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乱世の確率事象改変

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心知れば迷いて

 詠ちゃんが城を開けていたからと侍女仕事を変わってくれて、いつものようにお茶を出して一緒に飲みながら秋斗さんの休息の時間に付き合っていた時の事。
 河北大乱は袁紹軍が勝利。公孫賛さんと趙雲さん以下約五千名の生存。桃香さんによる受け入れ承諾。最後に言い難そうに告げられた関靖さんの死亡。
 そんな報告と桃香さんからの指示を聞いて、感情の読み取りにくい声で兵に下がるよう促し、秋斗さんは静かに俯いていた。
 彼を見て、私の胸は酷く締め付けられる。自身の経験した事のある痛みを、今まさに彼が味わっているのだと予想して。如何に予測していたとはいえ、友を失うというのは心が痛むはずだろうと考えて。
 私は大切な人を失ったと聞いた時、ただ泣く事しか出来なかった。心に圧しかかる罪悪感だけが胸を支配し、自分が巻き込んでしまったという思いで一晩中泣き続けた。私は詠ちゃんが傍に居てくれたからどうにか耐えられた。
 ゆっくりと顔を上げた彼は、大丈夫かどうか心配で様子を伺っていた私にちらりと目を向ける。

「……心配してくれてありがとう。俺は大丈夫だよ。こうなる事は予測済みだったし、白蓮と星が生き残れただけでも上出来だろうよ」

 普段通りの声でなんでもない事のように話す秋斗さんだったが、誤魔化すのが上手な人だから本心では無いのだろうと考えてじっと見つめ続けていると……苦いため息を落としてから降参といったように手を上げた。

「雛里といい、詠といい、月といい……なんでこうも俺の周りの女の子は強いのかねぇ。正直に話すけど、実感が湧かないんだよ。白蓮達が負けた事も、牡丹が死んだ事もな」

 言われて私は一つの事に気付いた。
 この人は私と違ってずっと戦場の中心で生き死にを見てきた。だから目の前で人が死なないと受け止められないのかもしれない。特に今の秋斗さんは孫権軍との戦を終えたばかりであり、徐晃隊の決死の突撃を間近で見送ってきたはず。彼にとって己が身体とも言える徐晃隊と心から信頼を置いていると言っていた関靖さんはどちらも比べるまでも無く大切……だからこそ、直接それを見なければ受け止める事が出来なくなっているのではないだろうか。
 物理的な距離という問題はどうしようもない。彼はじわりじわりと時間が経つ毎にその事実を理解させられていく事になるか、もしくは本城への帰還の後の公孫賛さんとの会話でそれを思い知る事になってしまう。
 そこまで思い至って私は心が沈んだ。自分の時とは違いどうしようもない事なのだと、無力さを痛感して。
 詠ちゃんはその明晰な頭脳で秋斗さんをしっかりと支えてる。でも私には……何も出来る事はないんだ。死ぬことを望んでいたのに、また楽しいと思える時間を過ごせるようにしてくれたこの人に、私は何も返せない。
 沈んで行く気分のままに顔を下げると、私の頭が優しく撫でられた。

「そんな顔するな。月が心配してくれた、それだけで俺の心は暖かくなったから」

 彼の声はいつかのように優しく私の耳に届く。ただ、その瞳には少しだけ後悔と自責の色が見えた。
 どうして私に後悔の感情を向けるのか……考えるとすぐに予想出来た。この人は――

「秋斗さん。華雄さんの事は私の責なんですから、今更持ち出してはダメですよ? これは王を辞めたとしても私がずっと背負っていくモノです。だからどうか……自分を責めないで」

 ピクリと眉を少し跳ねさせたので図星だったのだろう。本当にどうしようもなく責任感が強い人だから、私がこう言っても自分の事を責めてしまうのは分かってる。私が少しだけでも背負ってあげられていたらいいけれど……。

「……なぁ、月。お前さんは強いな」

 どういう事だろう。私なんかよりも秋斗さんの方が凄いのに。自分で決めて自分で行動している彼と、流されて決めてきた私では比べ物にならないのに。
 急に返された言葉の意図が分からず首を捻ると彼は少し苦笑して、

「俺はさ、憎しみに染まらずに許せる人ってのは誰よりも強い人だと思うんだ。憎しみの連鎖を断ち切れる存在は希少だ。受け入れて許すなんて並大抵じゃ出来やしない。お前は俺に刃を向ける権利があるのにな」

 真っ直ぐに気持ちを伝えられて、私の頬が少し熱くなった。
 

「……わ、私は憎むのが嫌なだけです。だって、人を憎んでも何もいい事なんかありません」

 憎しみというモノは恐ろしい。ひと時の感情に流されてしまえばそれがずっと広がって続いていく。何時までも何時までも、ずっとずっと世界は変わらない。
 許す事が全ていいわけでも、憎むことが全て悪いわけでも無いけれど、そんな悲しい世界であるのなら、一つだけでも止めてしまえばいい……なんて考えてしまうだけ。何よりも、どうして非力な私のせいなのに誰かを責める事が出来るのか。


「クク、やっぱり月は凄いよ。そうだな、憎しみは復讐心となれば生きる力にもなるけど、遣り切ってしまうと違う憎しみしか生み出さないか。結局は堂々巡りだもんなぁ。無理やり止めるには気持ちを無視して秩序で縛っちまうしかない。それらを抑え込もうと発散しようと、誰かが損をするのは変わりないが……」

 理不尽を受けた人の内側には誰かを憎む心があるのは彼もしっかりと理解している。秋斗さんが持つ憎しみに対する考え方は私とほとんど同じなのかもしれない。だって……一人で抱え込んで自分を責めるこの人は、無力な自分自身しか憎んでない。
 秋斗さんと話していると不思議と安心感があるのはそういう事か。雛里ちゃんが私と秋斗さんはどこか似てるって言ってたし。ただ少しだけ違うのは、彼は憎しみを受ける事を承知の上で全てを踏み潰していくという点。私は受け止める事しか出来なかった。
 彼は……自分を憎んででも皆に生きて欲しいけど殺されてはやらない、なんて事を言う人だ。
 私は……それで多くの人が救われるなら死んでもいいと、前までは思っていた。今は違う。この人を支えながら生き抜いて一人でも多くの人を救う手伝いをしたい。そして平穏な世界が見てみたい。
 彼は私と似てるけど少し違う人。彼に関わると皆変わっていく。この人が……桃香さんでは無く私と先に会っていたら、なんて考えてしまうのは愚かしい自分の欲だ。
 思考を打ち切り、虚空を見つめる秋斗さんを見ると、上手く私への罪悪感を取り払ってくれたようで穏やかな表情をしていた。それを見てほっと一安心してしまうのは私がこの人を少しでも楽にさせてあげられた事が嬉しいから。
 そこで一つ、おかしな考えが頭を過ぎる。
 私はこの人に自分を重ね過ぎているんじゃないだろうか。この人を楽にさせてあげたいと思うのは、私が楽になりたいからじゃないのだろうか。支えてあげたいと思うのは、先の平穏な世界が見たいからだけなのだろうか。
 そうなのかもしれないし、そうでは無いのかもしれない。自分の心なのに考えても分からないのは何故だろう。

「そういえば……憎しみと同じように、人の世なんざ誰かが壊して誰かが作る繰り返しの堂々巡りでしかないなぁ」

 また思考に潜っている中、遠い目をして紡がれた言葉に私は呆気に取られる。
 奇抜な発想をする人だとは思っていたけど、さすがに平穏な世界を作る事を目指している人の言う事では無い気がして。

「く、繰り返しでしかないのなら……秋斗さんは、一体どんな世界を作ろうと……」
「ん? ああ、無駄な事をしてるって取り違えたか。『今までは』ってのを付け足そう。大陸の歴史でもそうだったろ? だからこれから誰にも壊されない世を一から作り上げるのさ。天下統一なんてのはその為の足がかりで、ほんの通過点に過ぎないんだよ」

 再度、私は呆気に取られてしまった。
 この人はどこまでもどこまでも先の事を見ている。一度壊して一から作り上げる、そこにはどれだけの時間と労力が必要なのか。一つの街でも大変なのにそれを大陸全体に齎そうなんて……人生の全てを賭けても足りない。彼にとってこの乱世は壊されない平穏の為のただの手段でしか無い。
 私が洛陽に行かないでこの時まで立っていたら……先の平穏の為にと同じ選択をしていただろうか。

「まあ、生きている間に出来る事も多寡が知れてるが……朱里や雛里、詠みたいな天才達が乱世に使ってた頭を全て治世に向けたら、作れる気がしてこないか?」

 ニッと楽しそうに私に笑顔を向ける。
 戦の最中でも次々と仕事をこなして行く彼女達を思うと、私もどこか出来るような気がしてきた。微笑み返してコクリと小さく頷くと彼は目を切って言葉を続けた。

「乱世を越えて行くんだし、俺達は沢山の哀しみを経験して沢山の憎しみを受けるよな。でも俺達の作った平穏な世界、その先を生きる子供達が戦争なんていう理不尽な目に合わずに笑って暮らせるなら、その子達が血で濡れないで済むのなら、汚れちまっても責められても憎まれても遣り切るまでは死んでやらんし結果で示そうか」

 強く言ってはいるが、まるで自分に言い聞かせているようにも聞こえた。もしかしたらこの人は……怖いのかもしれない。
 友の死を現実として受け止める事が。自分が切り捨てた結果を確認する事が。それでも前に進もうとする彼は、やっぱり私と違って強い人だ。

「秋斗さん。私はお話を聞く事しか出来ませんが、お友達の事でお辛くなったらいつでも言ってくださいね」

 今度は彼が呆気に取られていた。どうやら私の予想は当たりだったようだ。

「はぁ……月にも敵わないなぁ。ありがとな、月。耐えられそうに無いその時は……ちょっと話に付き合ってくれ。じゃあ雛里が帰って来たら一日二日で出れるように準備し始めるよ。あ、お茶美味かったぞ」

 笑顔を向けてからぐっと立ち上がった彼は大きく伸びをして部屋を出て行く。
 小さく手を振って見送る私は、彼が頼ってくれるかもしれないという事で心が満たされていた。



 †



 孫権軍が敗北したというのに袁術軍に目立った動きは無く、しばらくは大丈夫だろうと判断して私と鈴々ちゃんは秋斗さん達の待つ城に戻ってきていた。
 そこで為された報告に私達は目を見開く。

「関靖、死んじゃったのか……」

 哀しみに暮れる鈴々ちゃんの顔は昏く、涙が滲んでいた。彼女は私よりも少しだけ関靖さんと関わりがあったから仕方ないだろう。
 私にとっては顔を合わせた程度の人。でも……幽州で彼と楽しそうに過ごしていた人。彼にとっての大切な友達。
 きっとこの心の痛みは彼が心配だから。人の生き死にに鈍くなっている自分を実感してしまう。こうやって私達は乱世を越えて行くのかと考えると心が凍りついてしまいそう。私達は乱世が終わったら……人でいられるんだろうか。
 頭を振って落ちて行く思考を追い遣り、鈴々ちゃんと別れてから、月ちゃんに話を聞いた。彼は事実を受け止めきれていないとの事。そういえば、自分がした行いをしっかりと噛みしめて消化する人だったと遅れて思い出した。

――それなら報告については何も聞かないほうがいい。掘り下げてしまうよりも、直面した時に支えないと。

 お風呂に入って身なりを整えてから、やっと辿り着いた彼の部屋の前で深呼吸を一つ。
 戦が始まってからは四人で一緒に寝る事も無く、今日は久しぶりに寝ようと先程三人で決めておいた。最近では詠さんも月ちゃんも四人で寝る事が楽しみになっているとのこと。
 私は詠さんと月ちゃんより先に彼の部屋に入って、二人きりで色んな話をしたくてここに来た。
 彼の大切な友達が亡くなったというのに高まる胸は不謹慎でしかない。なのに……私はもう関靖さんがこの世界から居なくなってしまった事に心を傾けられない。脈打つ心臓は彼に会える嬉しさで喚いていた。
 自分の疚しさに気付いてしまうとどうしていいか、彼にどんな顔をして会えばいいのか全く分からなくなった。自己嫌悪で身体が震え始めた頃、

「雛里……?」
「あわっ!?」

 廊下からの落ち着いた声に飛び上がる。部屋の中にいると思っていたけど、どこかに出かけていたようで振り向くと彼が居た。
 私が驚いた様子に笑いを噛みしめて耐えている。恥ずかしさで顔が熱くなり、いつものように帽子を降ろした。

「おかえり。袁術軍に対しての報告は帰ってきた徐晃隊から聞いてるんだが……まあいいや、とりあえず部屋に入るか」

 ゆっくりと私の隣まで来た秋斗さんは扉を開けて入っていく。私も倣って部屋の中に続いた。
 何を話していいか分からず無言のまま、外套を脱いで畳みながら寝台に腰を下ろす彼を椅子に座ったままで帽子の影から見続ける。その間もずっと私の胸は高く跳ねたままだった。
 目が合うと……心臓はさらに跳ね上がった。十日以上会ってないからか、私は目を合わせる事も恥ずかしくなってしまったようだ。慌てて帽子で視線を隠す。

「来てくれたのは白蓮達の事だろう? 月にも言ったけど、まだ実感が持てないみたいでな。今の所は大丈夫だ」

 声音を聞くかぎりは問題ないようだった。ほっと胸に安堵が浮かぶ。ゆっくりと帽子を上げて彼を見やると、優しい瞳が迎えてくれた。
 変わりなく大好きな秋斗さんのまま。狂気も、絶望も、哀しみも無い。だけど……優しい雰囲気なのに一寸だけ感じが違う。
 違和感の原因は分からないけれど、心がくすぐったくなるような感じで、胸がじんわりと暖かくなる。悪いモノでは無いのなら気にする事では無いだろう。

「お辛くなったらなんでも言ってください」

 関靖さんと関わりが無かった私には何も共有する事が出来ない。それでも、一人で暗い夜を過ごすよりも何か話す事で気が紛れるならそうして欲しい。

「ありがとな。その時の俺なんか想像も出来ないが……またバカしそうになったらよろしく頼む」

 自分自身に呆れているように苦笑した彼は少し目を伏せた。穏やかな沈黙が部屋を包んで、彼は寝台の横の机に置いてあった書簡に軽く目を通し始める。
 私は今も彼の支えになれているんだろうか。
 きゅうと胸が締め付けられて、抱きつきたい衝動が湧いてしまった。自然と、椅子から立ち上がった脚は彼の方へと向いていた。

「ん? どうした、雛里?」

 問いかけられても答えず、不思議そうに私を見ていた彼の膝にポスッと腰を下ろして、強く抱きしめた。
 温もりは変わらない。心臓の音が聞こえるここは私が一番好きな場所。戦で冷えてしまったであろう彼の心を私の体温で少しでも暖められたらいいのに。
 そのまま、彼は何も言わずに私の帽子を寝台に置いて、頭を撫でてくれた。いつものように、優しい手つきで。
 この人はまた多くの命を背負ったんだろう。身体の一部を切り捨てて、その想いを背中に乗せたんだろう。
 私は知っている。副長さんから聞いている。
 毎回、戦が終わると徐晃隊の名簿を見て、死んでいった人たちの事を思い出しているという事。そのまま、きついお酒を天に翳して、想いを連れて行けるようにと副長さんと二人、もしくは徐晃隊の部隊長さん達とで飲み干している事。死んだ徐晃隊員の名前を全部覚えている事。
 彼が想いを向ける先は大きすぎて、多すぎて……それが彼を苦しめて、自分の幸せを考えさせないようにしてるんだろう。人を死なせる事しか出来ない自分が憎くて仕方なくて、自身が幸せになっていいなんて考えようともしないんだろう。
 そんな彼が、どうしようもなく……愛しい。
 胸にこみ上げる気持ちに勝てず、顔を上げると目が合った。吸い込まれそうな黒い瞳に覗きこまれて、私の思考は一つの欲を残して全て止まった。

――――この人が欲しい。

 耳にうるさく響く鼓動はどちらのモノであるのか分からなかった。
 見つめ続ける事幾分……私は自分の欲を我慢する事が出来無かった。
 本能の赴くままにゆっくりと顔を寄せようとして――優しく抱きしめられた。

「雛里には相変わらず敵わないな。いつも支えてくれてありがとう。大丈夫、ちゃんと俺は俺のままだから。死んでいったあいつらの分まで、殺した人の分まで想いを繋ぐから」

 耳に響く低い声を聞いて漸く、私の思考が正常に回り出した。
 私は何をしようとしていた? 彼に何をしようとしていた?
 欲に負けて彼を求めたさっきまでの自分を思い出して、心を砕いている彼に独りよがりを押し付けようとした自分が愚かしすぎて、心が沈んで行く。同時に、彼のくれる温もりが暖かすぎて、私の心は満たされていく。
 胸が苦しい。私はもうこの人から離れられない。ずっと傍にいさせて欲しい。
 でも、伝えるのは今じゃない。いつ誰が死んでしまうか分からないこの乱世で、胸にある想いを伝えられなくなるのは絶対に嫌だけど、朱里ちゃんとも約束をした。だからもう少しだけ……私の欲を抑え付けないと。
 身体を離して、瞳を見つめて……立ち上がってから、

「き、今日は久しぶりに四人で寝ようと話し合ったのですが……どうでしょうか?」

 椅子に座りながら伝えた。すると秋斗さんはいつものように微笑んで口を開く。

「分かった。お前達には世話になるな。俺にとって四人で寝る事はかなり支えになっているらしい。明後日にはここを出るから準備もあるし、少し早い内に寝ようか」

 これでいい。早鐘を打つ心臓を誤魔化すように、頷いてからこれからの戦の事、本城に戻ってからする事を話し合い、時間が経つと月ちゃんと詠さんが来て、広い寝台の上で四人で煮詰めて行った。
 話す内に彼の暖かさに包まれているからか、眠気に勝てずに私は眠りに落ちて行った。全てが上手く行く事を夢見ながら。

 その夜に夢を見た。彼に想いを伝えて、受け入れて貰える幸せな夢を。




 †




 己を心配してくれる三人の少女達を起こさないように、服の裾を握りしめている雛里の手を優しく開いて、ゆっくりと身体を起こした秋斗は部屋から静かに出て行こうと寝台から腰を上げようとして……一つの寝言が耳に入った。

「ずっと……乱世が終わっても、傍にいさせてください……秋斗さん」

 呆然と、虚空を見つめる事幾分、彼は頭を振って立ち上がり部屋から出て行った。
 廊下を抜けて、見晴らしのいい場所に腰を降ろして……大きくため息をつく。
 彼は雛里に対しての感情を抑える事に必死であった。
 目を見つめられて、秋斗は彼女の想いが誰に向いているかに疑問を持った。その瞳は牡丹が白蓮に向けているモノと同じであったから、まさか自分にそんな感情を向けているのではないかと。
 疑問を持てば早かった。徐晃隊の面々からのからかいの言葉も本当のモノであったのか。誰もが本心から雛里に対して応援をして、くっつけようとしていたのか。自惚れ、ととれたらどれほど良いか、最後に彼女の寝言で確信に至ってしまった。
 自分が零してしまいそうになって抱きしめて誤魔化したのは、ただでさえ自分勝手な都合で他の勢力に行く選択肢を握りつぶして巻き込んでしまっているというのに、これ以上振り回したくなかった為。
 三日月を見上げながら、自分をこの世界に送り込んだ少女を思い出して舌打ちを一つ。

「……まさかこんな異物な俺の事を誰かが好きになってくれるとは思わなかったぞ」

 彼の身体は確かに人間である。力が上がっているという点を除けば生前の姿のまま。それならば、誰かを愛する事に問題はない。
 しかし……秋斗の心は煮え切らない。この世界にとって異物な自分が誰かを想い、想われる事などあって良いのかと。沢山の人を殺している自分に幸せがが与えられていいのかと。世界改変の為に切り捨なければならない事態となれば、切り捨てる事が出来るのかと。
 自分の想いに気付いてから、本当は隠し通すつもりでいた。だというのに、彼女の気持ちに気付いてしまえば、どうしたらいいか分からなくなっていた。
 嘘を重ねる事もしたくない。傷つける事もしたくない。
 現在、背反する二つの事柄は彼を思考と感情の迷路に追い込んでいた。
 ふるふると頭を振った秋斗は、せめて戦の状況が落ち着いてから考えようと思考を切り替えた。
 夜天を見上げて思い出すのは幽州での事。三人で店長の店で祈り合った願いの事。続けて自分の心を覗き込む。
 白蓮の負けと牡丹の死については全く実感が湧いてこなかったが……少しだけ歓喜が胸にあった。将として情報を得た事で自分達の軍の強化を頭で計算し、ついでのように歴史が変わったと実感する事だけは出来た為に。
 公孫賛は河北動乱の末に生き残る事が出来ない。それが変わった事は秋斗にとって大きかったのだ。
 史実とは違い、早回しのように流れて進むこの乱世で、秋斗は白蓮の生存は後々有利になり得る大きな要因であると考えていた。有力な将や軍師、太守が少ないこの世界で白蓮のような人材は最も希少であった。このまま先に進んで行くならば、乱世でもかなりの戦力となり、後の治世もより強固なモノに出来る為に。

――友の生存が嬉しい、友の死が悲しいと素直に実感出来ないくせに、嬉しい誤算だとして先の予測に組み込んで行く俺はいったいなんなんだろうな。

 ふっと自嘲の笑みを零した秋斗はそのまま、次に白蓮に会ったら何を話せばいいのかと考えながら、三日月が嗤う夜天を見つめ続けた。

 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。
久しぶりに恋姫な恋愛話となりました。

近しい人が死ぬってのは聞いただけでは実感できない事もあると思うのです。

この物語の月ちゃんは自分を責めるタイプです。
憎しみの話では某妖怪漫画の名セリフを使いそうになりました。許せる人は滅多にいません。
補足ですが、主人公は秩序で復讐心を抑え込むことを選びます。時間と共に風化させる腹積もりで。乱せば必罰ですが、ガス抜きくらいは必要だとも考えてます。


雛里ちゃん大暴走。
牡丹ちゃんと徐晃隊と幸せな夢による寝言のせいで気付かれてしまいました。
向けられる恋心に気付くってのは自惚れと紙一重なので難しいですね。

次は外部勢力の動きか白蓮さんとの再会です。
ではまた 
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