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樹界の王

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19話

 ボクの荒い息が、森の中にこだました。
 乱れた息遣いを打ち消すように、強烈な破裂音と太鼓の音が前方から届いた。
 既に戦闘が始まっていた。
 森の最果てまで辿り着いた時、そこには亡蟲の死体が広がっていた。しかし、戦いはまだ終わってはいなかった。
 亡蟲は部隊を複数に分けて、波状攻撃を行っているようだった。遥か前方から隊列の整った集団が進軍してくるのが見えた。
 敵は、縦列を敷いている。ラウネシアの森に対して、直進せずに迂回するように斜めに進行している。
 投射能力の低い領域を探る為、進行方向を変更したということか。しかし、森までの距離が伸びる為、その被害は増大していく。
 完全な捨て駒、と判断する。やはり、敵の司令官は冷徹だ。
 敵の部隊が半壊していく。それでも瓦解はしない。強烈な帰属意識、あるいは暴力的統制が要因か。
 不意に、敵の部隊が停止する。そして、次の瞬間、全ての亡蟲が一斉に横へ向きを変えた。縦列が一瞬にして横列になる。
 その瞬間、ボクの背筋を冷たいものが走った。
 かつて、プロイセン軍が用いた兵法。
 ボクは、それを知っていた。かつて、由香から聞いたことがあった。由香は軍事学にも興味を抱いていて、いくつかの事例をボクに聞かせてみせたことがあった。

「ほら、カナメ。こうすることで隊形移動に要する時間が一瞬にしてゼロになった。つまり、機動能力と戦闘能力の交換に対してのコストがゼロになったということ。プロイセン軍はこれを用いてオーストリア軍と戦った。機動能力と戦闘能力の交換は、これを以ってますます複雑に変化していくことになる」

 ラウネシアが保有するこの投射量に対して、その兵法はマッチしていない。
 走破すべき距離が伸びた事により、砲撃を受ける時間が伸びている。あの部隊は、森まで辿りつけない。
 敵のとったこの戦術は、この戦場に合っていない。
 それが、ボクに甚大な恐怖心を与えた。
 この戦場には、まるで合わない戦術。
 何故、そこに辿り着いた。
 あるいは、何故、それを知っていた?
 はたまた、こう言うべきなのか。何故、それを選択した?
 溢れ出すボクの思考を押し流すように、敵の部隊が壊滅に向かう。
 そして、その部隊を殲滅する前に、遥か後方に控えていた敵の部隊が新たに動き出す。
 縦列ではない。いや、縦列を組み合わせた集団。
 それは、直進しなかった。
 一見するとランダムな方向転換を行い、複雑なルートを辿って迫ってくる。
 縦陣の柔軟性を試しているように見えた。
 ただ縦陣と横陣の使い分けを試しているだけか、と考えた時、敵の損耗があまりにも少ない事に気づいて、敵のルートを見直す。
 稜線だ。
 砂漠のように緩やかな起伏が存在するこの赤い大地の中、地形的に砲撃が届きづらいルートを選択している。
 ただルートを選ぶだけではその転換に多大な時間を要するはずだ。しかし、先ほど見せた縦陣と横陣の交換を効果的に行い、本来受けるべきだったルート選択時の損害を大きく回避している。
 これは――
 思考が追いつく前に、更に敵の後方に控えていた最後の部隊が動き出す。
 単純な縦陣。
 別ルートから、本陣と思われるそれが壮烈な太鼓の音と共に迫る。
 対抗するように、余力を残していたのか、ラウネシアの砲撃が加速する。
 砲撃によって、次々と大地がめくれ上がる中、砂塵の中から亡蟲の咆哮が響き渡った。
 敵の総数は、前回の進軍と比べれば少ない。部隊を分け、前半を無駄に消耗した為、最後のこの突撃での敵の数自体は恐れるものではない。
 しかし、前回に匹敵するほどの突撃能力。あるいは、それを凌駕する勢いで、亡蟲の軍勢が迫る。
 そして、ボクの頭の中にはある疑問が渦巻いていた。
 敵の手札は、後いくつある?
 亡蟲は、まだ森に達しない。達するまで、時間に余裕はある。
 しかし、ボクは自らのその予想を確信できなかった。
 気がつけば、ボクは踵を返していた。防御陣地の中、戦闘能力の高い樹木の集団を見つけると、その中で比較的無害な樹木の上に急いで登る。
 林冠は、高い。頂上まで登れるような樹木ではない。ある程度の高さまで登ると、ボクは上空を注視した。敵の航空部隊の姿は見られない。
 それを確認してようやく、これ以上敵が食い込む事が無いことを確信できた。
 森の寸前まで食い込んだ亡蟲は、壊滅といっていい程に頭数を減らしている。
 自然と、力が抜けた。
 しかし、呆けている場合ではない。
「ラウネシア」
 どこかの点在樹に届くことを願って、叫ぶ。
 恐らくは、間違いない。
「侵攻に関する猶予期間の急激な変化。そして、戦術の急速な変化。敵の指揮官、あるいは将軍、王に匹敵する何かが交代したと思われます」
『そうかもしれません』
 近くに点在樹があったらしい。ラウネシアの返答が届く。
 ボクは少し迷った後、言葉を続けた。
「ラウネシアの圧倒的火砲に対して、見合わない戦闘教義への到達。それは実験的な運用にも見えました。そして、予め用意されていた飛躍した応用手法。これは、何十世代によって改良されていくべき兵法であって、本来はありえない最適化です。この最適化は、予めその流れを知っている者でしか不可能です。そして、ボクはこれらの流れと、その先を知っています」
 ラウネシアは、何も言わなかった。
 多分、ラウネシアはこの先の言葉を既に予想しているだろう。しかし、それが意味する本当のところを想像することが出来ないに違いない。
「敵の指揮官、あるいは将軍、王、そしてそれに助言する何か。それは、ボクと同様の別世界の迷い人の可能性が極めて高いです」
 そして、その世界の住人は、ボクが知っている二十世紀最悪の戦争形態を既に経験し、知識として保有している可能性が高い。
 ラウネシアの持つ圧倒的投射量は、その最悪の戦争形態に於いて、無力化されてしまうことも、ラウネシアは想像できないに違いない。
 敵は恐らくはもう、この紛争に対する答えに達してしまったと考えるべきだ。
 そして、何より恐ろしいのは、敵の指揮官に相当する別世界の何かの実行能力。
 ボクは知識として、それらの戦闘教義、戦闘形態を知っていた。しかし、敵は実際にこの手で運用してみせた。恐ろしいほどまでに最適化してみせた。
 その違いは、あまりにも大きい。 
『迷い人。結構。しかし、亡蟲というものは、食う生き物なのですよ。あの大地がある以上、亡蟲は地平線の彼方から進軍し、私の砲撃に耐える必要があります。戦術といった小手先の技術でこれを突破する術はありません』
 ラウネシアはまだ、この戦争の概念を誤解している。
 戦争は日々進化し、やがて手に負えない化け物になることをラウネシアは知らない。彼女は敗北を知らない指揮官だった。 
 

 
後書き
更新間隔が開いて申し訳ありません。
Webサイトにて、狂愛のリメイク版移転を行っております。 
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