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赤城と烈風

作者:fw187
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波及効果と戦史研究
  96式軽機関銃

 1904年5月、史実の日本陸軍は南山地峡の援蓋式陣地を強襲して数千名が負傷。
 マキシム機関砲10挺の弾幕射撃を封じる為、艦砲射撃が実施されました。
 東京第1師団の第1機関砲隊、ホチキス機関砲24挺の援護射撃は事実上無効。
 6.5ミリ銃弾7万8435発を浴びせますが、銃眼を直撃して破壊する事は出来ませんでした。

 日本陸軍の榴弾は援蓋式陣地を破壊出来ず、敗色濃厚の事態は直径254ミリ砲弾の直撃で急転。
 名古屋第3師団の第2機関砲隊、ホチキス機関砲24挺は援護射撃を実施していません。
 史実では第1機関砲隊、第2機関砲隊の合計48挺を総て旅順攻撃軍に配属。
 歩兵突撃の援護射撃を繰り返しますが、当世界の第四師団長は強引に配置転換を図ります。

 小川又次少将は帝政ドイツ陸軍から招聘された教官、メッケル少佐と激論を展開。
 山砲と野砲の優先順位を巡る論争で一歩も譲らず、実戦形式の直接対決も要求しますが。
 上杉謙信の再来と評される戦術家、火力主義者は陸軍の法皇も高く評価。
 山県有朋の指示で第1機関砲隊と第2機関砲隊、機関銃48挺の配置転換が実現します。


 南山陣地攻撃の際、機関砲の連続射撃は無効の実績が確認された。
 小銃の射撃は緊張と動揺で命中せず、無駄弾が多い。
 榴散弾が炸裂しても、豪胆な熟練兵の前進は阻止出来ない。
 機関砲の射撃音が響いた時に限り、総ての敵兵が頭を伏せて停止する。

 冷徹な実戦経験者の報告書は高く評価され、奥軍の参謀長も機関砲の運用を一任。
 6月15日ロシア軍と得利寺で激突の際、第四師団長は敵軍を誘い込み機関砲48挺を連射しますが。
 8月24日に開始の遼陽攻撃、マキシム機関砲10挺の潜む鞍山站陣地攻撃も南山地峡の教訓を活用。
 戦利カノン砲で機関砲陣地を潰した後、首山堡の敵兵を機関砲48挺の前に誘い込みました。

 10月9日ロシア陸軍が南下、逆襲の際も援蓋陣地に隠した機関砲48挺を連射。
 両翼の騎兵旅団からも機関砲6挺の射撃音が響き、威嚇効果で撤収決断を促しますが。
 翌年1月25日ロシア陸軍が黒溝台、沈旦堡を強襲の際も臨時機関砲隊を第八師団に配属。
 ホチキス機関砲48挺が総勢10万超の敵軍を撃退、秋山騎兵団の救援を推進しています。


 1905年2月21日に開始の奉天攻撃では、西側迂回の先鋒を務める第三軍に機関砲256挺の大半を配属。
 帝政ロシア陸軍の強襲を機関砲の連射、恐慌状態(パニック)を誘う音響効果で撃退しますが。
 沿海州南部ポシェット湾、中部デ・カストリー湾を偵察の際にも艦載型の機関砲を連射。
 守備隊の戦意を削ぐ射撃音を盛大に響かせ、停戦まで被害を最小限に抑えています。

 日露戦争の際に陸軍屈指の情報将校、明石元次郎大佐は帝政ロシア領内の民族独立運動家と接触。
 資金援助と情報提供、各地に点在する被圧迫民族の連携を図り戦争継続を断念させました。
 ポーツマス条約締結後も東欧ポーランド、北欧フィンランド独立組織と連絡を維持。
 1917年ロシア革命の勃発直後、北欧や東欧の親日家達から様々な要請が届きます。

 1919年2月から翌年10月ソ連と戦った東欧の親日国、ポーランド独立の最高指導者も首都陥落の危機に直面。
 騎兵の大群を活用する乾坤一擲の大機動作戦を敢行、『ヴィスワ川の奇跡』で敗勢を一気に逆転しますが。
 独立前に数十万単位で強制連行され、シベリア開墾の重労働に喘ぐ難民の救助を国際赤十字団に要請。
 日露戦争時の恩義に報い数百人の孤児達を帰国させた後、情報収集の拠点を置き緊密に連携を図っています。


 チェコスロバキア共和国は東欧、北欧の親日国と異なり欧州中部オーストリア帝国の崩壊後に独立。
 1926年ガス圧利用式の銃弾装填機構で故障が少なく、約8.9kgと可搬性も高い軽機関銃を採用しています。
 ブルノZBvz.26軽機関銃は過熱した銃身の交換作業も容易ですが、約300発まで無交換で使用可能。
 他国製の機関銃と比べ驚く程に壊れ難く、無故障機関銃と絶賛されました。

 銃身と遊底構造を単純化、ガス圧システム機構部の改良を図った通称ZB27。
 更に銃身を短縮化、ガスパイプ装備の海外輸出用ZB30等も現れますが。
 日本陸軍の造兵廠も無故障機関銃ZB26改造、6.5ミリ銃弾を使用可能な試製B号軽機関銃を設計。
 史実では南部銃製造所案の試製A号軽機関銃を採用しますが、当世界では事情が異なります。

 1936年10月に機械化装甲部隊、極東ソ連軍の強襲が開始されると陸軍の関係者は震撼。
 銃剣を操る術に熟練した教官、白兵戦至上主義を掲げる達人達も鋼鉄の嵐に為す術がありません。
 陸軍上層部も師団壊滅の事態に戦慄を覚え、大英帝国陸軍も認めた軽機関銃ZB30製造権を購入。
 1936年末に制式採用、国内製造を強行し試製96式軽機関銃と称しています。 
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