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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百十三話 暗部

 
前書き
遺伝子の事は良く分かりませんのであまり深く突っ込まないでください。 

 


宇宙歴 796年 1月 7日    ハイネセン 統合作戦本部  バグダッシュ



「大勝利、おめでとうございます」
俺が祝いの言葉を述べるとスクリーンのヴァレンシュタイン総司令官代理は軽く笑みを浮かべた。機嫌は悪くない、フェザーンでは順調なのだろう。
『同盟市民の様子は如何です?』
「驚いています、大騒ぎですよ」
総司令官代理が頷いた。

「トリューニヒト議長が夜中にパジャマ姿で会見したのも大騒ぎでしたがフェザーンで大勝利を収めた事にも驚いています。総司令官代理が軍を密かにフェザーン方面に動かしているとは知りませんでしたからね。市民は戦争はもう少し先のことだと思っていたようです」
総司令官代理がまた頷いた。皆驚いている、俺もだ。全く気付かなかった。

「しかし何と言ってもトリューニヒト議長が帝国との和平を検討していると公式に表明したのが同盟市民にとっては驚きだったようです」
『反応は如何です?』
「賛否両論、そんなところです。まあ多くは理性では分かるが感情では……、そんなところでしょう。大勝利の後です、何故今? そんな想いもあると思います」

総司令官代理は不満そうな表情を見せていない。ちょっと意外ではある。
「宜しいのですか?」
総司令官代理が微かに笑みを浮かべた。
『最高評議会議長が公式に和平を検討していることを表明した、そして同盟市民は頭から和平論を否定しているわけではない。現時点では十分でしょう、和平論は市民権をようやく得たと言って良い』

なるほど、確かにそうだな。これまでなら最高評議会議長が和平論を表明する事など出来なかった。一つ間違えば政治生命の終了に繋がっただろう。だが地球教の陰謀、帝国の改革、そしてサンフォード議長のスパイ容疑……。特にフェザーンが国債と株を使って同盟、帝国を思うように操ろうとしていた事は衝撃だった。同盟市民の間にはこのまま戦争をしていて良いのかという疑義が生まれつつある。

「しかし未だ弱いですな。このままでは主戦論が勢いを盛り返しかねません」
『そうですね、攻勢をかけて圧倒する必要があります』
さてどうする、何を考えているのか……。現状で使える手といえばフェザーンで地球教の残党狩りを行うぐらいしか見えてこないが……。

『レムシャイド伯に会って貰えますか』
「……」
ほう、帝国に何かをさせるか。
『ブラウンシュバイク公に劣悪遺伝子排除法を廃法にして欲しいと伝えてほしいのです』
「!」
劣悪遺伝子排除法を廃法?

「し、しかし可能でしょうか? あれは……」
俺が口籠ると総司令官代理が軽く笑い声を上げた。
『ルドルフ大帝が創った帝国の祖法だと言うのでしょう。晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世が有名無実化していますよ。廃法にしても社会に混乱は起きません。それに文句を言いそうな貴族達は叩き潰しました』
「確かにそうですが……」
また総司令官代理が笑った。

『ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も内心では劣悪遺伝子排除法を疎ましく思っている筈です』
「それは如何いうわけでしょう?」
『ゴールデンバウムの血は弱体化しているのです。子が生まれない、特に男子が生まれない。帝国が後継者問題で揺れたのもそれが原因です』

なるほど、ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もそれぞれ娘が一人しかいない。生殖能力が衰えているという事か。遺伝子的には弱者と評価せざるを得ないな。劣悪遺伝子と判断されてもおかしくは無い。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にそれを説けば廃法にする事は可能だと総司令官代理は考えている……。

帝国が劣悪遺伝子排除法を廃法にすれば影響は確かに大きい。有名無実とはいえルドルフが創った法なのだ。そして銀河帝国が暴虐と非難される根拠の一つでもある。共和主義者を弾圧し人類が帝国と同盟に二分される遠因にもなった。それが廃法になる……。帝国での影響は小さいかもしれない、しかし同盟に対するインパクトは大きい。改革も行うとなれば主戦派も帝国を暴虐とは非難し辛い。

『まあヘルクスハイマーの事も有りますしね。あの二人も嫌とは言わないでしょう』
ヘルクスハイマー? 総司令官代理の顔を見たがそれ以上は何も言わない、謎めいた笑みを浮かべている。俺が知る必要はないという事か? 或いはレムシャイド伯にそれとなく伝えろという事か……。どちらもありそうだな。

『ところで例の人達は如何しています?』
「一番慌てているのは彼らかもしれません。予定が狂った、そんな感じですな。今日も会合を開いているようです」
『どう出るかな。……動くか、それとも諦めるか……』
総司令官代理が笑みを浮かべて俺を見ている。

「諦めるというのは無いでしょう。彼らにとっては最も動き易い状況下にあります。問題は準備が間に合うか、だと思いますね」
『粗雑になってくれれば良いのですがね。そのために全艦隊に通信の封鎖を命じたのですから』
「なるほど」
敵は貴族連合軍だけではない、そこまで見越しての通信封鎖か……。

『シトレ元帥は何と言っていますか?』
「閣下の事を悪知恵の働く奴だと褒めています」
総司令官代理が苦笑を浮かべた。
『真の悪人は別にいますけどね、目立たないように隠れている』
誰の事だろう、シトレ元帥? 或いは俺か。

『タイミングを間違えないでくれと伝えてください』
「承知しました。ところで劣悪遺伝子排除法の件は如何しますか?」
『それも元帥に伝えてください。トリューニヒト議長にはシトレ元帥から伝えてもらいましょう。レムシャイド伯に伝えるのはその後で』
「はっ」

ヴァレンシュタイン総司令官代理がじっと俺を見た。
『准将、後は頼みますよ』
「分かっております。こちらも準備を整えます」
総司令官代理が幾分目を細めて頷いた。獲物を視界に入れた時の肉食獣の目だ。シェーンコップ准将が見たら喜びそうだなと思った。



帝国暦 487年 1月 8日    オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「劣悪遺伝子排除法を廃法にしろと言うのか」
『はい。既にトリューニヒト議長にも話は伝わっています。議長もそれが出来るなら望ましいと。あの法は同盟でも評判が芳しくありません』
リッテンハイム侯が驚いている。侯がわしに視線を向けてきた。侯が何を考えているのか分かる。どう答えれば良いのか……。曖昧な表情をするしかなかった。

『バグダッシュ准将によればヴァレンシュタインは劣悪遺伝子排除法は既に有名無実化されている。廃法にしても問題は無い筈だと言ったとか』
レムシャイド伯の言葉にリッテンハイム侯が“確かにそうだが……”と語尾を濁した。確かにそうだ、だがルドルフ大帝が創った法であり遺伝子と血統を重視する帝国の基盤となった法でもある。ある意味帝国の国是の否定とも言えるだろう。リッテンハイム侯の歯切れが悪くなりわしが無口になるのも当然と言える。

スクリーンから咳払いが聞こえた。レムシャイド伯が言い辛そうな表情をしている。
『御二方もお困りなのではないかとバグダッシュ准将が言っていました』
「どういう事かな、それは」
わしが問い掛けるとレムシャイド伯は視線を伏せた。
『御二方とも御息女が御一人しかおられません。皇族が少なくなっている。その辺りの事を言っているようです』

リッテンハイム侯が嫌そうな表情をした。おそらくはわしも同様だろう。ヴァレンシュタインはバグダッシュ准将を通してゴールデンバウムの血が弱まっていると指摘している。レムシャイド伯は遠回しに言っているが本人はバグダッシュからもっと露骨に言われたのだろう。言い辛そうにしている。

「つまり廃法にしたほうが我らのためになるという事か。我らには劣悪遺伝子排除法を維持するだけの資格は無いと」
わしの言葉にリッテンハイム侯は憮然としている。面白くなさそうだ。レムシャイド伯が慌てた。

『そのような事は……、そう言えばバグダッシュ准将が妙な事を言っておりました』
「……」
『ヘルクスハイマーの一件もあると。どういう事なのか質しましたが准将も知らない様です。ヴァレンシュタインに伝えるようにと言われた様ですな』
ヘルクスハイマー? 確かに妙な事を言うな、ヘルクスハイマー伯の事か? 何だ? リッテンハイム侯が顔を引き攣らせている。

「侯?」
「ああ、なんでもない。……今すぐ返事をすることは出来まい。廃法にするのであれば陛下のお許しも得なければならん。そうではないかな、ブラウンシュバイク公?」
「まあ、そうだな。レムシャイド伯、同盟側の意向は分かった。少し検討する時間が必要だ」
『はっ』
レムシャイド伯はほっとしたような表情をしている。通信を切った。

「侯、何か有るのか?」
「……」
「ヘルクスハイマーというのはヘルクスハイマー伯の事だと思うが……」
わしの問い掛けにリッテンハイム侯が太く息を吐いた。そして“ああ、そうだ”と頷く。やはり何か有る、そして侯は何かを知っている。

「あれは何時の事だったかな? ヘルクスハイマー伯がオーディンを逃げ出したのは」
「四百八十三年の暮れの事だ。もう三年が過ぎた」
「そうか、三年か」
もう三年が過ぎたか……。ヘルクスハイマー伯が逃げ出した後、伯の邸には夫人の遺体が有った。死因は毒殺、そして伯もその家族も逃亡中に死んだ。その事でオーディンでは様々な噂が流れた。

「ヘルクスハイマー伯爵夫人を殺したのは私だ。正確にはヘルクスハイマー伯を殺すように指示を出したのだが誤って伯爵夫人を殺す事になった。ヘルクスハイマー伯はそれでオーディンを逃げ出した。本来なら伯だけの死で済むはずだったのだが……」
「……」
リッテンハイム侯の表情は苦い、予想外の結末は不本意だったのだろう。しかし何故殺そうとした?

「恣意ではない、先々帝フリードリヒ四世陛下のお許しを得ての事だ」
「……どういう事だ」
ヘルクスハイマー伯はリッテンハイム侯の取り巻きの一人だった。その伯を陛下のお許しを得て殺そうとした? 私事ではないな、何が有った?

「当時ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は次の帝位を巡って競い合う関係に有った。ヘルクスハイマー伯は己の勢力伸張のために何とかサビーネを次の女帝にと考えた。そして或る秘密を探り出した」
「秘密?」
リッテンハイム侯が頷いた。

「怒らずに聞いてほしい。ヘルクスハイマー伯はエリザベートの遺伝子を密かに鑑定させたのだ」
「まさか」
馬鹿な、エリザベートは王家の血を引いているのだ。それを許しも無く遺伝子を鑑定させた? 事実なら不敬罪で処罰されるところだ。伯が死ぬことになったのはそれが理由か?

「その結果、エリザベートはX連鎖優性遺伝病を引き起こす因子を保持している事が分かった」
「……それはどういう事だ?」
リッテンハイム侯が辛そうな表情をした。エリザベートの遺伝子に問題があるという事か。

「数学的な確率の問題になるがその因子を持っている女性が妊娠した場合、女児の五十パーセントは発病し男児の五十パーセントは胎内死亡により出生しない。したがって流死産の可能性が多く、生まれてくる子供は女児が男児より二倍は多いという計算になる」
「リッテンハイム侯!」
わしが声を張り上げるとリッテンハイム侯が“最後まで聞いてくれ、頼む”と言った。表情は苦しげだ。

「それを聞いた時、私が最初に思ったのはそれが突然変異なのか遺伝として引き継がれた物なのかという疑問だった。その疑問の持つ意味に気付いた時、私は震えあがったよ。ヘルクスハイマー伯は何も気付いていなかったがな。気付いていれば私に教えぬだろうし伯も死なずに済んだ筈だ」
「……まさか」
声が震えた。リッテンハイム侯が頷いた。
「サビーネの遺伝子を密かに鑑定させた。結果はサビーネもX連鎖優性遺伝病を引き起こす因子を保持していた」
気が付けば呻き声が出ていた。

「母親が姉妹である二人の娘が同じ因子を保持していた。突然変異ではない、母親から引き継がれたものだ。どうすべきか迷った。公に相談すべきかとも思ったが先ずは先々帝陛下に報告しなければと思った。エルウィン・ヨーゼフ殿下の事も有った。保有者は先々帝陛下なのか、皇后陛下なのか……、正直に言おう、死も覚悟した」
「……」

侯だけではない、わしも死ぬ事になったかもしれない。王家に遺伝子の疾患など有ってはならぬ。原因はわしとリッテンハイム侯という事になったはずだ。
「先々帝陛下はご存じであられた。保有者は皇后陛下だった」
「まさか」
リッテンハイム侯が首を横に振った。“事実だ”と吐く。

「ベーネミュンデ侯爵夫人が何度か流産したであろう。あの件で不審に思い密かに調べたらしい。その際我らに子が一人しかおらぬ事で念のために調べたそうだ。先々帝陛下にもベーネミュンデ侯爵夫人にも問題はなかった。流産には別な原因が有ったようだ、教えては貰えなかったがな。だが皮肉な事に我らの妻と娘には異常が検出された。皇后陛下が保有者であったとしか思えぬとの事であった」
疲れた様な表情、疲れた様な声だ。

「どうも分からぬ。皇后陛下は王家に迎え入れられる時点で検査を受けた筈だ。遺伝子に問題が有れば事前に分かったはずだが……」
わしの問いにリッテンハイム侯が首を振った
「先々帝陛下は本来皇帝に就かれる方ではなかった。そのため検査はおざなりなものであったらしい」
溜息が出た。起こり得ぬ事が起きた、そういう事か。

「陛下がグリューネワルト伯爵夫人に子を産ませなかったのはそれが理由ではないかと考えている」
「……」
「伯爵夫人との間にできた子は健常者として生まれてくる。そうなれば後継者はグリューネワルト伯爵夫人の子とせねばならん。だがそれは新たな混乱を生み出すはずだ。それを恐れたのだと思う」
また溜息が出た。

「わしが知らされなかった理由は?」
「陛下が公には知らせるに及ばぬと。娘の遺伝子に異常が有るなどと父親は知りたくないものだと仰せられた。同感だ、私も知りたくはなかった」
「そうだな、その通りだ……」
知りたくはなかった。そして誰にも知られたくはない。だからヘルクスハイマー伯は死んだ。死なねばならなかった。

「済まぬな、侯。侯にばかり嫌な仕事を押し付けてしまったようだ」
「気にすることは無い、公が同じ立場になれば同じ事をしたであろう。それだけの事だ」
「……」
スクリーンが灰色に鈍く光っている。その姿さえ疎ましく思えた。

「ヴァレンシュタインはこの件を知っているようだ。ヘルクスハイマー伯の一族は皆死んだと思っていたが……」
「生き残りが居たのだろう。そこから漏れたのだと思う」
リッテンハイム侯は憂鬱そうな表情をしていた。おそらくはわしもだろう。守ってきた秘密が一番知られたくない相手に知られた。

「已むを得ぬな。侯、劣悪遺伝子排除法を廃法にしよう」
「そうだな、そうするか」
「幸い反対するであろう貴族達は没落した。政治的な問題は無いはずだ」
政治的な問題は無い、だがリッテンハイム侯の顔色は優れなかった。多分夫人とサビーネにどう話すか、或いは無言を貫くかを考えているのだろう。わしも同じだ、頭が痛い。

門閥貴族が滅び劣悪遺伝子排除法が廃法になる。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム体制の終焉だな。ついにその時が来た……。五百年も続いたとみるべきか五百年しか続かなかったとみるべきか。人の一生を思えば長いのだろうが国家の盛衰を思えば大した事では無かろう。五百年以上続いた国家はざらに有る。その幕引きを女帝夫君であるわしが行うことになろうとは一年前には考えもしなかった事だな……。





 
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