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とらっぷ&だんじょん!

作者:とよね
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第二部 vs.にんげん!
  第18話 いざすすめはめつへのびょうしん!


 ダン=サリット教授の部屋の戸を叩くが返事がない。躊躇いがちに覗きこんだ。教授はいなかった。
 薄暗い部屋には気象図が散乱しており、過去数十年の気温と収穫量を示すグラフがその上を覆っている。嵐の後を思わせる散らかり様だ。これはこれで教授にとっては合理的な有り様なのだ、必要な物がどこにあるかを彼は熟知しているから――と、いつも思っていたのだが、入室した学生には、今は、教授の荒廃した精神状態をそのまま表現しているようにしか見えなかった。
 部屋の隅に、ネジ式のからくり時計がかかっている。時計は止まっていた。学生は、何となく、文字盤のネジ穴にネジを入れて巻いた。ひどい抵抗があり、内部が錆びているのがわかる。
 ネジを抜くと、秒針が動き始めた。
 誰かが部屋に入って来て、扉を閉ざした。
「我々学者というものは、どうも誤解されやすい」
 しゃがれた、疲れ切った声。声の主がロッキングチェアに掛ける。見ずとも、気配でわかった。学生は振り向いた。果たして老教授は、長い白髪と白髭で顔を隠すように俯き、ロッキングチェアを揺らしていた。指が震えている。咳ばらいをした。
「気象学、天文学、地質学……。かつて自然科学は、大自然の摂理の中に神の居場所を見出し、その存在証明をする唯一の手段だった。今は違う。神、神秘、神性、そうしたものはいつしか自然科学から追放され、学問の中でも未知の分野に追いやられている。宇宙、あるいは人間の脳の中へとな」
 老教授は一呼吸ごとにひどい喘鳴を立てる。肘掛けに肘をつき、相変わらず表情を見せないままだ。学生は教授がまた話し始めるのを待った。
「科学の進展は、いずれ神の不在を証明する。君が急ぐ必要はなかったのだよ、ウェルド君」
「教授、俺は――」
「責めているのではない。同じ事は、これから幾らでも起きるだろう。どうせ結末は同じだろうがな。学問の進展も発展も、これ以上はアノイア教会が許すまい」
「……論文の件は」
 ウェルドは用件を持ち出した。
「教会は何と言ってきていますか?」
 震える指がロッキングチェアの肘掛けを打つ音。そして秒針の音が、規則正しく響いていた。
「学校側は、どうにかもみ消そうと躍起になっている」
 教授は震えながら机の上のワインボトルに手を伸ばした。
「かなりの金銭的な痛手になるだろう。教会側としては、公開異端審問という娯楽を失うわけだからな。代わりに学校の面目丸つぶれという事態は免れる。君の学籍剥奪は免れ得ぬだろうが」
 ボトルのコルクを抜き、直接口をつけて、教授はワインを呷った。赤紫の液体が白い髭を染め、一筋の川となって顎へ、喉へと落ちていき、襟元にしみを作った。指の震えが収まる。この男は長くもつまい。ウェルドは冷静に思った。以前飲酒を嗜めたら、酷く激昂し暴れた揚句、倒れて病院送りになった事がある。酒は癇癪を起こさせ、彼の癇癪を宥める。
 酒はやめた方がいいと、言うべきかもしれなかった。彼の事を思うなら。が、ウェルドは結局、何も言わずにおいた。
「君は気象学の他に何をやっていたかね」
 喘鳴が止んだ。酒は命の水だ。
「建築学を」
「何故」
「特に理由はありません。コマが余っていたから、何となく」
「何となく……か。だがまあ、役には立つだろう」
 ボトルを机に戻し、濁った剣呑な目で、教授はウェルドを見た。
「カルス・バスティードを知っているな」
「……。噂には聞いた事があります」
「君はそこに行くがいい。あの町なら教会の手も及ばない。何より魅力的な遺跡がある……沈まぬ太陽、暗い冬も灼熱の夏も陰鬱な雨もない……神の御業の結晶と謳われる遺跡の謎を解明すれば、少なくとも現代の形而下学上の幾つかの分野から、神を追放できるだろう。時はかかる。君一代では終わらせられぬだろうが」
「有難うございます。しかし……」
 ウェルドは教授の赤い顔を見て躊躇ったが、尋ねた。
「サリット教授、あなたは日照りによる被害で家族が全滅したとお話しされました。神の意志を知る為に、気象学の道に入ったと。何故、逆方向の探究に進む俺にそのような助言をくださるんです?」
「……君は、実に多くの学者が、それでも敬虔なアノイアの教徒である事を忘れている。君の迂闊な所だ」
 教授は言った。
「私もそうだ。そうであったと言うべきだな。でなければ教会はたちまち矛先を君から私に変えるだろう」
「では――」
「君と私は違う。初めから神の不在を証明するつもりでいた君と私とでは、受けた痛みが違うのだ」
 からくり時計が鐘を鳴らした。内部の埃と錆びのせいで、酷い音であった。
 十三体の陶器の人形が現れる。人形は耳障りな音を立てて回る。キィキィ、キィキィと。
 老教授が吼えた。その気迫にたじろぎ、凍りつくウェルドをよそに、教授はワインボトルを手にからくり時計に襲い掛かっていた。
 ボトルが時計に振り下ろされ、両方とも割れた。赤紫のワインが散り、十三聖者の人形が、その上に落ちた。
「君にわかるか!」
 教授は跪き、壊れた人形に更に何度もワインボトルを叩きつけた。
「自らの情熱によって、信仰を、即ち情熱の源泉を! 破壊しなければならなかった者の痛みが!」
 透明な涙がワインに落ち、混ざりあった。硬直したままのウェルドを見もせずに、しかし確かにウェルドに向けて、教授は叫んだ。
「君にわかるものか!」

 ※

 それから何日経っただろう。よくわからない。目を覚ましたウェルドは、窓の外の雪に気付いた。
 講義に出なければならなかった。まだ学籍が残っていればの話だが。あれ以来、サリット教授の口からは、ウェルドの処遇について何も聞かされていなかった。
 起き上がろうとして、体がぴくりとも動かぬ事に気付く。頭は霧がかかったようにぼんやりし、何も考えられなかった。ぼんやりと天井を見ている内に、誰かが部屋に入ってきた。
 輝くような金髪の、白いローブの少女だった。目が合うと、少女は駆け寄って来てベッドの横に膝をつき、ウェルドの右手を両手で握りしめた。
「ウェルドさん」
 誰だろう、この女は。新しい寮母か? にしては随分と若い。
 それよりもウェルドは、視界に入った自分の腕の細さに愕然とした。
 筋肉が萎えてしまっている。
「ウェルドさん、私が誰かわかりますか? 思い出せますか?」
 わからない。と言おうとしたが、唇は動かず、喉は渇ききって声も出ない。
「ご自分の歳はわかりますか?」
 どうにか囁く。十八歳。少女はよく耳を傾けて、それを聞き取った。
「ここがどこかわかりますか?」
 大学の……寮……。
 少女はウェルドの答えにひどくショックを受けた様子だった。泣きそうな顔で、実に痛ましい。
「私はティアラ。ここはカルス・バスティード。この町の入門記録によれば、あなたは十九歳です」
 口から出まかせだ。
 サリット教授からカルス・バスティード行きを勧められたのがどこからか洩れて、この子は俺をからかっているんだ。ウェルドはそう結論付けた。ここがカルス・バスティードなら、ここに来た道中の記憶が全くないのはおかしい。
 ウェルドは思い出そうとした。思い出しそうになった。思い出したくもない、恐怖の記憶だった。頭が割れるように痛い。
 気を失うように、深く眠りこんだ。

 眠り続けた。途中、何度か意識が蘇り、誰かが口に水やスープを運ぶのを、または癒しの魔法がかけられるのを感じた。
 何日かぶりにはっきりと目を覚ました時には、少女ティアラについて思い出していたし、彼女の話を真実であると認められた。
「思い出した」
 ティアラの魔法のお陰だろう。萎えた体は日を追って回復していく。ウェルドは喋れるようになっていた。
「太陽の宝玉を取りに行ったんだ。ノエルと……ディアスと……」
「はい」
 だが、その後が思い出せない。
「俺は……事故にでも遭ったのか?」
「そんな所です」
「そっか。何かデカいのが派手に暴れてたから、天井が崩れたりしたかな」
「……」
「ノエルとディアスは?」
 ティアラは憔悴した顔で微笑む。
「生きてはいます」
「ここ、教会なのか?」
「ええ」
 ふと思いついたことを尋ねた。
「併設の病院なら、なんで大部屋使わないんだ? ここ、個室だろ?」
「色々と事情があるのですが、あまりお気になさらないでください。ご不便はおかけしませんから」
 ウェルドには、ティアラが何かを隠しているように見えた。部屋を見回す。
「この衝立の向こう、誰かいるのか?」
 ベッドの横、部屋を仕切る衝立。その向こうからは何も聞こえぬが、部屋の広さ的にもう一台ベッドがあってもおかしくなさそうだ。ティアラは答える。
「大丈夫です。今はご自身の回復に専念なさってください」
 夢を見た。その晩、失くした記憶の最後の欠片をウェルドはとうとう手に入れる。
 太陽の宝玉。
 せっかくそれを手に入れたのに、浮かない顔で、酷く何かを心配しているようなノエルの顔。何かを深く考え込むディアスの態度。
 その帰り道。来た時とは違う形の部屋。
 そこにある、紫の剣。
 ウェルドは叫んだ。叫んで起きた。何故入院させられているのかを、ようやく悟った。

 それから一睡もせずに朝を迎えた。何か月寝込んでいたのか全く想像もつかない。ただ、冬、季節だけが真実だ。
 その日最初に病室を開けたのは、ティアラではなかった。見知らぬ大男だった。赤くやけた肌を見て、、砂漠の民だとわかった。男は大股で歩いて来て、ベッドの横に立った。
「サドラーだ」
 ウェルドはやつれた顔で大男を見上げた。
「オイゲンから聞いてるぜ。あんたもセフィータの人間だってな。ウェルドだっけ?」
 頷く。
「まあ、同郷のよしみだ。これから仲良くしようぜ」
「……何しに来たんだ?」
「挨拶だ。これから仲良くせざるを得ん局面があると思うからな」
 サドラーと名乗る男は、窓辺の低い棚に腰かけた。
「あんた達よりも何日か前に狂戦士化したのは俺だ」
 頭の霧が少し晴れ、ウェルドは目を瞠る。
 バルデスが一人を生け捕りにしたと、話には聞いていた。その間にクムランが、紫の剣を引き剥がす方法を見つけたと。
 その一人がこの男なのだ。
「因果な話だが、俺は少しほっとしてる。矢面に立たされるのが俺一人じゃなくなったってな」
「……俺は」
 縋るような目をしている事を、ウェルドは自覚したが、どうにもできなかった。
「俺は、あんたを酷い奴だと思ってた――血も涙もねえ殺人鬼だって――」
 そいつは安全な所で眠りこけていやがるのか?
 これだけの事をしておいて?
 そいつのせいで一体どれだけの人が傷ついた?
 あの時言った言葉が、今全て自分に跳ね返ってくる。
 その男にとっても殺戮は不可抗力だった。
 狂戦士化した者に責任をかぶせても、事態は何も変わらない。
 あの時腹立たしかったディアスの言葉が、今は自分を救う。
 何とも皮肉だった。
「こんな事なら――」
 ウェルドはどうにか、感情を堪えて言った。
「最初に狂戦士化したのが俺だったらよかったよ――何も知らずに、あの町の惨劇を見ずに、狂戦士化していれば――」
「少しはマシな気分だったろうってか?」
 その通りだ。順番が結果を変えないとしても。
 狂戦士が町にもたらした破壊を目にした以上、それと同じ事をしたと受け入れるのは難しかった。
「いずれ必ず耳に入るだろうから今の内に言っておく」
 サドラーが身を乗り出してきた。
「バルデスさんは死んだ」
 ウェルドは慌てて起き上がろうとし、されど力が入らず、縫いつけられるように再びベッドに頭と背を打ちつけた。
「――って言っちゃあ語弊があるな。まだ生きてはいる。けど同じ事さ。紫の剣に斬られたら、どんなかすり傷でも助からねえって事は知ってるだろ。駄目だったんだ……俺一人取り押さえるだけならよかった。だけど三人同時にゃ無理だった」
 力も、気力も抜けていく。ウェルドは呆けた顔で、天井に向かって瞬きした。どうすればいいかわからなかった。サドラーは話し続けた。
「あんたが別室に隔離されてるのは、寝てる間に一思いに殺そうとした奴がいたからさ。気をつけろ……だけど忘れるなよ。あんたは一人じゃねえ」
 ウェルドはその日、退院を希望する旨をティアラに申し伝えた。

 翌日、シャルンとアーサーが病室まで迎えに来た。
「ウェルド!」
 何を言われる事かと身構えていたが、拍子抜けするほどシャルンは明るく、笑顔が眩しかった。
「よかった、歩けるようになったんだね! 本当に心配したんだよ!」
「僕もだよ。本当に良かった」
 二人は町中だというのに、槍と剣をそれぞれ携えていた。ウェルドはそれを見て察した。
 ただの迎えではない。護衛として寄越されたのだと。
 それほど自分は恨まれ、憎まれているのだと。
「驚いただろ? 君にとってはいきなり季節が冬になったみたいなものだからな。君が目覚めるまで三か月……四か月かな……それくらい時がかかったんだ。僕たちもずっと煉獄に潜っていたせいで、地上でどれくらい経ったかよくわからないけど」
「煉獄?」
「詳しい話は後にしようよ。それより宿舎に戻ろ。ね?」
 シャルンが真冬用の防寒着を渡してくれたので、それを来た。
「目が覚めたって聞いた時から、退院できるようになるのをずっと待ってたんだよ。本当は退院パーティーでもしたいところだけど、さすがに大っぴらに騒げないからね。だけどみんな無事だし、みんなウェルドが目覚めてほっとしてるの。これは本当だよ」
「悪ぃな」
 ブーツの紐を結びながら、ウェルドは尋ねた。
「ノエルとディアスはどうしてんだ?」
 答えがない。
 ウェルドは紐を結ぶ手を止め、顔を上げる。
 二人はひどく沈鬱な顔をしていた。
「……何だよ」
 シャルンはベッドの向こうの衝立を一瞥し、暗い調子で呟いた。
「ディアスがまだ、目を覚ましていないの」


 
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