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僥倖か運命か

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第六章


第六章

 三原はここで山内を歩かせた。敬遠策である。これで満塁。三原は遂に切り札を出した。秋山投入だ。
 マウンドにはエース、しかし一死満塁である。状況は大毎圧倒的有利であった。
「遂にミサイル打線爆発か・・・・・・」
 観客達は固唾を飲んだ。それはテレビで観戦する永田も同様である。鶴岡も黙って見ていた。
(下手をすればゲッツーやが)
 鶴岡は内心そう思った。だがあえて言わなかった。風は大毎に大きく傾こうとしていたのを察したからだ。
 三原は黙ってマウンドの秋山を見ていた。ここは全てを彼に託していた。
(ここを凌げれば流れはうちに大きく傾くな)
 しかし場内の雰囲気は違っていた。若しここで秋山が打たれると大毎は波に乗る。
 そうなれば戦力的に圧倒的な優位にある大毎はここぞとばかりに攻勢に出るだろう。西本はそうした攻撃的な野球を持ち味とする男である。そうなればこのシリーズで大洋の勝ちは無い。
 だからこそ秋山を投入したのだ。この場面を凌げる男は彼しかいなかった。
(任せたぞ) 
 彼は心の中で呟いた。そして静かに西本を見た。
 西本は何かサインを出している。それは三原にも、そしてテレビから永田にも見られていた。
 鶴岡は何か聞こえて来るのを耳にした。それは永田のほうから聞こえてくる。
(永田さんは何を呟いとるんや?)
 ふと彼の方へ顔を向けた。すると彼は一心不乱に念仏を唱えていた。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・・・」
 彼が篤く信仰する日蓮宗の法華経であった。彼は今や仏にもすがっていたのだ。
(成程な。永田さんにもこの場面の重要性がわかっとるみたいやな)
 彼はそう思うとテレビへ視線を戻した。そして彼には言葉をかけなかった。あえてそっとしたのだ。
 彼は神仏にまですがろうとする永田を窘める気も軽蔑する気にもならなかった。彼もこれまで幾多の修羅場を潜り抜けてきた。野球においても戦場においても。実際に戦場で部下が好きな女性の毛を御守りの中に持って行っているのを見ている。極限の状況において人はどのようなものでもすがりたがるものである。それは彼もよくわかっていた。だから何も言わなかったのだ。
 打席には五番谷本稔が入る。キャッチャーを務めまた強打で知られる。ここは誰もが打って出ると思った。
「・・・・・・・・・」
 だが西本は無言でサインを出した。表情はいつも通りのへの字口である。そこからは何も読み取れない。
(西本君は何か考えているようだな)
 三原はその様子を冷静に見ていた。そして何かある、と悟った。
(外野フライでも一点入る。それだけで流れは大きく変わる。しかし)
 グラウンドを見る。そしてスコアボードを。一死満塁、大毎にとって確かに絶好のチャンスである。
 だがその逆とも言える。もしここでダブルプレーなりでこのチャンスを無駄にしたら。それで全ては終わってしまうだろう。少なくともこの試合の勝利はまず無い。
 一塁ランナーを見る。ランナーは途中から柳田と交代していた坂本だ。ベテランながら俊足で鳴らした男である。そう、彼は脚が速い。
 チラリ、と打席の谷本を見る。何処か顔が強張っている。そして蒼い。
(確かにこの大舞台でこんな場面ではそうもなるだろう)
 その時三原の脳裏で何から閃いた。直感が彼に対し何かを叫んだ。
(待てよ・・・・・・)
 もう一度坂本を見る。見れば彼の顔も緊張している。谷本としきりに目を合わせ妙にそわそわしている。
 西本は腕を組み動かない。まるで腹をくくったように。
 これまでの戦いの場で育った直感、それが三原を知将たらしめているものだった。それが持つ意味を彼は他の誰よりも理解していた。
 戦場ではその直感が生き死にを左右する。野球においては勝敗を。彼は戦場で、そして試合でそれを嫌という程教わった。
 秋山と土井のバッテリーを見る。彼等はそれにはまだ気付いていないようだ。
 二人がこちらを見た。そのとき彼はあるサインを出した。
(スクイズも考えておけ)
 そうサインを出した。だが本当にそれを仕掛けてくるか。それは彼の直感だけがわかっていた。
(これまでこの直感のおかげで生き延びてきたし勝ってきた。ここは信じるしかないな)
 そしてこうした場面で直感よりだ大事なものを。それは運だった。
 三原はこの時一塁側ベンチにいた。これはホーム球場だからである。そしてそこからは三塁ランナーの表情がよく見える。そして右バッターの顔もよく見える。そう、谷本は右打者だった。
(これは僥倖か)
 三原はあえてここで表情を消した。向かい側にいる西本に悟られない為だ。
 ここで彼は大毎はほぼ強攻策で来るだろうと思っていた。スクイズは殆どないと考えていた。
 だがあえてバッテリーにスクイズを警戒するようサインを出した。そうすればいざという時咄嗟に対処が出来る。
 人は頭に入れていたことに対しては対処が素早いが頭に入れていないとそれは難しい。三原はそれも踏まえて二人にサインを出したのだ。
 秋山と土井は頷いた。土井はナインにサインを出す。だがナインは普通にバックホーム用のシフトである。それを見て西本の目が光った。
(ふむ・・・・・・)
 ひょっとするとやるかもな、三原はその目を見てそう思った。だがそれはひょっとすると、だ。確実にくるとは思っていなかった。
 観客達は固唾を呑んでいる。さあいよいよミサイル打線が爆発するか。それとも秋山が抑えるか。どちらにしても目が離せなかった。
 秋山はセットポジションをとった。そして三塁の坂本を見る。
 坂本はそれに一瞬ビクッとしたように見えた。だが彼もプロである。それは悟られないうちに隠した。
 彼は目だけでバッターボックスにいる谷本を見た。谷本もそれに対し目で合図する。
 秋山の腕が捻られた。その右腕が竜巻の様に唸る。
 その時だった。坂本が走った。
(来たか!)
 三原は心の中で叫んだ。もしや、とは思った。だがまさか本当に仕掛けてくるとは。
 谷本はバントの構えを取った。もうウエストは出来ない。ボールはそのまま秋山の手を離れ谷本のバットへ向かう。
 大洋内野陣がダッシュする。しかしそれも間に合いそうもない。
(やったか!)
 西本は作戦が成功したと確信した。彼は頷いた。
(秋山、土井、頼むぞ)
 三原は腕を組んだままそれを見ている。既に秋山はダッシュに入り土井はマスクを外した。
 ボールがバットに当たる。ボールはそのまま地に落ちる。谷本は打球を上手く転がした。
 かに見えた。ところがその打球は奇妙な転がり方をしたのだ。
 普通ならそのまま前へ転がる。この場合は投手の秋山の方に。
 この時打球が前へ転がっていたならば。西本と大毎ナインはそう思っただろう。
 しかし何ということであろうか。打球は戻って来たのだ。打球を追う土井のほうへ。
 土井はそのボールを素早く掴んだ。そして三塁から突入しホーム寸前まで来ていた坂本にタッチしたこれでツーアウト。
(なっ・・・・・・)
 西本は絶句した。その間に土井はボールを振り向きざまに一塁へ投げた。
 
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