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Hidamari Driver ~輝きのゆのっち~

作者:あやちぃ
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ゆののシルシ

 私立やまぶき高校のとある放課後。部活動に勤しむ生徒の声がグラウンドから聞こえてくるのとは対照的に、誰もいなくなった校舎内は西日によって朱く照らされていた。
「ごめんね、なずな。私の用事に付き合わせちゃってさ」
「ううん、いいの。乃莉(のり)ちゃんと一緒に帰りたかったから」
 不気味とすら感じさせるほど静まり返った廊下。リノリウムに敷かれた鮮やかな朱色の絨毯(じゅうたん)に、仲睦まじげに話す二人の女子生徒の影が長く伸びていた。
 ある教師に頼まれた雑用によって下校時間ギリギリまで残る羽目になった彼女達の名は、乃莉となずな。ここやまぶき高校と道路を挟んで向かい側に建つ小さなアパート、「ひだまり荘」に住まう一年生である。
「ありがと。じゃあ、ヒロさん達も心配してることだろうし、早く帰ろっか」「うん」
 自室で夕飯の支度をしてくれている先輩の顔を思い浮かべながら互いに(うなず)き合ったその時、彼女達の背中に聞きなれた女性の声が掛けられた。
 振り返ると、朱く染まった廊下の先に髪の長い女性が立っていた。制服とは異なる清楚な服装に身を包み、衣服越しにでも分かる美しいスタイルをしている――顔は影になっていてよく分からないが、きっと美しいに違いない。まさに美女と表現するに相応しい彼女がパステルカラーに彩られた廊下で一人佇む光景を前に、呼び掛けられた乃莉となずなは名のある画家の作品の中に入り込んでしまったのではないかとすら錯覚してしまいそうになる。
「よ、吉野家(よしのや)先生。どうしたんですか?」
 偶然が生み出した芸術にしばし見惚れていた乃莉が、おずおずとその女性に声を掛ける。
 二人を呼び止めた女性は美術科の教師である吉野家。その美貌や奇行から、美術科だけでなくやまぶき高校全体で名物教師として知られている。美術科に所属していることもあって、乃莉は最近彼女に何かと用事を頼まれることが多かった――この日、乃莉の帰りが遅くなったのも、彼女に頼まれ事をされていたからである。
 頼まれていた雑用に何か不備でもあったのだろうかと乃莉が思考を巡らせていると、吉野家はゆっくりと二人に向かって歩み寄りながら言った。
「ねえ、乃莉さん、なずなさん。あなた達、ヌードモデルに興味はないかしら?」
「「へっ?」」
 戸惑いから素っ頓狂な声を上げる二人を余所(よそ)に、吉野家は続ける。
「あなた達の身体を見ていると、創作意欲が湧いてくるの。大丈夫よ、悪いようにはしないわ。だから、ね?」
 ゆらゆらと近付いてくる彼女に、背筋が凍るような恐怖を覚えた乃莉は隣で固まっているなずなの手を引いて走り出した。よく知っている教師に対してそんな行動を取るのは少し躊躇(ためら)われたが、貞操の危機を叫んでいる直感に抗うことはできなかった。
 リノリウムの廊下を蹴る足音だけが聞こえる。何時もはあっと言う間に感じられる距離が、今は何千キロにも感じられる。早く、早くと願い続けても自身が望む光景は現れず、同じ様な光景が延々と続くだけ。走る速度が次第に落ちていく。手を引くなずなの体力がもう限界に達しようとしているのだ。背後から追い掛けてくる足音は聞こえない。どれだけ走ったかは分からないが、少なくとも彼女を()くことはできたらしい。
 なずなの状態も考慮して近くの教室で休もうかとちらりと後ろを振り向いた瞬間、乃莉は戦慄(せんりつ)した。
「無駄よ。あなた達はここから逃げられない」
 撒いたはずの吉野家が二人のすぐ(そば)にいたのだ。彼女は乃莉が走り出す前と何一つ変わらない位置でくすくすと不気味に微笑んでいる。今まで影になっていて見えなかったが、彼女は仮面を被っていた。仮面と言っても、縁日で売っているような顔全体を隠すものではなく、仮面舞踏会で着けるような目元だけを隠す仮面である。
 ふと周囲を見渡してみると、ついさっきまで廊下だった風景は何時の間にか一変していた。まるでコラージュを用いた絵画のように壁や床は変質し、夕暮れの景色が広がっていた窓の外は紫と黒の渦が混濁した邪悪な闇と化していた。
「何? 何なの、これ!」
 辺りに広がる劇団イヌカレーのような空間に、乃莉は堪らず声をあげて、迫り来る吉野家から逃げようと再び走り出そうとする。しかし、直後、右腕にずしりとした重みを感じ、その場に倒れ込んでしまう。見てみると、隣にいたなずなが乃莉の手を握り締めながら気を失っていた。
「なずな? どうしたの、なずな。ねえ、しっかりして!」
「ここは『うめ時間』。私のような高い美術力を持つ者のみに許された空間。美術科の乃莉さんはともかく、美術とはあまり縁のない普通科のなずなさんは、立っていることすらできないわ」
 ふふふ、と妖艶な笑みを浮かべながら、吉野家はなす術もない二人に歩み寄る。
「さあ、観念なさい。貴女達の体は、私の芸術となるのよ」
 彼女の手が絶望に打ちひしがれる乃莉の頬に触れようとしたその時――
「そこまでよ!」
 邪悪の権現とも言えるこの異空間に少女の声が響いた。
「貴女は――!」「ゆの、先輩……?」
 彼女達が向ける視線の先にいたのは、やまぶき高校美術科二年、乃莉やなずなと同じく「ひだまり荘」に住まうゆのだった。普段は穏やかで可愛らしい性格の少女であったが、今目の前にいる彼女は同じ屋根の下に住んでいる乃莉ですら見たことがないほど真剣な面持ちで仮面を着けた吉野家を(にら)んでいた。
「私の大切な後輩から手を放して。芸術は自分の欲望を満たすためにあるわけじゃない!」
「あら。自分を(よろこ)ばせずして、どうして他人を悦ばせることが出来ると言うのかしら?」
 吉野家はまるで乃莉に興味を失ったかのように彼女のもとを離れ、ゆのと対峙(たいじ)する。
「まあ、いいわ。どうせ、モデルが三人に増えるだけですもの。出でよ、『彩色棺(さいしょくひつぎ)』!」
 すると、吉野家の叫びに呼応するように空間がぐにゃりと(ゆが)み、そこから文字通り色鮮やかな人間大の箱のようなものが現れた。箱はその全貌を顕現させると、独りでに開いて主である吉野家を誘う。彼女は何の躊躇もなく棺と銘打たれた箱に入り、それまで自身の目元を隠していた仮面を外した。
「――アプリボワゼ!」
 吉野家が己の仮面を箱の内側に叩き付けた途端、『彩色棺』が眩い光を放った。光が包み込む影は見る見る内に巨大化していき、そして、その光が収まった時、ゆの達の目の前にいたのは、
「なっ、こ、校長?」
 大きさにしておよそ十メートルの校長だった。不自然なほど縦に長い顔、小刻みに震える体、日の丸の入ったランニングシャツ。その出立ちは紛れもなくこのやまぶき高校の校長のものだったが、肌には金属特有の光沢があり、関節部などはどこか機械を思わせる外見である。彼女達の前にいるのは、巨大な校長ではなく校長の姿を模した巨大なロボットだったのだ。
「私のモデルになってくれるのなら、命だけは助けてあげるわよ。どうしますか、ゆのさん?」
 校長型のロボットから聞こえてくる吉野家の声に、乃莉は背筋が凍るような感覚に襲われた。
「ゆの先輩、逃げて! このままじゃ、ゆの先輩が――!」
「大丈夫。乃莉ちゃん達は、私が守るから」
 ゆのは悲痛な叫びをあげる乃莉を安心させるように柔らかな笑みを浮かべる。その表情に恐怖や焦燥は一切感じられない。その笑顔はただ眩しくて愛らしい、普段と同じゆのの微笑みだった。
「私は戦う。あなたの思い通りになんか、させない!」
 自らの命を脅かそうとする巨大な敵にゆのは物怖(ものお)じせず堂々とそう言い放つ。すると、ゆのが普段から着けている「×」の形に留められている髪留めが光を放ち始めた。
「それは『シルシ』? まさか……!」
 その光を目にした途端、校長型ロボットから吉野家の驚きの声が漏れた。
「まさか貴様――」
 吉野家が言葉を紡ぐ間にも、ゆのの髪留めから放たれる光はその激しさを増す。
「――絵画美少女かぁっ!」
 光度が頂点に達し、それの意味する事態に気が付いた吉野家が校長型ロボットを操ってゆのの行動を阻止しようと手を伸ばすが、それが達するよりも早く少女は叫ぶ。
「――アプリボワゼ!」
 吉野家が校長型ロボットを現した時と全く同じ文言。しかし、ゆのが放つ輝きは吉野家の何倍も眩く、そして、自らに迫り来る魔の手を退けるほど力強かった。
「颯爽登場、絵画美少女!」
 ゆのから放たれた光が彼女を包み込み、やまぶき高校の制服に代わる新たな衣装を作り上げる。それは見るもの全てを魅了する絢爛豪華(けんらんごうか)なドレス。何よりも圧倒的な輝きを見せるその装いは、まさに絵画美少女と称するに相応(ふさわ)しかった。
「――ミヤ=チャーン!」
 少女の叫びに呼応するように、邪悪一辺倒だった空間の一部に亀裂が生じ、まるでガラスが割れるような音と共に巨大な穴が開く。そして、そこから現れたのは、美しい金色の髪を(なび)かせる少女を(かたど)ったロボットだった。



「――ってのはどうかな、沙英(さえ)さん」
「ダメに、決まってるだろ―――――!」
 やまぶき高校と道路を挟んで向い合せに建つひだまり荘。その102号室から、小説のネタに行き詰ったという沙英と、それを聞きつけてやって来た宮子(みやこ)の声が木霊する。

 ――今日も、ひだまり荘は平和である。
 
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