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無慈悲な時の流れ

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第一章


第一章

                   無慈悲な時の流れ
 その日、最早解体寸前であった川崎球場は異様な熱気に包まれていた。
 球場に赤、青、白の三色の派手なユニフォームに身を包んだ戦士達が姿を現わすとその熱気は頂点に達した。この日は特別な日であった。近鉄バファローズとロッテオリオンズの最終戦、そう、パリーグの最後の試合であった。
 その試合は近鉄にとって特別な意味があった。この時マジック2、連勝すれば近鉄の優勝なのである。
「去年最下位のチームがここまでやるとは・・・・・・」
 そう驚く人達もいた。誰もがまさかここまでやるとは思っていなかったのである。
 その立役者がこのシーズンから監督になった仰木彬であった。彼は長い間近鉄でコーチを務めてきていたのだ。
 現役時代はあの野武士軍団と言われた西鉄ライオンズにおいてセカンドとして活躍した。だが当時の西鉄は魔術師とまで謳われた名将三原脩に率いられた個性派スターの集まりであった。
 ピッチャーには不死身とも思える強靭な肉体を持つ鉄腕稲尾和久がいた。彼は巨人との日本シリーズにおいて殆ど一人で投げ抜き奇蹟の勝利をものにしたことで知られている。一シーズン四二勝というあのスタルヒンに並ぶ記録は破る者がいないのではないかと思える程の偉業である。それは将に神であった。
 そして青バットとして名を馳せた大下弘。怪童と呼ばれ打ったボールが焦げていたという信じられない話まである剛打を誇った中西太。暴れん坊として知られたショート豊田泰光。彼等が綺羅星の如く集まっていたのだ。
 仰木は彼等が羨む程女性にはもてた。だがやはり野球選手として彼等には適わない、という思いが常にあった。
 近鉄においては三原、そして闘将西本幸雄の下でコーチを務めた。それが彼にとって大きな力となった。
 三原は策士である。何をするかわからない。それに対し西本の采配はオーソドックスである。しかし選手に、そして野球に対するひたむきな愛情がありそれで選手達を引っ張って行った。仰木は彼等をそのすぐ側で見てきたのであった。
「わしの師は三原さんや」
 彼はこう言う。だが西本のことを知ったのも大きかった。何故ならその激しい闘志を学ぶことができたのだから。
 三原は裏の世界の人間ですら逆らえぬ程の凄みもあった。だが西本にはそれがない。彼はあくまで選手、そして野球と正面からぶつかり合ってきたのである。
「野球はやっぱり面白いわ」
 西本はこう言ったことがある。それを聞いた仰木は思った。
「その通りや。わしもこれから離れることはできん」
 改めて野球の面白さを教えられたのであった。
「あいつは切れる男や」
 彼を知る者はそう言った。知る人は知る、そうした男であった。
 監督になったのは?ぎだと思われていた。当時近鉄には最後の三〇〇勝投手と言われた鈴木啓示がいた。彼はそれまでの中継ぎだと思われていた。
「おい、酒は飲むのはいいが程々にしろよ」
 彼は選手達を拘束したりはしなかった。あくまで放任主義だった。だが同時にこうも言った。
「遊び過ぎると俺みたいに二流どまりだぞ」
 それは三原に期待されながらも普通の選手で終わった自分のことを自嘲気味に言ったのである。そして同時にこうも言った。
「わしは自分が出来んとこを他人にやれとは言わん」
 それがマスコミやファンに受けた。この時パリーグ、いやプロ野球は西武ライオンズの黄金時代であった。
 その野球は隙がなかった。攻守走、そして投手陣に至るまで万全の戦力であった。そして監督である広岡達郎、森祇晶の采配は的確でありそこにも隙がなかった。だがそれが人気に繋がるかといえばそうではない。
 よく黄金時代の巨人が人気があったように言われるがそれは間違いである。後期には人気は落ちていた。単に強いだけのチームなぞ面白みがない。そう思う者が少なくなかったのである。
 この時も西武であった。ファンは強いだけで面白みに欠ける西武の野球に飽きだしていたのである。
 そうした中で彼が監督に就任したのである。彼は次々と変わった作戦を展開し勝利を収めてきた。
 ローテーションは西武を中心に組んだ。そして勝ってきた。
 だがこれには反発があった。この年から投手コーチに就任した権藤博である。
 彼はかって中日で押しも押されぬ大エースであった。『権藤、権藤、雨、権藤』というふうに投げ続けた。そしてそのせいで選手生命は短かった。
 その経験から彼は言った。
「投手の肩は消耗品だ」
 と。彼は投手を酷使することを嫌ったのである。そして四球を出しても怒らなかった。そうした独自の育成により近鉄の投手陣を甦らせたのだ。
 だが仰木はそれに不満を持った。彼は彼の考えで勝利を追及していたのだ。
「監督は全ての試合でエースを使いたいものだ」
 彼はよくこう言った。
「そしてそれを止めるのが投手コーチの仕事だ」
 そして淡々とした顔でこう言った。彼は後に横浜ベイスターズの監督になるがその時もこの考えを変えなかった。
 そうした意見対立もあったが彼等は勝利の為に野球をしていた。打線はかって西鉄で暴れ回ったあの中西が打撃コーチに就任した。彼の打撃理論は定評がある。元々定評のあった打線はさらに強くなった。打ちまくる打線に好投する投手陣。チームは昨年最下位だったとは思えない程の快進撃を続けた。
 だがこういう言葉がある。
『好事魔多し』
 近鉄は突如としてこの言葉を味あわされることになる。
 好調の打線の柱は助っ人であるデービスだった。彼は持ち前のパワーで長打を量産していた。
 だが彼は気性の激しい男であった。乱闘事件を起こしたこともあるし死球で出塁した時にはぶつけた相手チームの投手だけでなく野手に対してまでも歯をむき出しにして闘志を露わにしていた。
 元々問題のあった男である。その彼が何と大麻の所持で現行犯逮捕されたのである。
 
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