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赤城と烈風

作者:fw187
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★改訂前
  1904年の情況(仮)

 此処(ここ)の第一段作戦は海上補給線(シーレーン)を重視、日露戦争の影響も濃い。
 連合艦隊の異変は明治27年、西暦1894年に遡る。
 チリ海軍の英国製防護巡洋艦(エルジック・クルーザー)、『エスメラルダ』購入提案者は現れなかった。
 『吉野』の準姉妹艦が『鞍馬』、日本製防護巡洋艦が『和泉』の名を冠している。
 1900年頃『松島』『厳島』『橋立』は砲身を横に向けると傾く重火器、38口径320ミリ単装砲1基を取り外した。
 数時間に及ぶ実戦の際、3隻合計5度しか撃てなかった程に故障し易い為だ。

 1903年12月3日『コンスティトゥシオン』、『リベルタード』英国購入直後にも異変が続く。
 アルゼンチン発注の装甲巡洋艦2隻イタリア買収後、日露両国外務省に戦艦2隻を転売の通報が届いた。
 売値190万ポンド緊急出費は痛かったが、帝政ロシア海軍の増強は見過ごせない。
 1904年1月『エマヌエーレ・フィリベルト』級2隻の購入、極東回航が実施された。
 フランス政府も隣国に倣い『シャルルマーニュ』、『イエナ』を高値で売った。

 2月8日、旅順港奇襲と夜間雷撃の実施は潰滅的戦果を挙げていない。
 不意を衝いた筈が戦艦2隻、防護巡洋艦1隻の着底に過ぎなかった。
 浅瀬に擱座の損傷艦3隻は特殊船渠を組み、浮揚の後6月上旬に修理も終え復帰している。
 11日夜の第二次夜間雷撃、24日貨物船5隻の港口閉塞作戦も期待に背き東郷提督は再挙を禁じた。
 4月11日『伊吹』『生駒』艦隊編入、3万m超の遠距離砲撃も顕著な戦果は無い。
 12日夜『咬竜丸』は機雷48個を敷設、翌日マカロフ提督は最寄りの戦艦に飛び乗った。
 反転し帰航中『ポベータ』が擱座の際、致命傷は負っていない。
 マカロフ提督は機雷2個が爆発時の衝撃で意識を喪い、総督の命令で帝都に強制送還されてしまう。
 麻酔薬の投与後シベリア鉄道で護送、列車に監禁を阻む者は無かった。 
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