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乱世の確率事象改変

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白き蓮は折れず


 何を信じていいのか分からない。
 どうすればいいのか分からない。
 何がいけなかったんだ?
 私には何が足りなかったんだ?
 ただ、私はこの地を守りたいだけなのに。
 ただ、人が理不尽に殺される事の無い平穏な地を作って来ただけなのに。
 仲良く、呆れながらも、力を貸してくれたし、皆で作ってきたじゃないか。
 なのに何故……こうも簡単に……

 渦巻く思考のままに茫然と立ち尽くす私の頬を打ったのは星だった。
「目は覚めましたか? 今、あなたがすべきことは?」
 乾いた音と同時に耳鳴り、次いで凛とした声が耳に響き漸く思考が正常に回り出す。
 そうだ、私が今すべきことは――――
「牡丹、残りの糧食でどれくらい持つ?」
「切り詰めて消費したなら後二十日は持ちます。この城に蓄えていた分もありますし」
「他に不調を訴えている部隊は?」
「ないです。私の第二部隊だけ次に食べる糧食を消費したので」
「ただの食あたりという可能性は?」
「ありえません。汁物を煮詰める水は同じモノを使っていますし、私達は今回のモノより古い糧食を既に食べたのですから。ネズミや虫の心配は、料理にうるさい店長の忠告を聞いて保存方法に手を加えている為、まずありえないことを私達三人だけは知っているはずです。それに食あたり程度なら食べた者の幾人かは無事なはずで、それがいないという事は……」
 問いかけの答えに気が狂いそうになるが一つだけ、最後の希望とばかりに聞いてみる。
「……敵の間者による混入の疑いは?」
「……第二部隊だけを狙う意図が分かりません。間者が混入するのなら、間違いなく一番精強な白蓮様の第一師団の第一部隊、もしくは私達三人が食べる分を狙うでしょう」
 自身の足元が崩れ去るような感覚がしてよろけてしまう。急ぎ、牡丹が私の身体を支えてくれた。
 どうして? 何故? いつから? 何の理由で? 何が目的で?
 殺すつもりの毒では無いのも相まって、いくつもの疑問が頭に浮かび、さらに目の前に叩きつけられた事実が頭の中をかき乱す。
 私は、部下に裏切られたのか。
 ずしりと鉛の塊が腹に落ちたような感覚が重く圧し掛かり、悲哀の感情と自身への激情が心の全てを支配し始める。
 それでも、星が打った頬の熱さが思考と心をどうにか繋ぎ止めてくれていた。
「なら……本城からの救援は……」
「絶望的かと。返答の伝令は道中で、もしくはその報告すら届かずに揉み消されている可能性が高いです」
 現実は非情だった。この時点で倍以上の兵力と相対する事が確定し、勝機の多くが消えてしまったと言っていい。いや、まだ戦況を判断して他の場所が救援を送ってくれるという希望もある。私はこれまで幽州の地で絆を繋いで来たんだ。何を弱気になっている公孫伯珪。私はこの地を守る太守、いついかなる時も全ての民の指標であり続けなければいけない。
 ぐっと腹に力を込めて牡丹に寄り掛かっていた身体を直立させ、両頬を己が掌で打ちつけて気合をいれる。
「いったぁ……よし! まだ完全に負けたわけじゃない。救援が来る希望も多々ある。星は疑いのある糧食の始末を、牡丹は兵に……」
 他の兵達になんと伝えればいいのか分からず言葉に詰まる。裏切り、と正直に伝えることなど、兵の不安を煽り、士気低下につながるので出来はしない。
「真実を伝えてしまうと兵の士気が下がりますので、料理担当に戒厳令を敷き、他の兵は保存方法を知らないのでネズミが食い散らかしていたのではないかとでも伝えて誤魔化しておきます。第二部隊は一番端の隊舎に隔離、休息を取らせます」
「ありがとう、それで頼む。二人とも急ぎで動いてくれ」
 牡丹の咄嗟の機転に感謝しながら伝えると、二人は返事を一つして全速力で駆けだしてくれた。
 後に残った私は一人、敵本陣がある方角を一度だけ見やり、
「まだ負けてない。お前達がどんな手を使ってこようとも、私の全てを賭けてこの地を守ってみせる」
 昏い声で呟いてから身を翻し、急ぎ足で城壁の上を後にした。



 †



 先陣の天幕内には今、袁紹軍では無い者が一人いた。
 その者の名は張純。公孫賛の所に長く所属し、自身の仮の主を脅かす機会を今か今かと待ち続けていた人物。
 美しい外見に下卑た微笑みを携えて、郭図の前で頭を垂れ、跪いている。
「全て滞りなく完了しました。救援報告の使いも道中にて暗殺完了。付近の豪族の懐柔も指示通りに、烏丸も予定数攻め続けて、対応にギリギリの兵力を投入しております」
 そう、彼女こそ袁家の放った毒であった。
 彼女は黄巾前から公孫賛の治める幽州の地を奪い取ろうとしていた。さらには烏丸との内通者でもあり、幽州の情報漏えいは全て彼女の仕業。
 烏丸との内通では、黄巾前の烏丸の頭領を失脚させたい者と画策を行っており、わざと幽州に攻め入らせて世代交代を計らせた。本当はその時点で反旗を翻すはずであったが、劉備義勇軍という邪魔者が力を付けてしまったため予定を遅らせる他無かった。
 元々彼女は袁家との繋がりは無かったが、黄巾よりも少しだけ前に郭図と知り合い、共に公孫賛の失脚を念入りに煮詰めて来ていた。
「絶望してる白馬姫の様子が目に浮かぶぜぇ……良くやった張純。これでこの戦の勝ちは確定したも同然だ。あの軍にはもう手はねぇからな。一番最高なのは、幽州の人間の反感もある程度抑えられる事だけどな」
 毒の混入について、殺す程のモノを使わなかったのには理由がある。
 戦に於いてやっかいな事の一つに負傷兵の管理がある。戦に出る事も出来ず、見捨てる事も出来ず、かといって籠城戦では送り返す事も出来ず、ただただ足を引っ張ってしまう。そして毒による高熱では水が多量に必要で、病との判別が難しいので隔離と管理に手間を取られる事だろう。
 郭図の最後に語った幽州の人民の反感については、侵略を行った側がその地を従えるのは容易では無いのはあたり前の事であるが、公孫賛の治める各地人民からの人望や信頼は尋常ではない程に高いので通常よりも手間と時間が掛かる。
 民の反感を抑える為にわざわざ烏丸に攻めさせ、それを袁家の軍がそのまま抑える形を取ろうとしているのだ。
 民の心は自身の平穏に向くのが当たり前であり、治める主が変わろうとも、たとえ侵略してきた側であろうと身の安全が保障されるのならば少しでも感謝の念を持つ。
 袁家を新たな幽州の守り手として確立させる為だけの生贄が烏丸。
 この戦の後、袁家が過剰な圧政を行わなければ、公孫賛が降伏していたならばもっと早く守れたのにと、そんな噂が幽州の地に蔓延するだろう。
 今まで守ってきた彼女に全ての悪意が向く。彼女の愛した家が、脆くも崩れ去ってしまう。この荒れた乱世に於いて移ろいやすい人心は、例え逃げる事が出来たとしても、もう彼女には戻る場所を与えてはくれない。
 そして何が起こせるか。そういった民の心境は利用するに容易く、彼女自身への刃となり替わる。
 公孫賛はそれを知らず、今も尚、家の為にと戦い続けているのだろう。
 そう思って、二人は愉快そうに笑い続ける。
「ああ、あとな張純。お前に対する褒美の話をしよう」
 ふいに大きく笑うのを止めた郭図はにこりと彼らしくない笑みを浮かべて彼女を見た。
 これで私は莫大な富と安定の生活が手に入るんだ。あまりにも上手くいったので少し色を付けてくれるかもしれない。
 もしかしたら袁家の重鎮という地位も在り得る。そうなれば、また下らない誇りに人生を費やすバカ共を蹴落とすという最上の蜜を特等席で味わえる。
 期待に胸を高鳴らせる張純の目の前で、彼が指を一つ鳴らすと天幕の入り口がさっと開き――――張純は一人の兵にその背を槍で貫かれた。
「ぐ……な、何故……?」
 驚愕に目を見開き、どうにか言葉を紡ぐが、
「報酬はこれで勘弁してくれ。あの世っていう安息の時も手に入るし上々だろ? 末路が裏切りってのも、お前らしくていいじゃねぇか」
 口を抑え込まれ、次の声を上げる間も無く喉を短剣で引き裂かれ、最後に止めとばかりに心臓に一突き。瞬く間に彼女は息絶えた。
 兵に報酬の入った巾着を投げ渡し、後始末を言いつけた郭図は三日月型に口を引き裂いて、動かなくなった張純を少しだけ見下ろしてから無言で天幕を出た。
「バカが。口を割られても面倒だから殺すに決まってんだろ。頸だけは利用価値があるから使ってやる。あと、そうだな……二日後あたりに始めるか。クカカ、公孫賛にとって一番残酷な策で追い詰めてやんよ。張コウよぉ、やっぱり止められねぇよ。お前らの思惑も全部読み通り行くだろうからな。俺もそろそろ次に移るか」
 ぶつぶつと一人今後の展開を積み上げながら彼は朝焼けの空の下を歩く。
 自分の策を止めると言い放った一人の女を嘲りながら。


 †


 体調を崩した兵が出てから二日目、籠城戦が落ち着き、敵が陣に引き返して行った夕暮れ時の事。
 兵達の士気は大きく下がりかけていたが、白蓮が牡丹の第二部隊以外の全ての兵を集めて叱咤激励を行いなんとか持ちこたえる事に成功した。
 食事を運んで来た兵からその話を聞き、療養の為に隊舎内に横たわる兵達は涙を流した。この大事な時に自分達が戦えないなど末代までの恥では無いか、我らが主や仲間達は家を守る為に戦っているのに、と。
 その兵達に対して、白馬義従第二師団長である牡丹は隊舎の周りに残りの部隊を集め、ある男の言葉を少しだけ借りる。
「お前達の悔しい気持ちも、無念も、守りたいという心も……全ての想いを私達が連れて戦います! ただ、自分で想いの華を繋ぎたいというバカがいるならば、今は少しでも休んで力を溜め、時機を見て共に戦うのを許します! 我ら白馬義従第二師団、白馬長史の願いを叶える為に、心を一つに命を賭けろ!」
 牡丹から高らかに放たれた言葉に続き、他の部隊の兵から口々に激励の言葉が飛ぶ。
 仲間の兵と主の片腕からの激励の言葉は床に伏している兵に希望と覚悟を与えた。
 また、その様子を見ていた全ての兵達の士気は爆発的に上がった。
 その直後、城壁の上に待機していた者から声が上がる。
「敵襲! 西より敵の影あり! 数は先と同じ程です!」
 今日までこのような事は無かったが、敵も焦れて来たのだろう。遂に本格的な攻城戦に切り替えてきたという訳だ。いくらでも来るがいい。死兵の如く戦う覚悟を皆が持った。後悔するのはお前達の方だ。
 白蓮は兵を鼓舞し、籠城戦の指示を出し始める。
 しばらくして、城壁の近くまで来た敵から一騎だけ突出して来る影があった。
 地平線に沈みかけている西日に照らされ、麗羽の金髪は光り輝いていた。彼女は王として、荘厳な空気を纏って普段の彼女からは想像する事も出来ない口調で語りを行い始める。
「公孫賛よ! 此度の覇の第一歩たる戦に於いて一つの不幸が起きた事を口惜しく思う! これを見よ!」
 大きな声と共に掲げられた腕には、救援依頼を出した、裏切りの疑いが掛かっていた自身の部下である張純の頸。麗羽に長い髪を引っ掴まれて垂れ下がっていた。
 頸を見た白蓮はすぐにその意味を理解し、覚悟を高めていたはずの心は再度かき乱される。まだ、これだけの疑いがあったとしても、心のどこかでは信じていたから。その甘さが彼女の良さと共に一番の弱点であった。
 対して、城壁の上で頸が誰なのか気付いた兵達は息を呑んだ。
 何故、救援に来てくれるはずの上司が頸だけとなって我らの前にいるのか。何故、敵の手にそれがあるのか。
 疑問が頭に渦巻く中、唐突に突きつけられたモノを受け止め、瞬時に悟った者は少ない。だが、少しずつ、絶望の事実に気付き始める。
 我らに救援は来ないのだ、と。
 真実を知る者達は三者三様の反応を行う。
 冷徹な瞳で頸を睨みながら敵の思惑を看破するため思考に潜り始める牡丹。
 不快そうに眉根を寄せるも、城壁の兵の状態と白蓮を確認する星。
 白蓮は……ただ無感情な瞳で麗羽を見ていた。何を思考するでもなく、胸の内に来た喪失感は彼女の中の何かにひびを入れた。
「この者の名は張純。お前の臣下であった者のはず。愚かしい事に、裏切りという愚行を侵して我が軍門に降ろうとした。ただの恭順ならば命くらいは許したやもしれんが、この者はお前の軍に毒を盛ったと語った。我らが戦いは大いに穢された。覇道に於いて智を競う搦め手ならば許されようとも、卑劣な外道行為など許されない」
 高らかに綴られた言葉を聞いた全ての兵にどよめきが走る。
 敵に打ち倒されたのではなく、自分から我らの主を裏切ったのか。
 張純が古くから尽力してくれていただけに、彼らに伝わる衝撃は大きなモノだった。
「だが、臣下の管理も王の務め。裏切りを許してしまうのは王の力不足によるモノであろう。さらに毒という悪辣な手段を使う者を見抜けなかったお前の力不足によって、兵達は苦しんでいるのだ」
 耳を打つ言葉は白蓮の心を容易く切り刻む。
 悲痛に表情を歪ませ、片手で胸を抑え付けて息荒く、彼女は膨大な汗を流し始める。それでも彼女はまだ折れない。屈するを良しとせず、膝を付く事も無く、麗羽の言葉の続きを聞き続けていた。
「公孫賛。お前の力は王足りえない。しかし、外敵から幾度となくこの地を守り通して来た精強な力を失うはあまりに惜しい。今、投降して従うのならば、全ての兵の命も、お前自身の命も保障しよう」
 王足りえない。その言葉は彼女の心を酷く傷つけた。誰よりも努力してきた彼女を一番苦しめる言葉だった。
 一人の友である男が認めてくれた、一人の友である女が認めてくれた、一人の絶対の忠臣が認めてくれた、その自分を、自分が行ってきた全てを打ち壊す一言だった。
 私の力不足で、私のせいで、私が治めていたから……。
 彼女の心はもう壊れる寸前まで追い詰められてしまった。それでも……彼女はまだ立っていた。
 自分の足元が崩れ去りそうになりながらも折れない。奮い立たせてくれた二人の存在を近くに感じていたから。兵達の突き刺さるような視線が感じられたから。この大地がどのような場所であるか知っていたから。
 彼女の将たる二人からは莫大な怒気溢れたが、どうしたことかそれを鎮めてふっと息を一つついて笑う。下らない、と言わんばかりに。
 そして、兵にとっては甘い誘惑である麗羽からの言葉は、精強たる幽州の兵達の心を……一筋たりとも揺さぶらなかった。
 ふいに石が一つ投げられる。遠すぎて敵大将の元には届くわけが無いのだが、それでも一つの敵意は投げられた。
「我らが主は王足りえる! 貴様は我らが王には届かん! 誇り高き白馬の王は如何様な甘言にも惑わされる事は無い! 我らが命は白馬の王と共に! 我らが主がこの地に立つ限り、従う我らは全ての侵略者を打ち倒す真の勇者とならん!」
 たった一人の、体格も、容姿も、力も、全てが普通の兵の激発が天高く響き渡った。目に涙を溜めて白蓮の目の前に飛び出して城壁のギリギリまで駆け寄り、敵に向けて放たれた情けなくも震える大きな怒声は……壊れかけていた白蓮の心を救った。
 一人に倣って二人、三人、四人と兵達が言葉を投げ始める。
「貴様らは俺達の安息の地に踏み込んだ大敵だろうが!」
「下らない甘言に惑わされるか!」
「我らの王を侮辱した罪、その命では贖いきれんぞ!」
 怒号は波となって麗羽に押し寄せ、余りの勢いと殺気にたじろぎ、馬を少し下がらせた。
 それを見て城壁の段差の上に二人、さっと飛び乗った者が居た。
 白き衣服を纏いて槍を天に翳す美しい昇龍と、主とほぼ同じ紅の様相にて戦斧を敵に突き付ける凛とした白馬の片腕。
 紅白の二人を見やった兵達は口を噤み、その代わりとばかりに敵に対して城壁から並んで顔を出し睨みを効かせた。
「我らが主は知っているぞ! 貴様らが外道策を行うような輩である事を! 裏切りも貴様らの誑言策であろう! 見よ! 真の臣下は全て揺るぎなく、忠を尽くしてここにあり!」
「浅はかなり袁家! 欲に塗れた貴様らの腐った言葉など誇り高き我らには届かん!」
 瞬間、全ての兵から雄叫びが上がる。
 友にして忠臣たる星と絶対の忠臣たる牡丹の二人は振り向いて彼女に微笑み掛けた。
 白蓮は――――涙を流しながら笑っていた。
 自分を信じてくれている全ての者の気持ちが嬉しくて、自分の誇りを代わりに守り抜いてくれる者達が誇らしくて、自分を認めてくれている全ての存在が愛おしくて。
 二人は手を差し出し、白蓮はぐしぐしと涙を拭い、その手を取って同じように城壁の段差に昇る。
 ありがとう、と小さな呟きは誰への言葉なのか。
 胸を張り、大きく息を吸って敵を睨むこと幾分。呆れた、というように盛大に息を吐いてから、不敵に笑って口を開いた。
「言ったはず! 例え百万の軍勢を引き連れて来ようとも、我らは袁家に従う事は無い! 平穏を乱す悪逆の徒よ! 貴様らに誇りは無いのか! いや、無いのだろう! 誇り無き獣達よ、地を這いずる卑劣なる愚者よ、貴様らは白馬の馬蹄にて蹂躙してくれる! 我らが怒りを知るがいい!」
 夕日に照らされた誇り高きその姿に、敵も味方もしばし見惚れてしまった。
 しかし、見惚れずに瞬時に動いた者が二人。城壁を駆け下り、控えていた兵全てに号令を掛けはじめる。
「我らの力を示す時です! 敵総大将が眼前にいる今を逃してなるモノですか! 白馬義従第二師団、出ます!」
「クク、我らが主は全てを踏み潰す事をお望みだ! 命を惜しむな! 名を惜しめ! 趙雲隊、白馬を守る龍となれ!」
 彼女達は心底楽しそうな、嬉しそうな笑みを湛えて指示を出し続けた。


 その時、外で麗羽は……不敵に笑っていた。
 これでこそ、自分と共にあって欲しい誇り高き白馬長史だ。
 麗羽は今回の裏切り者の頸を使った策を是としていた。
 郭図が言ってきたのだ。この頸を使えば公孫賛の誇りは折れるだろう、と。
 さらに、折れた所に連合での公孫賛の友が出した攻城戦における策を使い追い詰めるべきだ、と。
 だが、麗羽は白蓮が折れないと分かっていた。
 そんな生易しいモノではないのだ。公孫賛が作って来た幽州という家は。自身が憧れて止まない、本当の絆で結ばれた土地なのだから。
 その程度で折れるならば、わざわざ彼女の王佐が口を酸っぱくして公孫賛を生かせというはずは無い。
 張コウもそれに納得し、策を講じる事に乗った。曰く、捕えるのに一番効率がいいからだ、と。
 張コウは先に動き始めている。
 郭図は読み違えたのだ。彼女達の誇りを、彼女達の想いを。
 そして麗羽は信じていた。白蓮やその臣下達が誇りを守る為にこの策によって城から出てくる事を。
 笑みを止め、彼女は冷静に撤退の指示を出す……わけでは無く、先程までの堅苦しい言葉を投げ捨てて、いつものようにバカの振りをする。
「一度引きますわよ! 打って出てくるなんて聞いてませんわ!」
 大将の焦りは敵味方の全ての兵に伝わる。
 急ぎ後退し始めた部隊に対して城壁の上から凛とした声が耳に入った。
「我が忠臣達よ! その力を以って侵略者を踏み潰せ! この大地から追い払え!」
 疾く、城壁の上の全ての者達が動き出す。主の命は放たれた。ならばそれに従うのみだ、と。
 逃げながら麗羽は微笑んでいた。
 郭図は既に勝利が確定したとしてこの場から離れた。よって生かして捕える事が容易になる。
 袁家上層部の決定は聞いている。
 苦渋の果てに従えられるのならば良し、と夕が言いくるめたと張コウから報告されている。
 それでも、反抗の芽を気にして亡き者にするのが最善とされている為、生かしきれるかは麗羽達の手腕に任されている。
「張コウ、顔良、文醜に伝令。すぐに対応を、と」
 伝令が走り出すと同時に城門が開ききり、公孫賛の軍は怒りのままに袁紹軍の後背に――――激突した。


 †


 夕暮れの戦場を見やるのを止め、城壁の端から下りると……ふらついてしまった。
 膝を付きそうになるが一人の兵士が咄嗟に抱き止めてくれる。
「我ら白馬義従はあなたの義に従う部隊。あなたの望みが我らの望み。あなたの意思が我らの意思。例え地獄の果てであろうと、どこまでも従って行きます故」
 笑顔で迎える部隊長の言葉は私の胸に響き、心を温かく包んでくれた。
 気付けばまた涙が頬を伝っていた。
 私には仲間がいる。私を信じて従ってくれる者達がいる。
 きっと星や牡丹から言われただけでは心が壊れていた。立ち直る事も出来ずに屈していただろう。
 彼らはずっと支えてくれた、私が作り上げてきた一番の宝だった。
 私はこいつらの王として、今こそ相応しい姿を見せなければいけない。
 一人で立ってからぐいと涙を拭い、腹に力を込めて抑え込み、彼らに笑いかける。私の頭はかつてないほどに冷静に戦の思考を行い始めていた。
「ふふ、バカ共め。なら地獄の先まで付き合って貰う。まず関靖を止めに動くぞ。思い出せ、シ水関で袁家が行った策を。必ず分離策につなげてくるだろうから敵を跳ね返しつつ、薄い所を突いてこの城から離脱し、戦線を下げるぞ」
 軽く指示を出すと床に伏していた牡丹の第二部隊が出てくるのが見えた。
 彼らはもう止めても聞かないだろう。ここを死地と決めているからこそ出てきたんだ。
「関靖の第二部隊は敵右翼の攪乱に動かせろ。帰ってくる道の確保を私の第三部隊と共に行わせる」
 短く返事をして兵達が動き出す。城壁を降りきると私の愛馬が既に準備されていた。白馬義従第一部隊と共に。
 馬に飛び乗り、私を熱い瞳で見つめる兵達に向かって大きな声を張り上げた。
「聞け! 我が忠臣達よ! この地を長きに渡り守り抜いてきた勇者達よ! もはや多くを語るまでもないだろう! 一つだけお前達に伝えておく! ……皆の事が大好きだ! 皆でこの地を守ろうじゃないか! 全軍、私と共に戦場を駆けよ!」
 言うが早く馬首を前に向け、兵達からの歓喜の声を背に浴びる。
 こんな赤くなった顔は見せられないからな。
 そして私達は戦場へと飛び出した。





 その日の戦に於いて袁家は甚大な被害を被った。
 麗羽の仕掛けた牡丹を引き込む策は白蓮の機転によって防がれ、事前に指示された通りに包囲網を組んだ兵達は死兵の如き公孫賛軍に蹂躙される事となった。
 ただ、公孫賛軍の被害も多大なモノであり、相応の兵を失ってしまった。
 包囲網の薄くなった所を突破した公孫賛軍は一つ戦線を下げる事とし、一つ後ろの城へと引き返していく。
 袁紹軍は追撃を仕掛けるもあまりの士気の高さに攻めきれずにいたが、此度の戦場に一人だけ現れなかった将が姿を見せる。
 張コウは少数部隊を率いた伏兵によって後退中の公孫賛軍の横を突いた。
 彼女が率いていた者は袁家の虎の子である強弩部隊。その威力は凄まじく、再度公孫賛の軍は被害を拡大される。
 これを機とした張コウは混乱に乗じて公孫賛を捕えようと動いたが死を覚悟した兵によって妨害され、趙雲が殿を務める様子を見て急ぎの追撃をそこそこに諦め、本隊と共にゆっくりとその後を追っていった。
 辛くも公孫賛は逃げ切る事に成功した。
 彼女は未だ折れず、一縷の望みに賭けて次の戦の準備に物資を補完してある城へと向かうのだった。



 †



「……予定通り逃げられたか。公孫賛を舐めてるわけじゃねぇよ。確実に殺したいだけだ。兵数を減らすのに攻城戦じゃ時間が掛かりすぎる。救援の希望を無くして、決死の覚悟で特攻しやすくしてやったんだ。クカカ、絶望した後にくだらねぇ誇りに引きずられて死んじまいな」
 その男は一人嗤う。
 夜空に輝く三日月の下、同じように口を引き裂きながら嗤う。
 郭図は城壁の上から、暗い地平を見ている。
 その先には、幾多の赤く燃える松明に照らされた白い牙門旗が翻っていた。 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

長くなるので切りました。
戦描写を行うと二万文字を越えてしまう為にカットです。
申し訳ありません。

たった一人の普通の兵士の言葉が白蓮さんを救いました。
星さんや牡丹ちゃんが代わりに激発しても、劣等感が強い彼女の心は完全には救われないのです。

今度こそ、幽州の戦は次の話で終わります。


ではまた 
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