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あさきゆめみし―テニスの王子様―

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7月7日、涙… その二 不意打ち

「…(きぬた)なの()です。よろしくお願いします。」


 それだけを言うのが精一杯だった転校初日、軽く異世界にでも来てしまった気分だった。


「ほな、(きぬた)の席は……窓際の最後尾のあそこな」


「はい…」


 親の都合で大阪に引っ越すことになった……は聞こえは良いが、早い話あの大都会から逃げてきたのだ。


忍足(おしたり)、面倒見てやれや」


「……はい」


 重い足取りで指定された席に向かう途中、頭上でそんな会話が交わされたが、今の彼女にはまるですべてが他人事のように思え、何時このことが明るみに晒されるのかと考えるだけで怖くなる。

 「親の都合」……なんて身勝手で便利な言葉なのだろう。



 (この学校には何時までいられるのかな…)



 無意識に小さな唇を噛み締めていると、指定された席の一つ前から急に手が伸ばされ、思わず歩みを止める。


忍足(おしたり)侑士(ゆうし)や。よろしゅうな」


 子供独特の高い声から徐々に低くなり始めたばかりのそれが聞こえた方に恐る恐る顔を向けると、薄く微笑む青みがかった髪の少年がこちらを見ていた。

 この歳になるとさほど珍しくもなくなった眼鏡を掛けている姿はそれだけで年上に見えてしまうから不思議である。


「?どないした」


「う、うんん。よっ…よろしく」


 思わず見惚れてしまったなどと言えるはずもなく、おずおずとした調子でその手を取る。

 当たり前のことながら男女差が次第に明らかになってくる年頃の二人は内心、その感触に少々の戸惑いを覚えたことだろう。

 席に座ってもどこか上の空で、授業が始まっても黒板を見ているフリをして彼の背中を盗み見ている自分がいた。

 端から聞き慣れない大阪弁だ、所々解ってもクロスワードを完成させる頃にはとっくに次の授業が始まってしまう。

 教師もそれは理解しているのか、敢えて彼女を指名しようとはしなかった。

 道頓堀第二小学校の内部はまるで昭和映画のように温かく、あれから何ヶ月経った夏休み目前に迫った今でもあの噂は流れてくる気配すら感じられない。



 ……それどころか。



「なあなあ、なの()はどっちが好きなん?」


「えー……っと」


 この学校に忍足(おしたり)は二人いる。

 一人は言わずもがな同じクラスの忍足(おしたり)侑士(ゆうし)

 そして、もう一人は隣のクラスの忍足(おしたり)謙也(けんや)である。

 同じ学び舎に同じ苗字が複数存在するなど赤の他人か兄弟なら話は解るが、従兄弟同士で通っているのはこの少女が今まで生きてきた人生の中ではなかったことだ。

 どうして、この年頃になるとその話題で騒ぎ出すのだろう。

 誰が誰を好きでも、軽々しく口にして良いものでもないだろうに。

 どちらも好きでもないと言おうとして誰かに背後からいきなり口を塞がれ、一気に体が固まる。


「アホ。そんなん俺に決まっとるやないか」



 ドキっ。



 その声が聞こえただけで鼓動が跳ねる。


「ええっ!?まさか、もう付き合っとるとかっ」


「いんや、まだ口説き中。邪魔せんといて」


 なーんだと、笑い声を上げるクラスメートたちの中一人、理由も判らぬ苛立ちに顔が熱くなる。

 この少年は一体、何を言っているのだろう。

 そんな素振りなどこの数ヶ月一度も見てはいない。

 どうせ笑いを取るためのネタに使うのなら自分じゃない誰かにして欲しいと、そこまで考えてはてと気づく。

 何をそんなにイライラしているのだろう、他愛のないことじゃないか。

 いつものように流せば良い…。


「ほらほら、次の授業は移動教室でしょ。皆も行こうっ」


 侑士(ゆうし)の腕からするりと脱出し、机の上に置きっぱなしにしてあった理科の教科書を胸に抱える。

 何人かの教室に残っていたクラスメートたちは既に違う話題に花を咲かせながら廊下に出て行った。


「……」


「……」


 今度は彼と二人きりになってしまったことに内心妙な居心地の悪さを感じつつも、ようやく履き慣れた先の方だけ赤い上履きで床を蹴って廊下に出ようとしたなの()を今まで聞いたことがない低い声色が呼び止める。


「………………冗談であないなこと言わん」 
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