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俺達のこれから

作者:いも虫
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始まり 3



「何避けてんだよっ・・・。あぁっ!!?」

 後方へとよろめいた彼を追う様に振り返ると、鬼のような形相をした彼がこちらを向いて憤慨(ふんがい)する。彼が発した荒れ狂う恫喝に、肩をびくっと竦めたのは俺だけではなかった。冷や汗を垂らしながら周りを見渡せば、家族御一行の小さなお子様はお母さんの背に隠れて怯えながらも眼を輝かせ。ここで共に働く俺の苦手な同僚達は、指を向けながらこちらを嘲笑するも、彼の「あぁっ!!?」というあ行二つの恫喝に腰を抜かしていた。そして、この果てしなく関わりたくない状況での唯一の俺の味方である岩本さんは、店の裏でドリンク補充の作業中。フロアにこの店の責任者である店長が不在なまま、店内を静まり返らせ、凍りつかせ、ざわめかせ、一気に恐怖のどん底に陥れた張本人とその原因が対峙し、仕舞には拳が交差するまでに至る。暴行事件の一歩手前まで事態は悪化しているというのに、何で店長は裏から出てきてくれないんだ。俺は裏切られた気持ちに若干(じゃっかん)なりながらも、向かってくる彼の視線から目を泳がせるのに精一杯だった。

「何とか言えやこらあぁぁぁーーーっっ!!?」

 フロア全体に反響する憤怒の声。迫力あるそれに子供の好奇心なんぞ軽く吹き飛ばし、流石に泣きだした。

「だって・・・」

 彼に聞こえない程度の声量で、俺は俯き愚痴る。殴られる準備はしていたけれど、激情を露わにしながら拳を振り上げ進撃する彼を前にして、段々と畏怖した。とは、言える訳がない。そして今更だが、俺を殴れ等と気概を持って考えていた自分が恥ずかしい。何故、殴られる寸前まで自分がそこまで気骨のある人間じゃないと気付かなかったのか、俺はそれが不思議で堪らない。

「おいっ!!」

 熱(いき)り立ちながら彼が俺の眼前へと詰め寄り、再度、胸倉を乱暴に掴む。
 もう駄目だ、殴られる。俺は強くそう思い、目を食いしばった。

「シカト決め込んでんじゃねぇよ!! くそがぁっ!!」

 目を閉じていても分かる暴力の威圧感。それに打ちひしがれそうになった時。

「お待ちください!! お客様!!」

 野太く響きのある低い声が、彼の暴力を遮る。俺は聞き慣れたその声の主に気が付き、縋る様な目配せを声の方へ向けた。

「店長・・・」

 喉の奥から絞り出すように俺は歓喜の声をあげる。作業を放り出し、慌てふためきながらも来てくれた岩本さんの姿は、まるで、窮地に手を差し伸べてくれる救世主に今は見える。誰も助けてくれないと思っていただけに、この事態を収拾できる者の登場は、現時点では俺の味方と意識していいだろう。絶体絶命のこの瞬間に後ろ盾、つまり保険が掛けられるという事は、弱弱しく衰弱しきっていた灰色の俺の心に橙色が少しずつ上塗りされていくように、明るくなっていく。

「よかった」

 これで殴られずに済むと安堵した俺は、胸倉を掴む彼に両手を放してもらおうと口を動かそうとしたが。

「すぎもとぉぉぉぉおおーっっっ!!!」

 俺の左耳から右耳へと突き抜ける程に溌剌とした人名が、衝撃と共にやってきた。

「おふっ・・・!!?」

 岩本さんに名前を呼ばれたと気付き、首を声の方向に向けようと動かす前に、左わき腹側面に体重の掛かった強い衝撃が俺を襲った。その衝撃は、力強く胸倉を掴む彼の両手を強制的に放させる程に勢いがよく、俺の体を三メートルは優に吹き飛ばすくらいの威力はあった。俺の体が光沢を出す冷たい床に覆い被さり、衝撃が痛みに変わるまでの僅かな間、俺は岩本さんに一体何をされたのか理解しようと必死だった。瞬きするよりも早く、衝撃が走った腹部を一瞥すると、黒光りしたローファーの靴裏が俺の左わきにめり込んでいた。一瞬という短い時間の中、目視で確認できたのはどうやらこの衝撃の原因は岩本さんの前蹴りであった、ということだけだった。何故、突然、俺は岩本さんに容赦なく蹴られたのか。その理由も分からぬまま、無様にも俺の体はコンビニの床に伏せることとなった。

「ごほっ!! うおぇ・・・」

 体を床に伏せてから、間もなくして襲ってくる独特で凄まじい鈍痛。圧迫されるような、締め付けられるような痛みに体はくの字に折り曲り、息は絶え絶えになる。人体の急所である鳩尾(みぞおち)と同様に、神経が集中しているだけに痛覚も鋭敏だ。

「ごほっ!! こぼっ!!」

 地獄のような呼吸困難の苦しみに、俺の意識は段々と遠くなっていく。

「申し訳ありませんでした!! うちの馬鹿が本当に!!」

 丸い体を更に丸くして、激怒する吐瀉物にまみれ彼に対し、人目を憚らず必死に謝罪する店長の岩本さんの姿が俺の目に映る。

「あぁ、だからか・・・」

 俺は慚愧(ざんき)しながら理解した。誰も人の尻拭いなんかしたくない筈だ。どんな状況下にも関わらず、責任を任せられるなんて真っ平御免だ。逆の立場なら怒って当然。俺は、岩本さんの心中を理解した後にゆっくりと瞼を閉じ、この状況を全て岩本さんに任せたのだった。
 
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