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Meet again my…

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Ⅱ ライトグリーン・メモリアル (2)




「で。あたし、何すればいいの?」

 朝食が終わって食器を片づけながら麻衣が尋ねてきた。関係ない話になるが、どうして食器を洗う時の、食器の音や水の音はいやに耳に入ってくるんだろう。家庭の象徴ともいうべき音。僕はとっくに失ったものだけど。

「好きにしていい」

 麻衣の行動を制限する権利は僕にはないが、連れ歩くのも得策じゃない。だからこの部屋にいる限りは麻衣のいいように行動してくれればいい。

「僕は出かける所がある」
「はいはい。行ってらっしゃい」

 険のある言い方だ。心なし、食器がぶつかる音も荒くなった気がするし。外出を制限したから怒ったのか?

「要る物があるならついでに買ってくる」

 代わりに着替えや生活用品を買ってきてあげようという程度のことだったのだが、麻衣はくわっと目を見開いた。今の発言のどこにそんなこわい顔になる余地が?

「い、いいよ! それくらいなら一緒に行く。用事にも付き合う」
「危険かもしれないぞ」
「ナル、婦人服コーナーならともかく、一人で下着売り場行けるの?」

 ぐうの音も出なかった。




 牧歌的ながら切実な事情に負け、僕は麻衣を連れて外出することになった。……麻衣が関わると状況がどんなに切迫していてもつい悪い選択肢をとってしまうなあ。

 麻衣は冷蔵庫の中を見て早々に食糧を買い足すべきだと主張した。

「昨日の分だけ食べて今日、本格的に買出しに行こうと思ってたのが見え見え。どの世界でもやっぱりナルって生活力低いんだから」

 じゃあすぐにデパートにでも行くかと聞けば、デパートは高いからスーパーマーケットがいいと反対され、さらに生ものを先に買ったら傷むかもしれないから僕の用事の後で買出しをする、という流れになった。

 麻衣の生活力の高さが垣間見えた。父母を亡くして独り暮らしだったというから自然なのだろうが、それがかえってかなしいと感じるのは、麻衣に対する侮辱なんだろう。


 僕は麻衣を伴って目的地であるスポーツセンターに到着した。

「用があるのはここの弓道場」
「じゃあ、ずっと担いでたそれは」
「弓一式」

 弓道場に向かう道すがらの、ささやかな会話。しかし麻衣にとっては特別なものらしかった。彼女の知るナル相手では雑談さえできないのか。

「ナルに弓道のたしなみがあるとは思わなかった。イギリスでも弓道ってできるもんなの?」
「弓道はできない。欧米で弓術をやろうと思うならアーチェリーになる。アーチェリーも弓道の射法八節を参考にアクションを8段階に分けているが、得物や動作は全く別物」
「できないのにあえて日本の弓道ねえ」

 麻衣はそれ以上追及してこなかった。「ナル」に対しては尋ねるだけ無駄、答えるわけがない、と彼女の空気は如実に語っている。まったく、彼女の「ナル」はどれだけコミュニケーション不全者なんだか。

 奥に神棚と日章旗が据えられた射場から、芝を敷いた矢道、そして的場を臨む。担いでいたケースから自前の弓を取り出す。矢は施設のものを使用する。

「射場には近づかないように」
「しゃば?」
「このライン。射る人間が立つ場所」
「はーい」

 麻衣は殊勝に返事し、座る場所を探して辺りを見回す。上座を示してやると小走りに行って、律儀にも正座した。……持って30分と見た。

 僕は弓を持って射場に立った。

 矢を番える。思い描く。

 イメージは一人の女。袴。御幣(ごへい)。異形の蛇。貼りついた笑み。狂喜。
 女の、のどを、射抜くイメージから。

 Release((離れ))。矢を放つ動作。

 ……こんな夢想をする時点で「弓道」を語る資格はないんだがな。
 弓と他の武道の違いは相手がいない点だ。
 敵は己自身。的は自分を映す鏡。僕の師はそう語った。
 「中てる」気で矢を放ってはいけない。矢は「中たる」ものであり、正しく弓を引くことこそが弓道の本義。――つまり、唯一の標的を想定して鍛練している以上、僕の弓はどうしても邪道の域を出ない。
 あえて正道を外れたのだ。
 あの女を、あの怪物を、射抜くために。




【麻衣side】


 結論から正直に言おう。
 すさまじくかっこよかった。
 買い物を終えてマンションへの帰路についたあたしは、ナルの背中を見ながら彼の射(弓を実際に射ること)を思い出していた。

 外見がイイからじゃない。射た矢は実に70本、その全てが的の真ん中に中ったからでもない。
 美しかったんだ、弓を引く彼が。
 人生18年、まさかこの形容詞を本気で使う日が来ようとは思わなかったよ。付き合ってるほうのナルにさえ使ったことないよ。
 姿勢、動き、しぐさ、どれをとっても完璧で(といってもあたしは弓道素人だからそう感じただけ)。横顔は張りつめていたけど穏やかでもあって、まるで彼の立つ場が別世界のように――崇高。
 惚れ直したじゃないかちくしょー。

「何見てるんだ」

 はぅあ! 何で後ろから見てたのに気づくかなー。背中に目でもついてんじゃないか?

「ナ、ナルはさ、何で弓道なんてやろうと思ったの? やっぱ太極拳みたいに必要に迫られて」

 ナルは押し黙る。いーんだ。答えてくれなくたって。慣れてるもん。ケナゲな麻衣ちゃんは恋人が冷血漢でもめげませんっ。

「――麻衣。存在しないものを殺すためにはどうすればいいと思う?」
「はい?」
「幽霊。妖怪。精霊。神仏。魔物。悪魔。実体を持たないとされる幻想上の存在。これらに対して殺害の手段として思いつくものは?」
「……ない。霊相手だって、普段から相手してるけど、『殺してる』って感じじゃないし」

 神様や仏様なんて論外だよ。どー殺せと。悪魔……はなんとなくイメージできる。杭を打つとか。
 妖怪はけっこうできそうだ。退治のむかし話がよくある気がする。

「弓はその手段の一つだ。僕がこれから相手取ろうとしている存在は弓矢で射て滅ぼしたという伝承がきっちり残っている。そうでなければこんな、間合いを詰められたらジ・エンドの武装を選ぶものか」

 ??? なに? ナルはこれから何をする気なの?

「十年くらい前、になるな。僕が孤児だってことは知ってるんだろう? それは僕の実の両親が殺されたせいだ」

 ナルとジーンがデイヴィス夫妻の養子。あの夏、リンさんに聞いて知っていた。でもそんな事情があってだとは、ナルは話さなかった。リンさんも、ご両親のマーティンさんとルエラさんも。
 話すわけがない。あたしが同じ立場だったらおいそれと話せはしない。

「ごめん……」
「謝らなくていい」

 こういう時に謝っちゃうのって、こういう気持ちなんだ。
 親が早くに死んだことを話すと、ほとんどの人があたしに謝った。別に謝られるようなことじゃないと常々思ってきたけれど、今日、どうしてみんなが謝りたくなるか分かった気がする。

「僕が超心理学の世界に足を踏み入れたのは、実の親を殺した女を葬る手段を探るためだった」

 あたしは知らない。
 ナルとジーンの実の親がどんな人たちだったか、何があって死んだか。ナルは何で超心理学を研究しようとしたのか。
 きっとみんなも知らない。詳しく知っている人なんてリンさんや森さんくらいかもしれない。

 ――もしこの世界が「谷山麻衣がいなかったことしか違いがない世界」だとしたら、あたしが元いた世界でもナルは同じ事情を抱えて超心理学の世界に飛び込んだことになるよね。それにしては色々と平仄が合わないことがあるんだけど……

「僕個人のサイ能力だけじゃ足りなくて、こんなものにまで手を出した」

 ナルは握っていた弓に視線を落とした。
 確かに今やナルのPKは全く使えないに等しい。ジーンがいない状態でPKを使おうものならナルのほうがその女より先に死にかねない。そのジーンとのコンタクトもごく限られた状況でないと使えない。だから弓。

「ん? じゃあさ、弓が破魔の道具なら、昨日もそれ持ってたら土蜘蛛撃退できたんじゃない?」
「………………」

 ――あたし最近、ナルはここ一番で凡ミスする人じゃないかと思うようになってきてる。初っ端の旧校舎とか、阿川家とか、思い出すと色々思い当たるんだよね。詰めが甘いと言おうか。
 ナル、ミスったね。弓を持ち歩くって考えが頭になかったんでしょ?

「僕の10年間があの一瞬で無駄になったな」

 ナルは嘆息に乗せて呟いた。

「じゅ、10年!? 10年も修行してたの!? そんな長い間やってたんなら、1回失敗したくらいで落ち込むことな」
「どれだけの年数を重ねようと、結果が伴わなければ意味はない。家族を殺されてからの時間を有効に活かせなかったなら、それは徒労だ」
「そう言わないでよっ。今日までがんばってきたんでしょ? その努力は絶対無駄になんかならないよ」

 ナルはそれ以上は言わなかった。よかった。あたしなんかの言葉で効いたんだ。

 ――気になる。ナルの精神をこうも追いつめている犯人は、どんな奴なんだ?

「……。ね、その人を、その、殺したの、どこのどいつ?」

 事故の隠蔽の結果としての殺人じゃない、悪意をもってナルの大事な家族を殺した人間がいる。妙にざわつく気分。

「安部日高。いざなぎ流陰陽道の太夫。式の使役に長けた女で、実体のある妖怪を従える実力者だ」

 誰とも知らない名前だ。心当たりはない。

「僕の父方の曾祖母が日本人で、日高と同じ太夫だった。日高は曾祖父の血筋の根絶を望んでいる」
「ひいおじいさんはその日高って奴に何したの? 関係ないナルの家族を殺すくらい酷いこと?」
「曾祖父自身は日高とまったく関わっていない。最大の原因は、曾祖母と愛し合ったこと」
「ひいおばあさん?」
「日高は同性愛者だったんだ。曾祖母に横恋慕した末に曾祖母と結婚した曾祖父を憎んで、曾祖父の血を継ぐ男児がこの世に生きることを許さなかった。理解できる心情だ」

 理解、できるって? 今でさえ他人の好意なんて迷惑なもの、理解の外にあるものと切り捨てるナルが、愛憎を理解? ……軽く吐き気がするよ。

「最初は曾祖父」

 ナルの歩みが遅くなる。

「次に祖父」

 ナルの歩みがさらに遅くなる。

「父」

 ナルの歩みがすごく遅くなる。

「母」

 ナルの歩みが止まる。

「最後は……」
「もういいよっ。無理して話そうとしなくていいっ」

 自分で聞いといて情けない話だけど、これ以上は無理だ。なのにナルは、やめない。

「日高は最後に残った僕を殺すつもりでいる。今日まで生き延びられたのは運が良かったからに過ぎない」

 もうナルが辛いだろうからやめてほしいのか、あたしが怖いからやめてほしいのか判然としない。

「あの女は僕をまだ狙っている。昨日のことは僕が日本に戻って来たことを察しての小手試しだろう。土蜘蛛用の祭具は水晶独鈷ともどもまだ届かない。行動を見透かされているな」

 澄んだ黒い目はあたしに向いたまま、あたしを見てはいなかった。こっちのナルが時々見せる尊大な目つきに似てるけど、これはちがう。見下すのにも似た、そう……憎悪。

 あのナルが、他人を、憎んでいる。

「僕が生きるために誰かを殺すことが必要なら、僕は僕のために迷わない。あの女が存在して今も息をしているだけで冗談抜きに心臓が止まりそうなくらいおぞましい。だから、僕は今日まであの女を、」

 あたしは肝心なとこで耳を塞いだ。手で塞いだんじゃなくて脳で聞くなと命じて声の受け取りを拒否した。
 ジーンを死なせた犯人にだって何も言わないナルが、ここじゃコロスなんて、言ってる、そんな、現実は。

「ダメだよ――」
「何が」
「人殺しなんて絶対ダメ! 仇討ちでも何でもナルが同じことしたら、ナルだってそいつと変わんないよ。そんなメチャクチャな理由でナルの家族を殺すような殺人鬼のためにナルが手を汚すなんて間違ってる! やめてよ、ダメだよ!」
「麻衣は僕が黙って日高に殺されるのを待てと?」
「違う!! そうじゃない、そうじゃ……そうだ、警察。殺人犯なんだったら警察に」
「安部日高は戸籍上は死んでいる。東京地検の心霊事件捜査班でも死人を法廷に送れはしないし、警察は死人から守ってはくれない」
「そんな……」
「自分が手を汚さなければ自分を守れないケースもあるんだ、麻衣」
「どうしても、そこまでしなきゃいけないの?」
「ああ。どうしても、だ」

 ナルの目には迷いなんて一つもなかった。たった一点を目指して天を目指す氷山を思わせる瞳。

 あたしなんかじゃナルの決意を覆せない。分かって、それでもナルにそんな血まみれの道を進ませたくなかった。けれど、あたしじゃ止められない。堂々巡りだ。
 結局マンションに帰りつくまでに、あたしは一言もナルに言い返せなかった。
 
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