教えて、等
一定期間以上思い出を脳に残しておけなくなった・・・博士の愛した数式、等
この世界が実際にはヴァーチュアル・リアリティ・・・マトリックス、等
物理の世界を越えた幻想の技術なら・・・ハリー・ポッター、等
人気アイドルの歌とかで皆は集団洗脳・・・メガゾーン23、等
未来で罪を犯して孤独を強いられる「過去流しの刑」・・・昔読んだラノベなんだけどタイトルが思い出せない 
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