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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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二十七 十日目


ぴちょん、と水滴の音がした。

その微かな音が切っ掛けで、深く澱んだ海底から引き揚げられる意識。つんとしたアルコールの匂いが鼻についた。


うっすらと瞼を開け、視線を彷徨わせる。医務室ではない。おそらく空忍達が使っていた仮眠室か。壁には味気ない洗面台が一つ備え付けられている。先ほど聞こえた水音はその蛇口から垂れたものだろう。
薄暗い部屋。だが夜でないと確信出来るのはカーテンの隙間から僅かに洩れる光が証明している。大きな窓に掛かるそれは厳重に下ろされており、外界の光を遮っていた。

「おはよう」

突如聞こえてきた、やわらかな声。それは滴下した雨滴が輪を描いて海の一部となるように、君麻呂の胸に深く沁み入った。

首を動かし、声の主を探す。視界に彼の姿を認めた途端、君麻呂は弾かれたように身を起こした。だが直後身体の節々に激痛が奔り、とすんとベッドに横たわる。
「無理をするな。三日間眠り続けていたんだ。筋肉が強張っても仕方ないさ」
ベッド脇に腰掛けているナルトが君麻呂を宥めた。だが君麻呂は彼の言葉に気が気でなく、思わず「三日!?」と声を荒げる。
多由也が指定してきた期限は十日だ。ジャングルを彷徨い、村に辿り着くのに二日。遺跡に潜入し、治療に至るまで一日。それから三日過ぎたとしたら今日含め残り四日しかない。
再度起き上がろうとする君麻呂を手で制し、「安静にしていろ」とナルトが鋭く窘めた。
「ですが…ッ!」
「何も心配しなくていい。病み上がりなんだから暫く休息をとってくれ」
君麻呂の言わんとしている内容に気づいているのかいないのか。苦笑するナルトの顔をベッドの中で見上げながら、君麻呂は申し訳なさげに身を竦めた。
ふと向かいのベッドで胸を上下させる少女が目に留まる。君麻呂の視線の先を追ったナルトが「ああ」と微笑んだ。
「まだ眠っているよ。忍びと一般人の違いかな?精神が強い人のほうが早く目覚めるのかもね」
どことなく憂えを帯びたナルトの横顔をじっと見つめる。やや間を置いて君麻呂は「…なぜ教えてくださらなかったんですか」と若干恨めしげに言った。
「何が?」
「かぐや一族関連の巻物の事です!最初からそれが狙いだったのなら、なぜ…ッ」


なぜ自分に教えてくれなかったのか。なぜ空忍の首謀者と敵対したのか。なぜこんな危険を冒してまで手に入れようとしたのか。
―――――――わかっている。全ては己の不治の病を治すためだったのだ。


頭では理解しつつも、それでも君麻呂は、ナルトの口から直接訊きたかった。
「………」
ナルトは何も言わず、君麻呂から顔を逸らした。君麻呂の視線を背に受けながら、「確証を得ずに話をするほど俺は暇じゃない」と皮肉げに答える。
「根拠のない話を信じて、わざわざこんなジャングルの奥地まで赴いたっていうんですか!?」
ナルトの答えに納得いかず、喉も裂けよとばかりに君麻呂は叫んだ。
ナルトの為に生き、ナルトの為に死ぬ。彼の剣であり、彼の盾であり、彼の力となる。
そうなるように生きてきた自分自身がナルトの足枷になっている事など考えたくもなかった。
「僕なんかのためにナルト様のお手を煩わせるなんて…ッ」
叫んだせいで息が切れる。またもやベッドに沈み込む君麻呂を、ナルトはちらりと見た。静寂の中、君麻呂の苦しげな呼吸音が大きく響く。
君麻呂の話を黙って聞いていたナルトが口を開いた。ぴしゃり、と言い放つ。

「……誰がお前のためだと言った?これは俺のためだ」
ギシリとベッドから立ち上がる。君麻呂は息を潜めて、ナルトの動向を窺っていた。ナルトは数歩歩いてぴたりと止まる。君麻呂に背中を向けたまま、彼は語り出した。
「いつか、俺のせいで死んでしまいそうな気がしたんだ」
「僕にとってはこの上ない幸せです」
間髪容れずに答えた君麻呂に、ナルトは人知れず眉根を寄せた。
「………それが、いやだったんだよ」


『死ね』と言われたら本気で実行する。ナルトの為ならば命を投げ出す。
そんな危うげで儚い印象を見せる君麻呂に、ナルトはずっと懸念を抱いていた。
自分は拾ってもらったのだと感謝の念をずっと持ち続ける君麻呂。そしてナルトをいつまでも高値の花の如く扱う君麻呂。
『どうせ病気で死ぬのだから』といつか自身の身代りになって死んでしまいそうな。あり得なくもない光景が脳裏に浮かぶ。


「不治の病を言い訳にして、俺のために死ぬな」
分厚いカーテンに手を掛ける。それをさっと開け放つとあっという間に日の光が部屋に満ちた。眩しさに目を細めながら、空気を入れ替えようと窓を少し開ける。窓外に拡がる密林に目をやって、ナルトは肩越しに振り返った。



「病気を治したのは、単なる俺の我儘」
――――――――だから気にするな。





部屋を出て行くナルトの背中を目で追う。暫し扉の方へと視線を向けていたが、やがてベッドに身を埋めると「それでも、」と君麻呂は小さく呟いた。

「それでも僕は、ナルト様のために使いたい…―――この命は、貴方が与えてくださったのだから」

そっと目を閉じる。襲ってくる眠気に身を委ね、彼は深い眠りの海底へと落ちてゆく。
再び閉じられたカーテンの裾が、窓から吹き込む午後のそよ風で微かに揺れていた。













「もういい加減、教えてくれてもいいんじゃねえか?」

だだっ広い荒原。古代遺跡に見せ掛けている要塞の周囲には、倒壊した石柱が疎らに立っている。ぽっかり開けた荒原の、その一歩先は獣達の楽園だ。チチチチ…と鳥の囀りが聞こえてくる。
ちょっとしたデートのつもりでナルトを誘った香燐がのんびり歩く。風化して崩れている石柱でさえも今の彼女には優雅な装飾を施した芸術品に見えた。

ナルトにしたら単なる散歩でも香燐にとっては楽しい一時である。浮き立つ心を抑えつつ、前々から疑問に思っていた事を香燐は口にした。自身の後ろを歩いているはずのナルトに訊ねる。

「結局、あの神農って野郎はどうなったんだ?」
答えは返ってこない。怪訝な顔で振り返った彼女は、立ち止まってどこか遠くを見つめているナルトに気づいた。仕方なく倒壊した大理石の上に座る。

遠くに連なるジャングル。前方に広がる蒼茫たる樹海をナルトはじっと見据えていた。だが彼の意識は、身を潜めてこちらを窺っている空忍の残党にあった。密かに印を結ぶ。
そしてようやく香燐に顔を向けた。

「簡単だよ。最初から悪人である人間はいない。人の心は生まれた時は白紙で、周囲の環境や人間関係、経験などが肉付けして人格が形成される。ならば良心のみを残し、それ以外を全て取っ払ったらどうなる?」
そこで言葉を切って、ナルトは自身の背中をちらりと一瞥した。訝しげに「そんな事が可能なのか?」と独り言のように香燐が呟く。ナルトは視線を香燐に向け、次いで村がある方向へと向けた。

「心の闇っていうのは誰しもが持っているものだよ。それに働きかけ、増幅させるのが神農のやり方だった。精神を脅かす事で闇チャクラに昇華させる。だがそれは逆も然り。心の闇を尽く喰い尽くせば、その人間は……」
「善人になる?」
言葉の先を引き取って、香燐が続きを言った。重々しく頷くナルトに「なら万々歳じゃねえか。なんでそんな苦しそうな顔をしているんだ?」と不思議そうに訊ねる。

「考えてもみなよ。素直で正直。真面目で温順。確かに理想的かもしれない。でもそれは彼の個性を奪ってしまった事に他ならない。また村人と違って記憶を消したわけではないから、神農はこれから一生良心の呵責に苛まされる事になる……きっとそれは死にも等しい、いや死ぬより辛い世界なんだろう」

顔を歪め、苦しそうに喘ぐナルトを香燐は確かに見た。だがそれはほんの一瞬で、すぐさま彼は明るい表情を取り繕って「そろそろ戻ろうか。君麻呂のリハビリを手伝わないと」と微笑んだ。



要塞へと向かうナルトの背中を見送る。暫く立ち竦んでいた香燐は、ふと空を仰いだ。空を自由に飛ぶ鳥を眺め、あの目が回るような濃い一日を思い返す。
「でもわざわざ零尾と神農を切り離したのは、神農を人として生かしたかったからなんだろう?」

石盤に施された口寄せの術式。神農と零尾が元に戻った瞬間を見計らい、ナルトはメスを突き刺した。もし同化したまま術式の名を削っていたら、人間に戻れなくなる可能性があったからだ。


「ダーリンが悔やむ必要はないのに…」
いつかその優しさが仇にならぬ事を願って、香燐はナルトの後を追った。鳥が一際甲高い声で鳴きながら、ジャングルへと帰っていく。木ノ葉の里を出発して、十日目の朝だった。



その日を境に、遺跡をうろつく人影がぱたりと途絶える事になる。代わりにその数日後、数人の影が人知れず出入りする事になるのだが、遺跡傍の住人達には知る由も無かった。












これは夢なんだろうか。
朦朧とする意識の片隅でアマルは思った。


混濁する澱みの渦へと深く沈む。何度も繰り返すうちに彼女は生きる希望を失った。諦めて死に急ぐ。三途の川を渡る寸前、彼女は誰かに手を引っ張られた。途端、浮上する意識。
翳む視界の端に映ったのは、見知らぬ子ども。金の髪と青い瞳が印象的な少年だった。
彼の「頑張れ」という励ましがいつまでも耳に残っている。何度も浮き沈みする意識の中で、彼女は何度も耳にした。その優しげな声を。

一度だけ意識が戻ったその瞬間、少年が近くで立っているのが見えた。窓から射し込む光の中、彼の穏やかな眼差しが脳裏に焼きつく。誰かと話しているようだったが、アマルの体調は話の内容を聞き取れるほどには、まだ回復していなかった。



次に目を覚ましたのは、見覚えのある場所だった。
煤けて褐色に染まった壁。張り出しの屋根を支える柱。粗末な藁葺の平屋。
気だるげに身を起こすと、見知った顔がこちらを覗き込んでいる。
村人達だった。
「……目が覚めたようだな」
「おい!気がついたぞ」
喜んでいるように見えるが、アマルにはとても信じられない光景だった。
自分を隔離したのはそっちじゃないか。散々厄介者扱いして、今更…。
彼女は口々に話し掛けてくる村人を猜疑の目で見た。
その中には見知らぬ老人の姿もある。やけに献身的に働いているが、何処かで会っただろうか。

ふと身体の調子が良い事に、彼女はようやく気づいた。額に手をやる。平熱だ。
身体を見下ろす。胸に巣食っていた腫瘍もきれいさっぱり無くなっていた。
「あんた、村の傍で倒れてたんだよ」
「病気だったのに出歩いちゃ駄目じゃないか」
「でも熱が引いて良かった良かった」
村が燃えた後の記憶がない村人達の話を聞き流し、アマルは「あの人は?」と開口一番に訊いた。あの金髪少年が自分の病気を治したのは確かなのだ。

礼を言いたい。話をしたい。そしてただひたすらに会いたかった。

だが村人達の話は、要領を得ないものばかり。
焼け爛れた村の傍で、自分はたった一人で眠っていたらしい。誰かが連れて来たのはわかるが、人影一つ見当たらない。なぜか病気も治っていたので、感染の恐れがないことを確認し、村に運び入れた。それから既に四日は経っているという。


村人の説明を聞き終わっても、腑に落ちないといった顔つきで俯くアマル。その一方で火事に見舞われた村の建て直しを村人達は再開した。やけに身を粉にして働いてくれる神農という老人を賞讃しながら、彼らは村の復興に力を注ぐ。






夢だったのだろうか。

聴覚が回復し、急に騒がしくなる周囲。がやがやという音に包まれつつ、アマルは思う。けれど一度だけ意識を取り戻したあの刹那、彼女は確かに耳にしたのだ。金髪少年と話していた誰かが、彼を『ナルト様』と呼ぶのを。

(ナルト、か……)
その名がまるで神サマのように思えて、彼女は心に、魂に、その名を深く刻みつけた。
決して失くさぬように。決して消さぬように。決して忘れぬように。

あの耳に残った優しげな声を子守唄に、アマルは静かに眠りについた。いつか巡り合える時を夢見て。





この出逢いがアマルの運命を大きく狂わせる。
けれど病の苦痛から解き放たれ、彼女はようやく夢が見られるのだ。
―――――――――――今はただ、安らかに。

 
 

 
後書き
映画『絆』、これにて終了です。お疲れ様でした!!
次回からようやく木ノ葉の里です。 
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