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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十一章 追憶の二重奏
  第九話 新たな光

 
前書き
 遅くなりましてすみません。
  

 
「ミョズニトニルン―――ッ! 貴様一体ワルドに何をしたぁっ!!」

 殴りつけるように放たれた士郎の声が空間を揺さぶる。
 内包されたものは怒り。
 しかし、それはもはや怒声と言うもののレベルではなく、含まれたものの質も大きさも桁が違い、既に別のナニカに変わっていた。一種の攻撃に近いモノとなったソレにより、森の木々は大きく軋みを上げ、戦闘態勢であったはずのロングビルたちの膝が砕かれたかのように力を失い地面に座り込んでしまう。
 立ち続ける者の姿は五つ。
 命なきゴーレムであるヨルムンガンド。
 獣と化したワルド。
 そしてセイバーである。
 セイバーは自分を取り囲むように立つヨルムンガンドに剣を構えたままであった。背後から突然響いた叩きつけるような士郎の怒声にもピクリとも剣先を動かすことなく、視線も油断なくヨルムンガンドを睨みつけ離れない。ヨルムンガンドが一瞬でも隙を見せれば飛びかかり斬り伏せられるように力を溜めたまま、ギリギリと引き絞られた弓矢の如き姿。
 士郎の怒声が響き渡り氷着いたように固まった空間に風が吹き、時が動き出す。
 最初に動いたのはワルド。
 赤く染まった眼を限界まで見開き、唇を捲り上げ野獣の如く歯を剥き出しにすると、飛びかかろうと膝を曲げ―――

『―――待ちなさい』

 ビダリと、固まった。
 まるで時を止められたかのように一瞬で動きを止めたワルドは、飛びかかろうとした姿勢のまま石像のように動かなくなる。
 それを行ったのはセイバーの眼前。
 両足を切断され地に体を伏せたまま、上半身だけを起き上がらせたヨルムンガンドであった。
 
『ふふ……そんなに怒るとは思わなかったわ。何? 敵同士だと思ってたけど違ったのかしら?』

 揶揄うような声がヨルムンガンドの顔から放たれる。
 
「……聞いているのは何をしたかだ。答えろミョズニトニルン。一体貴様は―――貴様たちはワルドに何をした」

 先程の爆発したかのような怒声から一転して、士郎の問いは奇妙なほど静かなものとなっていた。
 だが、だからといってソレは平然と聞いていられるようなものでは到底なかった。
 鋭く冷たい―――氷で出来た刃のような声は、耳から侵入し身体の中から氷の剣で刺し貫かれるような恐ろしさが感じられ。雪風の名を持つタバサでさえ、地面に膝を着いた姿のまま寒気のような怖気にブルリと身体を震わせた。
 
『そう、ね。ふふ……いいわ。特別に教えてあげる』

 地に伏せたヨルムンガンドの首が動き、像のように動きを止めたワルドに向けられる。

『でも、単純に教えるって言うのも面白みに欠けるし……そうね、まずはヒントから教えてあげる』

 そう言うと、ヨルムンガンドは手を動かしセイバーを取り囲む一体を指差す。

ソレ(・・)コレ(・・)は同じものよ』 
「なに?」
「まあ、材質やらいくつか違うものはあるけど、ほぼ同じものなのは違わないわ」
「……一つ教えろ」

 士郎は喋るヨルムンガンドに顔を向けながら、チラリとワルドを一瞥する。

「ワルドは……死んでいるのか」
「―――っ」

 低い、押し殺したような声に、息を詰めるルイズ。

『ふふ……まあ、わかるわよね。ええ、そうよ。ソレ(・・)は既に死んでいるわ。前に一度あなたも見た時にはもう死んでいた……と言うか、わたしがソレを見つけた時にはもう死んでいたわ』

 正解と、小さな子供に対するような声音で返すミョズニトニルンに、士郎は目を伏せる。

「そう―――か」 
『ふふ、で、何か分かった?』
 
 士郎が精神に何らかのダメージを与えた感触に喜色を示すミョズニトニルン。何処か弾んだ声でミョズニトニルンは士郎に問いかける。
 それに対し士郎は、

「―――ああ。貴様らが外道だと言うことがな」

 切り裂くような鋭い眼光と共に最大の侮蔑を込めた返事を返した。

『あら? それだけ?』

 嫌悪を露わにした返事を向けられながらも機嫌の良い声で続きを促すミョズニトニルンに、士郎はどれだけ抑えようとも滲み出る怒りを耐えるように両手に握る剣の柄に更に力を込める。投影した偽物とは言え、宝具である筈の干将・莫耶の柄が「ミシリ」と悲鳴を上げた。

「……貴様らは、ワルドを材料にゴーレム―――いや、魔法人形(ガーゴイル)を作ったな」
「「「「―――ッ!!??」」」」

 士郎の出した答えに、ルイズたちの押し殺した声なき悲鳴が辺りに響く。

『―――ッ、ハハッ!! 正解! 良くわかったわねっ!』

 無言の悲鳴が広がる中、ただ一つヨルムンガンドの顔からミョズニトニルンの哄笑が響き渡る。

『っふふふ……そうよ。その通り。わたしたちはその男を材料に特別(・・)魔法人形(ガーゴイル)を作った。昔から案はあったんだけれど、材料(・・)の入手が困難でね。実のところ諦めていたのよ。だから代案としてコレ(ヨルムンガンド)を作った。けど、ソレ(・・)が手に入った』

 喜々として説明を始めたミョズニトニルンは、両足を切断され両手で上半身を起き上がらせているヨルムンガンドの腕を動かす。器用に腕一本だけでヨルムンガンドの巨体を維持しながら、動かしたもう一本の手で彫像のように動きを止めたワルド(ベルセルク)を指差した。

『ああ、そう言えばちょっと嘘を言ったわね。さっきわたしがソレを見つけた時にはもう死んでいたって言ったけど、実はまだギリギリ生きていたのよ。ま、ほんの僅かな時間だけだったけどね。でも、ククッ、傑作だったわ。アレを諦めてコレ(ヨルムンガンド)を造り始めた時に、まさか図ったかのように理想の材料に巡り合うなんて。ふふ……まるで運命ね』
「―――っ、ぁ―――っ!」

 まるでお気に入りの歌劇(オペラ)の事を話すかのように弾むような声で喋るミョズニトニルンに、聞き取れない程に震えた声が向けられる。湧き上がる様々な感情に体も声も震えているのだろう。結果として明瞭としない言葉に、ミョズニトニルン(ヨルムンガンド)の首が傾ぐ。

『あら? 何かしら?』 
「いい加減にしてッ!! あなたさっきから何を言っているのっ!! わ、ワルドをッ!! ひ、人を材料だなんてっ、何がそんなに可笑しいのよッ!!」

 促された者―――ルイズはもう一度ミョズニトニルンに向け言い放つ。怒り、悲しみ、恐怖、様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざった声は、悲鳴のような怒声であった。
 元婚約者であり、アンリエッタの大事な人の命を奪った裏切り者。決して許せず、明らかな敵である。しかし、死してなおこれほどの仕打ちをされる程か?
 ぐるぐると余りにも多くの感情と思考が入り混じる中、知らず溢れ出たものがルイズの口から発せられていた。
 そんなルイズの言葉に、

『―――だって本当に可笑しいのだもの』

 ミョズニトニルンは酷く軽い口調で返した。

『ねえ、ソレ(・・)の材料で手に入れるのが一番難しいものって何かわかる?』

 余りにも軽くいなされ呆気に取られるルイズに、ミョズニトニルンは明らかに笑いが込められた声で問いかける。

「―――ッ!!? 知るわけないでしょっ! 考えたくもないわッ!!」

 死体を弄び笑う相手の姿に、背筋を怖気で粟立たせながらルイズが悲鳴を上げる。

『なら教えてあげる』

 理解出来ない化物に対するようなルイズの姿に満足気に頷いたミョズニトニルンは、暗い悦びに満ちた声で告げる。

『それは、ね―――死ぬ間際に並外れた感情を宿した死体(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)よ』
「「「「―――ッ!!!」」」」

 ミョズニトニルンの告げた言葉の意味を理解した者たちが、一斉に息を飲んだ。

『それを入手するのがどれだけ難しいかわかる? 普通に考えれば手に入れるにはそう難しいものではないんだけどね。大抵の人間は死ぬ寸前にそれなりに強い感情を見せるけど、だけど実際のところ、材料たるに値するほど強い感情を抱くものはそうそうないのよ。色々と見て回ってそれに気付いてからは諦めていたんだけど……まあ、本気で手に入れようと思ったら、実のところそう難しいものではないんだけどね。発狂させるほどの憎しみを抱かせて殺す(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のなんて簡単でしょ?』
「貴様」

 片手間で出来るような料理を教えるかのようなミョズニトニルンの様子に、士郎の押し殺した声が向けられる。暗く重いその押し殺した声からは、最悪の想像から発せられたものであった。

『そんなに怖い声を出さないでよ。そんなことまでして手に入れるものではなかったから、そこまでしなかったわ。だけど、虚無の担い手がヴァリエール家の者だと知った時には、用意しておけば良かったと思ったけどね』
「……どういう事?」

 ルイズ(自分)ではなくヴァリエール家と言う言葉に、ルイズの戸惑った声が上がる。

『ふふ……ソレ(・・)はあなたと―――いえ、あなたの家とは随分と因縁があるからよ』

 ルイズの戸惑いに対し、ミョズニトニルン(ヨルムンガンド)はワルドを見る。

「因縁? 何を言っているの?」
『“グールヴィル伯爵”』
「?」

 全く覚えのない名前に、ルイズは訝しげな顔を見せる。

『その様子じゃ知らないようね。まあ、知らないのは無理もないんだけど……いいわ。今とても気分がいいし、特別に教えてあげる。“グールヴィル伯爵”という人は、元々はあなたの国の貴族よ。国王への反逆と、違法な魔法実験により処刑された貴族』
「……その『グールヴィル伯爵』がどうわたしの家に関係するのよ?」

 警戒するように身体に力を込めて問うルイズ。

『グールヴィル伯爵を捕まえたのが“烈風のカリン”だと言えばわかるかしら?』
「―――ッ!?」

 返って来た答えは、ルイズの想像の斜め上から来た。 

『“烈風のカリン”があなたの母親だってことは知っているわよ。あんたについて調べた時にわかったんだけど。まさかあの英雄が女で、それもあなたの母親だって事を知った時は随分と驚かせてもらったわ』

 器用に肩を竦めるミョズニトニルン(ヨルムンガンド)

『まあ記録には“烈風のカリン”ではなく、彼女が当時所属していた魔法衛士隊により捕縛となっているけれどね』
「何故お前にそんな事がわかる?」

 関係者しか知らないような事をスラスラと口にするミョズニトニルンに、士郎が疑問を投げかける。その疑問をミョズニトニルンは軽く投げ返す。

『書いてあったのよ』
「書いてあった?」
『グールヴィル伯爵が記した本にね』
「「「「本?」」」」 
『そう。彼の研究の全てが書かれた本。結構前に偶然手に入れたのよ。それに所々日記のようなものが書かれていたの。その中に“烈風のカリン”のことも書かれていたわ』
「研究、か。その研究とやらが……」

 士郎の視線がワルドに向けられる。つられるようにミョズニトニルン(ヨルムンガンド)の視線もワルドに向く。

ソレ(・・)を作る切っ掛けになったと言うこと』

 視線をワルドから離すとミョズニトニルンは士郎に顔を向ける。

『まあ、彼の研究は別の目的があったようだけど……。わたしにとっては関係ないわ。その研究の結果が大事なのだから』
「で、その研究とやらは一体何だったんだい?」
「違法な魔法実験と言うのでもう嫌な感じがするわね」

 ロングビルが焦れたようにミョズニトニルンに問う。その横でキュルケが吐き気を堪えるかのように眉間に皺を寄せながら渋い声を出す。

『そうね、簡単に言えば、“意志を持った人形”と言うものよ』
「“意志を持った人形”?」

 具体的な想像が出来ず、ロングビルが小さく首を傾げた。

『つまり。死んだ人間をまるで生き返らせたかのように蘇らせ、それを支配下に置くき“王国”を造ること』
「……それはまた、想像していた以上に随分と下衆な奴ね」

 酷く冷めた目と口調で小さくキュルケが呟く。

「だが、その研究と今のワルドが繋がっているようには見えないんだが、今のワルドからはどう見ても意思は感じられない、それはどういう事だ?」
『当たり前よ。ソレにはグールヴィル伯爵の魔法の他にも色々と混ぜてあるからね。それに魔法の方も色々と手を加えているし』
「手を加えた?」

 おぞましい魔法に更に手を加えると言う言葉に、士郎は嫌な予感を感じた。

『本には、“強い感情を持って死んだものを蘇らせると、その感情を元に様々な感情も蘇る”と書かれてあったわ』

 新たなレシピを思いついたかのように嬉々とした様子で語りだすミョズニトニルン。

『で、それを見た時に思ったのよ。“憎しみや怒りみたいな感情だけ(・・)を蘇らせれば強い戦闘人形になるんじゃないか”ってね』
「っ、最悪ね」

 キュルケの吐き捨てるような言葉を聞こえなかったように無視し、ミョズニトニルンは続ける。

『グールヴィル伯爵はその可能性も指摘してあったけど、残念ながら彼にはそこまで細かい調整が出来なかったようね』

 「はぁ」と溜め息を着き、でもと続けるミョズニトニルン。

『―――でも、幸運なことにわたしの手にはそれを可能とするモノがあった』
「……何よそれ」

 欠片も良い予感を感じられないルイズ。

『ふふ……あなたたちも随分と世話になったんだけど。知っているかしら? “アンドバリの指輪”』
「―――ッ!? やはり貴様たちが」

 予想外の言葉の中にある予想通りの結果に対し士郎が反応する。

『あら、その様子……何か知っているようね?』
「……少し縁があってな」
『まあいいわ。グールヴィル伯爵もコレを欲しがっていたようだけど、結局手に入れることは出来なかったようね。随分と悔しそうに書かれていたわ。でも幸いなことにわたしは持っていた。だから、わたしはこの“アンドバリの指輪”とグールヴィル伯爵の魔法によってソレに怒りと憎しみだけを込めて蘇らせたっていうわけ』

 言葉尻に肩を竦めて見せたミョズニトニルン(ヨルムンガンド)は、説明が終わりに近づいていることを示すように声を僅かに低くすると首を(めぐ)らせ周りのヨルムンガンドを見渡す。

『あなたが気付いた通り。ヨルムンガンドにはエルフの魔法である“カウンター(反射)”がかけてあるわ。それだけじゃなく、関節や色々なところにもエルフの魔法―――先住魔法がかけているわ。つまりヨルムンガンドは先住魔法と系統魔法による合作なのよ。そしてそれはソレ(・・)も同じ』

 首を下げ、ワルド(ベルセルク)を見るミョズニトニルン(ヨルムンガンド)

『でも、ソレは更に特別よ。関節にかけられた先住魔法によって動きは獣以上の速度。全身に系統魔法の“固定”をかけたことにより魔法も剣も生半可なものじゃ傷さえ付けられない防御力。更には、“グールヴィル伯爵の魔法”と“アンドバリの指輪”により怒りと憎しみから生まれる狂気的な凶暴性は、子を殺された竜でさえ怯えるほど』

 苦労して造り上げた自慢の作品を披露するかのように、自信と自負に満ち満ちた声でミョズニトニルンは告げた。

ベルセルク(狂える戦闘人形)

 ワルドの新たな名を。

『いい名前でしょ』
「……貴様、碌な死に方をせんぞ」 

 士郎の忠告に、ミョズニトニルンは軽やかな笑みで応える。

『ふふ、人の心配よりも自分の心配をしたら? “ベルセルク”は狂った獣よ。ただ殺されるだけじゃないわ……なにせ狂っているから。原型が保っていられるかしら(・・・・・・・・・・・・・)?―――行きなさい“ベルセルク”』

 ミョズニトニルンの言葉に、見えない鎖から解き放たれたかのように石のように固まっていたワルド(ベルセルク)が士郎に襲いかかる。

「―――GGGGGGGGGGAAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
「―――ッッ!!!?」

 鼓膜が破けそうな咆哮と共に迫るワルドから、士郎は後ろに飛び退きながら声を張り上げる。

「ッ―――く、セイバーッ残りは任せる!! キュルケッ! ロングビルッ! タバサは時間を稼げッ!! ティファは子供たちをッ!!」

 士郎の身体が森の向こうへと消える寸前。

「―――ルイズッ!! 頼むぞッ!!」

 士郎は視線をルイズに向け声をかける。
 木の枝を折りながら森の奥へと消えた士郎を、ワルドが草を掻き分けるように木々をへし折りながら追う。
 消えた士郎を追うように視線を森へと向けながら、



「―――え?」

 

 ルイズの口から気の抜けたような声が漏れた。










 頼む? 
 え?
 一体……何を?

 士郎の口にした言葉の意味が理解出来ず、ルイズの思考が同じところでぐるぐると回り続けていた。
 何を頼むと士郎は言ったのか?
 分からない。
 何の力も持っていない自分に何を頼むというのだろうか?
 ルイズが答えがでない思考の迷路に迷っている間にも、外の世界では時間は動いている。
 士郎がワルドと共にいなくなると同時にヨルムンガンドたちは動き出した。
 ヨルムンガンドの数は四体。
 デュランダルを構えたセイバーの前には両足を切断された一体と無傷の二体の合計三体。
 ロングビルとタバサ、そしてキュルケの前に一体。
 両足のないヨルムンガンドはカエルのように宙を飛んではその巨体でセイバーを押しつぶさんとし、その度に地響きを伴い大量の土砂が波打ち土煙が舞い上がる。セイバーは押しつぶさんと迫るヨルムンガンドを避けながら少しずつ、しかし確実にデュランダルによりその身体を削っていく。セイバーがデュランダルを振るう度に目に見えて身体が縮んでいくヨルムンガンド。それを他の二体が黙って見ている訳が無い。飛び跳ね避けるセイバーを斬り潰さんと、森に生える木よりも巨大な剣を二体のヨルムンガンドが振るうが、掠るどころか振るわれる剣を足場にされる始末。ヨルムンガンドたちにしてみれば虫のような大きさであるセイバーに文字通り手玉に取られている。
 戦局は牛歩よりも遅くではあるが、確実にセイバーの勝利に向かっていた。
 しかし、もう一方。
 ロングビルたち三人はギリギリの局面にいた。セイバーと違い一体だけではあるが、それでもヨルムンガンドを相手にするにはメイジ三人だけでは戦力に乏しかった。ヨルムンガンドには、主にロングビルの手によるゴーレムを中心にして相手をしていた。
 ミョズニトニルンが話をしている間に密かに詠唱を唱え終えていたロングビルが生み出した三十メイルのゴーレムは、襲い来るヨルムンガンドに対する巨大な壁である。とは言え、ヨルムンガンドよりも大きいがそもそもの基本的な能力に差があり過ぎるため、壁としても実のところ頼りなさ過ぎるのである。だが、ロングビルは一人ではない。
 巨大なゴーレムを巧みに操り何とかヨルムンガンドの動きを一瞬でも止めれば、その隙にタバサやキュルケの魔法が放たれる。タバサとキュルケが放つ炎の玉や氷の矢は装甲が薄いと思われる関節や鎧の隙間に向けられるが、ヨルムンガンドの体勢を僅かに崩させる程度でダメージは与えられないでいた。
 反面ヨルムンガンドの攻撃は掠るだけでもロングビルのゴーレムの身体を大きく削っていく。
 土ゴーレムは再生能力に優れているため、直ぐに欠損は直ぐに埋められるが、それも魔力が続く限りであるし、ヨルムンガンドの攻撃をまともに喰らえば再生することも出来ず一撃で破壊されてしまうだろう。
 ほんの小さな間違いで一気に勝負がついてしまう。そんなギリギリのラインでロングビルたちは戦っていた。
 セイバーが三体のヨルムンガンドを倒すのが先か、それともロングビルたちがヨルムンガンドに蹴散らされるの先か?
 実際は明らかにルイズたちが不利な状況であった。
 既にロングビルのゴーレムは再生が追いつかないのか魔力が切れてしまったのか、片手がないままヨルムンガンドの相手をしている。
 キュルケやタバサの魔法も魔力が底を尽き始めたのか、散発的なものとなってしまっていた。
 そして遂に、

「―――ッく?! しまっ―――」

 ロングビルのゴーレムがヨルムンガンドが振り下ろした剣により真っ二つに切り開かれてしまう。
 一瞬の停滞の後、ボロボロと崩れ落ちるロングビルのゴーレム。大量の土砂が山となり、剣を振り下ろしたヨルムンガンドの前に積み上がる。

「―――っは、ぁ。っも、う無理」
「魔力、が、っ、尽き、た」

 同じくキュルケとタバサも地面に膝を着いてしまう。大量の汗を滴らせ、荒い息を吐きながら振り下ろした剣をゆっくりと持ち上げていくヨルムンガンドを睨み付ける。

「っ、でも、っ、まだ、やれるわよ」
「は―――あ。まだ、やれる」

 ふらつきながらも、痙攣する足に力を込め立ち上がるキュルケとロングビル。

「ま、ったく。とんでもない人形だね」

 自慢のゴーレムを無残に破壊されながらも、ロングビルは不屈の闘志により立ち上がった。急激な魔力の使用により視界が霞む中、それでもと残った魔力をかき集め何とか対抗しようとする。
 だが、

「ちょっ―――」
「なっ、しまっ―――」
「―――ッ!?」

 ヨルムンガンドは立ちふさがるロングビルたちを跨ぐようにして通り過ぎると、何とか子供たちを避難させようとしていたルイズ達へと向かっていく。

「―――え?」

 地響きを立てながら急速に迫り来る巨大な影に気付いたルイズは、手を引っ張っていた子供をティファニアに預けると、杖を取り出し迫るヨルムンガンドに身体を向けた。

「く、くるなら来なさい!?」

 震え上がる身体を叱咤するように大声を上げると、ルイズは杖を振り上げ詠唱を始める。
 が、

 ―――ダメっ!?

 やっぱり無理ッ!?

 これまでと同じく、魔法が発動する手応えがない。
 一か八かだと詠唱を唱えるが、そう都合よく魔法が発動するようなことはなく。
 ヨルムンガンドはもう目の前。
 手を伸ばされたら捕まってしまう。
 いや、もし手に持った剣を振り下ろされれば―――

 ―――死―――

「―――ぁ」

 気付いた時には、ヨルムンガンドは剣を振り下ろしていた。
 迫る鈍く光る剣の先。
 想像していたよりも緩やかに落ちてくる剣先は容易く避けられるように感じる。しかし、思考に対して身体は全くついていかない。思考だけが廻り、身体は全く動こうとせず。ルイズは迫り来る死を前にしてただ立っていることしか出来ないでいた。

 あ、れ?

 ―――うそ……これで、終わり、な、の?

 わたし……死んじゃう?

 迫る剣先が作った影が顔を覆い、避けられない死を強制的に自覚させる。

 死ぬ?

 脳裏に斬り潰され、赤黒い塊となった自分の姿が過ぎる。

 っ―――い…や。

 ―――死んでしまえば、会えなくなる。
 
 そんな、のは―――いや。

 シロウに会えなくなってしまう。 

 だって、まだ、何も―――。

 会えなくなれば―――

 わたしは、何も―――ッ!?

 



 ヨルムンガンドの剣が押し出した風が身体を激しく叩きつける。
 間延びした思考の中、様々な想いが生まれる度に泡のように弾けて消えていく。
 そんな中、死の影を間近にしてルイズの心の中で何かが形に成りかけ―――。
 ―――同時に剣が身体に触れ、

「―――ルイズッ!!」

 ―――直前裂帛の声と同時に身体が千切れるかと思うほどの勢いで引っ張られた。

「―――っぁ、え!?」

 目に映った景色がブレた
 骨が軋みを上げ、肉から奇妙な音が響き、内蔵が片側へ寄ったかのような奇妙な違和感が。
 意図せず上がった戸惑いの声は、強制的に移動させられた内臓からの抗議の声のように酷く重く湿ったもので。
 自分が誰かに掴まれ移動させられていると理解した時には、既に先程いた場所から遥かに遠くの場所にいた。
 止まった瞬間、内蔵が元の位置に戻る。湧き上がる鈍い腹痛により涙に滲んだ視界の中に、ルイズはヨルムンガンドの剣が目標が消えたことに気付かずそのまま地面に激突する瞬間を目にした。

 砕け、震える大地。

 あのままあそこにいれば、自分はただの血の塊となっていたと知り、ルイズは腰が抜けたようにペタンとその場で尻餅をつく。
 視線の先は、固定されたかのように大地に突き刺さった剣を引き抜こうとするヨルムンガンドから動かない。少しでも目を離せばヨルムンガンドの剣がまた落ちてくるのではと言う恐怖のため。
 そんなルイズの前に立つ影が一つ。
 ルイズとヨルムンガンドの間。
 地面に座り込み怯え震えるルイズを守るよう立つのは、 

「―――無事ですか?」

 白銀と紺碧に輝く甲冑を身に纏った。

「―――あ」

 夢に見た騎士の姿。

「あ―――アルト」

 ―――セイバーであった。





「ルイズ、ここは危険です。直ぐに離れて下さい」
「っあなた、どうして?」

 背中を向けたままここから離れるよう指示するセイバーの姿に、ルイズは戸惑った声を上げる。セイバーは三体のヨルムンガンドと戦っていたはずなのに何故ここにいるのだと疑問を乗せた視線を向けるルイズ。
 まさか倒したのかと先程までセイバーが戦っていた場所に目を向けると、こちらに迫り来る三体のヨルムンガンドの姿が飛び込んで来る。思わずくぐもった悲鳴を上げながら、セイバーに顔を向けたルイズは、そこで違和感を感じた。

「っ!? アルトっ、その腕っ!?」

 ブラリと力なく垂れ下げられた左腕。
 不自然な形を見せるその左腕は、明らかに骨が折れていた。

「ど、どうしたのよそれ!? ―――っ、まさか」

 自分がセイバーに助けられた事を思い出し、まさかと思うルイズに声がかけられる。

「……少しばかり油断があったようです」

 ―――嘘だ。

 セイバーの苦笑混じりに告げられる言葉を、ルイズは即座に否定する。
 三体のヨルムンガンドによる竜をも数秒で肉塊に変えてしまえる程の猛激を耐えるどころか、僅かではあったが押していたセイバーの姿をルイズは見ていた。だからといってセイバーが油断をするとはルイズには思えず。更にあれだけの怪我を負うような失策を彼女がするとは考えにくい。
 ならば、あの左腕の怪我の原因は直ぐに出る。
 自分だ。
 自分を助けるために、セイバーは無理をした。
 そのため負うはずがなかった怪我を負ってしまった。
 怪我による影響は大きい。
 両手を使って何とか互角に三体のヨルムンガンドと渡り合っていたのが、右腕しか使えない。しかも、ロングビルたちの魔力は殆んど底を尽いているため、戦力としての当てがつかない状況である。ならば、先程までロングビルたちが相対していたヨルムンガンドの相手は自然とセイバーが相手することになる。
 左腕が折れた状態で、ヨルムンガンド四体と戦う。
 それはもはや可能不可能ではなく、既に無理無謀の領域であった。
 一気に押し込まれ叩き潰される。
 少し考えれば誰でも分かること。
 
 ―――しかし、セイバーは揺るがない。

 右手に握ったデュランダル(絶世の名剣)を、ルイズを襲ったヨルムンガンド、そしてこちらに迫り来る三体のヨルムンガンドに向けるセイバー。迫り来る絶望の姿に、怯えた子犬のように身体を震わせるルイズ。その震える視界の隅に、金色の髪の隙間から横顔を覗かせたセイバーが映る。
 
 え?
 笑って、いる?

「ルイズ、昨夜私が言った事を覚えていますか?」
「え?」

 昨夜?
 え?
 それって―――

「私の考えは今でも変わりませんよ」
「―――ぁ」

 反射的に声を上げようとした。
 何を言おうとしたのか自分でも分からないが、気付いた時には口を開けていた。
 しかし、それが形となってセイバーの耳に届くことはなかった。
 それが形となる前に―――、

「ハァアアアアアアアアアァァァァァ―――ッッ!!」
 
 セイバーは自分から迫り来る四体のヨルムンガンド目掛け駆け出していた。
 背中にロケットエンジンを付けているかのように、爆音と共に大地を抉るような爆風を背に飛び出したセイバーは、剣を大きく背中につけるように振りかぶり。

「―――ッア!!」

 前転でもするかのように勢い良く身体を前に倒し、右手に持った剣を振り下ろし―――。

 ―――一陣の風が吹く。

 倒れ込みながら振り切られた剣と共に、四体のヨルムンガンドの内最も間近に迫っていた一体の足の間をすり抜けるセイバー。
 一秒にも満たない刹那の間で通り過ぎ。
 足の間を通り過ぎていったセイバーにいち早く気付いたヨルムンガンドが、その相手の背中を追おうとブレーキを駆ける。巨大な右足で地面を抉りながら何とか立ち止まったヨルムンガンドが、セイバーを追おうと左足を前に出し―――、

『―――なッ!?』

 そのまま真後ろに倒れてしまう。
 後を追っていた三体のヨルムンガンドを巻き添えにし、地響きと共に大量の土煙が上がる。
 慌てて立ち上がろうとするヨルムンガンド。しかし、上手く立ち上がれない。訝しげな様子で自身の足を見たヨルムンガンドの動きが止まった。

『ッ?! ―――馬鹿なッ!?』

 ヨルムンガンドの古樹の如き太さを誇る足が、人で言うならば脛のあたりからスッパリと切り落とされていた。
 驚愕の声を上げるミョズニトニルン。
 四体のヨルムンガンドは絡まって転がったまま。
 セイバーは地面を削りながら方向転換をすると、再度一固まりとなって転がるヨルムンガンド達へと向かって駆けてゆく。

「ッ―――アアアアアアアアアアアアアアァァァァァッッッ!!」

 ヨルムンガンドまで十メートルを切った地点でセイバーは大地を蹴りつけ空へと向け跳ぶ。
 肩越しに振りかぶった剣先が背中に当たり―――

「アアアアアアアアッ!!」

 ―――一息に振り下ろされる。

『ク―――ッ!!』

 ヨルムンガンドの一体が両腕をクロスさせ防御の姿勢を取る。太く魔法の掛かった腕が二つ重なったソレは下手な城壁よりも強固であり、通常ならば剣は勿論、大砲でさえ罅を入れる

のさえ難しいだろう。
 ―――そう。
 普通(・・)ならば―――。
 しかし―――、

「―――ッ!!」
『―――ナッ―――ぁ?!』

 セイバーは普通ではない―――!!
 勢いがつきすぎ、空中でくるくると回転するセイバー。上手く地面に足から着地すると、砂煙を上げながら勢いを殺す。血を振り払うかのように剣を横に大きく一度振るいながら背後のヨルムンガンドへと振り返る。蒼いスカートが大きく広がり一輪の蒼い花が一瞬咲いたかのように見えた。

「……首は流石に無理でした、か」

 セイバーの視線の先では、何とか絡み合った状態から復活したヨルムンガンドがそれぞれ立ち上がろうとしていた。  
 そのうち無事であるの二体だけ。
 残りの二体の内、一体は両足がなく膝立ちで身体を起こしている。
 もう一体は片足がなく、こちらも同じく膝立ちで身体を起こしているが、その両腕は肘の辺りから先がなかった。

「いけると思ったのですが」

 ポツリとため息混じりに呟くと、セイバーは剣を握り直すと駆け出していった。





 ―――昨夜?

 遠目で見ながらも、その姿を負えないほどの速度で縦横無尽に駆け回るセイバーの後ろ姿を見つめながら、ルイズは心の中で小さく自問する。
 それは、先程セイバーが口にしたもの。

 

『ルイズ、昨夜私が言った事を覚えていますか?』
『私の考えは今でも変わりませんよ』


 
 それは、一体どう言うこと?

 ルイズは目の前で死闘が繰り広げられる中でありながら、思考を数時間前―――セイバーが言う昨夜についてのことを思い出そうとしていた。
 セイバーが言う何かについてはある程度は予想はついている。

 昨夜。
 ルイズが眠れず自然と家の外に足を向けた時、先客として外に出ていたセイバーと顔を合わせた。

 その時のことを―――。





“―――ねえ、アルト”

 突然声を掛けたのに、彼女は驚くことなくまるであらかじめ知らされていたかのような落ち着いた様子でわたしに向かって笑いかけて。

『何ですか?』

 だからだろう。
 何も考えずただ気付いたら声を掛けていただけだったのに、ずっと疑問に思っていた事がするりと口から溢れていたのは……。

“アルトは、不安にならないの?”
『“不安“、ですか?』

 わたしの問いに彼女は小さく首を傾げ。
 何のことか分からない。
 そんな様子に、わたしは言葉を続けた。
 何が不安になるのかを……。

“……うん、不安。だってあなたもシロウが好きなんでしょ。なら不安になるでしょ。シロウが直ぐに無茶することぐらい知ってるわよね。自分のこと度外視でいっつも無茶やって……近くにいないと何時の間にかいなくなってしまいそうで……なのに、あなたはここにいて、シロウの近くにいなかった……すごく不安だったんじゃないの?”
『……確かに時折(・・)シロウは無茶をする所があります……いえ、何時(・・)も無茶ばかりするような人ですね』

 彼女は昔を思い出すかのように目を閉じると、口元に困ったような笑みを浮かべながら小さく何度も頷いていた。 
 きっと彼女の目には、わたしの知らないシロウの姿が映っているのだろうと思い……胸に小さな痛みが走り。

“―――じゃあ……やっぱり不安になった?”
『いえ。それはないですね』
“―――……どうして?”
『ルイズは不安なのですか?』

 予想外の答えに、わたしは驚いた。
 だって―――。

“ぁ……当たり前でしょ”
『何故です?』
“―――なっ、何故ってそれは、傍にいないとか、ほら、色々とあるでしょ―――”

 うん。
 色々とある。
 シロウは目を離せば色んな女の子と仲良くなってしまうから。
 学院ではシエスタ以外のメイドとも何時の間にか仲良くなっているし、平民を良く思っていない貴族の子女とも何時の間にか親しげに話していたのをこの間見たし……本当に何時の間に、どうやったのか……。
 それに―――。

『関係ありません』
“……どうしてよ?”
『|信じていますから』
“……信じ、る?”

 ―――信じる……か。
 あなたはそう言うけど……わたしは……。

『……ルイズ、私も知っています。シロウが自分の身よりも、知らない他人を優先するような人だと。避けられるような揉め事にも自分から進んで関わりに行くような愚かであることも……何時消えるようにいなくなってしまうかもしれないことを……しかし、私は信じています』
“……シロウを?”
それも(・・・)ですね』

 それは一体何なの?
 ……あれからずっと考えていたけど……分からないわよ。

“それも? ……他にもあるの?”
『自分を、です』

 自分を信じるだなんて……出来ないって言ったのに……。

“っ……自分を信じるって……そんなのが出来るのは……自分に自信がある人だけじゃない……わたしは、あなたとは違う……わたしには、そんなこと……。”
『そうですか?』

 そうだ。

“そうよ……だって信じられるわけないでしょ……自分の事は自分が一番よく知ってる。どれだけ強がりを言っても、結局は一人じゃ何もできない……弱い自分……そんなの、信じられるわけない”
『“自分の事は自分が一番よく知っている”ですか……さて、それはどうでしょうか?』

 何で、あなたはそんなにハッキリと言えたの?

“どう言うことよ?”
『確かに自分の事は自分自身が良く(・・)知っているでしょう。しかし、全て(・・)ではありません』
“全てじゃない?”
『現に今、私はあなたが知らないものを知っています』

 あなたが知ったわたしの知らないことってなに?

“わたしが知らない? 何よそれ?”
『内からでは分からないものは、外から見れば意外と簡単に分かるものですよ』
“……そんなのが本当にあるの?”
『ええ、あります。ただ、あなたが気付いていないだけです』
“それは、一体何なの?”
『ふふ……ルイズ。それをあなたが自分で見つけ出せれば、必ず自分を信じられるようになります。少なくとも、その切っ掛けには十分ですね』

 何で、あなたはそんなに楽しげに笑ったの?
 それはそんなに良いものなの?

“そんなものが……本当に……”
『ルイズ』

 強い声と目だった。
 先程までの笑み混じりの声は鋭い刃物のような切れ味で、翡翠のような瞳が月光を浴びて輝き、冴えた光がわたしの身体を貫いたかと思うほどで。
 ぐるぐると思考が内へ内へと回りながら落ちていく中で、そんな突然の彼女の姿に、驚き慌ててしまって。

“ぁ、え、な、何?”
『私も以前、自分の事を信じられなかった時期がありました』

 そんなの信じられないわよ。
 だってあなたはそんなに強いのに……。
 でも……そう言った時のあなたはとても悲しげで、儚げで……。

“アルトが? 嘘。だってあなた……”
『守りたかったものが守れず。自分のせいで崩れてゆく様を見て、自分を信じられるわけがありません……』

 ……あなたがそんなに思うほどに守りたかったものって何だったの?
 こんなにもに強いあなたでさえ、守れなかったものって……。

“アルト?”
『ですので、私は願いました。あの時、剣を抜いたのが私ではなく他の誰かならば、と……それが叶うのであれば、自分の全てを捧げても構わないと……』

 ……そこまで想いながら、どうして―――。

“……”
『願いが叶った結果、誰が剣を抜いたか分かりませんが、しかし、少なくとも自分でも信じられない自分よりはましだと……だから全てをなかったことにしようとしました……』
“……それは、今でも”

 自分の全てを否定するようなことまでして願ったのに―――。

『ふふ……今は全くそんな気はありません』
“どうして?”

 どうして?

『……ある時、願いを叶えようと言われましたが、私はそれとは別のものを願いました』
“どうして? だって、自分の全てを捧げても叶えたかったんじゃないの?”
『それよりも欲しいものがあったからです』
“……それは”

 別のものを願ったの?

『それがあったから、私は自分のことを信じられるようになり、そして、全てを受け入れられるようになりました』
“……”

 だから一体それは何なのよ?

『ルイズ』
“………………”

 それが、わたしにもあると……あなたは言うの?

『それはどんなものよりもあなたの直ぐ傍にあります』

 傍にあるとあなたは言うけど……わたしは、そんなものに心当たりなんか……。

『あなたはそれを知っていますよ。ただ、気付いていないだけです』

 そんなに信じきった顔でわたしを見られても……。
 ただ……気付いていないだけとあなたは言ったけど……わたしは気付けるのかな?
 でも、気付いたとしても、それで自分を信じられるようになれるとは思えない。
 だって、何時もそうだから……。
 これだと決めても、時間が経てば、壁が現れたら、蹴躓いたら……結局は何時も諦めてしまう。
 小さな頃からずっとそうだった……。
 『虚無の使い手』と分かった今でも……わたしはやっぱり『ゼロのルイズ』のまま……。
 ずっと一人蹲って泣いてるだけ……。
 何も出来ない『ゼロのルイズ』。
 一つも確かなものがない……何も持っていない。



 何も………………ない………………――――――










『―――ルイズ。一つだけ聞いていいですか?』





“ぇ、ぁ……なに?”

  



『―――あなたはシロウが好きですか?』










 ――――――――――――――――――なにも(・・・)










“―――っ、す、好きよ。うん……すき……っ、ううん、わたしは……わたしは、シロウを―――”










 ―――――――――ある。










“―――愛しているわ”










 ―――――――――確かなものが一つだけ―――ある。










「ッ、く―――。やはり片手で相手にするのは厳しいですね」

 右手で構えた絶世の名剣(デュランダル)の剣先が微かに震えていた。常時であれば、剣先に乗せたカップの水面が揺れることもないセイバーが持つ剣が、遠目で見てもハッキリと分かるほど震えている。
 原因は一目見れば明らかであった。
 体力(スタミナ)切れである。
 セイバーに対するは四体の超ド級の巨大な化物。しかも規格外の巨体から考えれば信じられないほどの素早さで動き、その巨躯から繰り出される拳や足は、常人、否、速さに定評のある風使いのメイジでさえ、容易には避けられないものであった。
 そんな怪物を四体同時に相手にし、流石のセイバーも苦戦していた。
 手に持つのがいかに絶世の名剣(デュランダル)であったとしても、系統魔法の固定と先住魔法である反射(カウンター)が重ねられたヨルムンガンドの装甲は、右手だけでそう易々と切る代物ではない。勢いと速度を得なければ、右手だけで振るう剣では精々傷を付ける程度が関の山である。
 反対に敵の攻撃は当たれば一発で終了。それだけでなく、擦りでもするだけで、セイバーは行動不能に陥ることはほぼ確定的である。
 結果、短時間でヨルムンガンドたちはセイバーの体力を限界近くまで削ることに成功した。
 
「……これが」

 肩を上下に激しく揺らしながら、自分の持つ剣を見下ろす。
 
 ―――これが絶世の名剣(デュランダル)ではなく約束された勝利の剣(エクスカリバー)ならば、一撃で終えられたが。

 しかし、そんなことは有り得ない。
 約束された勝利の剣(エクスカリバー)は既に湖の貴婦人に返し。失われた。
 もしもはない。
 セイバーは一度大きく息を吸うと、勢い良く吐き出し目に力を込めそびえ立つ四体のヨルムンガンドを睨み付ける。

 今のこの場で戦えるのは自分しかいない。

 タバサ、ロングビル、キュルケは魔力が切れ、戦えるようになるにはまだ時間がかかり。ティファニアは直接的な攻撃手段がない。戦況を一変させることが出来る筈のルイズだが、今は魔力が足りず魔法が使えない状態であると言う。 
 しかし、もし士郎から聞いた話が事実ならば―――と、セイバーはチラリと背後を見た。

 ―――駄目ですか。

 ルイズはペタンと尻もちを着いた姿で顔をだらりと下げ、何やらぶつぶつと呟いている。
 セイバーは再度大きく息を吸うと、

 仕方がありません、か。

「ッハアアアアアアァァァァァァァ!!」

 吐くと同時に突撃を敢行した。
 ロケットエンジンをつけているのかと疑いたくなるような急加速と共に、右手に握った剣を身体に巻きつけるように回し一気に振り抜く。
 だが、

「っ―――しまっ―――」

 振り抜かれた先には、何もなく。セイバーの全身に大きな影がかかる。セイバーの耳に分厚い風切り音が触れ、一瞬にして何が起きたか気付いたセイバーは頭上を仰ぎ見た。

「―――っルイズッ!!」

 空にはその巨体からは考えられない身軽さで飛び上がったヨルムンガンドの姿が。膝を折りたたみ宙を行くヨルムンガンドの行く先は、未だ地面に座り込んだままのルイズの姿があった。咄嗟に駆け寄ろうとするセイバーであったが、

「―――邪魔を―――ッ!!」

 セイバーの前に残りのヨルムンガンドが立ち塞がる。

『……安心しなさい。殺しはしないわ』
「何処が安心できますか―――ッ!?」

 ヨルムンガンドを忌々しげに睨みつけるセイバー。

「ッ―――ルイズ」

 焦燥に駆られたセイバーの目に、ルイズに向かって落ちていくヨルムンガンドの姿が映り。

「―――っな!?」

 驚愕の声が上がった。





 ―――ああ、気付けば簡単なことだったんだ。
 確かに、わたしは自分の何もかも信じられない。
 だけど、ただ一つだけ信じられるものがある。
 それは―――わたしがシロウを好きだと―――愛していると言うこと。
 ただ、それだけは信じられる。
 この気持ちだけは―――。
 
 
 その事に気付けば、もう、大丈夫。
 ああ―――後から―――後から溢れ出してくる。
 ただ、気付けば良かっただけだったんだ。
 精神力が足りない?
 長年溜めていた精神力が切れてしまったから?
 っふふ、そんな事はない。
 ただ、違っただけ。
 勘違いしていただけなのだ。
 魔法には精神力が必要。 
 そして、精神力は心の強さ―――強い感情。
 わたしがこれまで魔法を使う時に使用していたのは、心の底でドロドロと渦巻いていた、物心ついた時から溜まり始めた怒りや悲しみ等の負の感情だった。溜まっていたその感情を使って今まで魔法を使っていたけど、その貯金が切れてしまってわたしは魔法が使えなくなってしまった。でも、それは当たり前のこと。
 だって、そう。
 シロウに出会ってから、わたしにそんな感情が溜まるのは殆んどなくなったから。だから、切れてしまうのは当たり前。
 じゃあ、どうする?
 負の感情がたまらなくなったら?
 もう、何も出来ない?
 ……そんな事はない。
 視点を変えれば答えは直ぐに分かることだった。
 別のものを使えばいいのだ。
 だって、シロウに出会って負の感情が少なくなったのと比例して、増えていったものがある。
 それは喜び、慈み、愛―――正の感情()
 開けてしまえば、それは前のそれとは比較にならないもの。
 怒りや憎しみは地の底でドロドロと渦を巻くマグマのようなものだ。使えば確かに威力は大きい、でも、ただそれだけ。後がない。派手に数回使えば、溜まっていたものなんてあっと言う間に枯れ果てなくなってしまう。
 でも、これは違う。
 負の感情(嫉妬や憎しみ)である地の底で渦を巻くマグマのようなそれは有限であるが、天の頂きで世界に光を満たす太陽の如き正の感情()は無限。
 わたしが生きている限りずっと光り続ける。
 怒りや嫉妬、憎しみなんて比較になりはしない。
 その証拠に。
 溢れ出る光を掬っただけで、ほら―――



「―――ありがとう―――シロウ」



 頭上に落ちる巨大な影。
 重く風を切る鈍い音。
 見ずともその巨大さを強制的に理解させられる。
 それが頭上に。 
 しかし、ルイズは全くと言って気にならない。このままでは確実に踏み潰され死んでしまうにも関わらず、ルイズは逃げも騒ぎもせずにただ自然のまま立っているだけ。杖を握る右手を左手で包み込み、緩やかなリズムを刻む胸の上に置く。「とくん、とくん」と微睡みを誘う落ち着いた鼓動に耳を傾けながら、穏やかな気持ちで、薄く開いた目で世界を見つめる。今の自分の心のように、世界を広く大きく見渡せていた。鼓動が一つ鳴る度に、心の奥から光が溢れ、身体を内から満たしていく。つい先程まで絶望と悲しみで氷のように冷え込んでいた身体が、今はもう、春の陽気を受けたかのようにぽかぽかと暖かく。
 キュルケやロングビルたちの上げる悲鳴混じりの声も、逃げるように叫ぶ声も遠くに聞こえ……。
 ただ……ただ、心地の良い暖かさに身を預け……。

「“エクスプロージョン”」

 溢れ出る想いのまま囁くように告げる。
 それは“爆発”の魔法。
 ルイズが最初に覚えた、最も身近で馴染みの深い魔法。
 詠唱が長ければ長いほどその力は発揮される。
 しかし―――長々と詠唱はしない。
 何故ならば、する必要がないからだ。
 身体の奥、心の奥底から溢れ出る光をほんの少しだけすくい取ってみたら……ほら、呪文なんて完成させなくてもはち切れてしまいそうな程の魔力が身体を巡る。
 後は、その魔力に行き先を指し示して上げるだけで―――。





 ポゥっと、白い光がルイズの頭上に灯り、それに落ちてきたヨルムンガンドの足先が触れる。
 ―――瞬間。

『―――ッ―――!!?』

 一瞬にして光はヨルムンガンドの巨体を包み込むほどに広がり、そして―――

「―――……凄い」
「これは……まいったわね」
「はぁ……驚いた」

 唐突に光は音もなく消え去り、後には何も残らなかった。
 白い光に飲み込まれたヨルムンガンドは、文字通り跡形もなく消え去っていた。
 音も衝撃も何もなく、全てを消し去られたヨルムンガンド。
 その余りにも現実離れした光景に、誰もが呆然と立ち尽くしている。
 そんな周りの様子を首を巡らし見たルイズは、胸元に置いていた杖を握る右手をすっと空へと向け。

「「「「――――――ッ!!??」」」」



 ―――同時に、“圧”、が吹き荒れた。


 
『―――っな?! う、嘘でしょっ!! 何なのよこれはッ!!?』

 ルイズを中心に、竜巻の如き渦が巻いている。
 渦は風ではなく、魔力により出来ていた。触れられる程の密度を持った魔力で出来た渦は加速度的に巨大になり、ヨルムンガンドでさえ仰ぎ見る程の巨大な竜巻の姿となる。
 渦を巻く魔力は風を生み、周囲には地面に伏せなければ吹き飛ばされる程の強大な風が吹き荒れている。吹き飛ばされまいとロングビルたちは慌てて地面に伏せて耐え忍んでいる。ヨルムンガンドたちでさえ、余りの風に立っておられず、頭を垂れるかのように地面に膝をついていた。

『こ、こんな馬鹿げた魔力を一体何処から―――ッ!!?』

 ミョズニトニルンの悲鳴混じりの声が風に紛れて上がる中、



 ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……。



 詠い声が響く。



 ギューフー・ニィド・ナウシズ……。



 静かに囁くように、しかし弾むように喜びに満ちた声が上がる。
 自信に満ち溢れたルイズの声が続くに連れ、溢れ出るまま激しく吹き荒れる魔力が緩やかになっていく。木々を薙ぎ倒さんとばかりに吹き荒れていた風は、枝を微かに揺らすだけとなり。ルイズの姿を隠していた魔力の竜巻はゆっくりとその姿を崩していく。
 残りのヨルムンガンドはその隙を逃さず、セイバーを無視し、杖を天に掲げるルイズに向かって殺到する。地響きを立てながら、削岩機のように地面を削りながらルイズに襲いかかろうとするヨルムンガンドたちを、しかし、セイバーは追うことなくただ眺めているだけであった。
 駆ける勢いのままルイズを押し潰そうとするヨルムンガンドたち。その隙間から微かに見える頭上に杖を掲げたまま動かないルイズ。慌てた様子も、怯えた様子も見えない。
 ただ、あるがままの自然な姿で立っている。
 セイバーはその姿を見て目を細めると、口の端を曲げ―――



「答えは出たようですね」
   
 

 ―――小さく笑った。





 ユル・エオー・イースー……。





 呪文が完成し、光が生まれた。
 “ディスペル・マジック”の光だ。
 太陽が生まれたかの如く光の爆発に、咄嗟にキュルケたちは目を閉じ顔の前に手を翳す。ルイズを中心に円状に光が広がった光は、瞬きの間もなく半径百メートルを超える巨大なドームとなり、ヨルムンガンドやセイバーたちを包み込んでいく。数秒の間を置き、ゆっくりと光が収縮し、ルイズの元に還っていった。
 光が収まり、キュルケたちは顔に翳した手を外し目を開いた。

「……びっくり」
「はぁ~……驚いたわね」
「これは……想像以上だわ」

 まんまるに見開かれたキュルケたちの目に映るのは、巨大な三体の人形。
 呆けたように開いたキュルケたちの口からは、驚き、驚愕、感嘆の声が漏れる。
 打ち捨てられたように地面に倒れ伏し、ピクリとも動く気配を見せない。今はもう、人の形をした岩のようだ。人間のようなヨルムンガンドたちの姿はもう何処にもない。ヨルムンガンドをヨルムンガンド足らしめていた源が、消え去ってしまったのだろう。
 ルイズの手により。
 ディスペル・マジック。
 それは“解除”の魔法。
 ありとあらゆる魔法を打ち消す魔法。
 その結果、系統魔法も先住魔法も関係なく全てを打ち消されたヨルムンガンドは、ただの人の形をした石の塊となってしまっていた。
 ヨルムンガンドを無力化したルイズは、掲げていた杖を下ろすと小さく首を傾けゆっくりと息を吐き空を仰ぎ見る。
 目を細め蒼く輝く空を見上げ、眩しげに目を細めたルイズは幸せそうに口元を緩めた。


 





 
 

 
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