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魔導兵 人間編

作者:時計塔
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電話

左霧が学園に赴任してから二週間程が過ぎた。その地点での左霧の生活はとても充実していると自分では思っている。
 給料が入り、好きな職に付き、生徒は明るく元気(一部を除く)。特に、休み時間に生徒たちが質問をしに来てくれることがとても嬉しかった。自分の拙い授業を、それでも一生懸命ノートに書き写し、自らの声に耳を傾けてくれる(一部を除く)。
 この職に付いて、それだけでもよかったと思える瞬間なのだ。
 だが自分が彼女たちに期待に答えているか、と言えばとてもじゃないがそうは思えなかった。
 質問に的確に答えられるか、といえばノー。教科書を手に持ち、必死に質問内容について調べる。逆に生徒たちに間違いを指摘された時なんて自害したくなるほど恥ずかしい。  毎日、自分が答えられなかった内容をまとめ、左霧は教壇を下りていった。
 実際、生徒たちは授業などどうでもいいのだが、左霧の困った姿が見たくて必死でノートをとり、わざと答えられないような質問を投げつけていることは内緒の話だ。最も、それで生徒たちの意欲が増加傾向にあるのなら、左霧の指導も評価されるべきなのか。

 さて、今日は休日だ。左霧はもちろん華恋に起こされるまで布団へ潜りこんでいる。意識は半覚醒と言ったところだろうか。この状態でうだうだしているのが、この男は何より好きなのだ。早起きなのに結果的に寝坊になってしまうという典型的なダメ人間だと、霧島左霧の女中である華恋は自らの主人を見下ろしながら呆れていた。

どうやって起こそうか。今日は休日だし、少し寝坊したくらい別にどうということはない。だが、ここに来てしまった以上それ以外にすることがない。何よりも朝食を作ってしまった。自分で作った物は、美味しい時に食べてもらいたいのが作る側としての思いであり、美味しい時に食べるのが作ってもらう側の思いだ(華恋談)。

よって起こす。いや左霧が起きているのは分かっている。だがこの男は自分が来ていることが分かっていても丸く固まったまま動かない。それが気に入らない。ムカつく。いじめてやりたい。華恋は主人に優しくなかった。

「左霧様、朝食の準備が整いました。起きてください」

 まぁ流石に思っていても口には出来ない。華恋にとって左霧は唯一の人であり、絶対忠誠を誓った人であることに変わりはない。どんなに情けなくて、ムカついて、意地悪がしなくてなったとしてもそれを行使することは、決してしなくない。

「……いらない」
 ――――ブチ。
 左霧の寝ぼけた声が聞こえた後、何かが切れる音がした。

「――つまり、私の作った朝食が食べられないと……そう仰るのですね?」

「食べる食べる……食べるけどあと五分……」

「そんな時間はどこにもなぁぁぁぁい!!」

 華恋は左霧の布団を引っつかみ、中に入っているだらしない主人の姿を確認した。布団を取られたにも関わらず、左霧は体を丸くしたまま動かない。このしぶとさが、いつもいつも華恋を苛立たせている大きな原因だった。

「左霧様――クソご主人様……それ以上惰眠を貪るつもりであるのならば、華恋にも考えがございます」

「痛いよ華恋……踏まないでよ……起きる起きるよ、今起きるってば……」

 そうはいうものの一向に起きる気配がなかった。大抵今起きると言う人間は、すぐには起きない。そんなことくらい華恋は承知の上だった。

「……では、左霧様、失礼ながら」

 華恋は笑顔のまま左霧が入っている丸い塊をすくい上げると同時に、その華奢な体からは考えられない力で窓の外へと投げてしまった。

「嫌ですわ、私ったらはしたない……」

 わざとらしく体に科を作り、頬を赤くする華恋。外で聞こえた悲鳴はあとで近所から苦情をもらった。ちなみにここは二階なので良い子は絶対に真似をしないでください。あと、窓ガラスは左霧の給料から天引きだそうです(華恋談)

「ううう……死ぬかと思った……」
「デッド・オア・アライブというやつですね。左霧様おめでとうございます」
「めでたくないよ! 頼むから優しく起こしてください華恋さん……」
「優しく? 優しく起こして左霧様は起きるんですか? 本当に、神に誓ってそう言えるんですか? 誓ってください今ここで、さぁ、さぁ!」
「……僕が悪かったです! ゴメンなさい!」
「わかればよろしいのです。さぁ桜子様、どうぞ召し上がってくださいませ」
「んー……二人とも仲良くねー……」
「ちっ違います桜子様っ! これは左様が! 全部左霧様がわるいんですよう!」

 朝から騒がしい霧島宅。二階から落ちたにも関わらず傷一つない左霧は置いておき、桜子も寝ぼけ眼のままご飯を口にしていた。間違えて髪を食べているところが何とも微笑ましい。その幼い桜子に必死に弁解しているのが、霧島家のハイスペックお手伝いさん(華恋談)華恋である。いつもの朝、だけどちょっぴり心が弾んでいるのは今日が休日だからだということは、三人とも心の中では分かっている。

「全く、左霧様には困ってしまいます。どうしていつもいつも私が苦労しなければならないのでしょうか」
「……嫌なら起こさなくていいのに」
「何か、いったか小僧?」
「……だ、だって休日くらいゆっくりしてもいいじゃないか! それに華恋だって楽しんでやっているでしょ!」
「そんなことはありません。いつも苦渋の決断を迫られて、華恋はストレスでハゲそうです! ああ、敬愛するご主人様を痛めつけなくてはならないなんて! 私は女中失格でございます! ぷぷ」
「確信犯だよ……」
 棒読みで心にも思っていないことを、自称霧島家女中の華恋さんは言った。腹黒い、そして命の危険すら感じる今日この頃の左霧。

「それに比べて桜子様は本当に素晴らしいです! どうして妹君がこのように完璧に出来てしまったのでしょうか? どこかの兄が哀れでたまりません」
「んー? お兄様はすごいよー?」

 何のやり取りをしているのか分からず、桜子は顔を米粒だらけにしながら左霧と華恋のやり取りを見ていた。桜子がとりあえず兄のフォローを口にすると、華恋はすかさず「いけません!」と左霧の印象を悪くしようと必死だった。必死で桜子の口元について米粒をとっていた。

「お兄様は凄いよー、だって桜子たちはお兄様のおかげご飯を食べられるんだよー? もぐもぐ……」
「桜子……」
「桜子様……でしたらもっと上手にご飯を召し上がれるように頑張りましょう」

 どれだけ誰かに非難されても兄である左霧を尊敬している桜子。左霧自身、妹にそこまで尊敬される人物でないため、断言されると苦笑しか出ない。だが、その期待があるからこそその期待に答えられるように頑張ることが出来るのだ。




「左霧様、今日のご予定は?」

 洗い物は基本的に左霧や桜子も手伝う。桜子が食器を運び、左霧が水洗い、華恋が拭く係と決まっている。華恋は「家事は私に任せてください」と断っていたのだが、左霧自身が、

「僕は君を下働きさせるつもりはない」

 と珍しく強い口調で押し通されてしまい、役割分担も決められてしまった。この男は一見ナヨナヨしている風に見えるのだが、たまに頑固で一度決めたらなかなか譲らない性格なのだ。華恋もそれがわかっているので、彼の優しさに甘えることにした。

「左霧様、まだ春とは言え、お水が冷たくありませんか? それに手が荒れてしまいますから、私が」
「華恋ってば、僕は男だよ? 手が荒れたくらい何ともないよ。それより華恋こそ女性なんだから水回りは僕に任せて。せっかくの綺麗な手を傷つけなくない」
「…………左霧様」
「ん?」
「私を口説き落とそうなどと、百万年早いですよ?」
「……何の話?」
「……何でもありませんクソご主人様」
「華恋? なんで怒っているの?」

 華恋は左霧の質問に答えるつもりはないらしく、無言で食器を拭いていた。さっきよりも強く、壊れそうなくらいゴシゴシと。

「お兄様、食器は全部運び終わりました!」

 元気よく桜子は敬礼で仕事の終わりを告げた。その敬礼は角度や仕草がヘニャっとなっているところがチャーミングだと華恋は鼻血を出しながら訴えていたことがあった。左霧も否定はしなかった。華恋は桜子を溺愛し、左霧はシスコンだから。

「よし! じゃあ出かける準備をしようか!」
「はーい! お兄様、今日はどこに連れて行ってくださるの?」

 桜子は待ってましたとばかりに左霧の腕を両手で掴み甘えてきた。その子のサラサラな黒髪を愛おしいげに撫でながら昨日思案していた場所を告げようとした時、

 ジリリリリリリリリリリ――――。
「あっと、電話だ」
 霧島家の古風な黒電話が鳴り出した。玄関越しに置いてある、アンティークショップに売れば値打ち物になると華恋が断言したほどの骨董品だ。左霧は慌ててその年代物の重たい受話器を取り、ひと呼吸つきながら自らの名前を告げた。

「はい、霧島です――」
「……左霧ですか? 久しぶりですね」

 思わず息を吸うのも忘れてしまった。それほどまで、今電話越しに向かい合っている人物が左霧にとって強大な存在だったからだ。
 やがて無言のままでは失礼だと気がつき、背筋に凍りつくような緊張感を保ちながら、ゆっくりと相手へ言葉を紡ぐ。


「……霧音(きりね)様、お久しぶりでございます。新年は挨拶にも出向かず誠に申し訳ございません」
「良いのです。あなたはもう霧島家とは縁も由もないのですから」

 事務的に、冷たい声が耳元で鳴り響く。冷たいというのは言葉のことで、決してこの人物の口調ではない。感情の起伏を感じられない、生きた心地のしない声。機械のような、淡々とした声色が数年越しに彼の耳元へと伝わってきた。

「……本日は、どういったご用件でしょうか?」

 内心の思いを押し殺し、左霧もまた事務的に答えた。世話話をする間柄とはお世辞にもいえない。お互いそれを割り切っているからこそ、ここまで冷静に会話が出来るのだ。少なくとも左霧はそう思っている。
「――――ええ……そう、そう……用件、でしたね」
「? 霧音様? どこか具合が悪いのですか?」

 電話越しに対話している人は、くぐもった声で途切れ途切れに言葉を紡いだ。怪訝に思った左霧は失礼と思いながらも聞かずにはいられなかった。少なくとも、彼が知っているその人は今のような弱々しく、かすれかかったような声で対話などするわけがない。威厳と畏怖を併せ持つ、言葉の一つ一つがまるで自分を支配するようなそんな喋り方をする人だった。

「いいえ。心配せずとも大丈夫です」
「……そうですか」

 また一つの静寂。そろそろ出かける時間なのだが、どうしたものか。相手はどういうともりで電話をかけてきたのか、今さら自分という存在に価値を見出したとでもいうのだろうか。少なくとも親切心などという淡い幻想は抱かない。だとしたら何だ? だとしたら――。

「霧音様――」
「桜子は、元気?」

 その瞬間、その人の目的を左霧は悟った。悟った上で表面上は取り繕うことにした。数年ぶりに我が家に接触してきた訳。決して思いどおりになどさせるものか。自然と握りしめた拳を更に深く握る。

「桜子も華恋も元気にやっています。私は学園の教師になりました。これからも彼女たちと暮らしていくつもりです。今日は三人で出かけます。桜子の成長が著しいため、服を新調しなくてはいけませんから」
「……そうですか。あなたがマリアナ学園の教壇に立つことは存じています」

 なぜ知っているのだろう。そんな疑問を抱いたが、今はそれよりもこの人を牽制しなければならない。その思いが、恐怖に勝り、左霧を突き動かした。

「もう、僕たちに関わらないで頂きたい。あなたたちがどうような野心を抱いているか分かりません。ですが僕――僕たち家族を巻き込まないことはあの時、約束したはずです」
「…………そうですね」
「僕は――僕はもう『霧島』を捨てたのです」
「……あなたはそうでも、桜子は、どうかしら?」
「霧音様……!」
「左霧……どれだけ逃げたとしても、運命は変わることはありません。わかっているのでしょう? あなたは、賢い子ですから」
「……失礼します。二人を待たせているので」
「力は……どこまでも追ってくるのです。……早く決意なさい」

 一方的に電話を切り、少しの間目をつむる。そうでもしなければ激情を抑えられない。
 今日は休日だ。皆で楽しく過ごす日だ。だというのに自分のせいで台無しになどしたくない。せめて出かける前には、いつもどおり笑顔でいたい。左霧は壁に寄りかかりしばらく呆然と立っていた。

 
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