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英雄王の再来

作者:moota
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第6騎 決裂

 
前書き
こんにちは、mootaです。

大変遅くなりました。ごめんなさい。
そして、タイトル詐欺でした。
今回は、「決裂」です。

よろしくお願いします。 

 
第6騎 決裂



アトゥス王国暦358年4月30日 深夜
シャプール砦 客室
ミルディス州総督 テリール・シェルコット



 アカイア王国の属州や属国のなかでも、ミルディス州は非常に裕福な地域であった。それは、本国への貢献度を示すものでもあり、総督として持つ権力も大きくなる。その他を優越する力で、贅を尽くしていたテリール・シェルコットは今や、敵国の砦の一室に幽閉される身であったのだ。しかし、今、彼の心を乱しているのは敵の脅威ではない。むしろ、彼にとっては“闇の中の、一筋の光明”であるのかもしれない。

“ノイエルン・シュトラディール王太子、御落命”
その、雷の如く、激しい苛烈さを含む報告が届けられたのは、つい先程の事だ。

「・・・何と言った?」
エル・シュトラディールは、その人に珍しく、報告の意味を理解出来なかった。

「ノイエルン殿下が、戦死されたのです・・・エル様。」
報告に来たレティシア・ヴェルムは、年下の指揮官を鑑みたように言葉を選んだ。その言葉に、エルと呼ばれた年下の指揮官は目を見開く事で答える。場は波を打ったように静寂が包み、風で揺れる窓の音だけが響く。その窓から見える外の景色は、いつの間にか黒く重苦しい雲が、青々しかった空を覆っていた。
 永遠に続くかに思えたその静寂は、誰もが予想し得ない鋭い音に打ち破られる。窓から射し込む暗い光を反射して、一瞬の煌めきを見せた長剣が椅子に突き刺さったのだ。先程まで、エルが座っていたその椅子に。
 誰もが息を飲んだ。その一瞬の出来事に。この部屋にいた人間の誰一人として、それを目で追えた者はいないだろう。先程とは違う意味で、話す者も動く者もいない。しかし、剣を投げた本人は、椅子に刺さり、未だに揺れている剣に向かって、ゆっくりと歩を進めた。やがて彼は剣に辿り着き、何事も無かったかのように一気に引き抜いた。
そして、鋭く光る白刃を持つ彼は、振り向いてこう言った。

「詳しく話せ、レティシア。」
何でもない、ただの、“状況報告をせよ”と言う命令である。しかし、この場にいた人間は、いや、この場にいないどんな人間でも、彼の目を直視出来た者はいなかったに違いない。
 エルの命令に、レティシアは一瞬の間を置いた後、詳しい報告を始めた。報告によれば、ノイエルン王太子が戦死した事実は、間違いではないようだ。ノイエルンは、1万5千の兵を率いて、アトゥス王国の東にあるクッカシャヴィー河方面に出陣していた。それは、チェルバエニア皇国が国境付近のヨルマカイネン河を越え、アトゥスの領土に侵犯した為である。東方の砦を昨年末に失っていたアトゥスは、兵力を配置出来ていなかった。それに焦るアトゥス軍は、王太子を主将とする陣を容し、クッカシャヴィー河付近で両軍が対峙するに至った。
 クッカシャヴィー河は、シャフラスの街より100ルシフェルグ(約100km)の所にある川幅100フェルグ(約100m)以上あり、その流域は外海から中央草原まで伸びる大きな河である。河口付近には、港町のキルノトゥイユがあり、アトゥスにとって重要な地域だ。そのクッカシャヴィー河をも越えたチェルバエニア軍2万を迎え撃ち、アトゥス軍は敗退した。詳しい戦況は分からないが、総大将を失いつつも、チェルバエニアをクッカシャヴィー河の対岸へと追いやることは出来たらしい。しかし、今もなお、クッカシャヴィー河の対岸にはチェルバエニア軍が陣を敷いて、戦闘は長期化の様相を見せていると言う事だった。
 
 その報告に、エルはすぐさまに軍議を開き、今後の方針を決める。軍議には、この砦にいる主だった武将が集まった。集まった武将達は、ノイエルン王太子の訃報にどよめきを見せるが、それを無視してエルが話を進めた。

「今は、狼狽している時でも、ゆるりと話し合いをしている時でもない。何の意味もない足踏みをしている時間など、一欠片もない。アレスセレフ、レティシア、ジムエル、キュール、トレェルタの5百騎でクッカシャヴィー河へと向かう。」
そう言って、進軍のルートを説明し、出陣の準備を始めるよう檄を飛ばす。しかし、それに対してヒュセルは、抗議を口にする。

「バカな、シャプール砦の守りはどうするのだ!?こちらとて、アカイアがまだ、近くにいるのだぞ?」

「バカなのは、貴方だ。この砦は、岩壁に立つ攻めづらい砦です。砦を出ずに、守りに徹すれば時間を稼ぐ事が出来ます。しかし、クッカシャヴィーにいる残存兵には、その様なものがない。さらに総大将を失っている今、援軍が来るか来ないかで、彼らの生き死には決まります。」

「なっ!?」
バカ、という言葉に反応してか、顔を真っ赤にした。しかし、エルはそんな事すらも面倒だと言わんばかりに、無視をして話を続ける。

「この砦には、シャフラスから援軍を送るよう早馬を出しています。それは、クッカシャヴィーも同様ですが、すぐにとはいきません。だからこそ、動ける私達が、クッカシャヴィーへと向かうんですよ。」

「しかし!」

「そんなに心配でしたら、貴方は一切、砦から出ない事だけを守ればよろしい。これは、私達の進行ルートの詳細を書いたものです。何かあればこれを頼りに、早馬を走らせて下さい。すぐに、お助けしますよ。」
皮肉と侮辱、それを大いに含んだ物言いである。エルの顔に、何の感情も見えない。逆に、ヒュセルは何も言う事が出来ない位に、怒りの感情に包まれていた。エルは、それを無視して、進行ルートが書かれた羊皮紙をヒュセルの胸に押し付けて、部屋を出ていった。・・・それにヒュセルは、羊皮紙を強く握り締める。拳を震わせて、羊皮紙は丸めた形を崩す。
 それから半刻もせぬ内に、エルは部隊を纏め、シャプール砦を発った。部隊は、彼が言っていた通り、アレスセレフ・クレタ、レティシア・ヴェルム、キュール・アトナ、トレェルタ・パルス、ジムエル・シャルスベリアの騎兵のみ、5百騎である。騎兵のみであれば、クッカシャヴィー河までは、3日から4日程度で駆け抜ける行程だ。

 エル・シュトラディールが、5百騎を率いてクッカシャヴィー河へと発ったその夜半過ぎの頃、シャプール砦では異様な事が起ころうとしていた。
 静寂が包むシャプール砦の夜は、普段よりもその身を輝かせる月に照らされていた。砦にいる人間は、見張りを除いて、もう眠りに付いている頃合いである。しかし、その様な時になろうとも、身を起こしている人間はいるものだ。そのうちの一人である、ミルディス州総督、現在は捕虜のテリール・シェルコットは今後の身の振りに、考えを駆け巡らせていた。
 彼を悩ませているのは、自分自身の待遇でも、この幽閉されているベッドの寝心地でもない、先ほどの大広間での一件である。・・・エル・シュトラディール、アトゥス王国王位継承権第三位の王子。この年端もいかぬ子供を、図りかねている。自軍の何倍もの敵軍を翻弄する奇策をやってのける“軍略”の手腕、年長の部下を乱れなく統率する“威”、私を2合と打ち合わせなかった“武”、そして、国を左右しかねない王太子崩御に対する迅速極まる対応の“政略”。どれをとっても、年齢に見合わないのだ。彼をある種、誉め称える対象と認識出来るが、同時に、アカイア王国、ミルディス州にとって、いや、全ての隣国、属州、属国にとって“危険”な対象と言えるかもしれない。「何とか、早目に消させねばなるまい。」そう、小さく呟いた時である。この部屋の扉が音をたてて開いたのだ。シェルコットは、宵闇に乗じて殺しにでも来たか、と身構えた。残念な事に、彼には対抗する手段はなかったのだが、身を固くして抵抗の意思を見せる。しかし、その扉からは甲冑に身を包んだ兵士ではなく、豪奢な服を着たもう一人の王子が姿を見せた。暗くて良くは見えないが、灯りの蝋燭が照らすその顔は、ヒュセル・シュトラディールだった。蝋燭は、ヒュセルが手に燭台と共に持っているのだが、その下から照らす灯りのせいか、その顔には“異様な雰囲気”を持たせる。訝しく、思いつつも声を掛けざるを得ない。

「・・・何か、ご用か?ヒュセル・シュトラディール。」
私は努めて、平静を装う。彼は、私の問い掛けに少しばかりの反応を見せる。手に持つ燭台を顔の高さまで持ち上げたのだ。手が上がると共に、彼の顔がはっきりと見えてくる。私は戦慄した。どうしようもなく、心が乱された。彼の目は、大広間で見た時とは異なっていた。その目は、濁っているのだ。元々は、夕闇を思わせる深い赤色だったが、その色はくすみ、焦点が何処に向いているのか、分からない。まるで、自分の心を渦巻く感情に翻弄されているかのように。
 彼は、その濁った目を私に向けて、囁くように言った。

「お前を・・・解放してやる。」
解放する?どういう事か。捕虜であり、先程まで「首を撥ねろ」と言っていた人間を解放するとは、どういう意図か。

「それは、どういうおつもりかな?」
私には、とりあえず探るしか方法はない。しかし、この正常とは言い難い表情を見せる人間の言う言葉を、にわかに信用出来るだろうか。彼は、私の声に対して、少しばかり声を大きくして答える。

「解放すると、言っている。・・・意味が解らないか?」

「いや、しかし・・・捕虜を解放するとは、安易に考える事が出来ないではないか。」
本当に解放されるならば、幸運ではある。しかし、何も無しにとはいかないであろう事は、十を数える子供でも、理解が出来るに違いない。
 異様な雰囲気が包むこの部屋は、絹擦れの音さえも聞こえるほどに、静寂が支配している。私の問いに対して、彼は何も答えない。それ故に、身動きが一つ取れないほどに、静まり返っているのだ。しかし、それは突如として破られる。

「私は!・・・エルが許せぬのだ。あの兄を兄とも思わぬ、侮辱と侮蔑の態度。そして、何よりも、私を見下すような軽蔑の目が!ずっと、許せなんだ!・・・何度、あの目をくり貫いて、その眼球が無くなった空虚の穴を、短刀で血みどろにし、何かを理解出来なくなるまでほじくりかえしてやりたいと思ったか。・・・ふふふ、ふは。考えただけで、笑いが込み上げてくるわ。」
・・・狂っている。そう、思わざるを得ない。目の前のヒュセルの姿を、声を聞いてるだけで、自分の背中に氷塊が落ちたように、寒気を覚える。彼は、エル・シュトラディールに対する“怒り”で、我を失っているのか。

「・・・そこで、テリール・シェルコット。お前を逃がす代わりに、ある条件を出す。それを呑むと言うならば、無傷で解放してやる。」

「条件?」

「そうだ・・・。何、簡単な事だ。私に取っても、お前に取っても得となる事しか、あるまい。」
彼はそう言って、懐から一枚の丸まっている羊皮紙を取り出した。その取り出した羊皮紙を、まるで“宝物”を見るようにうっとりと、眺めている。ひとしきり、それを眺めてから、私に手渡した。

「こ、これは!?」
私は、驚愕する。羊皮紙に書かれていたのは、エル・シュトラディールがクッカシャヴィー河までの進行路を示したものだ。

「それを、お前にやる。アカイアと合流する際の手土産とすればいい。ただし、それを基に、エルを殺せ。悪くない話ではないだろう?お前たちに辛酸を嘗めさせた相手を殺す事が出来るのだ。行動が分かる“それ”があれば、容易な事であろう?」
そう、悪魔の囁きのように口にするヒュセルの顔を見やる。先程と同じ、くすみ濁った目に、気味の悪い薄ら笑いを浮かべていた。・・・本気なのか。自分の弟を、国の継承権第三位の王子を売ろうとしているのか。この世に、清浄なる王家など存在しない。しかし、それを目の前にして、体の震えが止まらない事に気付く。

「真、なのか・・・?」
私は、答えに苦しみながらも、そう言う事しか出来ない。その答えに、彼の顔は歪んだ。

「ふ、ふはははは、ふはふはふふふ!」
身の毛のよだつ、言い得ぬ気持ちの悪い声で笑った。その笑いに身を固くした次の瞬間、彼は腰に携えていた長剣を閃かせて、振り抜いた。私の頬は、赤色の線を鋭く描いて、切り裂かれた。痛みと驚きに、顔を床にうずくめる。その姿は、まるで頭を垂れるように見えたに違いない。

「お前に選択権などない。最初から、答えなど決まっている。解らないか?テリール・シェルコット。」
痛みに耐えながらも、彼に顔を向ける。答えねば殺される、そう、思った。体が震え、思うように言葉が出ない中で、声を振り絞った。

「わ、分かった。い、言う通りに、にする!」

「ふは!そうだ、そうとしか言い得ぬのだ!」
これは、私が“悪魔の囁き”に耳を貸した瞬間だ。彼は、そう言って、気味の悪い笑いを上げながらも剣を鞘に戻した。

「では、頼んだぞ。必ずや、あの愚直なる弟に絶望たる“死”を!あぁ、あやつの絶望によがる顔が目に浮かぶ。ふは、ふははは!」
恍惚とした表情を見せる彼は、笑いながら部屋を後にした。私は、驚きと恐怖に少しの間、動くことも叶わなかった。しかし、呆然とする意識の中、考えを巡らせる。手にしたエル・シュトラディールの進軍路。これは、非常に重要なものだ。ヒュセルの言う通りにする事は癪にさわるが、危険人物と考えていた人間を殺す事が出来るのは大きい。エルを討った後、切って返してヒュセルを討つことなど容易だ。狂ったように見せる彼など、敵にはなるまい。と言うように、物事の良い面を考えることにした。でなければ、この異様な雰囲気に呑まれそうであったのだ。

 異様な雰囲気に包まれたシャプール砦の一室の光景は、この2人だけのものではなかった。まるで盗み見るように、その一室の窓から覗く影が2つあったのだ。その影は、巧みに姿を隠し誰にも見つかることなく、主人の命令をやり遂げた。月に掛かっていた雲が風に流れ、月がその姿を現すと、その光に照らされた顔が浮かぶ。その一人は、赤色を帯びる長い黒髪に、可愛らしい顔である。もう一人は、同じ髪色の短髪に同じ顔をしていた。どちらも、この場には似合わない。

「報告を、ソイニ。」

「そうだね。ルチル。」
そう、言い合って、2人は月明かりが照らす所から、その身を消した。

 アトゥス王国暦358年5月1日、王位継承権第二位ヒュセル・シュトラディールと継承権第三位エル・シュトラディールとの間に決定的な溝を作った一夜である。後世の歴史家は、この日をこう記す。“この王家の常時たる決裂は、単なる王族の決裂を意味するものではない。これは、国がその道を別ち、血と刃と、興隆と衰亡、仁慈と礼節を、人格者と臆病者、覇者と王者とを、決裂させたのだ。”と。


アトゥス王国暦358年5月3日 朝
クッカシャヴィー河 西岸
チェルバエニア皇国軍陣営

 潮の匂いを含んだ風が、河を陸地に向かって駆け昇っていく。川幅100フェルグ(100m)以上もあるこの河の河口は、陸地から流れてくる淡水と、海から流れ込む塩水とが混ざり合い、汽水域を作る。それは、生命の餌を多く作る場所であり、謂わば、生命の産まれる場と言えよう。しかし、今やその場所は、生命の最後を迎える場となっていた。澄んだ藍色をしていた美しい河は、人馬の血によって、どす黒い赤色に染められている。それを垂れ流す人間や馬、折れた槍や剣、そして、いくつもの旗が流れてくる。その内の一つの旗は、アトゥスの民にとって身近なものであったに違いない。緑の地に、金の太陽が輝く旗-ノイエルン・シュトラディールの“御旗”である。

 アトゥス王国暦358年4月26日、チェルバエニア皇国暦では402年の事である。チェルバエニア皇国軍は、国境であるヨルマカイネン河を越え、さらに進軍し、クッカシャヴィー河をも越えて、ノイエルン王太子率いるアトゥス王国軍と対峙した。両軍ともに接する戦いであったが、にわかに体勢を崩したアトゥス軍の綻びを突いたチェルバエニア軍が勝利を得た。しかし、主将を失ったにも関わらず、アトゥス軍の攻勢は強く、一度、クッカシャヴィー河の西岸に陣を敷き直す事となったのである。

「いや、これほどの小国に成ろうとも、アトゥスは今だに強い、そう感じませぬか?」
私は、隣に馬を並べている彼に問うた。その彼は、表情を一切変えずに答える。

「弱い・・・、憤りを感じるほどに弱い。私は、そう思いますよ。」
彼は、その変わらぬ表情に“憤り”を感じているらしい。何故、表情が変わらぬのか。それは、彼の顔の半面が仮面によって、隠されているからに他ならない。黒く装飾された金属の仮面を、額から鼻にかけてを覆い隠しているのだ。しかし、その仮面の合間より見せる眼光は、鋭く、まるで何かを射殺さんとせんばかりだ。
 チェルバエニア皇国軍客将キルマ・トゥテルベルイ、5年前に東方の国より来た男で、その才覚が皇帝に認められ、僅か数年で頭角を現した人物だ。歳は、27。顔の上半分を黒色の仮面で隠しており、髪は金色の長髪である。軍では、軍師として皇帝より勅命を受けて参加する為に、身内に敵は多いように感じはする。しかし、話してみれば、“アトゥス王国への異常な憤り”以外は、才覚溢れる軍師と言えよう。

「となると、それに完勝出来ぬ我が軍もまだまだ、と言う事かな?」
私は、やや皮肉を込めて口にする。しかし、彼は、そんな事を一つも気にせずに、答えた。

「その通りです。今のアトゥスなど、片手で潰せなければ。」
厳しい事を言う、そう言い返そうと思った時である。私のその言葉は、駆け寄ってくる連絡兵によって遮られた。

「ウルティモア将軍、トゥテルベルイ客将、出陣の準備が滞りなく整いました。」

「分かった。すぐに行く。」
私はそう答えながら、馬を翻し陣の方へ進めた。何処と無く、潮を含んだ風がにわかに吹き抜ける。その風とともに、憂いを含む声が聞こえた。

「英雄王の御代は・・・こんなものではなかった。」
その声に、咄嗟に振り返ったが、そこに見えたものは、輝く朝日を吸収し、黒く輝く仮面を纏った男だけであった。

 クッカシャヴィー河を挟んで対峙していたアトゥス王国軍と、チェルバエニア皇国軍が再び、その河を赤色に染め上げたのは、アトゥス王国暦358年5月3日の昼前の事であった。双方に、最初に対峙した頃より、その数を減らしており、アトゥス軍1万、チェルバエニア軍1万7千である。数で勝るチェルバエニア軍は、兵法に乗っ取り、正面から攻勢をかけた。対するアトゥス軍は、主将を失ってはいるものの、ヴァデンス・ガルフ大元帥のもと、敵を東岸に引きずり込んでの半包囲を目論んでいた。

「突撃!」
大きく、遠くまでも通る声で、ヴァデンスがそう叫ぶと、彼が率いる中央の3千騎が、チェルバエニア軍に向かって猛然と突撃する。槍の矛先を揃え、騎馬の速度と共に敵の懐へ突き刺すのだ。敵がにわかに崩れを見せると、猛然と突撃していた3千騎は、切って返して河の東岸へと退却する。それを2度、3度と繰り返すと、攻撃を受けていたチェルバエニア軍の中央は、反撃する為に少しずつ少しずつと前進し、気付いた時には、自軍の隊列より突出してしまっている。

「それ、今だ!」
アトゥス軍の両翼を率いる兵騎長、兵団長が命令し、突出したチェルバエニア軍に矢を降り注ぐ。チェルバエニア軍兵士は、潮風を割いて飛んでくる矢を防ぐために、盾を頭上に掲げる。それを見計らって、中央の3千騎が槍を揃えて突進し、白く輝く刃をがら空きの懐に突き立てた。人馬が河の上を走り、水飛沫が高く舞い上がる。その水飛沫には、赤い飛沫も混じり、生きているものを、死んだものを選ぶことなく、赤く汚していく。
 チェルバエニア軍は、ある程度の被害を出しつつも、まだ、アトゥス軍よりも多く、士気も高い。一度は乗せられて一部が突出したものの、すぐさまに指揮を取り直して西岸へと退却し、整然と陣を立て直した。その光景に、ヴァデンスは焦りを覚える。

「・・・強い。堅固たる指揮とは、まさにこの事ではないか。」
彼にとって、このような難敵は久方ぶりではあるが、その老練たる大元帥には、蚊ほども焦るものではない。しかし、ノイエルン王太子を守れなかった事がどうしようもなく、彼の心を乱していたのだ。

「突撃せよ!」
ヴァデンスは再度命令し、敵の突出を謀った。しかし、敵も同じ手に乗るばすもなく、突撃される場所の兵達は盾を並べて、騎馬の突撃に備えた。騎兵は、河を越えることで水に足をとられ、その速度を失う。それは、突撃力の減少を意味する。それ故に、盾を並べるだけの防御策でも、アトゥスの騎兵は、攻めあぐねる形となった。チェルバエニア軍は、その隙を逃すこともなく、立ち尽くす騎兵に対して、矢を次々と浴びせかけたのである。相手を突出させるた為に、自軍を突出していたアトゥスの騎兵は、成す術もなく討ち取れていった。それにざわめきたったアトゥス軍を尻目に、チェルバエニア軍は攻勢を強める。
 騎兵の攻撃の為に並べていた盾が、その並びを解いて道が出来たかと思うと、そこからチェルバエニアの騎兵が勢いよく飛び出してきた。河の水を大きく巻き上げ、太陽の光を反射させ、煌めく光の塊となって、秩序を失いつつあるアトゥス軍に突き掛かる。

「やむを得ん。退け!退け!退却じゃ!」
ヴァデンスは、もはや勝ち目はないと判断し、河の東岸への退却を部下に命じた。部下を逃がす為に、自分は敵に猛然と突き掛かる。降り掛かる敵の長剣を避け、手にもつ槍を空いた脇腹に突き刺す。それと同時に、長剣を鞘より引き抜き、今まさに頸骨を狙わんと振るってきた敵の剣を、半月の光を描いて巻き上げ、水飛沫と血飛沫が混ざり合う宙へと放り投げた。獲物を無くした敵兵を一刀のもと切り捨て、次の敵へと刃を振りかざす。そうして、10人は切り伏したか、そう思う頃、既に息は上がり、手に力は入らなくなっている。王より頂いたきめ細かい装飾が彫られた冑も、敵の剣や槍にあい、傷か走り、欠けていく。そして、その色は、赤く血に染まっていた。
 アトゥス軍は、ヴァデンスの働きもあり、何とか潰走することなく秩序を保っている。数多くの兵が、血にまみれる河に伏し、その意識を手放すが、それでも東岸への退却は進んでおり、ヴァデンスと数人の騎兵のみが河に残っているような状態であった。ヴァデンスは、敵軍の中にこちらに駆け抜けてくる者に眼がいった。昼過ぎの天高い太陽の光を黒く反射する仮面を被り、白刃を閃かせて突撃してきたのだ。一瞬のうちに、2つの電光のような一閃が交わり、お互いの間に火花を照らす。その光がまた、黒い仮面を異様な雰囲気を醸し出した。

「面妖とは、まさに、この事!」
ヴァデンスは、大声でその言葉を口にした。それに対して、黒仮面の男は仮面の合間より、鋭い眼光を叩きつける。

「高位なる将とお見受けする。名を名乗られよ!」

「は!無礼な!名を名乗ると言うなら、自分から先であろうが!」
そう言い合いながらも、火花を散らし、2合、3合と打ち合った。右に、左に剣を振りかざし、お互いの一瞬の隙を伺っている。

「我は、チェルバエニア皇国軍客将キルマ・トゥテルベルイと申す!」
一向に疲れを見せないキルマは、老練の武将の指摘に、素直に答えた。

「ほう、客将か!わしはアトゥス王国軍大元帥ヴァデンス・ガルフなり!」
キルマの答えに応じ、ヴァデンスもその名を名乗った。その瞬間、仮面から見えるキルマの眼が、今までにないほどに厳しく、鋭いものになった。剣勢が増し、キルマの剣をさばききれなくなる。

「大元帥だと!?それならば、アトゥスを貶めているのは、お前らか!?」

「なに!?」
ヴァデンスは、その問いを理解し得なかった。何故、敵であるキルマがその様な事を言うのか。

「英雄王の名を汚すのは、己らか!?」
その言葉と共に、重く、鋭く、速い一閃が、巻き上げられる水飛沫を切り裂いて、ヴァデンスに襲いかかる。ヴァデンスは、それに反応することが出来ず、長剣を持つ左腕の手首を強かに叩き付けられた。甲冑の甲が激しい音ともに壊れ、その下にあった肉を一刃で切り裂いたのである。ヴァデンスの左手首から上は無くなり、代わりに猛然と噴き出す血飛沫に取って代わった。野太い声が悲鳴を上げ、脂汗が身体中に吹き出す。そこに、止めを刺さんとキルマが、剣を振り上げたその時、チェルバエニア軍の右翼から悲鳴と怒号が上がった。
 その悲鳴と怒号は、戦場の様々な音を食い破り、皆に届いたのである。それに気が付いたキルマは、そちらに目線を向ける。また、傷みで我を失いそうになるヴァデンスも、力を振り絞ってそちらを見やった。
 彼らの二人には、いや、クッカシャヴィー河にいた全ての人間は、その河の上流より、砂塵を舞い上げて、恐ろしいほどの速さでこちらに突撃してくる一陣を見たのである。その一陣には、幾つかの旗が掲げてあった。それは全て、黒地の旗に、白い百合の花が咲いていた。



第6騎 決裂  完
 
 

 
後書き
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

次回は、「クッカシャヴィー河追悼戦」です。
ノイエルンの思い、エルの思い、ヴァデンスの思い、そして、キルマの思い、色々な思いが錯綜していきます。

ご期待頂ければ、幸いです。

ではでは。 
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