| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第百二十一話 責任と自覚



宇宙歴 796年 4月 10日  ハイネセン  最高評議会ビル  マルコム・ワイドボーン



ミハマ大佐がテーブルにグラスを二つ置いて部屋を出て行った。グラスには水が入っている。
「スーツか、似合わないな。未だ軍服の方がましだ」
最高評議会諮問委員長の執務室、濃紺のスーツ姿でソファーに座るヴァレンシュタインはどうにも様にならなかった。企業の採用面接なら外見だけで不採用になっただろう。頼りなさが全身から出ている。

「仕方ありませんよ、退役したのですから軍服を着ることは出来ません。それにあの服、あまり好きじゃないんです。どちらかというと帝国の軍服の方が好きですね」
「おいおい、妙な事を言うな。今のお前さんは最高評議会諮問委員長なんだぞ。それと残念だが誰もお前さんが本当に退役したとは信じていない。俺も含めてな」
ヴァレンシュタインは顔を顰めた。

「人事発令は出たはずですよ、見てないんですか?」
「見た様な気がするな」
「トリューニヒト議長も私は退役したとマスコミの前で言いました」
「一朝事有れば現役復帰とも言っていたな」
またヴァレンシュタインが顔を顰めた。第一特設艦隊は後任の司令官が未だ決まっていない、これでは誰も信じないだろう。

「で、今日は何の話です?」
「グリーンヒル本部長代理から命令された。六月十五日に捕虜交換の調印式がイゼルローン要塞で行われる。俺とヤン、ウランフ提督に調印式に赴く政府代表を護衛しろとのことだ」
“それはそれは、ご苦労様です”とヴァレンシュタインが頷きながら言った。誠意がこもっていないな。

「お前さんもイゼルローン要塞に行くと聞いた。本当か?」
「政府代表の陣容については未だ極秘扱いなんですけど……」
「そんな事を言ってる場合じゃないだろう。お前、殺されるぞ」
ヴァレンシュタインが“はあ”と言うような表情をした。

「まさか、来てくれって言ったのは向こうですよ。呼びつけておいて殺すなんて無いでしょう。そんな事をすれば国家としての信用を無くします。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もそこまで愚かじゃありませんよ」
こいつは何も分かっていない。

「イゼルローン要塞にどれだけの兵士が居ると思っている。軽く見積もっても三百万は居るんだぞ。まさか連中に欠片も恨まれていないと思っているわけじゃないだろう」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。

「それは有りません、恨まれていると思いますよ。ですが私を殺せば捕虜交換は吹き飛びます。自分達の仲間が帰って来られなくなるんです。それでも私を殺せますか?」
「さあな、俺には分からん。血迷った馬鹿者は何処にでもいる」
「そんな事を言ったら何処に居ても安全じゃありません」
駄目だな、これは。ここまで言い張るという事は向こうからの要請だけじゃない、他に何か行く必要が有るのだ。

「調印だけじゃないんだな。和平か、何処まで詰めるつもりだ」
「……まあ色々有ります」
「色々?」
「ええ、帝国が発行した国債、それから企業の株をどうするか、イゼルローン回廊の開放、それと今後の同盟と帝国の協力体制の確認、フェザーンの独立、……色々です」

溜息が出た。一口水を飲んだ、ヴァレンシュタインも水を飲んでいる。
「和平条約の叩き台を作るつもりか?」
「そこまではいきません。まあ精々ガイドラインになればと思っています」
「……」
「これは他の人には任せられないんです。市民に迎合して不必要に条件を厳しくしかねない人には任せられません」

「どういう事だ?」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。
「戦争し和平を結ぶ、そしてまた戦争。歴史上そういう例は沢山有ります。何故だと思います?」
「……対立要因が残ったという事か?」

「より正確に言えば対立要因の解消を怠った、自国の利益を追求する事を優先し過ぎた、そんなところですね」
「……」
「危険なんです、民主共和政国家ではどうしても政治家は市民の声を無視出来ない。そして市民は戦争の代償を過大に求めたがる。目先の利益を追求し将来の事を考えない」
なるほどな、そういう事か。ヴァレンシュタインは沈痛な顔をしている。それがせめてもの救いだな。

「レムシャイド伯も言っていましたよ。民主共和政は市民の声を取り入れるという意味では優れた政治体制かもしれないが市民が聡明で常に正しい判断をするという事が前提になっていると。ルドルフ大帝はその市民を信用出来なかった、前提そのものが間違っていると思ったのではないかと。自分にも市民がそこまで聡明だとは思えないと。……私にはレムシャイド伯の言葉を否定出来ませんでしたね、ワイドボーン提督、貴方には出来ますか?」
「……」

否定しなければならなかった、だが出来なかった。百パーセント正しいとは言わないが幾分かの真実がそこには含まれている。口籠る俺をヴァレンシュタインは嗤わなかった、蔑みもしなかった。ただ哀しそうな表情をしていた。
「自分に何が出来るかは分かりません。ですが私は帝国を知っていますし同盟も知っている。平和が続くには両国の協調関係が必要だという事も分かっています。他の人よりも適任でしょう」
溜息が出た。それを不同意と思ったのだろう、ヴァレンシュタインが言葉を続けた。

「帝国は門閥貴族が滅びました。これ以後帝国は政府の元に一つに纏まります。あっという間に国力は増大しますよ。元々帝国の方が同盟より倍近い人間が居るんです。その気になれば三十個艦隊を編成する事も簡単でしょう。戦争になったら今度は同盟が苦しみます。何故あの時しっかりと協調体制を取らなかったのかと悔やむことになる」
淡々と言葉が続く。不幸だなと思った。この男は先が見え過ぎる。そしてもう一人先が見え過ぎる男が居る……。

「お前さんが組んでいるのはレムシャイド伯だな。伯と組んで帝国側から自分が政府代表に加わる様にした」
「否定はしません。伯も次の戦争を避けたいと思っています。あの人も帝国、同盟の両国を見た。国は違っても住んでいる人間に変わりは無い。帝国が劣悪遺伝子排除法を廃法にした以上共存共栄は可能だと見ています。何より両国が争えばまた地球教のような存在が現れるのではないかと恐れている」
大きく息を吐いた。この男が不幸なのは先が見える事だけじゃない、それを放置出来ない事だ。その事が更に不幸を呼びかねないのに。悪循環だな。

「ヤンが心配しているぞ」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。
「ヤン提督も私の命が危ないと?」
「そうじゃない。ヤンはお前が民主共和政にとって危険な存在になりかねないと心配しているんだ」
ヴァレンシュタインがこちらをじっと見た。もう笑みは浮かべていない。

「意味が分かりませんね」
「本当に分からないか? 軍だけでなく政府でも力を延ばし始めた。その内お前さんが政府、軍を自由に動かす存在になるんじゃないかとヤンは危惧しているんだ」
「面倒な人だ。独裁者になるとでも? 馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てた、不愉快そうな表情だ。内容か、それともヤンに対してか。

「俺も馬鹿馬鹿しいと思っていた。しかしお前さんと話してちょっと不安になった。お前さん、民主共和政を何処かで侮蔑していないか? だとすればそんな人間が民主共和政で力を付けるのは危険だと考えるのは可笑しな事じゃ無いだろう。ヤンの疑念の底に有るのもそれじゃないかと俺は思うんだが」
ヴァレンシュタインがフッと息を吐いた。

「私が理解しているのは民主共和政も君主独裁政もそれぞれに利点と欠点が有る、完璧な統治体制など無いという事です。所詮は人間が運用する物で運用する人間が愚かなら悲惨な結果になる。違いますか?」
「……お前、もしかして人間を信用していないのか? だとすればそれはルドルフと同じだぞ」
ヴァレンシュタインは少し驚いたような表情をしたが直ぐ苦笑を浮かべた。

「そうですね、そうかもしれない。ですがルドルフの様に自分を無謬だと過信してもいません。自分も愚かな一人の人間だと思っています。安心しましたか?」
「……気休め程度には」
「猜疑心が強いのは美点とは言えませんね」
「ほっとけ」
ヴァレンシュタインが声を上げて笑った。笑える奴は良いよな。なんで俺が心配しなければならんのか。



宇宙歴 796年 4月 20日  ハイネセン  同盟議会  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「今回の捕虜交換ですがこれは和平交渉の一環と見て良いのでしょうか? トリューニヒト議長、お答えください」
カマキリみたいにひょろひょろした奴が質問すると議会議長がトリューニヒトに答えるように指示した。トリューニヒトが答弁席に向かう。

「えー、捕虜交換は人道的な見地から行われます。政府はこれまで戦争を継続してきた以上、利無くして捕虜になった兵士をその家族の元に帰す義務が有ります。政府はその義務を果たそうとしているという事です」
民主主義国家ってのはどこも同じだな。アホな質問をする議員と建前で答える政府。茶番だよな。でも一番の茶番は俺が政府閣僚として質問に答える立場だって事だ。

政府閣僚は二列六席で座っている。前列には議長、副議長、書記、国防委員長、財政委員長、法秩序委員長が座る。後列には情報交通委員長、地域社会開発委員長、天然資源委員長、人的資源委員長、経済開発委員長、諮問委員長。つまり俺は末席というわけだ。俺の隣はトレル、前の席にはボローン、斜め前にレベロが座っている。

“あの質問している議員は誰です”と小声でトレルに訊ねると惑星シャンプール選出のバリード代議員だと教えてくれた。シャンプールは前線に近い、そのためシャンプールは反帝国感情が強いそうだ。バリードも和平に対して必ずしも積極的ではないらしい。トリューニヒトが人道を持ち出したのもその所為だろう。

「ではヴァレンシュタイン諮問委員長に御訊きしたい。この捕虜交換は貴方の提案だと聞いています。そして帝国との和平交渉も貴方の担当だとか。和平と捕虜交換は本当に関係ないのでしょうか」
関係有るって言っちゃいけないのかな。小声でレベロに訊ねたら面倒な事になるから駄目だって言われた。認めると和平について煩く訊いて来る、条約にあれこれ注文を付けるって事らしい。政府を困らせるのが生きがいみたいだ。

「諮問委員長、お答えください」
仕方ないな、席を立って答弁席に向かった。レベロに向けて軽くウィンクした。
「捕虜交換は二つの理由から提案しました。一つは人道面です。私も軍人でしたから捕虜の事は以前から気になっていました。政府の一員になった事で人道的な見地から捕虜交換を提案したという事です」

「もう一つは何でしょう?」
嬉しそうだな。和平と関係が有ると言って欲しいらしい。
「もう一つは財政問題です。レベロ財政委員長は常々財源が無いと嘆いていました。捕虜を交換すれば捕虜を扶養するための予算が不要になります。少しでも財政委員長の負担を軽減しようと考え捕虜交換を提案させていただきました」

口惜しそうな表情のバリードを後に席に戻った。トリューニヒトは笑いを噛み殺しているしレベロは目を剥いている。自分を捲き込むな、そんなところだろう。他の委員長は呆れた様な表情をしている。でも支出が減るのは事実だし選挙でも有利になるぞ。家族票も入れれば最低でも五百万票は政府に味方する筈だ。

それにしてもなんであんな奴を相手にしなきゃならんのか。ウンザリだよな。馬鹿馬鹿しくてやってられん。帝国と和平を結ぶ、条件は緩めにして協調体制を確立する。その方が同盟にとって利が大きい。人口二百億を超える新市場が目の前に有るんだ。ちょっと考えれば分かる事なんだが目先の事、いや帝国に対する反感が視野を狭くしている。

それともこれが普通で俺が可笑しいのかな。亡命者だから何処かで帝国を憎み切れない、或いは転生者だから何処かで醒めているのか。分からんな、いや、俺だって両親を殺されて復讐すると誓ったんだから他人の事は言えん。しかし大多数の人間が過去に囚われて未来を見る事が出来ないなら民主共和政は政治体制としては極めて運用が難しいんじゃないかな。一部のエリートが国を動かすべきだと考えたルドルフの方が理に適っている事になる。

或いは国政に対して責任を明確にする事が指導者としての自覚を持たせる事になるのか。そうだとすればエリートによる支配階級の創立は意味が有ると言える。もちろん弊害も有る、支配階級が特権階級になれば腐敗しやすいという事だ。ルドルフの失敗は支配階級を血で固定してしまった事だ。おかげで支配階級が門閥貴族と言う特権階級になってしまった。

血では無く実力を基準とし支配階級を流動的なものにすればルドルフによる銀河帝国創立は共和政ローマから帝政ローマへの移行に匹敵する政治的傑作と言われたかもしれない。いや、駄目だな。ルドルフが血に拘ったからゴールデンバウム王朝は成立した。帝位はルドルフの血でスムーズに継承された。

もし血を否定すれば帝位そのものを実力で争う時代が来たはずだ。皇帝が死ぬ度に内乱が起きた可能性が有る。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスも血統による皇位継承に異常なほど拘っている。スムーズな帝位継承こそが帝国を安定させ繁栄に繋がると思っていたからだろう。だとするとルドルフの失敗は血に拘った事ではない、支配階級の流動性を考慮しなかったことだろう。

民主共和政では国民主権だ、つまり百億以上の人間が同盟の未来に対して責任を持つ事になる。だがそんな事を考えている人間がどれだけいるだろう。政治など議員や政府に任せて終わり、そんなところだろう。責任を意識しない以上自覚など有る筈もない。民主共和政国家においては政治家達の質は市民の質に比例する。市民が責任も自覚も持たなければ政治家達がそれに準ずるのは当たり前だ。

つまり帝国も同盟も支配階級の成立に失敗した事になる。ヤンに訊きたいな、あんたはこれでも民主共和政を素晴らしいものだと褒め称えるのかと。ラインハルトに専制政治の罪は人民が政治の害悪を他人の所為に出来る事だと言っていたな。だが民主共和政だって同じさ。市民は馬鹿を政治家に選んだ事を反省するよりも選んだ奴が馬鹿をやったと罵るだけだろう。

それなのに俺が独裁的な存在になるなんて疑って何考えてるんだ? この国の主権は市民に有るんだ。独裁者になるもならないも市民が決める事で俺がどうこう出来る事じゃない。市民が俺を独裁者にするのならルドルフで懲りていないって事だ。つまり市民は反省など欠片もしていないって事だろう。ヤン自身それを何処かで感じているんじゃないか。だから俺を疑っている。ま、安心して良いさ、心配はいらない。独裁者なんてガラじゃない。頼まれても速攻で逃げるからな。


 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧