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無慈悲な時の流れ

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第五章


第五章

 そしてバッターボックスに四番のオグリビーが入る。彼も高齢の為退団することが決まっている。
 しかし彼は今まで見事な活躍をしてきた。これまで多くの殊勲打でチームに貢献してきた。
 マウンドにいあるのは園川一美。ロッテの左の主軸である。
「園川か」
 オグリビーは彼を見ながらふと考えた。
「こうした時にはプレッシャーがかからない方が不思議だ」
 彼は長い選手生活でそれを熟知していた。
「ならば必ずボールにもそれは出る。そこを必ず打つ」
 大振りは考えなかった。ただヒットを狙っていた。
 二塁にいる大石は俊足だ。これまで三度の盗塁王を獲得している。おそらく外野にヒットを打てばそれで生還できるだろう。オグリビーはそう読んでいた。
「よし!」
 彼はヒットを狙っていた。そして園川のボールをセンター前に弾き返した。
「やったぞ!」
 大石は三塁ベースを回った。それだけで近鉄ベンチはお祭り騒ぎであった。
 大石がホームへ突入する。最早近鉄は逆転したような騒ぎであった。
「よっしやあ!」
 ベンチも観客も大騒ぎである。テレビの前にいる者達もそれは同じである。
「何か凄い試合になっているな」
 久米はもうテレビから離れられなかった。
「ええ。まさかこんな時にここまで凄い試合が見られるなんて」
 他のスタッフ達も同じ意見だった。だが番組の時間はもう近付いている。
「ちょっと考えがあるんだけれど」
 久米はふと顔を上げてスタッフに言った。
「この試合ニュースステーションでも中継できないかな」
「えっ・・・・・・」
 流石にこの言葉には誰もが驚いた。そんなことは前代未聞である。
「これは視聴率がとれるよ」
 その通りであった。今この時点でも常識外れの視聴率であった。
「それに今こうして死力を尽くして戦っているチームを見せないのはもう犯罪だよ」
 久米は言った。普段に嫌味で皮肉屋の彼からは全く想像ができなかった。
 テレビ朝日の上層部もそれを認めた。彼等もまたこの試合から目が離せなかったのだ。
 元々朝日の系列は近鉄に対しては好意的である。ライバルである読売に対抗してか野球は阪神を贔屓していた。だがパリーグも忘れてはいなかった。何かとその報道では批判を浴びることの多い朝日であるが野球に関してはかなりまともであるのだ。
「こんなこと言うのはどうかと思うがな」
 テレ朝のある幹部は部下に対して言った。
「どっちが勝って欲しい?」
「決まっていますよ」
 その部下は答えた。
「だろうな、俺もだ。こんな試合は今まで見たことがない」
 彼等は皆近鉄の勝利を願っていた。それはテレビの前にいる者、川崎にいある観客達皆そうであった。
 近鉄もそれに応えた。七回に吹石徳一、真喜志康永がアーチを放つ。これで勝負あったかに思えた。
「いけえ、そのまま押し切れ!」
 だがロッテは不自然なまでに粘った。何とその回岡部明一がツーランを放ったのだ。
「しぶといな」
 仰木はそれを見て呟いた。そして吉井をマウンドに送った。
 吉井はヒットを許しながらも後続を抑えた。そして八回表近鉄の攻撃となった。
 バッターボックスに立つのはブライアント。ここまで近鉄を引っ張ってきた男である。
 そのブライアントが打った。打球はそのままスタンドに突き刺さった。
「これで決まりじゃあっ!」
 観客席は総立ちとなった。ブライアントはその歓声の中ゆっくりっとベースを回る。彼はその派手なアーチに似合わず物静かな男であった。
 これで勝負は決まった。誰もが思った。だが運命の女神は何処までも残酷であった。
「ここで決める」
 仰木はマウンドに阿波野を送った。第一試合と同じくリリーフでだ。
「俺が最後ちゃうんかい!」
 それに怒ったのが吉井であった。彼はストッパーである。その彼を投げさせないとは。吉井が怒るのも無理はなかった。だがそれを権藤が止めた。
「落ち着け」
「しかし・・・・・・」
「これもチームの為だ。わかったな」
「・・・・・・はい」
 権藤は投手陣から全幅の信頼を寄せられていた。彼の指導の下投手陣は立ち直ったという実績もあった。
 その権藤に言われ吉井は落ち着きを取り戻した。そしてロッカーに引き揚げて行った。
 たら、やれば、という言葉は野球にはないと言われる。だが若しこの時吉井だったならば。運命の女神はどういう配慮を示したであろうか。
 阿波野は愛甲を何なくサードゴロに打ち取った。そして打席には四番の高沢秀昭を迎える。
 俊足巧打で知られる。落合博光が去った後はチームの四番を任されていた。
 その彼を打席に迎える。阿波野の顔が急に張り詰めたものになった。
「どうするべきか」
 彼は迷っていた。だがまず投げたボールは外れた。
 そしてスクリューを投げる。今日最も調子のいいボールだ。高沢はそれを空振りした。
 
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