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僥倖か運命か

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第三章


第三章

 そして試合が始まった。大毎は速球派中西勝巳、対する大洋はチームの大黒柱である秋山登を送ってくるものと誰もが思った。
 秋山登、その名を球史に残す一代の名投手である。明治大学の頃より名を知られ高校の時からバッテリーを組んできた土井と共に弱小と言われた大洋を支えてきた。竜巻の様な独特のアンダースローから繰り出される速球とシュート、スライダーで知られる男である。この年二十一勝十敗、防御率一・七五という成績であった。両リーグで唯一五〇〇打点を叩き出したミサイル打線を抑えられるのはこの男しかいなかった。
 対する大洋打線はチーム打率二割三分、ホームラン僅か六〇本。長打力があるといえば桑田武しかいない。しかしその彼も十六本、大毎の主砲山内の三十二本の半分だ。このような頼り無い打線でも投げ勝てるのは秋山しかいないのだ。
「これは一体どういう事や・・・・・・」
 永田はマウンドにいる男を見て思わず声を漏らした。
 だが彼以上に驚いているのは西本であった。彼は思わず三塁コーチボックスにいる三原を見た。
「秋山でないんか」
 そこにいたのは左腕鈴木隆。この年五勝十一敗の男である。明らかに秋山とは格が違う。この時大洋には左腕で権藤正利という投手がいた。後に阪神に移籍し江夏豊にも慕われた温厚な人物である。彼は小児麻痺による左半身不随を乗り越えた男でその鋭いドロップで知られていた。
 その彼も出さなかった。西本も大毎ベンチも驚いていた。
 それは当の鈴木も同じである。青い顔をして三原を見る。
 だが三原はそんな彼に対し笑みを返すだけである。こういった時は彼が奇計を用いる時だ。このシーズンはそれにより勝ってきた。だがそれがシリーズでも通用するか。それは全くの未知数である。
 西鉄の時もそうやって巨人に勝ってきた。だがあの時は西鉄という強力なチームであった。今は大洋だ。その戦力は西鉄とは比べ物にならない。僅かなミスがそのまま惨敗に繋がる。
(何かやってくるの)
 西本はそう直感した。そしてベンチにいるナインに対し言った。
「鈴木を引き摺り落とすんや!例え秋山が出て来てもどうしようもないところまで追い込んだれ!」
「オオッス!」 
 選手達は叫んだ。そしてバッターボックスに入っていく。
「もし秋山が出て来ても策はある。それを見せたるわ」
 西本は言った。大洋のベンチを見る。そこにはその秋山が黙って座っていた。
 一回、ミサイル打線は早速鈴木の立ち上がりを攻める。まずは先頭打者の柳田利夫が出塁、田宮がレフト前ヒット。三番榎本は三振。そして四番山内だ。
「早速ミサイル打線爆発か」
 永田はほくそ笑んだ。マウンドの鈴木はまず初球でカウントを取った。ワンストライクノーボール。
(機、熟したり)
 三原は黙ってマウンドへ向かった。西本はそれが何を意味するかわかっていた。
(来るか)
 三原は主審のほうへ歩いていく。そして言った。
「ピッチャー秋山!」
 球場をざわめきが起こった。何とこのいきなりのピンチでエース投入だ。
「三原君も妙な事をするな。ここで秋山を投入するとは」
 永田は笑った。彼は自分のチームが大洋の誇るエースを打ち崩すと確信していた。
「よし、ここが絶好の好機や!」
 西本は言った。そして策を仕掛けてきた。
 マウンドで投練習をする秋山。その独特の竜巻の様な動きでボールを土井めがけ投げる。
 土井はそれを受けながらチラリ、と見た。彼が見たのは主砲山内ではなかった。
 土井は秋山ならば山内を抑えると信じていた。長い間バッテリーを組んできた間柄である。その日の調子は投球練習だけでわかる。今日の秋山の調子ならばいけると思った。
 しかしこの世に完璧なものなどない。秋山もそれは同じである。それは土井が一番よく知っていた。
(だからこそ俺がいる)
 土井は心の中で思った。そしてその心意気は三原も知っていた。
(さて、と。ここでこの試合は決まるな)
 三原はベンチで二人を見ながら心の中で呟いた。向こうのベンチを見れば西本が何やらサインを出している。
(西本君も動くか。だがあの二人に通用するかな)
 三原は西本の視線の先を見た。そこには秋山がいる。そう、秋山だ。彼は土井は見ていなかった。
 三原が名将ならば西本もまた名将である。だがタイプが違う。三原は選手の能力を引き出し奇計を縦横無尽に使う策士である。西本は選手育成からはじめ正攻法で攻める現場型の人間である。それは西本自身がよくわかっていた。彼は短期で勝負を決するタイプではなかったのだろう。三原とは正反対である。それが禍した。
 西本が見破った秋山の弱点、それはその投球フォームにあった。
 身体を思いきり捻る為動作が大きい。その為牽制球が苦手だ。二塁にいる柳田にリードを大きく取らせた。
(隙を見せたら走れ)
 柳田は西本のサインを確認した。リードが大きくなる。
(よし、それでいい)
 西本は柳田が塁を離れたのを見て思った。そうすれば秋山を引っ掻き回せる。そうすれば四番の山内が打ってくれる。秋山の決め球はシュート、しかし山内はそのシュート打ちの名人として知られている。普通の状態なら難しくとも動揺させれば打てる。西本の作戦だった。
 土井がサインを出す。三原はそれを見てほくそ笑む。その笑みは西本の目にも入った。
 
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