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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百三話 戦時から平時へ



帝国暦 486年 10月30日    ハイネセン  大使館   ヨッフェン・フォン・レムシャイド



「如何ですか、こちらは」
「悪くはない、それに卿が頼りになるスタッフを用意してくれたので助かっている」
「それは良かった、御役に立てたようで何よりです」
大使館の応接室でバグダッシュ准将が嬉しそうな声を出した。

社交辞令ではない、バセット大尉を始めとして五人のスタッフは十分に私を補佐してくれている。特に貴族連合が同盟に攻め込もうとしていると分かってからも彼らの私に対する態度は変わらなかった。私も貴族なのだ、中々出来る事では無いだろう。彼らには感謝している。

「しかし良いのかな? 私に便宜を図り過ぎると卿にとっては色々と不都合な事が有るのではないかと心配になるのだが……」
私が問い掛けるとバグダッシュ准将が苦笑を浮かべた。
「煩く干渉してくる人間は居ますが適当に追い払っています。御心配には及びません。閣下は御自身の仕事をなさってください」

干渉か、大丈夫か? まだ若いが准将という事はそれなりにやっかみも有るだろう。風当たりは強いと思うが……。その事を問うとバグダッシュ准将が頷いた。
「確かに小官の事を忌々しく思っている人間が居る事は事実です。……例えば小官の上司、ブロンズ情報部長とか」

直属の上司に睨まれている? 相手は情報部長? 思わず目を瞠ってしまった。今度はバグダッシュ准将が声を上げて笑った。
「大丈夫なのか? 直属の上司に睨まれるとは穏やかではないが……」
「まあ大丈夫でしょう、忌々しく思っても処分は出来ない。こちらの後ろ盾は大物ですからね」

「後ろ盾というのはシトレ元帥かな、バグダッシュ准将」
「正確にはシトレ元帥とヴァレンシュタイン中将です。シトレ元帥は軍のトップですし情報部はヴァレンシュタイン中将には及び腰です。下手に怒らせれば赤っ恥をかかされますからね」
「なるほど、十分有り得るな」
二人で声を上げて笑った。つまり、この男は和平派に繋がっているという事か。

「世の中が動き出しましたが中々それを認められない人が居る。しかもその数は決して少なくない、帝国でも同盟でも……、そうではありませんか?」
バグダッシュ准将が話しかけてきた。もう笑ってはいない。動き出したというのは帝国、同盟、フェザーンのこれまでの関係が崩壊した、新たに構築する時が来た、そう言いたいのだろう。

「そうだな、私もそう思う。しかし世の中が変わる時というのはそんなものなのかもしれん。変えようとする力、それを否定する力、その二つが鬩ぎ合って世の中を或る方向に動かしていく……」
准将が大きく頷いた。

「なるほど、そうかもしれません。だからこそ混乱が起きる」
「今回は変化の幅が非常に大きい。或いは人類史上最大の変化かもしれないと私は考えている。それだけに混乱は大きい」
「どちらかと言えば帝国の方が混乱は大きいのではありませんか?」
バグダッシュ准将が問い掛けて来た。生真面目な表情をしている。帝国の情報収集というわけでは無さそうだ。

「確かに帝国の方が混乱は大きい、厳しい状況に有る。しかし帝国は敗北続きで変化を受け入れなければどうにもならないところにまで来ている。そして帝国の指導者達、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は変化を受け入れる覚悟をしている。混乱はあるだろうが耐えられるだろう。帝国の再生は可能だと私は考えている」
「……」
私の言葉に准将は黙り込んだ。

「勝利続きの同盟の方が変化を受け入れ辛かろうな。特に同盟市民に主権が有るというのが厄介だ」
「確かに……、政府は市民感情を無視出来ません」
「そうだ、……敗北した国家が敗北を糧に力強く羽ばたく事は珍しくない。勝利者こそ勝った後の事が難しい。歴史がそれを示している」
バグダッシュ准将が大きく息を吐いた。

「同盟市民にどうやって変化を受け入れさせるかという事ですな。……ヴァレンシュタイン中将はその辺りをどう考えているのか……」
「さて、気付いていないとも思えんが変化を受け入れさせるには余程の荒療治が必要だろう。その時こそ同盟は大きく混乱するのではないかと私は考えている。……帝国はヴァレンシュタイン中将に感謝すべきかもしれんな。徹底的に負けたからこそ生まれ変わる事を選ばざるを得なくなった……」

同盟は帝国とは違う。帝国は皇帝主権でありトップダウンで物事を進められる。しかし同盟は市民に主権が有る。百億以上の人間が主権者なのだ、この主権者をどうやって納得させるのか……。
「まだまだ一波乱、二波乱有る、閣下はそうお考えなのですな」
「そうだ、それに地球教、フェザーンがこのまま大人しくしているとも思えん」
「なるほど、前途多難ですな」

前途多難か……、陳腐な台詞ではあるが確かにその通りだ。百五十年続いた戦争を終結し和平を結ぶ。容易なことではあるまい。しかし今を逃せば戦争は更に続くだろう。大きな滝に落ちないように懸命に川を遡ろうとしている、そんな思いがした……。



宇宙歴 795年 11月 5日    ハイネセン  財政委員会    ジョアン・レベロ



「良いのかね、こんなところに居て。出兵の準備で忙しいのではないかな?」
「部下達に任せておいても大丈夫ですよ。皆、慣れていますからね」
「いや、シトレ元帥が君を必要としているんじゃないかと思うんだが」
ホアンの言葉にヴァレンシュタインが肩を竦めた。

「大まかな作戦案はシトレ元帥と打ち合わせをしています。しかし、皆の前で話せる事ではありませんからね、最終的には出兵後に細部を詰める事になるでしょう。現時点でしっかりやっておく事は部隊編成と補給、通信等の後方支援の体制作りです。私は必ずしも必要ではありません」
若いのに平然としている。大したものだと思うべきなのだろうがどうも可愛げが無い。仲間だから頼りになると思うが自分の息子だったら反発しそうだな。能力は認めるがウマが合わないとか言って。

「まあ確かにそうだな、サンフォード議長を引き摺り下ろす為の作戦案など大っぴらに話せる事ではないだろう。それで我々に話しが有るという事だが?」
トリューニヒトが問い掛けるとヴァレンシュタインが“大事な話です”と言って頷いた。表情が硬い、嫌な予感がした、背筋に寒気が走った。

財政委員長の執務室に四人の人間が集まっている。私、ホアン、トリューニヒト、ヴァレンシュタイン。トリューニヒトは今度の防衛戦の戦費の件でここに来たことになっている。ヴァレンシュタインはシトレの代理人としてトリューニヒトの応援役だ。ホアンは教育関係の予算増額について私と交渉するためにここに来た。表向きはそうなっている。

「和平を結んだ後の事を考えて欲しいのです」
「和平を結んだ後……」
よく分からない、ホアンを見た、彼も訝しそうな表情をしている。トリューニヒトも同様だ。

「いささか気が早いんじゃないか? 先ずは今度の防衛戦の事、政権奪取に集中すべきだと思うが」
トリューニヒトの言葉にヴァレンシュタインが首を横に振った。
「今でも遅いくらいです。一つ間違うと和平が吹き飛びかねません。時間が無い」
トリューニヒト、ホアンの顔を見た、二人もこちらを見ている。嫌な予感がますます強まった、ヴァレンシュタインは何が言いたいのか……。トリューニヒトが口を開いた。

「どういう事かね、中将」
「和平が結ばれれば戦争が無くなるんです。その事が社会に、経済に、同盟市民にどう影響するか、考えた事が有りますか?」
また三人で顔を見合わせた。トリューニヒトとホアンが探るような目で私を見ている。多分私も似た様な目をしているだろう。ヴァレンシュタインが溜息を吐いた、嫌な事をしないでくれ。

「今の同盟は戦時体制に有るんです。帝国との戦争を行い勝利する事を目的に国家が運営されている。和平を結べばその戦争が終結する、つまり同盟は平時体制に戻る事になります、百五十年振りにです。その時、政府は同盟市民から何を要求されるか……」
「……社会の安定と経済の発展か……」
私が答えるとヴァレンシュタインが頷いた。

「その通りです、市民に対して富と繁栄を与えなければならない。大変ですよ、これまでは軍が優先されてきましたが和平が結ばれれば民を優先する事になるんです。特に問題になるのは経済活動ですね。今は軍関係の企業が繁栄していますがこれらは和平が結ばれればあっという間に業績が悪化するはずです」
「なるほど」
ホアンが頷いた、苦虫を潰したような顔をしている。

「軍の予算も削減され動員も解除されるとなれば……」
「戦争が無ければ物資の消費も減少する、補充は微々たるものになるだろう。なるほど、軍に物を収める事で儲けている企業はあっという間に経営が傾くだろうな」

トリューニヒトがウンザリした様な口調でヴァレンシュタインの危惧を肯定した。軍は巨大組織だ、そこに関わっている企業は膨大な数になるだろう。造船、武器、エネルギー、食糧、衣服……。それが縮小される、活動が停滞するとなれば重大な影響が出るのは間違いない。

「それを避けるためには軍需から民需への切り替え、事業の多角化、それとリストラか……」
「ホアン、リストラはともかく切り替えと多角化は簡単にはいかんだろう。失業者の増大と業績の悪化か、……とんでもない不況になりかねんな」
嫌な予感が当たった、頭の痛い問題だ。皆が苦い表情をしている、ヴァレンシュタインもだ。

「和平を結んだが故に不況になったとなれば、戦争を望む声が上がりかねん。確かにヴァレンシュタイン中将の言う通りだ、和平が吹き飛びかねない」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。
「和平の事を真剣に考えている人間など我々以外には居ません。当然ですが和平後の事を考えている人間も居ない。私達が考えるしかないんです」
そうだな、ヴァレンシュタイン。お前さんの言う通りだ。

「政府主導で雇用対策、景気昂揚対策を実施しなければならんだろう、公共事業による大規模な経済発展計画か。資源開発、地域開発、惑星開発か……、しかし財源が……」
財源が無い、今でさえ一杯一杯だ。私の言葉にホアンもトリューニヒトも顔を顰めた。この二人も同盟の財政状態は良く分かっている。だから和平を選択した。

「軍事費は多少削減できるはずです。それと動員の解除は徐々に行うべきでしょう、大規模にやると混乱する可能性が高い、少しずつ吐き出すしかありません」
「……」
「財源は無視して先ずは計画を立ててください」
不思議な事を言う、また三人で顔を見合わせた。

「財源が無ければ意味の無い計画になりかねんが……」
「レベロ委員長、財源については私も多少思う所が有ります。とりあえず計画をお願いします」
思う所? フェザーンを利用するつもりか? まあこの男が言うのであれば何か成算が有るのだろうが……。

「……やってみるか」
私が言うとトリューニヒト、ホアンが“そうだな”、“やってみるか”と声を出した。
「地域社会開発、天然資源、経済開発とかちあうな。出来れば協力体制を取りたいが……」
「無理だよ、トリューニヒト。ラウド、マクワイヤー、トレルは頼りにはならん。こちらで主導権を取って財政委員会主導、或いは議長主導で行うしかない」

ホアンの指摘にトリューニヒトが溜息を吐いた。私もホアンの指摘に同意見だ、あの三人は頼りにならない。こちらの下部組織として扱うしかないだろう。
「軍の動員解除だが技能や資格の有る人間から民間に戻していこう」
「こちらも技能習得機関の充実に力を入れる。出来れば君の所と協力したいな、トリューニヒト」
ホアンの言葉にトリューニヒトが頷いた。

「悪く無い考えだ、戦う事しかできない戦闘馬鹿を民間に戻すことは出来ないからな。技能を習得させたうえで民間に戻す。動員解除も進むし兵の能力向上にも繋がるだろう」
確かに悪く無い考えだ、教育費がかかるという事を考えなければだが。溜息が出た、何をするにも金がかかる。

「その技能習得の件ですが軍将兵の能力を向上させるという事を前面に出すべきです。動員を徐々に解除する、量は減るが質は変わらない、その辺りをアピールすることで同盟市民を安心させるとともに主戦派の口出しを防ぐことが必要です」
“なるほど”とトリューニヒトが頷いた。

「それとトリューニヒト委員長、補給基地も整理の対象としてください。維持費や管理費がかなり浮くはずです。それを使ってガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーに新たな補給基地をお願いします」
「ウルヴァシー?」
トリューニヒトが訝しげな声を出した。そして私とホアンに視線を向けてきた。

「ウルヴァシーか、確か居住可能惑星の筈だ。惑星開発が失敗したため放置されたはずだが……」
ホアンが覚束なげに言うとヴァレンシュタインが頷いた。
「その通りです。今後はフェザーン方面も防衛体制を構築する必要が有ります。ウルヴァシーに補給基地を作り軍人、民間人を入植させフェザーン方面の重要な戦略拠点として開発、発展させるんです。雇用の確保を図れますし主戦派達からの安全保障をないがしろにしているという非難を防げるでしょう」

“うーむ”とトリューニヒトが唸り声を上げた。気持ちは分かる、私も唸りたい思いだ。和平後の事といい、ウルヴァシーの事といいなんでそんな事を考え付くのだ?
「とにかく和平を結ぶ事も重要ですが和平を維持する事も重要です。一旦崩れたら再構築は難しい、細心の注意が必要です」
同感だ、皆が頷いた。

「中将、やはり君は政治家になるべきだよ。和平が結ばれたらこっちに来給え」
トリューニヒトの誘いにヴァレンシュタインが顔を顰めた。
「冗談はやめてください、人を騙したり脅したりする阿漕な仕事はもう御免ですよ。和平が結ばれたら軍を辞めて真人間になります」

余りの言葉に皆が笑った。部屋の空気が僅かに和んだ、その時だった、執務室のTV電話が受信音を鳴らした。皆に断ってから受信ボタンを押した。スクリーンに軍人が映った、顔が強張っている、グリーンヒル統合作戦本部長代理? 何故ここに? 何が起きた? また嫌な予感がした……。



 
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