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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百四話 最高のカード




宇宙歴 795年 11月 5日    ハイネセン  財政委員会    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前のスクリーンにグリーンヒル大将が映っている。顔色が良くない、何かが起きた。皆もそれが分かったのだろう、財政委員長の執務室には緊張が走った。
『グリーンヒルです、トリューニヒト国防委員長がレベロ財政委員長を訪ねているかと思います。至急連絡を取りたいのですが』

グリーンヒル大将からは見えない位置にトリューニヒトは居る。レベロがトリューニヒトに視線を向けるとトリューニヒトがスクリーンの前に立った。
「何かな、グリーンヒル大将」
『問題が起きました。お伝えしても宜しいですか?』
「構わない、ここには信頼出来ない人間は居ない」
格好良いな、トリューニヒト国防委員長。でも俺はお前さんを信頼していないぞ。

『シトレ元帥が襲われ重傷を負いました』
「シトレが!」
部屋が凍りついた。シトレが襲われた? 地球教? フェザーンか?
「重傷……、大丈夫なのか? 命に別状は……」
『それは大丈夫です。しかし暫くは安静が必要です』
皆が顔を見合わせた。どの顔にも恐怖が有る。

「……つまり迎撃の指揮は執れないと?」
『はい、早急に新たな総司令官を決めなければなりません』
拙いな、こちらの作戦が滅茶苦茶になる。今回の迎撃戦は単純に敵を打ち破れば良いというものじゃないんだ。フェザーンでは政治的な駆け引きが必要になる、だから身辺には気を付けろと言ったのに……。レベロとホアンがブツブツ何か呟いている、俺も愚痴を言いたい気分だ。

『襲ったのはアンドリュー・フォーク予備役中佐、直接シトレ元帥に現役復帰を願い、それを拒絶された事で逆上したようです』
「余計な事を!」
トリューニヒトが吐き捨てた。同感だ、全く余計な事をしてくれた。あの時息の根を止めておけば良かった。しかしフォークがテロを起こしたという事は背後に誰かが居る可能性が有るな。誰が使嗾した?

「グリーンヒル大将、ヴァレンシュタインです。フォーク予備役中佐はどうなりましたか?」
『憲兵隊で身柄を確保している。今、取り調べを行っているところだ』
「思い込みの激しい人物です。彼の供述は当てになりません」
俺の言葉に皆が顔を顰めた。

「背後関係を調べてください。彼の供述ではなく行動を確認して欲しいのです。例の一件で入院してから誰と会っていたのか……」
『貴官はフォーク中佐は洗脳された、使嗾されたというのか?』
「その可能性が有ります」
あらあら今度は皆が顔を見合わせている。

『地球教か、可能性は有るな。分かった、貴官の言うとおりにしよう』
「宜しくお願いします」
「グリーンヒル大将、新たな総司令官については後程連絡する」
『分かりました。ではこれで』
「ああ、御苦労だった」
スクリーンが切れるとトリューニヒトが溜息を吐いた。

「地球教か、嫌な事をするな」
「地球教とは限りません。現在同盟は帝国と協力体制を築きつつあります。その事に反対する人間が行った可能性も有るでしょう」
「主戦派だな」
トリューニヒトの口調は苦い。軍はシトレが掌握している。それを崩して自分達の意見を通そうとする勢力が背後に居たとしてもおかしくは無い。主戦派だけとは限らないだろう。

「どうする、拙い事態になった」
「このままでは和平は……」
レベロ、ホアンが不安そうな声を出した。二人ともトリューニヒトと俺を見ている。
「順当にいけば総司令官はビュコック元帥、ボロディン元帥のどちらかだが……」

トリューニヒトの語尾が消えた。無理もない、二人とも和平については何も知らない、それに政治的な駆け引きは不得手だろう。説明しても上手く行くかどうか……。已むを得んな、俺がやるしかない。
「私が軍を率いるしかないと思いますが」

俺を除く三人が顔を見合わせた。トリューニヒトが息を吐いてから言葉を出した。
「確かにそうだが、階級が……。せめて大将になっていれば……。新任の中将では難しいだろう。おまけに君は亡命者だ。参謀長はどうかな? 上にビュコック元帥かボロディン元帥を持ってくる」

今度は俺が息を吐いた。
「難しいですね、今度の戦いではかなり微妙な駆け引きが必要とされると思います。一々総司令官に伺いを立てるのは、……私が疲れてしまいますよ。出来れば全権が欲しいと思います」
「……」

トリューニヒトは無言だ。そうだよな、難しいよな、参謀長で我慢するか、そう思った時だった。ホアンが何時ものようにトボケタ口調で提案してきた。
「総司令官はシトレ元帥で良いんじゃないか」
「……」
「シトレ元帥がヴァレンシュタイン中将を総司令官代理に任命すれば」

一瞬だがまじまじとホアンの顔を見た。俺だけじゃない、トリューニヒトもレベロも見ている。
「駄目かね?」
「いや、何とも判断しかねるな。シトレ元帥と相談してみよう。まあ代理にするとしてもビュコック元帥、ボロディン元帥の同意は必要だろうな」

なんとかなるかな、ビュコックもボロディンも野心の強い人間じゃない。後はトリューニヒトに任せよう。それより気になるのはフォークだな、奴の背後に居るのが誰なのか……、地球教なら問題ないが軍内部の勢力だとするとシトレの後釜に立候補してくる可能性はある。かなり厄介な事態になるだろう。バグダッシュにも調査を依頼してみるか……。



宇宙歴 795年 11月 7日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル   ミハマ・サアヤ



「そろそろ時間かな」
「そうですね、今十四時五十五分です」
チュン参謀長とブレツェリ副参謀長が話しています。私はスクリーンをTV受信に切り替えました。今日午後三時に国防委員会から重大発表が有るから必ずニュースを見るようにと通達が有ったのです。第一特設艦隊の司令部要員は皆旗艦ハトホルの艦橋に集まっています。

「重大発表か、何かな?」
デュドネイ准将が問い掛けるとビューフォート准将が
「多分総司令官人事の発表だと思うが最近は騒々しい事ばかりだからな」
と答えました。司令部要員は皆頷いています。

「ビュコック提督かな? それともボロディン提督か……」
「さあ、甲乙付けがたいな。トリューニヒト国防委員長も頭が痛いだろう」
ウノ少佐とラップ少佐が話しています。何処か面白がっている感じがします。ちょっと不謹慎です。

でも仕方のない事でもあります。シトレ元帥が重傷を負って入院してから次の総司令官は誰なのかというのは軍人、いえ同盟市民の最大の関心事なのです。私の母だって心配しています。賭けの対象にまでなっているのです。本命はビュコック提督、対抗馬はボロディン提督、大穴がグリーンヒル大将。三人とも用兵家としての評価は高いです。誰が総司令官になってもおかしくは有りません。

帝国の貴族連合軍は十五万隻を超えます。同盟軍も第一特設艦隊を含む十三個艦隊を動員して迎撃することになりました。マスコミは史上最大の決戦が迫っていると騒ぎ立てています。その事も総司令官人事に関心が集中する要因の一つです。もっとも貴族連合軍はちょっと可哀想。帝国政府から邪魔者扱いされているという事を私は知っています。

「本当ならヴァレンシュタイン提督が最適任だと小官は思うのですがね」
「まあそうだが、ちょっと難しいだろう」
シェーンコップ准将の発言にチュン参謀長が困ったような声を出しました。チラッ、チラッと提督に視線を向けます。参謀長だけじゃありません、皆がです。

確かにマスコミの中には提督こそが適任だと主張する意見も有ります。ですがその殆どが階級が低いから総司令官は難しい、参謀長にと続きます。実際そうなるかもしれません。その場合第一特設艦隊はどうなるのか、皆が不安に思っています。もっとも肝心の提督は全くの無関心です。指揮官席で黙ってスクリーンに視線を向けています。相変わらずクールです。

それにしてもフォーク中佐がシトレ元帥を襲った事には驚きました。皆が“碌な事をしない”、“あれで士官学校首席?”、“馬鹿じゃないのか?”と言っています。シェーンコップ准将は“イゼルローン要塞で息の根を止めておけば良かったんですよ”とヴァレンシュタイン提督に言っていました。提督の答えは“殺人罪に問われなければやっていました”、です。多分本心でしょう、眼が笑っていませんでした。

スクリーンに国防委員会のプレスルームが映りました。大勢のマスコミ関係者が映っています。そしてトリューニヒト国防委員長がプレスルームに入ってきました。その後ろをビュコック提督、ボロディン提督が続きます。フラッシュが凄いです。
「こりゃあれかな、どちらかが総司令官でもう片方が副司令官かな」
マスカーニ少将が小首を傾げています。彼方此方から“うーん”という声が聞こえました。

『国防委員会から発表します。一昨日、シトレ元帥が暴漢に襲われ負傷した事で貴族連合軍の迎撃を誰が指揮するのかが問題になっていました。同盟市民にも大変大きな不安を抱かせたと思う。ここで改めて同盟軍の体制を発表させていただく』
トリューニヒト国防委員長が言葉を切り周囲を見廻しました。しーんとしています。皆固唾をのんで後任の総司令官の名前が告げられるのを待っています。

『総司令官はシドニー・シトレ元帥』
ざわめきがスクリーンから聞こえてきました。艦橋でも彼方此方で声がします。
「重傷じゃなかったんですね」
「みたいだな」
ラップ少佐とデッシュ大佐が話すと皆が頷きました。表情が明るいです、安心したのでしょう。何と言ってもシトレ元帥は“将の将たる器”と言われているんですから。

『しかしシトレ元帥は療養中のためエーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将が総司令官代理として全軍の指揮を執る』
えっ、と思いました。スクリーンからもざわめきが聞こえます。皆が顔を見合わせそれからヴァレンシュタイン提督に視線を向けました。提督は無言でスクリーンを見ています。表情に変化は有りません。

『しかしヴァレンシュタイン中将は階級が……、それに亡命者です。軍の秩序が乱れるのではありませんか?』
質問が上がりました。うん、私もそう思うっていうか皆頷いています。軍は階級社会です、それを乱せば上意下達が崩れてしまいます。滅茶苦茶になるでしょう。

『彼以上の適任者が居ますか?』
『……』
トリューニヒト国防委員長が問い掛けましたが誰も答えません。沈黙しています。周囲を見廻してから国防委員長が言葉を続けました。

『この人事については私、シトレ元帥、ビュコック元帥、ボロディン元帥の四人で話し合って決めました。貴族連合軍は十五万隻を超える大軍です。この一戦に負ける事は出来ません、負ければ同盟の存続にも関わる大事になるでしょう』
「……」

『我々は常識にとらわれず最高のカードを切らなければならないのです。その観点で話し合った結果、ヴァレンシュタイン中将に指揮権を委ねるべきだとなりました』
しーんとしました。スクリーンも艦橋も先程までのざわめきはありません。カタンと音がしました。気が付くと提督が立ち上がっています。

「御存じだったのですな、提督が総司令官代理になると」
「……」
「楽しくなりそうですな、提督」
シェーンコップ准将が問い掛けるとヴァレンシュタイン提督は微かに笑みを浮かべました、怖いです。
「ええ、楽しくなりますよ、間違いなくね」
気が付けば全員が提督に対し敬礼をしていました、私もです。ヴァレンシュタイン提督は答礼すると無言で艦橋を出て行きました。



宇宙歴 795年 11月 12日    ハイネセン  統合作戦本部   マルコム・ワイドボーン



統合作戦本部のラウンジに有る喫茶店では皆がスクリーンを見ながらひそひそと話し合っていた。何人かは信じられないという様に首を振っている。
「驚いたな、あいつが総司令官代理とは」
「ああ、私も驚いたよ」
驚いたと言っているが隣に座っているヤンの表情に驚愕は無い、有るのは厳しさだけだ。

「どう思う? ヤン」
顔を寄せ小声で話しかけた。本音が聞きたい、ヤンも俺の気持ちが分かったのだろう、同じように小声で答えてきた。
「動き出したね」

「動き出したか……、俺もそう思う」
ヤンが俺を見た。そして髪の毛を掻き回した。
「四人で話し合ったと言っているが本当の所はトリューニヒト国防委員長とシトレ元帥が残りの二人を説得したのだと思う」

「同感だ、しかしここでヴァレンシュタインに指揮権を預ける理由は? ビュコック元帥、ボロディン元帥でも十分勝てると思うんだが」
宇宙艦隊は変わった。今なら各艦隊司令官はビュコック元帥が総司令官になっても従うはずだ。ウランフ、ボロディン、クブルスリー、モートン、カールセン、ヤン、ヴァレンシュタイン、そして俺。戦場では実力が全てだと理解している人間達だ。

「私もそう思う。しかしトリューニヒト国防委員長はヴァレンシュタイン中将を総司令官代理に選んだ。或いはヴァレンシュタイン中将自身がそれを望んだのだろう。だとすると……」
「だとすると……、次の戦いは単純な迎撃戦では無い、そういう事か」
「そういう事になるね」

“うーん”と思わず唸り声が出た。
「何を考えているのかな?」
ヤンが首を横に振った。
「分からない。しかし何か狙いが有るのは間違いない。そしてそれは和平に繋がっているはずだ……」
ヤンが俺を見た、俺もヤンを見る。

「分かっている事も有るさ」
「何かな?」
「奴が指揮を執る以上、今回の戦いは凄絶な物になるだろう。貴族連合軍は地獄に叩き落されるだろうな」
俺の言葉にヤンが無言で頷いた。





 
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