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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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カプチェランカからの帰還



 ハイネセン――ホテル・ユーフォニア。
 一泊するのに国民の平均給料一カ月分が吹き飛ぶと噂される高級ホテルの最上階レストラン。眼下には夜景が広がり、誰であれ幻想的な思いを心にした事だろう。
 その個室。

 VIPルームとも呼ばれるそこに存在するのは三名の人影だ。
 サラダから始まった一連のディナーに、ただフォークとスプーンを差し込む。
 微かに聞こえる硬質的な音が、やけに大きく響いていた。
 そこには男性が二名と女性が一名。

「ねえ、アンディ。ちゃんとニンジンも食べるのよ」
「わかっていますよ、母さま。子供ではないのですから――」
 それは親子なのだろう。
 だが、この一室に存在するのは親子というには、あまりにも厳しい雰囲気だ。

 母親であろう――それにしてはまだ若い三十代ほどの女性。
栗色の緩くウェーブのかかる穏やかな母親が話しかけるたびに、正面に座る男性からは拒絶が言葉となって、短く会話が終わる。
 そして、続くのは再びの硬質音と咀嚼の音だ。

 やがて、肉料理が半ばまで終了したところで、沈黙に耐えかねたように女性が再び口を開いた。
「お仕事はどう。大変じゃない?」
「……大変な仕事などありませんよ。まだ一年目では簡単な仕事だけです」
 食べかけていた肉を下ろして、小さく笑んで答えた。

 女性の傍に座っていた男が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「簡単か。その割には同期に差をつけられているみたいじゃないか」
「あなた」
 咎めるような女性の声にも、最年長であろう四十代後半の男性は言葉を止めない。

 どこか人の良さを感じさせる口髭と表情が、いまは攻め立てるように正面の男性――アンドリュー・フォークを見ていた。
 それに対するは、瞳を細くして父親を見た。
「お前が邪魔だと言うから、私が先生に働きかけて、奴をカプチェランカに送ったのだ。それで差が付いていては、笑うに笑えない冗談だ」

 再び不機嫌そうに鼻を鳴らして、男性――アルバート・フォークは肉を頬張った。
 苛立ちを込めた咀嚼音に、その息子であるアンドリュー・フォークは、手にした肉を下ろして、唇を噛んだ。
「なんだ。一人前に悔しそうに――そういう態度が許されるのは、結果を残したものだけだ」
「あなた。アンディは頑張ってますよ」

「君は黙っていろ。頑張る頑張らないなど、そんな事はどうでもいい。頑張ったところで、結果が付いてこなければ意味がない。何のために軍への入隊を認めたと思っている」
「――それは」
「結果だ。ただ士官学校を出るだけなど誰にも出来る。お前は軍に入って、活躍をして名前を残す事が大切なのだ。そうして初めて、先生と、そして、私の役に立てる」

 アンドリューの言葉を無視して、アルバートはワインを飲み干した。
 差し出された器に、母親――ジュリエット・フォークが慌てたようにワインを注ぐ。
「あなた。それ以上は……」
「まあいい、今くらいの差などこちらでどうとでもなる事だ。たかが少尉や中尉など、紙きれ一枚で何とでもなる話だ。こちらで手を打っておいてやるから、お前は自分の役割をもう一度考えることだな」

 苛立たしげにもう一杯のワインを飲み干せば、話は終わりだとばかりに食事を開始した。
 しばらくジュリエットとアンドリューは言葉を待ったが、それ以上の話はない。
「さ。冷えないうちに食べちゃいましょう。美味しいわよ」
「ええ」
 頷いて、アンドリューは手にした肉を口に入れた。

 それは随分と冷えていて、まずい。
 それを碌に噛まずに嚥下して、アンドリューはナプキンで口を拭いた。
「父様」
「何だ、アンディ」
「それでしたら、もう少し父様のお力を借りたいと思います」

「また頼みごとか?」
「ええ。しかし、今回は前回に比べて楽なことです。私はアレス・マクワイルドの力を見誤っていました――だからこそ、次は……」
 続いた言葉に、アルバートは鼻を鳴らした。
 先ほどまでの不快気な様子ではなく、どこか愉快気な雰囲気だ。

「なるほど。だが、それを説得するのは少し難しいかもしれんな」
「簡単な事です。彼は活躍した――ええ、装甲車の異常を発見するという活躍をね」
「そちらを前面に出すわけか。だが、簡単とは言ってくれる――それの根回しをするのは私だと言うのに」
「こちらも手は打っておきます。幸いにして人事課に勤務していますから」
「いや。やめておけ――新人が軍の人事に口を出せば、妙に勘ぐられる。その件については、前回同様こちらで何とかする。また先生には迷惑をかけるがな」

「申し訳ございません」
「そう思うのならば、活躍する事だ。それこそが先生の望みでもあるのだからな」
 再び鼻を鳴らして、今度こそ話は終わりだと肉を口に入れる。

 会話のない沈黙の夕食が再開された。

 + + +

 宇宙暦791年8月。
 惑星カプチェランカでは、両軍とも積極的な攻勢を行う余力はなかった。
 7月の戦闘によって、多くの将兵が死に、しかし、死んですぐに交代要員を補充する事は、距離的な問題から不可能。もっとも、防衛戦にて活躍を見せたラインハルトは原作通りに一階級をあげ、次の任務地へと向かっていたのだが、それは同盟軍の知るところではなかった。

「第三分隊、かけろ」
「突破させるな!」
 一方の同盟軍。
雪上の上では、兵士が訓練を行い、それを見守る青年がいた。
 アレス・マクワイルド。

 まだ二十を過ぎたばかりの金髪の青年は、すでに瞳の傷が癒えて両の眼を開いている。
 それでも残った痕は生々しく、一筋の傷跡が右目を微かに横切っている。
 戦闘後の部隊再編によって、特務小隊は解散している。
 正確には小隊長の死亡した部隊をまとめ、特務小隊は第一中隊第一小隊として新設されている。第一小隊に配属されるものは、軍の中でも特に優秀な者がなる慣習の中で、士官学校を卒業した者が――それも小隊長として配置されることは前例にない事であったが、クラナフ大佐を始め、中隊長や他の小隊長から異論の言葉はでなかった。

 正規の人数が集まった小隊では激しい訓練が行われている。
 解散した他の小隊にいた分隊長率いる第二分隊、第三分隊を――カッセルの死に伴って、第一分隊を率いる事となったバセットが、悪辣な落とし穴罠に引きづり込む。
 カッセルが見ていれば見事と笑ったか、あるいは面倒なことになったとため息を吐いたであろう。

 どちらかといえば、後者か。
 小さく笑みを浮かべ、第二分隊と第三分隊の壊滅と共にアレスは腰をあげた。
 近づく姿に、不敵に笑っていたバセットが敬礼を返す。

 今にも尻尾を振りそうだなと――どこか忠犬の様子に手で答えて、穴を覗き見れば、雪に埋まる兵士を見た。
 怪我はなさそうだ。
「これが本番なら水でも入れておくのですがね」
「本当に、最悪だな」

 おそらくはカッセル直伝の悪辣な罠を想像して、アレスは顔を歪めた。
 落とし穴の下に、ただの水。
 しかしながら、氷点下を下回るカプチェランカでは最悪この上ない結果をもたらす。
 外に出れば一瞬にして水が凍りつき行動を阻害。
 さらには体力を容赦なく奪う。

 穴に落ちた兵士は進むことも、自力で戻ることも出来ず、周囲の兵の助けを借りて、さらに戦力をおとす。
 あるいは戦場の興奮にあてられて、敵陣を目指し、力尽きるか。
「環境を利用すると、軍曹は言っておられました」

「頼りにしているが、性格まで真似するなよ。軍曹」
 肩に手をおかれて、バセット軍曹はそうですねと小さく笑った。
 グレン・バセットは、先般の戦いで軍曹へ階級をあげ、さらに早くも十月には曹長への階級が内定していた。

 死地へと送りだしたクラナフのせめてものお詫びだろうか。
もっとも、先の戦いで多くの下士官が死亡し、現実的に兵が足りない事が主な理由かもしれないが。
使える者は使えということか。

 その一方で、いまだにアレスの結論は決まっていない。
 決死隊の指揮に、敵司令官の殺害。
 その功績は大きい――しかし、大きすぎる事が遅れを招いている。
 前例がないのだ。

 これが彼のエルファシルの英雄のように、民間人を救うなどと大々的に報じられれば別であったのだろう。活躍したといっても所詮は一惑星だけの話であって、さらにアレスの活躍を表に出せば、必然的に敵基地攻撃の失敗や装甲車のシステムを敵に奪われた事まで公表する事になる。

 いわゆる落とし所を探しているのだろうと、アレスは考え、
「マクワイルド小隊長。クラナフ大佐がお呼びです」
 走ってきた部下が、それが間違いではない事を伝えに来た。

 + + +  

「マクワイルド少尉、入ります」
 扉をノックして入れば、そこに苦虫を五匹ばかり口に頬り込んで、シェイクしたような顔のクラナフの姿がいた。元来の軍人顔がこのように不機嫌そうにすれば、子供どころか、大の大人でも目をそらしてしまうだろう。

 表情の理由を理解して、アレスは苦笑する。
 静かに前へと進み出れば、机からクラナフは紙を手にする。
 それを一瞥すれば、クラナフはアレスへと視線を戻した。
「ハイネセンからの辞令だ」
「はい」

 頷いたアレスに、クラナフは小さく吐息。
 やがて、諦めたように紙を前にして、内容を読み上げた。
「アレス・マクワイルド少尉。十月一日より、中尉に任官し、後方作戦本部装備企画課への配属を命ずる」
 辞令だと、紙を渡されれば、アレスはもう一度、それを確認した。

 目を通しても、書かれた文字が変化することはない。
 どうやら聞き間違えではなかったようだ。
 眉根を寄せてクラナフを見れば、同様に苦笑を浮かべていた。
「予想外だったか?」

「後半の部分は」
 答えた言葉に、クラナフは面白くないとばかりに椅子へと腰を下ろした。
「私にとっては前半も十分予想外だ。すぐには無理でも段階的な二階級昇進でもおかしくない活躍だったと思っているが。何の話もないがな」

「現場は誰だってそういうものです。そこからもろもろを差っ引けば、手取りはこれくらいのものでしょう」
「階級と給料を同じにするなと言いたいが、あながち間違えていないのが悲しいところだ」
 苦さを含ませながら、クラナフは小さく笑った。

「悔しくはないのかね?」
「卒業半年で一つ階級があがれば、十分でしょう。それにある程度の理由もわかりますからね」
 その部分では、自らが立てた予想に反しているわけではない。

 民間人を救出したという華々しい話でもなく――政府からすれば、幾多もある小規模な戦闘――その一つであったということなのだろう。何光年も離れた先に映るのは、レーザー光の飛び交う戦場ではなく、文字と数字。
 敵司令官の補殺に功があるとはいえ、それも全面的には信頼していない可能性もある。

「そこまで達観されると慰めの言葉もでないな。だが、後半は予想外と言ったな?」
「ええ」
 正直にアレスは頷いた。
 カプチェランカの最前線から、後方勤務などまずあり得ない。

 艦隊司令部や作戦参謀などの要職は無理としても、少なくとも前線だろうと予想し、それはクラナフも同様であった。
 机の上におかれた紙に目を通せば、不愉快そうに言葉を口にする。
「表向きは――君がいち早く装甲車の脳波システムを見抜き、その対策を考えた。その視点で、同盟軍の装備改良をということだが……信じられるかね」

「信じられませんね」
「私もだ。そんな事は兵士の仕事ではなく、技術屋の仕事だ。君である必要がない――何か上層部の恨みでもかったか?」
 冗談めかして尋ねるクラナフに、アレスは苦笑で返答する。
「心当たりだけは山ほどあるのですが」

「優秀なものが妬まれるのは世の常だ。だが」
 そこでクラナフが居住まいをただす。
 真っ直ぐに伸ばした背と瞳がアレスを捉え、アレスもまた浮かべていた笑みを消す。
「君の味方もまた存在する事を忘れないよう。どうか腐らず――達者でな。また君と共に戦える日を楽しみにしている」

「光栄です、大佐」
 あげられた手を握り、アレスは敬礼を行った。

 + + +

「頑張れよー!」
 宇宙暦791年9月。十月の配属に間に合うように、アレス・マクワイルドは兵と物資の補充に来た補給艦に乗り込む事になった。怪我で長期療養をする兵や異動する兵を見送るため、カプチェランカ同盟軍基地に残る兵士達が見送っている。ある者は帰還に安堵を、あるいは別れる戦友に寂しさを浮かべながら、補給艦へと向かう小型船に乗り込んでいた。

 アレスもまたその列に並べば、僅か数カ月ばかりの付き合いである第一小隊の面々が総出で手を振っている。
 君らは、今日は当番だろう。
 本来であればいるはずのない人員は、しかしさも当然のように最前列にいる。

 部下が無理をいったのか、あるいは上が気を利かせたのか。
 おそらくは両方であろうと苦笑して、手を振り返した。
 最前列――その前方にはバセット軍曹の姿がある。
 手を振りながらも笑顔をみせない。

 出会った時のように、不貞腐れているわけでも、絶望をしているわけでもない。
 端的に一言で表すならば、覚悟というのだろう。
 現状に嘆いて、駄々をこねる子供ではない。
 現状を憂いて、打破を目指す戦士の表情だった。
 だからこそ、アレスは安心できた。

 これが今生の別れではない。
 いや、次に会う時はさらなる地獄が待っている。
 だからこそ――その日まで元気で。
 視線があえば、理解したようにバセットが頷いた。

「お元気で」
 静かな一言が万感の思いを込めて告げられる。
 その一言に、アレスは小さく笑い、少し考える。
 別れの挨拶を何と言うか。

 元気でというか。
 頑張れというべきか。
 定例となる言葉が頭をよぎって、小さく首を振った。
 手をあげて、口にする事は短い。

「死ぬなよ」
 ただ、それだけを呟けば、初めての部下となった者たちに別れを告げる。
 こうして、アレス・マクワイルドはカプチェランカの地における任務を終了し、再びハイネセンに飛び立った。
 
 

 
後書き
お待たせいたしました。
ようやく第三章が終了しました。
第四章のメインは戦闘ではなく、事務仕事をしつつ、
他のキャラクター達の小話になる予定です。

少しずつですが、
完結に向けていきますので、
これからもよろしくお願いいたします。 
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