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奇跡のアーチ

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第二章


第二章

 だが次第に結果を予想できるようになった。やはり西武が出て来たのだ。
「やっぱりこうなるか」
 多くの者はそう思った。対する近鉄は一〇月五日にオリックスに敗れ自力優勝が消えた。佐伯が亡くなったのはこの日であった。
「まさかこんな日に・・・・・・」
 ナインもファンも意気消沈した。これで終わるかと思われた。
 だがここで近鉄は踏ん張った。次の試合で助っ人リベラのサヨナラスリーランで勝利を収めた。これで西武との差は2ゲームとなった。
「あと少しだ・・・・・・」
 近鉄ナインを闘志が覆った。いよいよ決着を着ける時が来た。場所は敵地西武球場、ここで西武との三連戦だ。
 まずは第一戦、先発は右のエース山崎慎太郎だ。
「山崎か、大丈夫かな」
 西武球場に駆けつけたファンからこんな声が出た。彼は中二日である。流石に疲労が心配だった。
 対するは西武の誇るエースの一人渡辺久信。その荒れた速球が最大の武器だ。近鉄は彼に七連敗を喫していた。
 だが山崎が踏ん張った。打線が苦手とする渡辺を攻略し勝利を収めた。あと二つだ。
 翌日は雨で中止となった。選手もファンも何かを感じていた。
「明日はダブルヘッダーか」
 そうであった。ダブルヘッダーであった。
 彼等の脳裏に昨年のことが思い出される。あのロッテとのダブルヘッダーだ。
 だが相手が違っていた。西武である。まさに決戦である。
 近鉄の先発は高柳出己。二年目ながら仰木の信頼厚い先発の一人である。
「頼むぞ」
 仰木はベンチから高柳を見守っていた。
 だがその高柳が西武打線に捕まってしまう。二回で四点を献上してしまう。やはり西武はここ一番という時に無類の強さを発揮してきた。
 だが近鉄も諦めるわけにはいかない。昨年の悔しさがあった。最後まで近鉄のことを愛してくれた佐伯オーナーのこともあった。
「絶対勝つぞ」
 仰木だけではなかった。コーチも、選手達もその思いは同じであった。
 しかしマウンドに立つ男を攻略することは困難であった。郭泰源、台湾から日本にやって来た助っ人である。『オリエンタル超速球』とまで言われた速球と高速スライダーが武器である。
 そして抜群のコントロールを誇っていた。精密機械の如きそのコントロールは他を寄せ付けずどのバッターも三振の山を築いていた。とりわけホームランを打たれることが少なくその割合は0・六という驚異的なものであった。
「あいつを打つのは不可能やろ」
 三塁側にいる近鉄ファンの一人が口を歪めてそう言った。
「あんな奴打てるもんじゃない」
 多くの者がそう言って諦めかけていた。だがここで一人の男が奇跡を起こす。
 ラルフ=ブライアント。アメリカから渡ってきた近鉄の助っ人である。
 ドジャースのドラフト一位で入団した。しかし芽が出ず日本に渡ることになった。中日の助っ人であった。
 だがこの時の中日には郭源治、ゲーリーという二人の助っ人がいた。彼の出番はなかった。
「俺は試合に出たいのに」
 そういう不満があった。ここで彼に転機が訪れる。
 近鉄の主砲デービスが麻薬の不法所持で現行犯逮捕されてしまうのである。当然彼は退団となった。
 主砲を失った近鉄は慌てて彼の穴を埋める人材を探す。そこでブライアントに白羽の矢が立ったのである。
「使えるのか!?」
 こういう声もあった。だが今はそんなことを言っている暇ではなかった。とにかく時間がなかった。藁にもすがる思いであった。
 こうして彼は慌しく近鉄に金銭トレードで入団した。そしてすぎに試合に出た。彼は怖ろしいまでに打ちまくった。
「何だあれは」
「あんな奴見たことがない」
 相手チームのピッチャー達はその強烈な打撃に怖れをなした。いや、最早それは『畏れ』であった。
 シーズン後半の七四試合だけで三四ホーマー七三打点、鬼神の如き活躍であった。
 だがこのシーズン彼は一時不調に陥った。彼は豪快なアーチを飛ばす一方で三振の多い男であった。またその三振が桁外れに多かったのだ。
「三振か、ホームランか」
 そういう男であった。だがチャンスには必ず派手なホームランを飛ばした。普段は寡黙で読書が好きな男だがその身体には激しいパワーがみなぎっていた。その彼が打席に向かった。
 四回表、四対零。西武圧倒的優勢という状況であった。
 郭は投げた。スリークォーターの投球フォームから白球が放たれた。どのような強打者も容易には打てないボールだ。
 しかしブライアントのバットが一閃した。そしてそれをスタンドに放り込んだ。
「あいつが打ったか」
 仰木はそれを見て言った。だが表情は硬いままだ。まだ三点差だ。勝利には程遠い。
 西武はまだ攻撃を仕掛けてきた。すぐに追加点を入れる。これで勝負あった、かと思われた。
「終わりかな」
「西武の優勝やな」
 近鉄ファンの間からそういう声が聞こえてきた。だが勝負は意外な展開を見せる。
 近鉄は攻撃に出た。郭を攻め立て満塁とした。
「監督、どうしますか?」
 西武ベンチではコーチの一人が監督である森祇晶に話しかけた。
「そうだな」
 森は少し考え込んだ。
「郭の調子は決して悪くはない。あのホームランは仕方ない」
 彼は今日の郭の投球を思い出しながら言った。
「ここは続投だ。あの男を抑えればそれでこちらの勝利だ」
 彼はそう言って郭の続投を決定した。確かにここが勝負どころであった。森の采配は間違ってはいなかった。
 だが彼は予想される範囲内での采配をしただけであった。確かに彼は知将である。その采配には隙がない。後に横浜ベイスターズの監督となった時ヤクルトの正捕手古田敦也の前に一敗地にまみれるまでその知略は野村克也と並んで球界でも最高と謳われていた。しかしそれはあくまで予想される範囲内である。野球は時として信じられない出来事が起こる。それがまさにこの時であった。
 
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