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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十一章 追憶の二重奏
  第六話 咆哮

 
前書き
 ……ギリギリ一ヶ月経っていない?

 投稿遅くなって済みませんでした。 

 
 窓の向こう、朝日を浴びながら小鳥が軽やかな声を上げ飛んでいく。泥のような疲労が溜まった身体を動かし窓を開くと、朝特有の冷たく甘い風が窓の隙間から流れ込み、部屋の中に溜まった粘性さえ感じさせる空気を揺り動かす。何も身にまとっていない上半身の乾ききる前の汗ばんだ身体を風が撫で、未だ身体の奥に燻る熱が僅かにおさまる。山の向こうに見える太陽がゆっくりと昇っていく姿を眺める士郎は、眩しげに目を細め―――、

「……太陽が……黄色い……」

 ―――溜め息を吐いた。





「まったく……とんでもないな」

 士郎は窓枠に腰掛けるように寄りかかると、視線を天蓋付きのベッドに向ける。大人が三、四人並んで寝ても余りある程の大きさのベッド。そのベッドの上に、眠る三人の少女の姿があった。一枚のシーツを互いに引っ張り合い奪い合っているため、三人の太ももが危険な位置まで露わになっている。窓から差し込む朝日がベッドの上に差し、まるで陳列された商品のように並ぶ少女たちの太ももを照らし出す。シーツの隙間から覗く陶器のような真っ白な太ももが、鏡のように朝日を反射させ、士郎の目を射抜く。光りから逃げるように移動した士郎の視線は、仲良しな姉妹のように並んで眠る三人の寝顔に移る。
 三人―――ルイズ、シエスタ、ジェシカたちは、昨晩―――いや、今朝? か? の行為を想像させない何処か幼ささえ感じさせる寝顔を浮かべている。しかし、汗に濡れ肌に張り付いた髪や、完熟した林檎のように瑞々しく赤みが差した頬、まるでお腹いっぱい(・・・・・・)食事を取った獣のような満足気な気配を漂わせている姿は、経験があるものが見れば一目で何があったか分かるものがそこにはあった。
 未だ起きる気配を全く見せない三人から視線を落とした士郎は、乱れ果てたベッドを見る。あちこちに皺が寄り、まるで雨が降ったかのようにグッショリと濡れそぼったベッド。色々なもので濡れたベッドを見た士郎は、頭を回し完全に姿を現した太陽を細めた目で見上げ、

「……今日中に乾くか?」

 現実逃避気味の声を漏らす。
 気を取り直すように顔を左右に振ると、腕を持ち上げ顔に近づける。

「……風呂……は無理か」

 自分の身体から漂うとある匂い。甘くすえた生々しいそれは、分かるものが嗅げば一発で答えが分かる。そんな匂いを嗅ぎながら、士郎はこれからのことを考える。日は昇ったとは言え、まだ朝は早い。今なら外で水浴びをしてもまだ大丈夫な筈だと。結論に至った士郎は、善は急げとばかりに窓枠から身体を離すと、扉へと向かって歩き出す。そして、部屋の中央付近に置かれたベッドに近づいた瞬間、

「何処行くの?」

 シーツがズレる音と共に微かに掠れた女の声が上がった。

「身体を洗いにな」

 女の声に足を止めた士郎はベッドに顔を向ける。士郎の視線の先にはベッドの上、起き上がらせた身体にシーツを巻きつけた女性の姿が。ベッドの上で眠りこけていた三人の内一人。
 ―――ジェシカに。
 
「もう起きたのか?」
「ん~、と。もうってほど早い? 一応メイドだからね。そろそろ起きないと仕事に遅れるのよ」

 「ふあり」とアクビを漏らす口元を手で隠し、未だ火照りが抜けきれていないのだろう赤みがかった肌をもう一方の手で仰ぎながら背伸びをする。天井に向け両手を伸ばし背筋を伸ばす。豊満と言ってもいい大きな胸を、若さだけではない張りと艶を見せつけるように突き出すジェシカに、士郎は顔を逸らしながら注意する。

「少しは身体を隠せ」
「あらら? 昨夜はあれだけあたしの身体を弄んでくれたのに、まだそんなこと言うんだ?」
「それとこれとはまた別の話だ」

 ジェシカから顔を背けたまま、士郎はベッドの周りに散乱する服の中からジェシカの服を手に取ると、それをベッドに向け投げつける。士郎の手から離れた服は、ふわりと風をはらみ広がりながらも、狙い違わずジェシカの身体に掛かった。

「ぷぁっ……何するのよ。それが愛し合った女に対する態度なの?」

 膝の上に落ちた服を掴み、顔に当てたジェシカが「よよよ」と泣き崩れる仕草を取ると、士郎は溜め息をつきそうになる口元を引き締め、何とか苦笑いに押しとどめる。

「……愛し合うというよりも、食い殺された気がしたがな」
「―――見解の相違だね」

 士郎から投げ渡された服を着ながら、ジェシカは隣で眠るルイズに目を落とす。 

「で、シロウとしてはどうなのよ?」
「どう、とは?」

 ベッドから離れ、ジェシカたちに背中を向け椅子に座った士郎は、背中越しに首を傾げてみせる。

「ルイズのことよ。何か魔法が使えなくなったみたいなこと言ってたけど」
「ああ、それか」
「びっくりしたわよ。シロウがルイズに部屋に連れ込まれたって聞いて追っかけてみたら、縄で縛られて床に転がされたシロウがいるわ。両手に鞭と杖を持ったルイズはいるわ。しかもそのルイズが何度も呪文を唱えてはシロウに向けて杖を振り下ろしているわ……どんな特殊なプレイかと思ったわよ」
「……なんでさ」

 溜め息を着き士郎の頭が若干下がる。

「あれは実験のようなものだ……まあ、実験といっても一方的で強制的な動物実験だったがな。まあ、ルイズが魔法を使えない理由は大方の予想はついているが……」
「予想ついてるんだ……で、んじゃその理由って?」

 ベッドの上で、下着を履き終えたジェシカが靴下を履きながら首を傾げる。

「十中八九魔力切れだろうな」
「魔力切れ? ふ~ん、そうなんだ。なら大丈夫なのね。確か魔力? 精神力だっけ? は、聞いた話じゃ、寝てたら溜まるもんなんでしょ」

 靴下を履き終わったジェシカが、下着と靴下だけを履いた姿でベッドから降りる。

「……それがルイズの場合は少し違うらしい。前にデルフから聞いたんだが。ルイズの系統魔法は少々特殊でな、寝れば溜まるというのは同じなんだが、強い分燃費が悪いというか、再度魔法が使えるまでには時間がかなりかかる可能性があるようだ」
「へ~、流石は『虚無』ってことかしら?」
「……知ってたのか?」

 会話をしながら椅子に座り背中を向ける士郎に近づくジェシカ。椅子に座る士郎の背後に立つと、ジェシカはゆっくりと士郎の首に向け手を伸ばす。

「まあ、ね。少し注意しときなさいよ。あの子結構隙だらけだし、油断なのか信用してくれてるのか、時々自分から口にしてるわよ」
「……一応注意はしているんだが」

 士郎の背中に乗りかかるように身体を密着させたジェシカは、耳元で囁くように話しかける。
 耳の穴をねぶるように囁くジェシカの声に、背筋に寒気にも似た快感が走るが、士郎は仮面のように苦笑を顔に貼り付けたままであった。

「で、結局あの子がまた魔法を使えるにはどれくらいかかりそうなの?」
「さて、十日か一年か……それとも十年か……ハッキリとした答えは出ないな」
「それはまた……何か短縮させる方法とかないの?」

 士郎の頬に自分の頬を擦り付けながら、ジェシカは甘えた声で問いかける。
 ……視線はベッドに向けながら。

「あるにはあるが……ま、一応焼け石に水だろうが俺に出来ることはやってはみたが、それがどれだけ力になるかどうか……」
「何をしたのよ?」

 士郎の首に回した手に力を込め、更に身体を密着させたジェシカが首筋に顔を埋める。微かに首筋に触れる唇から漏れる声は、士郎の身体に当たり低く篭った声となって士郎の耳に触れた。

「まあ、ちょっとな。ルイズの魔力切れには俺の責任もあるしな」
「……ま、メイジ様のことなんてそんなに知らないし、別にいいけど……ルイズ、あの子結構気にしてたみたいだから、出来るなら早く何とかしてあげてね」
「それは勿論だが……それはそれとして、さっきからお前は何をしているんだ」
「え、何って?」

 士郎の疑問の声を聞きながら、ジェシカは士郎の膝の上に「よいしょ」とばかりに上がり込むと、朝日に透ける殆んど裸同然のネグリジェのような下着だけをつけた身体を士郎の胸板に擦り付け始めた。

「……洗ってあげてるんでしょ?」

 え? 何言ってんの? みたいな言っている意味が分からないとばかりに真面目な顔で首を傾げるジェシカの姿に、士郎は顔を両手で覆った。

「何処が洗っているんだ」
「何処がって? ほら、今シロウって色んな匂いを漂わせてるじゃない。だから、わたしの匂いでそれを洗い流そうか……と……やっぱり駄目?」

 顔を覆った手の指の隙間からジト目で見てくる士郎の視線を受け、ジェシカは「てへ」、とばかりに舌を出して首を傾げてみせた。全く邪気のない顔で。邪気がない分、余計にタチの悪いジェシカの姿に、士郎は思わず溜め息を吐きながらも膝の上に座るジェシカを抱えて下ろすと、椅子から立ち上がった。

「駄目に決まっているだろう。仕事なんだろ。早くしないと遅刻するんじゃないのか?」
「そうね。遊んでる暇なんか実はないのよ。それじゃ、ルイズのことしっかりね」

 士郎の指摘を受け、はいはいと頷いたジェシカがベッドの上に放りっぱなしのメイド服に手を伸ばした瞬間、

「隊長ッ!! ご下命が来たぞッ!! 陛下からのご下め―――……い……が」

 ドアからギーシュが飛び込んできた。
 部屋に飛び込んできたギーシュの目が、半裸でベッドの上の落ちたメイド服に手を伸ばした姿で固まるジェシカの姿を捕らえた瞬間、ギーシュの身体が氷ついたように固まる。視線をジェシカに向け固定したギーシュの視界の隅に、ベッドに眠る他二名の姿を捕らえると、これ以上ないくらいに見開かれたギーシュの目が更に開かれた。

「……ギーシュ?」

 固まったまま動かないギーシュに、何処か既視感を感じながら士郎は恐る恐る声をかける。
 と―――、

「ドチクショォォォオオオッ―――ッ!!!」

 そこには、嫉妬に狂いし漢(バーサーカー)がいた。
 目を、顔を真っ赤に染めたギーシュは、もはや人類とは思えない奇声を上げると、士郎に向かって飛びかかる。獣というよりも蟲のような動きで迫るギーシュの姿を視線で追いながら、士郎は溜め息を吐きながら拳を握り締めると、

「またかッ!!」

 カウンター気味にギーシュの顔面に拳を叩き込んだ。

 
 






「しかし、こんな大人数で来てしまったが良かったのか?」
「いいんじゃない? 別にそこのところを指定されてないんだろ」
「まあ、そうなんだが、キュルケとタバサは授業はいいのか? 最近色々あって殆んど出席してないだろ」
「ん? ああ、いいのいいの。そこのところは上手くやってるから、あたしもタバサもね。わたし達よりも、そっちの女秘書の方がどうなのよ?」
「最低限の仕事は終わらせたよ。残りはあのじじ―――オールド・オスマンに押し付け―――に任せてきたからね」
「……可哀想にな」

 トリステイン王国の首都。その更に中心であるトリスタニアの王宮の通路を、緊張した様子も見せず軽口を叩きながらこの王宮の主の下へと向かう一行がいた。
 水精霊騎士隊の隊長である士郎を中心とした一行である。とは言え、水精霊騎士隊の隊長である士郎はいるが、他は全員騎士隊とは関係のない者であった。先頭を歩く士郎を囲むように歩くのは、ルイズ、キュルケ、タバサ、そしてロングビルの女四人である。
 何故こんな人員となったのかは、とある複雑な事情があった。
 ……水精霊騎士隊で動ける者が一人もいなかったからだ。
 本来ならば士郎とルイズ、そして水精霊騎士隊から何人かが来るはずではあったのだが、先日の騒動(第一次シロウ抹殺計画)のせいで、ギーシュ以外の隊員は全員未だにベッドから出れない状態であり、唯一無事であったギーシュも今朝の暴走(狂乱)により士郎から制圧され際の負傷によりベッド送りとなってしまった。
 しかし、アンリエッタからのご下命は、ルイズを連れて至急王宮まで来られたしとだけあったため、特に問題はないなと士郎はルイズと二人で王宮へと向かうことにしたのだが、何処から情報を入手したのか分からないが、仕度を終えたルイズと共に学院から出ると、そこにはキュルケとタバサ、そしてロングビルがいた。士郎を待ち構えていたキュルケたち三人がついてくることを勿論のこと士郎は拒否したが、やはりというか聞く耳を持たない三人は半ばと言うか完全に無視して着いてくることになったのである。
 そんなこんなで無事に王宮に着いた士郎たち一行が、アンリエッタが待つ部屋に通されると、そこには笑顔で士郎たちを迎えるアンリエッタがいた。
 士郎たちを笑顔で迎えたアンリエッタは、キュルケやタバサを一瞥したが、特に何も言うことはなかった。

「学院に戻ったばかりで、まだ落ち着いていないところ呼び出してしまいすみません。急ぎあなたがたにしかお頼み出来ないことがありまして」
「頼みとは?」

 部屋に入るなり頼み事があると口にするアンリエッタに、士郎が腕を組みながら問いかける。

「アルビオンにいると思われる虚無の担い手の捜索をお願いしたいのです」 
「―――っ」

 アンリエッタの返事に反応したのは、問いかけた士郎ではなく、その後ろに立つロングビルであった。士郎の背中越しにアンリエッタを見るロングビルの目が細まる。

「……理由を聞いても」

 ピクリとも身体を動かすことなく、士郎は話を続ける。
 しかし、正面から士郎を見つめていたアンリエッタの目は、自分をみつめる士郎の目の奥に一瞬鋭い光りが走ったのを捉えていた。
 
「……ルイズを狙っている者たちは、ルイズ(・・・)ではなく虚無の担い手(・・・・・・)を狙っています。ですので、ルイズ以外にも虚無の担い手がいるというのならば、ルイズを狙う者よりも先に担い手をトリステインで保護しようと思ったのです」
「……ルイズが襲われてから随分と時間が経っているが……何かあったのか」

 刃物のように鋭い声と視線を向けられたアンリエッタは、否定することなく小さく目を伏せると顎を軽く引き頷いた。

「……ええ。少しばかり厄介なことが……。ですので出来るだけ早くもう一人の虚無の担い手を探し出さなければいけません」

 もう一人(・・・・)……か。
 
 士郎はアンリエッタが口にした内容の一部に意識を向けながら、一瞬だけ背後のロングビルに目を向けた。
 ティファニアが虚無の担い手であると知っているのは、士郎の知る限りでは二人しかいなかった。しかし、そのどちらかから漏れたとは士郎には欠片も思えなかった。何故ならその二人と言うのがロングビルとセイバーの二人であるからだ。
 セイバーは元々この世界の人間ではないため、ティファニアの力がどれだけ重要なものであるか理解は余りしていないようであった。トリステインに帰る前に、セイバーに『虚無』について簡単に説明し、ティファニアが虚無の使い手であると教えると同時にその事が周りに知られると厄介な事になると伝えたのだが、セイバーの返事はただ一つ頷いて「分かりました」とだけである。
 事の重大性についてちゃんと説明したのだが……余りにも泰然としすぎていた。
 らしいと言えばらしいのだが……とは言えあのセイバーの口から漏れることはまず有り得ない。 
 そしてそれはロングビルも同じくだ。
 ロングビルは元々からティファニアの使う魔法が他のものとは違うと感じていたようであり、ウエストウッドの森から学院に帰った後、相談を受けた士郎は隠すことなく正直に教えていた。薄々予感していただけあってか、話を聞き終えた後のロングビルに動揺は見えなかった。

 ……『虚無』がどれだけ周りに影響を与えるか知っているロングビルが、誰かにその事を喋るとは思えない。
 なら何故虚無の使い手がアルビオンにいると特定出来たんだ? アニエスか? いや、しかし彼女が気付いていたとは思えない……ではどうやって?

 外見上は全く変わらないまま士郎が内心で悩み唸っている閒も、アンリエッタの話は続いていた。

「まだ確定ではありませんが、アルビオンにいる虚無の担い手はウエストウッドという森の中にいると思われます」
「っ……どうしてそこまで分かっているのですか?」
「? あなたは?」

 思わず声を上げたロングビルを目にし、アンリエッタは首を傾げた。その様子を見て、そう言えばこの二人は初対面だったなと内心で手を叩く士郎を他所に、ロングビルはアンリエッタに向け頭を下げる。

「トリステイン魔法学院で学院長の秘書をしていますロングビルと申します。ミスタ・シロウとはそれなりに長い付き合いでありまして、騎士隊の者が動けないと聞き、力になれればと思いまして。事情についても最低限の事は知っていますのでご安心ください」
「そう、ですか……あなたがミス・ロングビル。では、あなたがあの(・・)……」
「わたしが何か?」
「いえ、何でもありません」

 顔を上げたロングビルが眉を寄せると、アンリエッタは軽く首を横に振った。

「それでお聞きしたいのですが、何故陛下は虚無の担い手がアルビオンにいると分かったのですか?」
「実のところ、ルイズから虚無の担い手が四人いると聞いてから担い手について調べさせていたのです。これまでにそれなりの情報が手に入ったのですが、その中で最も可能性が高いのが先程のアルビオンにあるウエストウッドの森にいる者です」
「ウエストウッドの森にいると思われる虚無の担い手とは一体どんな方なのですか?」
「詳しい事はまだ分かってはいないのですが、金の髪の美しい少女であると」
「良く分かっていないにもかかわらず、何故その人が虚無の担い手である可能性が高いと?」

 口調は穏やかでありながら、アンリエッタを見るロングビルの目は酷く冷めていた。士郎は背中に感じる冷ややかな気配に内心ドキドキしながらも、顔に一切の感情を浮かばせない無表情をキープしたままアンリエッタの様子を伺う。
 幸いにもアンリエッタはロングビルの明白(あからさま)な態度について何も言わず、視線を士郎に向けた。

「その少女の近くに、あなたのような人がいるからです」
「俺のような?」

 笑みの形に細められた目で探るような視線を向けられた士郎は、湧き上がる顔を背けたいという衝動を押さえ込み、首を傾げてみせる。

「はい。聞きなれない呪文を使う少女がいるとの情報を手に入れた者が、その少女と接触しようとしたのですが、ウエストウッドの森の中に入るなり剣を持った謎の少女に叩きのめされ森の外へ捨てられてしまったそうです。その剣を持った少女と言うのが、目にも止まらぬ速さで動き、魔法を斬り捨て、五人いた腕利きのメイジを瞬く間に倒してしまったと」

「……」

 心当たりが有りすぎる士郎は、ただ押し黙るしか出来なかった。

「あまり刺激しては別の所へ逃げられてしまうといけませんので、その後は接触は止め、森を監視させると共にその少女たちについての情報を収集させた結果」
「可能性が高いと?」
「はい」
「それで俺たちに、か」
「シロウさんなら、その剣士にも勝てると思いまして」

 いや、無理。

 アンリエッタの言葉に士郎は反射的に首を振りそうになったが、何とか踏みとどまり、

「……接触して虚無の担い手なら連れて来いというわけか」

 話をずらした。

「保護するにはやはりトリステインにいてもらったほうがいいかと」

 何とか突っ込まれずに済んだか……。

「保護……か」
「はい。保護です。ガリアの担い手から守るため……それ以外ありません(・・・・・・・・・)

 ―――それ以外……か。

 アンリエッタの言葉の中に引っ掛かりを覚える士郎。
 直ぐに返事を返すことなく、腕を組んだ士郎は考え込むように目を瞑る。
 目を瞑り、五、六秒程たった後開いた士郎は、小さく、しかしハッキリとアンリエッタに向け頷いて見せた。

「……分かった。アルビオンに行こう」
「っ、シロウ」
「……ありがとうございます」

 背後から非難混じりの声を、正面から安堵が混じった声を耳にしながら士郎は視線を窓の外へと向けた。

「しかしアルビオンか。船で行くとなると随分時間がかかるな」

 アルビオンまでへの道行を思いため息混じりの声を漏らす士郎の背中へ、静かな声が向けられる。

「シルフィードがいる」

 肩越しに振り返った士郎の視線が下へと向けられる。
 そこには自分の身の丈程ある杖を抱きしめるように持ったタバサが立っていた。

「いいのか?」
「大丈夫」

 いつもながらの無表情のままコクリと頷くタバサに感謝の笑みを向けた士郎は、アンリエッタに向き直る。

「なら、善は急げだな」
「帰りはロサイスまでの船を用意させておきます。帰りはそれに乗ってください」
「了解した」





 去っていく士郎たちの背中を見つめるアンリエッタの目が、その中の一人に向けられる。何時もならば士郎の一番傍にいるはずの友人の背中に。何処となく肩が落ちた背中を見せる友人の姿に、しかしアンリエッタは何も口にせずただ見つめるだけであった。ドアが閉まり、部屋に一人残されるアンリエッタ。結局アンリエッタはルイズと一度も言葉を交わすことはなかった。誰もいなくなった部屋の中、アンリエッタは窓に近づくと窓を微かに開く。指を通らない程小さな隙間から風が流れ、髪を揺らす。
 
「……これで……本当に良かったのでしょうか」

 その問いに答える者は誰もいなかった。
 









 ガリアにある海沿いのレンガ造りの建物が立ち並ぶとある街―――サン・マロン。
 レンガ造りが基本の街並みの中には、一際目立つ鉄塔のような建物があった。それは空飛ぶ船の発着場。しかし、ただのではなく、ガリア空海軍のための発着場である。そんな軍基地を収めた街から少しばかり離れた場所に、不可思議な建物があった。円柱を縦に半分に切断し、切断面を下に寝かせたような形の、一見すればテントのように見えるそれの何が不可思議なのかと言うと、まず何よりも大きさが桁違いであった。その建物の前には、市街地にある基地に設置された船着場である鉄塔と同じ大きさの建物の姿があったが、その鉄塔が三、四本ほど入る程の大きさはある。
 その巨大なテントとしか言い様のないモノの周りには、市街地の基地よりも多い衛兵が警備に立ち、近郊に住む住民が容易に近づけない有様であった。
 警備に立つ衛兵の一人が、空から迫る風を切る音と地面に広がる影に気付き顔を上げると、一隻の巨大な船が自分が警備する建物の前に立つ鉄塔に近付いていく姿が目に入る。

「はぁ……でかい船だな」
「ありゃシャルル・オルレアンだな」

 呆けたように声を漏らした衛兵の隣に立つ同僚が、頭上を超えていく巨大な船の名前を口にする。
 『シャルル・オルレアン』号。それは三年前に亡くなった王弟の名前がつけられた船であった。アルビオン空軍最大のレキシントン号がない現在、アルビオン空軍最大の船である。アルビオン空軍最大と言うことはつまり、ハルケギニア最大の船であるということであった。そして、『シャルル・オルレアン』号はハルケギニア最大であると同時に最強でもあった。進空したのがつい先日であったこともあり、全長百五十メートルの船の上には片舷百二十門、合計二百四十門もの大砲が備え付けられているだけでなく、同数以上の最新の魔道具を改良した武器も組み込まれ、正に最大最強という言葉に誰も反論することは出来ないだろう。
 そしてそのハルケギニア最大最強の船はガリア王室のお召艦でもあった。

「ん? おい、あれってまさか」
 
 阿呆のように口を開けて船を見上げていた衛兵が、マストに見える王室の座上旗をミニすると同時に驚愕の声を上げた。
 王室の座上旗が掲げられているということはつまり、

「王さまが乗ってるってことかい」

 王が乗っているということである。
 
「何でまた王さまがこんな田舎に足を伸ばすんかいね? 観光?」
「ば~か。んなわけないだろ……『実験農場』だろ」

 眉をへの字に曲げて首を傾げ見当違いな考えを口にする同僚を馬鹿にした男は、チラリと背後の自分たちが警備する巨大なテント―――『実験農場』を目にすると小さく低い声を漏らす。

「『実験農場』ねぇ……しかし何だねこれ? これが出来てから変な連中が次から次へとやって来るし……ついには王様までやってくるなんてなぁ……そういやぁ聞いたか? イルマンの奴がエルフを見たとか言ってるらしいぞ」
「おいおいそれホントか?」
「まあ、あの酔いどれイルマンの話だから信じられないだろうけど……もしかしたら本当かもしれなくてな。あの酔いどれが真面目な顔で言ってたんだよ。三日前の夜警の時にな、夜に取り巻きをぞろぞろ連れて『実験農場』に入っていく奴らがいたから何とはなしに見てたそうだが、その中に夜だというのに帽子を被ってた奴がいたらしくてな。その隙間から覗いてたそうだぞ」

 引きつった笑みを口元に浮かべながら横目で同僚を見る男は、自分の両耳に両手を当て、勿体ぶるようにゆっくりと口を開く。
 
「―――長~い耳が、な」
「―――ッ!?」

 恐ろしげにブルリと震えた身体に手を回した男は振り向くと、まるで得体の知れない化物を見るかのように背後の『実験農場』の見上げる。

「一体何だってんだい……」

 細かく震える警備兵の声の先では、『シャルル・オルレアン』号から鉄塔に延びるタラップの上、儀仗兵に囲まれ楽団の奏でる演奏の中を進む遠目からでも目に鮮やかな青髪を持つ偉丈夫の姿があった。








 『実験農場』の中は薄暗く、何よりも蒸し暑かった。
 その原因は『実験農場』を覆う帆布に振り注ぐ春の陽光により温められた熱と、『実験農場』内に幾つも設置された釜や溶鉱炉から発せられる熱気である。真夏日を超える温度や、窓がなく出入口が常に閉め切られていることから『実験農場』内は風の通りは全くと言ってないことから、『実験農場』内の不快指数は留まることはない。ただ中で立っているだけで全身から汗が吹き出るような誰もが顔を顰めるようなそんな場所であった。その証拠に広い『実験農場』の中を動き回る研究者風の男や鍛冶師の男たちの顔は誰も彼も汗だくで苦しそうに歪んでいる。しかし、そんな中一人歩く青髪の男の様子は少しばかり違った。汗だくなのは同じであるが、その顔には何の表情も浮かんではいない。熱気に対する不快な表情も……笑みも浮かんではいなかった。
 メイジの研究員が囲む溶鉱炉の横を通り過ぎ。何人もの鍛冶師が十メートル四方はある巨大な鉄板を打ち出している横を一人進む青髪の男が辿り着いた先は、『実験農場』の中心部と思われる開けた場所であった。そこには貴賓席が設けられており、その横には青髪の男の腹心の姿があった。
 
「ご足労ありがとうございました」

 青髪の男の姿を目にした腹心である深いフードを被った細身の女は恭しく頭を深く下げた。

「いや、いや。例のものが完成したとなれば、いてもたってもいられないからな。我慢できず飛んできてしまった」

 顔を左右に振った青髪の男は、フードを被った女―――虚無の使い魔の一人であるミョズニトニルンから離れた位置に立つ痩せた男に視線を向けた。

「難航していた『ヨルムンガント』の完成だけでなく、アレ(・・)についてもビダーシャル卿の協力があってこそ完成することが出来たと聞いた。どれだけ感謝しても足りないな」
「…………」
「―――貴様」

 何の反応も示さない痩せた男―――ビダーシャルの様子に、ミョズニトニルンは激昂しフードの下で射殺すような視線をビダーシャルに向ける。と、今にも襲いかかりそうなミョズニトニルンの視線を遮るように青髪の男の腕が差し出された。

「ふむ、何か不満があるようだね?」
「……『ヨルムンガンド』に関しては別にいい。だが、アレ(・・)は一体何だ……ッ!」

 目深に被った帽子の奥から底冷えする眼光を向けながら、ビダーシャルは震える声を上げた。
 声が震える要因は、怒り―――ではなく恐怖であった。
 ハルケギニアに住む人間ならば誰もが震え恐るエルフでさえ恐怖を感じさせるものとは?
 ビダーシャルの声に潜む恐怖は、まるで理解不能な化物に対するような生理的で根源的な恐怖の色が見える。

アレ(・・)か? ちゃんと説明はしたはずだが? アレ(・・)は『ヨルムンガンド』と同じ『騎士人形』のようなものだと」
「はっ……『騎士人形』……騎士人形(・・・・)か……確かにそう聞いた。それは確かにその通りなのだろう……だが、あんなものだと知っていたら貴様たちに教えるものは何もなかった」

 吐き捨てるようにそう言うと、ビダーシャルは青い髪の男に背を向けた。

「ふむ、もう帰るのかね?」
「義理は果たした。もうこれ以上貴様と同じ空間にいたくはない……アレ(・・)も同様だ。近くにあるというだけで怖気が走る」

 歩き去っていくビダーシャルの背中に向け、青髪の男は声を投げかける。

「今からアレ(・・)の運用実験をやるのだが、それぐらいは見ていってもいいんじゃないか?」
「聞こえなかったのか……ッ。これ以上貴様とアレ(・・)が近くにいるというだけで気分が悪くなると言っているのだッ!!」

 足を踏み鳴らし振り返ったビダーシャルは、何時もの泰然とした様子をかなぐり捨てた様子で睨み付ける。

「我々エルフにとって悪魔とは『シャイターンの門』から現れる者であったが、どうやら違ったようだ」

 振り返ったビダーシャルは、何の表情も浮かべず顎髭を撫でさすりながら自分を見やる男に指を突きつけると、

「貴様は悪魔だ―――ガリア王ジョゼフ」

 恐怖と悪意と敵意で濁りきった声を向けた。

 





「よろしいのですか?」
「構わん。あのエルフの知識はまだまだ必要だからな。それよりも準備はどうなっている」
「もう間もなくかと」

 ビダーシャルが去った後には、貴賓席に腰掛けるジョゼフと、その横に立つミョズニトニルンの姿があった。正確にはその二人の姿だけしかない。二人の視線は去っていったビダーシャルの背中が消えた方向ではなく、貴賓席の前に広がる光景。古代のコロシアムを思わせる巨大な円形の造りになっており、その東西南北の位置には金属製の柵の姿がある。建造物であった。
 ジョゼフの先を急かす声に、ミョズニトニルンが答えると、まるでタイミングを図っていたかのように東、西、そして南側に設置されていた柵が上に向かって開き始めると、その奥から地響きと共に巨大な影が現れた。三つの門から現れた巨大な影が姿を現す。それは三体の全長二十メートルはあるだろう巨大な土ゴーレムであった。三体のゴーレムはそれぞれその巨体に見合うだけの巨大な武器を身につけていた。大砲、大剣、大槍で武装した三体の巨大な土ゴーレムは、コロシアム中央で足を止めると、唯一開かなかった北側の柵に身体を向ける。

「『ヨルムンガンド』の相手には、西百合花壇騎士団の精鋭が造り上げたスクウェア・クラスの土ゴーレムが三体でございます。それぞれ武装を使いこなせるまで訓練をさせています」

 ミョズニトニルンが三体の土ゴーレムについて説明を終えると同時に、今まで閉じていた北側の柵がゆっくりと開いていく。

「ほう」

 北側の柵の奥から、巨大な手が現れた。その姿を目にしたジョゼフの口から、感嘆の吐息が漏れる。それは先程の地揺れよりも大きな音と揺れと共に、ゆっくりと姿を現す。それは先程の全長二十メートルはある土ゴーレムよりも一回り更に巨大なゴーレムであった。
 二十五メートルはあるだろう巨体は帆布で包まれており、その姿は分からない。だが、その異様はその姿が見えずとも分かった。一歩、一歩とゴーレムが動く度に、椅子に腰を下ろした身体が浮くほどの振動が響き渡る。しかし、巨大な振動ではなく、ジョゼフの目はその動きに目を見張った。

「人と変わらんな」

 ぎこちなさは全く見えず、その動きはまるでゴーレムではなく巨人がその帆布の下にいるかのようであった。
 巨大ゴーレムが足を止めると、一瞬コロシアムが静寂で満たされ―――次の瞬間。

「始まったか」

 一際巨大な地響きが鳴ると共に、大量の土砂が舞い土煙が辺りを包む。
 ジョゼフが座る高い位置に設置された貴賓席まで土煙が上がらせ、二体の土ゴーレムが巨大ゴーレムに向かって駆け出す。迎え撃つように巨大ゴーレムが腰を落とすと、

 ―――ドンッ!!

 爆音と共に辺りに漂う土色の中に黒が混じる。三体の内動かなかった土ゴーレムが大砲を発射したのだ。いかに巨大で頑健なゴーレムであっても、大砲の一撃を受ければ跡形もなく砕かれてしまう。
 だが―――。

「ふむ、鎧の機能は正常に働いているようだな」

 ヨルムンガンドの身体を包んでいた帆布は全て吹き飛ばされてしまってはいたが、ヨルムンガンドは健在であった。岩をも砕く大砲の一撃を受けながら、小揺るぎもしていない。帆布が吹き飛ばされ、ヨルムンガンドの地肌が露わになる。帆布の下には、ほぼ全てのゴーレムで使われている土ではなく、鈍く光る鋼鉄が姿を現した。
 それはジョゼフの言葉の通り、正しく鎧であった。
 完全武装の騎士のように全身を鋼鉄の鎧で身を包んだヨルムンガンドに、茶と黒が混じる煙を切り裂きながら二体の土ゴーレムが襲いかかる。
 大剣を持った土ゴーレムは大上段に振りかぶった大剣を振り下ろし、槍を持った土ゴーレムは槍を突き出す。
 未だ宙に舞う土煙を切り裂き貫きながら二つの凶器がヨルムンガンドに迫る。
 撃音が響き、再度大量の土砂が舞う。
 コロシアムを覆い隠す程に舞い上がった土煙により、ジョゼフがいる貴賓席からは結果をうかがい知ることは出来ない。
 ただ、金属が軋みを立てる音だけが鈍く響いていた。

「力も十分だな」

 薄らと晴れてきた土煙の中から姿を現した三体のゴーレムの姿を見たジョゼフの口から、満足気な声が漏れる。
 剣と槍。武装した二体の土ゴーレムに襲われたヨルムンガンドは未だ健在であった。
 左手に剣の刃を掴み、右手に槍を柄を掴んだ姿で仁王立ちするヨルムンガンド。二体の土ゴーレムは必死になって自分の武器を取り戻そうとしているが、武器を掴むヨルムンガンドはピクリとも動かない。そんな中、辺りに響く金属の軋みを上げる音はますます大きくなり、遂には決定的な破壊の音が響く。
 鈍い破砕音を立てながら、大剣と槍が破壊される。
 取り返そうと武器を引っ張っていた二体の土ゴーレムは、突然己を支えていたものがなくなり後ろに倒れ始める。
 ヨルムンガンドは掌に残った武器の欠片を放り捨てると、鎧を身につけているとは思えない程の素早さで駆け出す。あっと言う間に倒れ掛かる二体の土ゴーレムの間に辿り着いたヨルムンガンドは、両手で二体の土ゴーレムの身体を掴むと、

 ―――ズッ―――ッ!!

 地面に叩きつけた。
 三度目に響き渡った轟音と舞い上がった土煙は、一度目と二度目とは比べ物にならなかった。
 その余りの轟音と衝撃により、貴賓席に座るジョゼフの身体が椅子から浮き上がり、自然と立ち上がってしまう程に。

「―――クハッ」 

 椅子から強制的に立ち上がらせられたジョゼフの口元から空気が漏れるような笑みが溢れる。
 貴賓席にまで舞い上がった土煙は濃度も範囲も大きく、晴れるまでには時間が掛かりそうだ。視界が完全に塞がれた中、耳に届くのは砂が擦れる音だけ。先程まで響いていた金属音や、巨大な足音は聞こない。閉じきられたコロシアム内には風がないため、かなりの時間が経たなければ視界が晴れることはなかった。
 次第に薄まっていく土煙の中、巨大な影が浮かび上がる。
 
「素晴らしい」

 土煙が晴れた中、コロシアムにはヨルムンガンドの姿だけがあった。ヨルムンガンドは地面を殴りつけるような格好で固まっていたが、土煙が完全に晴れるとゆっくりと立ち上がる。足元には大量の土砂の姿があり、その横には砕けた大砲の姿があった。
 ヨルムンガンドは剣と槍の土ゴーレムを地面に叩きつけ、その轟音が消える前に大砲の土ゴーレムに襲いかかると、拳と地面でサンドイッチにするかのように殴りつけたのだ。その威力は推して知るべく、土ゴーレムはただの土砂と成り果てた。
 ゆっくりと立ち上がり、ヨルムンガンドがジョゼフの立つ貴賓席に顔を向ける。
 ジョゼフは満足げに一つ頷くと、横に控えるミョズニトニルンに片手を上げた。
 ジョゼフの意志を汲み取ったミョズニトニルンはコロシアムに近づくと、軽く手を上げる。
 と、

「さて、もう一つの『騎士人形』はどれほどのものかな?」

 ヨルムンガンドが背中を向けている北側の柵の奥から一体の人形が姿を現す。人形は人の腕ほどもある太い鎖を引きずっていた。
 簡易の土ゴーレムではなく、騎士甲冑を身に纏った人形である。一見すれば普通の人間のように見えるそれは、『スキルニル』と呼ばれる血を吸った人物に変化することが出来る古代の『マジック・アイテム(魔道具)』であった。
 ジョゼフが口にした『騎士人形』とは『スキルニル』のことか?
 いや、そうではない。
 現にジョゼフの目は姿を現した甲冑を身に纏う『スキルニル』ではなく、その人形が手に持つ鎖の先を見ている。未だ柵の奥から姿を見せない鎖の先へと。
 ジャラジャラと鎖の立てる音がコロシアムに響き、遂に鎖の先に繋がれたモノが姿を現す。
 ―――それは柩であった。
 暗く、闇色に塗られたそれは、コロシアム内を照らす魔法の光を鈍く反射させ、ギラギラとした輝きを見せている。明らかに木製ではなく、金属で出来ていた。その通り柩は木ではなく鋼鉄で出来ていた。柩は鎖で巻きつけられており、引かれる度に鎖と柩の隙間から金属の擦れる不快な音が響く。

「随分と念入りだな」
「はい。柩だけでなく鎖にも『固定』の魔法を掛けております」

 ジョゼフの言葉に、ミョズニトニルンが答える。ミョズニトニルンの言う通り、メイジの手により柩とそれに巻きつけられている鎖にも『固定』の魔法も掛けられていた。それは過剰なまでであり、例えヨルムンガンドが鎖を引っ張ったとしても引きちぎれないほどの強さがあり、同じく柩も容易には壊せない程の強度があった。
 コロシアムに柩が完全に姿を現すと、『スキルニル』は鎖から手を離し柩に向かう。
 『スキルニル』が柩の横に立ち、鎖を外そうと手を伸ばし―――

 ―――ッ―――ギ―――ュ―――……。

 手が生えた(・・・・・)
 『スキルニル』の背中から(・・・・・・・・・・)
 『固定』の魔法が掛けられた柩(・・・・・・・・・・・・)から生えた腕が、『スキルニル』の背中から生えていた。
 感情が無いはずの『スキルニル』が不思議そうに背中から生えた腕を見やり―――その顔が吹き飛んだ。

「―――クハッ」

 ジョゼフの口元が(いびつ)に歪み、澱んだ笑い声が漏れた。
 ジョゼフの視線の先で、柩から生えた『スキルニル』の頭を吹き飛ばした腕と、腹に突き刺さったままの腕の姿が消え―――と、金属がひしゃげ砕け散る音を響かせながら、柩の蓋が消し飛んだ。
 柩の縁に手が掛かり、ゆっくりと中からナニカが姿を現す。
 
 それ(・・)は一見すれば人間の形をしていた。
 
 だが、決して人間ではなかった。

 人間であってはならなかった。
 
 人間であるはずがなかった。
 
 例え人と同じ五体があったとしても。

 例え人と同じく服を着ていたとしても。

 人間の目はそんな血のように紅くはない。

 人間の肌はそのように鈍色ではない。
 
 ―――何よりも……人がこのような禍々しい気配を放つ筈がない。

 ソレは柩からコロシアムへと降り立つ。 
 顔は力なく垂れており、つばの広い羽帽子(・・・)に隠されどのような表情を浮かべているのかは分からない。
 ソレは両手をゆっくりと広げると、同じようにゆっくりと顔を上げる。
 まるで狼が夜の空に浮かぶ満月を見上げるかのように顔を上げたソレは、狼と同じく―――

「■■aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa―――ッ!!!!!!」

 ―――吠えた。
 


 
 

 
後書き
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